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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

トップ都立を制す/小石川中等を制す/大手塾に行く愚に気づき始めた親たちの憂鬱/塾に行かない優等生のリスクと末路

2017.06.08

 おはようございます。関東甲信越は梅雨入り宣言があったばかりですが、今日はどんよりと曇った天気が一日続きそうです。6月も8日となりましてもうすぐ中旬に突入です。小6に対する本格的な受検指導が始まったのが、今年の2月でした。そして4か月余りが経ちまして、どうも息切れする子ばかりで少々焦っております。これほど小5入会ということが響くとは思っていませんでした。かつて小5の9月に入会した子が小石川に合格したとき、その子のお母さんから聞いた話しでは、自分が先に入っていた子たちより相当に遅れていることをいつも気にして追いつこうと必死で頑張ったということでした。もっと早くきていればといつも言っていたそうです。そうです。遅くにきた子たちに必要なのはそういう自覚というか、覚悟なんです。その思いを勉強に跳ね返す力なんです。ところが、現在の小6を見ているとそれほど危機感をもって勉強しているとはとても思えない。人並みに休みにはレジャーを楽しんでいるし、とにかく人並みに楽しんでその余の時間で勉強は頑張る、そういう印象を受けています。勉強ファーストではない、少なくとも勉強には譲れない、確たる計画だけは堅持している、そういう印象をずっともってきました。

 受検本番まで後7か月です。7か月しかないのです。しかし、多くの親、子もですが、この時期、それでも何かの計画を優先させるほどに、それでも受かるという甘い認識をもって、まだ6月、夏休みまで間もあるし、という失敗する人特有の行動をとる、そういうことではないかと、思います。わたしが、こうすれば受かるということをいくらいってもそれはまず従われることはなかったのが通例でした。わたしは合格するための手を打っています。しかし、そういうことには従いもせず自分の計画や判断を優先させて勝手にやって、本番が近づくと二進も三進もいかなくなって「先生、どうしたらよいですか」などと相談してくる、正直、わたしは後手の対応ではどうにもできないから、先取りして手を打つのです。そういうことを流してきた、先送りしてきた、回避してきた、そういうことのつけは自ら払うほかないのです。

 さて、そういうことでわたしは7月を本番と思って6月は1日最低でも5時間は勉強してほしいと指示しています。誤解してほしくないのは、この5時間は学校の宿題などやる時間を含めない、ということです。純粋に集中した、竹の会の課題のみをやる時間が5時間です。かつて杉山太一君が小6の6月に入会し、たちまち力をつけて桜修館に合格した、その彼が休みの日には1日17時間も勉強したという、それだけの集中力がある人だからこそ、京都大学に現役で予備校にも行かないでかつ吹奏楽部というハードな部活の練習もこなしながら合格できたのでしょう。

 わたしが指示したことに、「小学思考の素 その他編」などの7回解き直しがありますが、この7回解き直しをしていないとしたら、現在の適性対策レジュメで息切れするのもしかたない。28年九段に合格した女子は、「算数の魁」、「小学思考の素 割合問題編」、「小学思考の素 その他編」などすべて7回解き直しを律儀にやりました。合格というのはこういう律儀にコツコツと指示をこなす子にもたらされるものです。竹の会の神様はよく見ています。そういうところをよく見ています。

 竹の会には小4の2月、つまり小5になる直前の子たちを募集してきたけれどほとんど応募してくれないという時期がありました。いや渋谷教室を開設してから、だいたいそうでした。28年の受検者たちは小4の2月生が多かった。28年に合格者が集中しているのはそのせいです。去年の夏以降に小4がパラパラときてくれた。その小4の子たちが育ってきた。最初は「無理かな」という子もいたけれどわたしは気長に待つことにして訓練を重ねてきた。小4に来た子たちの中から隠れていた才能を伸ばしてくる子たちも出てきた。小4から竹の会に来る、ということはこういうことなのです。小5になってくる、ということがどういうことなのか、それは、小4にきた子たちの進捗を見ていればすぐにわかることです。小4で縦横に訓練を重ねた子たちが満を持して小5になる、そのことのもつ意義は深い。

 わたしは、小4の早期に竹の会にきてくれる、心ある、志しある方を心より待ち望んでおります。東京23区にまだ竹の会を知らない、大手にも汚されていない、無垢な小学生がきっといると信じて待ち続けております。もしわたしを驚嘆させるほどの逸材なら竹の会が責任をもって小石川中等でもなんでも合格までの道案内をさせていただきます。

