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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

◎合格の証しを追究することが、竹の会指導の原点だった!

2021.02.08

 

◎合格の証しを追究することが、竹の会指導の原点だった!
 2月9日は、本当は私に辛い日でした。落ちた子たちのことを考えると、心は痛まないわけはありません。受かった子には心から「よかったね」と祝福し、心の底には、悲しみが渦巻いている、この日の辛さを思うと、もう受かる見通しのない子は、この勉強に入り込んで欲しくない、そういう思いが強い。この試験は、5倍から8倍、今では受検者が絞られて、ある程度のレベルの子が多いから、倍率の5倍は3倍ほどか。かつて平成19年九段男子は11倍だった。不安そうな顔して私に倍率を告げる小6男子に、「11倍強か、しかし、実質は2倍弱程度だろ、心配するな!」と言ってやったものだ。九段人気で、割合もろくにできない小学生が猫も杓子も受検受検と集まった。この中にどれだけまともなのがいるのか。とにかく当時から公立小はひどかった。当時までは中学受験全盛の時代、優秀な子はほとんど私立へ流れ、公立中には、受験しない層と私立失敗組が沈殿した。だから公立中は荒れていた。授業妨害で授業もまともに受けられなかった。生徒は授業中も勝手に歩き回り、大声で話すから、先生の声は聞き取れない。そういう苦情が親たちから出ても教師、学校は何もできなかった。そういう時代だった。
 だから人々は、公立中高一貫校に夢を広げた。これまで中学受験など考えたこともない層が、特に、女子は家計を考えてほとんど地元の公立中へと行っていた時代だから、一気に公立中高一貫校へと流れていった。女子の競争率がどうしても高くなる傾向があるのは、そうした背景がある。
 制度スタートから15年、公立中高一貫校受検もかつてのように、実力と関係なしに、受けるという子は相対的に減り、かつての玉石混交の時代は終わり、それなりの能力のある子が相応の学校を受ける、というふうにはなってきている。しかし、まだまだ、おそらく4割は夢だけで受ける子たちがいる。まあダメでも公立中という受皿はあるからダメ元受検という子たちがそれなりにいても別段不思議なことではない。高校入試だと、都立受験の子が、自分の偏差値で届かない有名校にダメ元で挑戦するということはよくある。
 公立中高一貫校の難易度の潮目が、明らかに変わったと実感したのは、平成28年の受検のときだった。実は、あの年竹の会からは、小石川に合格してもおかしくないと私が判断した子たちが複数受けた。結果、受かったの1人だけ。このとき、私は小石川の合格可能性の判断基準が、これまでの基準では通用しない、と思い知らされた。私の見通しでは、少なくとも3人は受かると見ていた。確かに、小石川の併願率は、その当時の学校の発表では75%超あったし、そのため私立難関、例えば開成クラスに合格する実力のある子たちがかなり併願してくるということは予想していた。併願率が高いから小石川だけは補欠30番でも繰り上がり合格する。これが白鷗だと補欠1番でも繰り上がりなしの年もあった。これまでの常識が通用しなくなっている。このことをわたしは28年の合格を期待した子たちの不合格で思い知らされた。この年の経験が私に小石川だけは別だ。相手は開成などに受かる連中だ、と覚醒させられた。よく竹の会にも小石川志望ですという子が来ますが、そうですか、と承っておくだけにする。小石川に本気で合格するには、私の最強のレジュメ訓練をほとんどを合格ハンコでクリアしなけれなければならない。そこまでやらないと小石川の合格は確信できないのだ。竹の会では、令和2年に小石川に合格しているが、この子は、わたしの最高レベルのレジュメの何種類かを合格ハンコでクリアした、唯一の子であった。また、算数レジュメ「2010算数」「2011算数」までを完璧に終わらせている。つまり開成に通用する算数力を備えていた。開成算数に通用するまでにわたしが仕上げた子であった。わたしの中では小石川はそういう水準の学校として位置づけられている。
 わたしには、桜修館の合格論理、白鷗の合格論理、両国の合格論理が、それぞれの位置付けとしてある。例えば、平成31年に2名が桜修館に合格しているが、この子たちは、2人とも適性IIは88%、96%という高得点を取って合格をしている。この2人共が、現在桜修館でトップテンにあるのは、当然と言えば当然なのだろう、と思う。28年の悪夢以来、私は桜修館でもかなり高度のレジュメを課すようにしてきた。ただ算数レジュメは、「2010算数」の一つ前、「2010速解」まででもいい。
今は、「2018算数」や「算数の鍵」などの優れた算数レジュメも完成しており、これからさらに高度な算数レジュメを制作する予定でもある。すべてはわたしの小石川に対する恐怖から始まったことではあった。
 竹の会では、受検成功のラインはかなり高いところに設定している。だから竹の会の合否判定はかなりシビアに親御さんにも伝えている。小5の、この時期の力から受検までに合格レベルにまで達するか、私の中には、漠然とした見通しはある。心が痛むのは、見通しが見えないままに、指導を続けることである。良心が痛む。

