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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

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2018.10.26

おはようございます。秋深まる前の世界は、また一種特有の空気を宿し、やがて来る紅葉の季節に思いを馳せて、この10月、残された十月の数日を慈しむように愛でております。11月にはまた晩秋の、初冬前の、秋の風景が広がるにちがいない。この時をこのときを大切に子どもたちとともに生き抜いていきたい。

◎漢検のこと

 10月27日(土) 14時開始です。全級同時開始です。

◎冬期指導要項配布終了

 本年冬期指導は、12月26日~30日/1月3日~7日 の実施です。

 渋谷B 8:00~13:00/渋谷A 13:15~20:15

 渋谷Bのみ外部生受け入れ(ただし、初体験のみ)/渋谷Aのみ渋谷B同時申込可(ただし、3~4名のみ)

 申込は要項配布の翌日から11月まで。

◎小3、小4の募集状況

 最近、渋谷A教室の申込・問い合わせが相次いでおりますので、お知らせしておきます。

 現在、入室できるのは、渋谷B教室のみです。渋谷A教室については、来年の2月に少なくとも8席の空席が出る見込みです。

 竹の会が現在募集しているのは、小3です。渋谷Bにいったん入室しましても、来年の2月から渋谷Aに移行できます。その場合は、現渋谷Bの生徒を優先します。また、このところ小4についての問い合わせも複数ありますが、渋谷Aが空く来年2月の指導開始まで待つのは、かなり不利です。今年の小4早期に入会した子たちが、今は、トップ難関中学の計算問題を自由自在に解けるようになっています、また割合の指導がかなり進んだ小4も出ています。ですから、渋谷Bにとにかく早く入室することをお勧めいたします。

