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竹の会の指導について

2021.02.23

 

◎竹の会の指導について
 
 指導とは、修正を求めることです。いくら修正を求めても、本人に、向上する心がなければ、指導は頓挫する、無意味なんです。「ノートを取りなさい」と修正を求める、「読める字を書きなさい」と修正を求める、指導というのは、修正を求めること、なんです。
 「図をかきなさい」という修正は、やや違う。図をかくというのは、抽象化という、かなり高度の脳作業を要する行為である。本人の修正で簡単にできることではない。

 図というのは、事実を関係的に把握してないとかけない。事実を俯瞰していないとかけない。つまり、事実の関係を立体的に掴んでいないと、図に表すことなんかできないのです。子どもたちに「図をかけ」といっても実はすぐにできることではない。図は理解のバロメーターですから。
 指導とは、少し修正してやる、そしてうまくできたと肯定してやることです。失敗したら意に介せず、さらに修正する、それで成功したら、肯定してやる、小さな肯定の積み重ねなんです。

 こうして進捗のよくない子というのは、修正の利かない子のこととも言えます。「こうしなさい」と言ってもなかなか修正できない、こういう子は指導は本来できないと思います。これこそ馬に水をむりやり飲ませることだからです。

◎読解のコツなんてあるのか

 文章を読むコツはあるのか。
 わたしの最新の研究は、読解を切り開く鍵は、抽象と具体の概念の解明にある、と見ています。
 それで、私は今年の子たちの指導を見据えて、抽象と具体に関する本を精読しています。読解を読み解くキィー概念であることは間違いないと思うからです。
 竹の会には、実は、「抽象化訓練」というレジュメがあります。抽象化というのは、いくらでも抽象の程度をあげることができる。具体化というのは、これもまたいくらでも細分化できる。読解の場合は、文脈という、読解の綱があり、問題は、この綱の扱いである。
 レジュメ製作の方向としては、抽象と具体を繋ぐ綱の認識である。

 レジュメの完成まで今暫くお待ちください。

◎why(なぜ)という心の働き
 考えるというとき、心のはたらきは、どのようなものか。おそらく「どうして」とか、「なぜ」とか、問いかけて、そこからいろいろと仮定して、潰していく、ということをやるのではないか。「なぜ」というのは、思考のスイッチです。いろいろ仮定して、矛盾がないか、整合性はあるか、辻褄が合わないのではないか、など慎重に、注意深く検証をしていく。そんなことをしているうちに、はっと気づく、突然閃く、これが思考の流れである。
 こういう思考の修羅場を潜り抜けることもないで、予め用意された正解の道筋を辿ること、これを考えると誤解している人のなんと多いことか。
 他人に説明されること、それをなるほどと理解すること、それで「わかった」、とすること、にどんな意味があるというのか。
 本番は、未知の問題と遭遇する、今まで説明を受けたことのない問題ばかりだ。そんなとき、どういう姿勢で、勉強してきた者が、未知との遭遇において冷静に対応できるのか。

 実は、竹の会では、正直わたしには、想定もしなかったことが起きている、起きつつある。これまで、この子はだめだ、と思われた子が、覚醒しているのだ。確かに、予想外のことが起きている。それが一年、二年と竹の会の指導を続けてきた子に突然のように(わたしには見える)起きている。なぜこれまでできないことに嫌にならなかったのか、親御さんは我慢強くよく通わせているな、と思ったこともあったが、ところが、1年経ち、2年経ち、我慢強く、というか本人たちはいたって楽しそうではあったのだが、勉強を続けていた。ところが、なんだか解けている! よく見たら「えっ」という問題を「解いている」、これはいったいどうしたことか。竹の会の指導にはそんな力が潜んでいたのか。ただし、これはどうも2年近く続けた子に見られるようである。とすれば、小3なりに来ていなければと思う。いや普通に優秀な子ならいいのですが、もし中の下程度の子なら小3だろうと思った。

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