 合格レベルに達しないまでも、このまま竹の会で指導すれば、少なくとも公立中にそのまま進んでも困らないだけの基礎はできあがるであろう。それだけは間違いない。わたしは受検で芽が出なくても高校受験で成功したという子ならいくらでも経験がある。しかし、合格レベルとなるとラインは高くて難しいかなとか、このまま続けても私の想定するラインには届かない蓋然性が高いとか、そういう子が事実いる。竹の会が他の塾と一線を画するのは、親御さんの期待には添えない、ということ、をやはり正直に伝えなければと良心的に悩むところだと思います。わたしとしても正直に事実を告げて肩の荷をおろしたい、という気持ちと私の力不足で子どもに申し訳ないという気持ちの間で揺れ動くわけです。 かつて、小5の3月、退塾した女子がいました。竹の会を止める日、その子はしくしく泣いていました。お母さんが優しく慰めていました。それから月日が経ち、27年の受験が終わって、結果も出て、何日かして、その子のお母さんさんから、長文のメールをいただきました。その後、新しい塾では、算数が1番になったこと(これも竹の会のお陰ですとあった)、桜修館は、作文が少しだけ足りなくて、落ちましたけど、これから中学で頑張ります、といった趣旨の内容でした。私は、我慢強く竹の会で見てやればよかったのか、心が痛みました。真面目に勉強する子でした。そういう子を突き放すのは、もうできないな、とも思いました。
 私の思いは、常に、掲示板に立ち尽くした日の、あの日の思いにあります。番号がなかった子の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうでした。一年、二年と苦楽を共にしてきた、ある時は笑い、ある時は私の言葉に涙を流した子たち、私には、掲示板の冷酷がもはやどうにもならない、冷たい現実がただある、それだけでした。
 私には、掲示板に番号を載せるためには、生やさしい勉強ではだめだといつも思いを新たにしてきた。だからわたしはわたしの厳しいノルマを実行することを求めてきた。わたしはいつも掲示板を背中に感じながら指導してきたと思う。わたしは掲示板に番号が「ない」という恐怖から解放されることはなかった。わたしのレジュメはいつもその恐怖が不安がわたしにこれだけのレジュメを解けなければとても通用しないという思いから作られている。わたしの用意するレジュメの悉くに合格はんこをとっていくだけの多層的な思考力、強靱な思考力、タフな精神をつけてほしい。わたしのレジュメにはそういう思いが込められている。わたしはそういう子を育てることが、この試験を勝ち抜く、おそらくもっとも確実な方法なのであろうと考えています。
 思考を鍛えるという方法は、どのような問題が出されても、その場で事実関係を読み取り、問われていることに、思考で対応する、具体的に言えば、事実の層を丁寧に剥がしていく、まるで難しい外科手術のように慎重に確かめながら注意を周囲に払い、進めていく、これである。問題の層を剥離していく、つまり層を剥がしていく、そして最後には、残されたシンプルな事実をさらりと解く、そういう醍醐味が面白さなのかなと思います。なにやら詰将棋に似たところがある。
 知識か、思考か、究極的にここに落ち着く。思考だとして、それでは具体的に、どうすればいいのか。これこそがわたしが、竹の会がいちばん腐心してきたことです。

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