◎安心して本番に送り出せるか

 
 本番とは、見たこともない(と思っているだけ)問題に精神は動揺し普段とはかけ離れた精神環境の中で、読み取り、考え、判断し、という作業を、45分という制限時間内で、なし得なければならない。このような過酷な、本番を思えば、生半可な、勉強などいかに虚しいか。習い事、稽古事で、散々先送りして、親は、親で、絶対譲れない家族行事では勉強も出る幕はない。さてである。こういう子が、あの本番の過酷な空気の中でどうして平静でいられるか、ということである。自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいことをやりながら、合格もしたい、そんな虫のいい話があるわけがない。あなたたちの行っている大手塾は、あなたたちが何をどうやろうとも何も言わないであろう。あの人たちは、あなたたちからカネさえ取れば基本何も言わないでしょ。そういう子たちはどうせ受かりっこないことは知っている。一部の優秀な子たちを相手にしているというのが、本音です。だからあなたたちが、習い事、稽古事、旅行など何をやってもいい。そもそも公立中高一貫校対策の塾などと言っているが、進学塾とは違って、やってることは、小5までは、過去問の真似した問題をやってるだけ。小学生にとって一番重要な時期に、無駄なことばかりやっている。計算もろくにできない、割合もなにも理解しないバカを1年も2年も飼い殺しにして作り上げる。特別講座、志望校対策講座など、建設屋の見積書と同じ、中身空っぽの見積項目ばかりで、時間は確実に無駄になる。基本というものがないままに、思考ということも知らないままに、勉強のスタンスも確立されないままに、小6を迎える。これまで易しい誰でもわかる問題ばかりで飼い慣らされてきたが、途端に本番の適性問題の洗礼を受けて、現実を悟る。それでも塾は、対策講座メニュー満載で徹底的にカネを吐き出させる。大手の集金システムの罠に嵌った親たちにはもはや理性のかけらもない。ちょっと立ち止まって考えてみれば、自分の子が、計算もまともにできない、割合もわからない、思考ということがそもそもできない、いやそもそも勉強のスタンスそのものがない、ということはわかりそうなものなのに、それはない。塾と理性を失った親と周りの受検生、そんなのに囲まれて、受検勉強している気になっているだけのバカが量産されている。
 わたしは毎年2月9日午前合格発表の掲示板の前に立ってきた。そこに名前、いや正確には、番号が載るのは、やはり雨の日も風の日もどんな日にも勉強をしてきた子であった。この時ほど普段の生活姿勢が問われていると思ったことはない。習い事、稽古事なんかをわたしが落胆するほどやってきた子が、受かった試しはない。サッカーだ、野球だと夢中にやって受検にもといううまい話しは少なくも竹の会ではなかった。ピアノだ、ダンスだと掛け持ちでやってた子もいたけれど受かった試しはなかった。課題をほとんど出さない子が受かったということもなかったが、これは習い事、稽古事に夢中の結果出せないという裏がある。連休、夏などの休暇を利用した家族のレジャーを楽しんだ子が受かったこともない。夏の自由研究で何週間も没頭したという子、ワールドカップ予選観戦で連日寝不足気味とか、家の片付けとかいう家庭事情で毎日忙しいとか、とにかくいろいろもっともらしい理由はあるけれど、そういう子らが、掲示板に名前を乗せることは、終ぞなかった。 
 名前を載せた子は、毎日勉強のことしか考えず、親、家庭もそういう子どもの意思を尊重し、子どもが、熱を出して塾を休まなければならないと嘆いたとき、一緒に泣いた母親の姿勢に、合格をする子の真実が見えたような気がする。子どもが塾を休むと「遅れる」という強い意識があった。竹の会の過去の成功者を思い返してみると「塾を休まない」ということでは一致している。
 盆正月には、いつも受検直前でも一家は遠くにある実家に里帰りという家庭、子は受検は大事と言いながらそういう楽しい行事には自らの意志のように動く、そういう家庭の子が受かった試しはない。小5の冬休み泣きながら解き直しをしたという親子、受検直前に7回解き直しのためにどれだけ苦しかったかしれなかったと後から述懐する親子、レジュメが解けなくて何日も夜遅くまで考えて泣いた子、課題をどんなに苦しくてもやり抜いた子、合格した子はみなそういう子である。私が覚えているのは、日曜に課した大量の課題、それは厚さ3センチ以上はあった、ところが、月曜は鎌倉遠足、火曜は学校なのに、すべてやりあげて、水曜日に出してきた。そういう子が掲示板に載らないなんて考えられない。その子は本番当日、一週間前から続く発熱で、38度、それでもふらつきながら、タクシーで試験場に行き、必死で解いた。竹の会の神様に助けてと叫んで解いた。そういう子が受からないなんてことはありえない。私がこの子だけは受からせなければと思う、心からの叫び、そういう時に竹の会の神様が力を貸してくれる、私はそう信じています。なんだかんだと勉強を先送りする子にわたしがこの子だけはと心から思うことはない。
 あなたたちには、掲示板に自分の名前を乗せるということの意味がわかっていない。あの板に自分の番号を載せるということは、並の生活を楽しんでいては、できない、できるわけがないのです。いいですか。それなりに知能の優れた人が、習い事も稽古事も関係ない、スポーツにまみれることもない、勉強を生活の核として、生活している、そういう人が必ずいる。都立中だと8倍、その中にあって、その他の7人は、ピアノだけは、ダンスだけは、サッカーだけは、法事だから、またとない家族旅行だから、発表会だけは、ゴールデンウィークだから、夏の一週間だけ、などと「だけ」論理で、勉強を先送りし、結局回避する。そういう人たちが、掲示板に名前を載せることは決してない。
 何かをやり遂げるということは、今更ながら、二兎を追う者は一兎をも得ず、という諺を持ち出すまでもないほどに、没頭する、脇目も振らずに夢中になる、勉強だけで頭がいっぱいになるということであろう。当たり前のことと思うのだけれども、世間の親子には、この常識は、通じない。頭のいい子は、部活で時間を取られても勉強は負けないと、自信家である。頭の悪い子も部活やっても勉強できなくても何も考えていないというか、そもそも部活で勉強できなくても平気というか、とにかく何も考えていない。問題は、勉強にだけ時間を使えばなんとか落ちるところまで落ちることだけは避けられた子たちだ。この層にいる子たちは、部活に時間を取られればまず落ちる。