 ◎塾に行かない優等生のリスクと末路について

 26年都立駒場合格者の話しでは、中1のときずっと学年1番であった女子は塾に行っていなかった。中1の学年末試験で初めて竹の会の女子が学年1番を奪って。爾後彼女は中3の卒業まで学年1番をとり続けた。その塾に行かないという優等生の女子は、中3になってようやく塾を探したということです。最初は日比谷志望ということでしたが、結局駒場にも行けなかった。たぶん目黒あたりではないかと思う。内申はオール5に近くてこれである。内申はいいけれど実力はない、という生徒が出現するのが今の公立である。教師の恣意的な判定で実力なしの優等生が出るようになった。もちろん授業は理解するほどの子たちではある。27年戸山合格者の話しでも、日比谷志望の女子生徒などが結局駒場より下の都立に進むことになったということが話題になった。ただ28年戸山合格者の中学では、そういう塾なしの優等生女子が二人もいて二人ともなんと日比谷に推薦合格したそうである。そうです。この塾なし優等生がトップ都立に行けるとしたらこの推薦合格をとるしかないのです。実力はないのが通常ですが、この日比谷に行った女子二人の情報はなにもないのでわかりません。

 こうして塾に行かないでも学年1番をとれる、オール5に近い内申をとれる生徒がいる、ということは事実です。たいていは女子なんですが、これはできる女子というのは家庭のことを考えて塾に行かないことが多いのに対して、男子の場合は親もカネをかける傾向が強い、ということでしょうか。

 内申はいいのに実力がない。オール5でも独自問題の都立は落ちる。そういう生徒たちが実力で通用する都立は、共通問題出題校です。そこなら内申がものを言う。英語、国語なら100点もとれる。数学だって100点近くとれる。問題が易しいからです。まじめな優等生が理科、社会で点をとるのはあたりまえ、こうしてこういう生徒が行けるのは、都立駒場とか、小山台、三田、文京あたりにろうか。

 なぜ実力がないのか。それは学校の授業だけやってきたからだ。中2までは授業についていければ内申5はとれる。中3になると英語、数学は格段に難しくなる。この授業で振り落とされる生徒もいるけれど、日比谷志望くらいの生徒だと難なく授業もこなす。しかし、実は、中学の授業そのものが高校入試のレベルからはほど遠いくらい低いということである。だからこの授業についていっても入試には受からない。そもそも学校は教科書の単元を終わることもできないままに基本事項だけを授業して終わるのが相場である。つまり、高校入試をリードしているのは、塾なのである。この塾なし優等生の誤解が致命的なのは、学校の授業についていきさえすれば合格できると信頼したところにある。実際の入試問題を見てみれば、あれほどの英語の長文を50分ないし60分で読み下して設問に答えていくことができるようになるには、どのような準備が必要なのか、すぐにわかることである。数学にしても、中3の8月にはもうVもぎとか、W合格もぎなどが始まる。つまり、そのときには、もう英語長文にしても、数学にしても、国語にしても、理科、社会にしても、いちおう完成していなければならないのである。とすれば、中3の内容というのは、遅くとも中2の年末までには終わらせていなければとても間に合わない。理科や社会は中2の夏からもう臨戦態勢で覚えていかなければならない。中3になったら2か月おきに定期試験がある。そのための準備に最低でも2週間は割かなければならない。修学旅行や体育祭と学校行事も多い。つまり、まともに受験勉強をやる時間がかなり制限されている。

 高校受験というのは、中1から前倒し、先取りの勉強をしてこなければ間に合うはずはないのである。学校の授業についていく、それで内申5がとれる。それで波風も立てないで恙なく過ぎるのは中2までの話しである。この時までに中3の内容まで終わらせている生徒が中3になって力をつけていくことができるのである。塾にも行かないのに、内申はいいが、実力はない、そういう生徒がどういう結末を辿るか。内申はいいのだから日比谷とか西、戸山クラスの推薦合格を狙うしかない。しかし、一般入試は、駒場ならまだいい方で、中には目黒以下という生徒も多数いる。

 竹の会では、中2の夏までに数学なら中2の履修事項を終わらせていること、英語なら関係代名詞などの中3の主要文法を終わらせていること、が前提である。中2の夏からは理科と社会の高校入試準備を開始する。どうやるか。これには中学3年間をとにかくコンパクトに終わらせられるテキストを用意して、何回もまわす、そういうことを指導する。伝聞であるが、日比谷に合格したある女子生徒は、マイクリア理科、社会で100点とったらしい。竹の会でも一部の中2、中3には配布した。なお、テキスト無料配布には冬期などでプラスアルファのコースを選択しなければならないのでご注意ください。マイクリアはとにかく分厚いのでやりにくいのではないか。薄いテキストに知識補充していくのがいい。なお、竹の会の夏指導では、中2、中3に特別配布のテキストがありますので、ご注意ください。

 ◎大手塾に行く愚に気づき始めた親たちの憂鬱

 わたしがブログで大手批判をやっているからというわけでもないのでしょうが、最近の竹の会への問い合わせには現在大手塾に通っている親御さんからの相談というのが多いように思います。どうもなにか漠然とした不安、不満というものをもたれている親御さんが多い。授業が物足りないとか、中には宿題が少ないというのもありました。以前には某大手塾で2000人中の20番弱という方からの問い合わせでは、「どうもこのままでは受からないような気がする」といった相談もありました。

 しかし、だからといって転塾する決断もできない。なにしろほかに探すとしても、別の大手か、個人塾などを考えるとして、そんなにいい話もありそうにないから、結局そのままズルズルと受検まで通うことになるのか、と思います。ほかにいい塾があるのか、これがまさに問題なわけです。塾を長年やってきた私でさえもそういう理想的ないい塾を探すとなるとまず無理と諦める。そもそもわたしは既存の塾システムに何の期待もしていない。塾の裏側をよく知っているからということもあるけれど、今の塾というのは、もっとも必要なことをピンボイントでやっていない、とにかくテキストを軸にして回っている。授業もテキストを軸として進める、予習・復習、確認テストもテキスト前提の話しである。こうしてカリキュラムはテキストの目次に従って形式的に組まれていく。子どもの理解に軸はないのである。補習とか、個別指導とか、個人指導というのもみな既成のテキストを前提にして考え出された制度である。計算も「できる」という「みなし」である。割合もテキストの単元を終わり確認テストを終わったので終わったと「みなす」。こうした「みなされた」子たちが1年経ち、2年経ち、中身が空っぽのバカとして完成するのはあたりまえである。わたしは自ら大手を信頼して我が子を大手に託した親がどうなろうと知ったことではない。脳みそ空っぽの子どもになっても知ったことではない。なにしろかつて竹の会が真摯に竹の会という塾のすばらしさを訴えてきたときに根拠もなく蔑視して素通りしてきた人たちばかりだったことはわたしの心に深い悲しみと傷を残して癒えることはなかったのだから、そういう人たちが過去にも未来にも夥しい数いるであろうことは依然として変わらないであろうし、そういう人たちがどうなろうと知ったことではない。全く関心のない話しです。

 東京の塾のことは知りません。どこかにいい塾というものがあるかもしれない。しかし、わたしの想定する常識的な予想は、本物の塾は「ない」ということになる。竹の会は、渋谷駅から歩いて10分ほどのところに、ポツンとあります。小さな塾です。わたし一人でもう32年やってます。もっとも渋谷教室はまだ5年目です。塾というものの理想を追求して、わたしなりの完成形を追い求めてまいりました。指導という概念に多くのことを定義しました。レジュメというのは竹の会の主軸となる教材のことです。わたしが塾指導歴30年以上の経験から極めた粋の限りをこのレジュメに託しました。もう十数年になります。いやレジュメを執筆、製作してきた年月のことです。わたしの竹の会が本物の塾という気はありません。ただ竹の会はわたしひとりの塾、「わたしの竹の会」でした。竹の会のことをいつも考えて30年が経ちました。本物の塾とは何か、ずっと考えて、理想を追い求め、必死で竹の会を進化させてきました。わたしの竹の会はわたしが倒れたときに終わります。東京のみなさんに竹の会がお会いできる日ももうそう長くはないかもしれません。東京の渋谷にこんな塾があったんだよ、といつか言われるようになるのかもしれません。竹の会がお会いできるのは「今」です。明日はわからない。わたしにもわからない。なぜって、わたしももう歳をとったからです。なにしろ昭和60年10月に初めて竹の会を始めたときに来てくれた代々木中の中2の3人の女子生徒がもう46歳になっているのですから。

 

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