 最初の頭のいい層も部活でしくじることは同じ です。ただ日比谷に行けたはずが、目黒とか、にはなります。これと頭がいいのに、中2まで、塾に行かないのに、学年トップ、中3になって、ガクンと落ちるという子がいます。たいてい女子なのが不思議ですが、家庭というのは女の子にはカネをかけない。これは、中3の履修事項というのが、もともと高校でやってたこと、これが、文科省の政策で中3に下された。中2までと中3では、そのレベルにあまりの差がある。しかもです。日比谷の問題を見ると指導要領の範囲内でもいくらでも難しくできることがわかる。これは慶応などのように、指導要領を無視して高校、いや大学入試レベルを持ち込んだり、相似、確率のように指導要領の中でいくらでも難解にできるところを出題する、開成だと高校数学を平気で出してくる、わけです。だから、私立難関は、サッカーなどしながら受かるところではない。とてつもなく長い英文、それは現代発表されている、作家、ジャーナリスト、などの書いた英語であり、これを50分とか、60分内に読み、設問に答える。それで正解率70%が合格ラインというものである。いいですか、中3になって、つまり、4月に始めて8月の模試でどうにかなるレベルではないのです。私が中2の夏に英文解釈に没頭しなければ無理と言っているのはそういう意味からです。かつて竹の会から早稲田実業高校に合格した鈴木君が、中2の夏に、英語の短編を訳したことを思い出します。その彼が、中3になって代ゼミの全国模試で、上位に名前を載せたこと、彼が、立教、早実商業、早実普通、慶応一次と次々に撃破したこと、直前には、難関私立の過去問を嫌というほど時間を測って練習したこと、もう勉強一筋であったことは忘れてはなるまい。もちろん彼は生徒会長、柔道部長として多忙でありながら、当時の竹の会のパスポートコース、つまり毎日フルタイムで出席できるコースにいながら、1日とて休まなかったのである。今思い出しても私の想定通りに勉強してくれた。竹の会で高校入試に成功した人は私の指示通りに勉強した人であった。母親の指示で、部活を害しない範囲で塾を利用するなどという戯言が宣言され、通う時間も最低、定期試験だからと何日も休む、そこには竹の会の指導などなかったわけで、部活を公言する親はもう懲り懲りだが、部活で勝手に潰れていく生徒、しかも優秀な生徒が後を絶たないことは、なぜそんなことで高校入試を棒に振るのか、それは自分の将来を下方修正していることに他ならないのに、親も子も、試合だ、合宿だ、大会だと、勉強はいくらでも犠牲にして、部活にのめり込む。祭りが終わって、並の都立、並の私立に、行って、部活はあなたにとっていったいなんだったのか。小学、中学と親が率先してスポーツをやらせる。そういう人間には、わたしはついていけない。そういう人の中にたまに文武両道という人がいることも知っている。中には受験に成功する人もいるという。しかし、私の目の前にいた親子にそういう人は終ぞいなかった。節度という言葉がある。部活に際限なく時間を費やす、勉強しなかった分、頑張るという掛け声は勇ましいが、現実には、勉強に専念した人との差は広がる。そもそも勉強というのは、没頭すればするほど、相互の知の絡み合いの効果が発揮されるものであり、この勉強の面白さというか、奥の深さは、部活の合間に勉強している人にはまずわかることのない、勉強の真の姿であり、勉強に没頭、専念した者のみが到達できる境地、世界である。「ながら」勉強している人間には、勉強のある到達点からのみ得られる勉強の新境地は永遠にわかることはない。部活に学生の本分を忘れた人は節度を忘れた人、いや人たちである。節度とは、自己を律する、歯止めをかける、行き過ぎないように制動する、というイメージであろうか。もちろん勉強するということに本来制限はないから、節度が求められるのは、振る舞いの節度である。節度なくゲームに時間を費やす、という使い方が普通である。わたしは、部活にも節度が当てはまると思う。遊びの要素が濃いのは、ゲームと本質的に同じだからである。遊びの概念は勉強というような地味な努力を本質とするものとは対極にある。もちろん遊びの有用性は否定できない。しかし、少年期のある時期、勉強に没頭した者、つまり人間の本体ともいえる、大脳をリハビリした者のみが、脳を活用できるようになる。リハビリというのは、生まれて少年期に至る過程の脳は、未開で、ぎこちなく、言葉も未熟、思考も未熟、だからリハビリに等しい、地道な訓練が大切という意味である。
 勉強は脳にいい、そして私たちの社会は、勉強を前提に、基底に据えて成り立っている。その勉強というものの、深い意味も悟こともなく、部活を、遊びを選択する親たちに、わたしから言うべきことはない。遊びというのは、広い意味である。遊びの要素があるものを含めた概念規定である。習い事、稽古事、時には早期英語、家族旅行、時には実家帰省、スポーツ、なんでも含まれる。ここで、無為に時を過ごす、ということの意味を考えてほしい。人生は勉強だけではない、例えば、青春の過程において、部活の経験が人生を豊かにするなどということを言う人たちがいることは知っている。そしてそういう人たちが、人生を実際に豊かにしたという内容は、勉強しないという人生の選択であり、部活まみれの生活、とにかく高校だけは行けよ、大学も出た方がいい、なんとかどこかに就職、そういうことなのか。無為とは人それぞれ違うけど、自分の生活を規律するのは、私の中の無為に対する節度である。

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