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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

プライドが高い、自尊心が強い、ということのもたらす悲劇

2021.01.23

 

◎「算数の魁5完成

  1週間ほどで書き上げました。レベル的には、「2018算数」と同等と思います。私立難関中では早くから適性問題と同質の問題を出してきましたが、魁5では、そういう問題も入れています。これは、続く「魁6」では、私立難関適性問題を主として扱いたいという意図の表れでもあります。

  問題は、2021年度用過去問から、私の良問感知センサーを最大限働かせて、拾い上げていきました。

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 既刊「魁」シリーズ

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◎プライドが高い、自尊心が強い、ということのもたらす悲劇  

 実は、能力のない人ほどプライドが高い!のではないか。  自分は能力が高い、評価されたい、という欲望は、おそらく能力がないことの裏返しである。  おそらく能力とプライドは反比例する。  プライド、つまり自尊心、つまり自己肯定は、能力のない人ほど強い。  能力がないから、プライドばかりが際立つ。    能力が高い者は、能力を発揮することで、十分にプライドを満たしているのではなかろうか、つまり、能力がある者は特にプライドを傷つけられることもなく自己肯定できているということではないか。  自己肯定の強い子は、自己の肯定に甘く他人には否定的、批判的である。他人にはやたら厳しい。  能力があっても自己肯定の強い子は伸びない。低いレベルの自分を肯定するからである。能力があるからこそなかなか自己肯定できないというのが本当であろう。  実は、伸びる人間に必要な「素直さ」とは、自己をなかなか肯定しない頑固さなのではないかと思料する。  人間とは、不完全なものである。だからこそそこを認めて行動するのである。  自分は「不完全だ」という前提から「考える」。不完全だから完全への憧れがある。よく難関資格試験受験生に見られるのが完全主義である。試験が難しければ難しいほど準備を「完全」にしなければ受からないという認識があるからであろうが、もともと完全でない人間に完全を求めることは無理があったのである。  試験に完全であろうとする必要はない。相対的に仕上げれば良い、そういうことになる。  完全主義は、網羅主義を必然化しがちである。網羅的にやるというのは、如何にも無駄が多い。重要点をピックアップして、それだけやる、これが相対主義である。  

 相対主義の根拠  パーレットの2-8法則というのがある。これはもともと経済における数値に関して唱えられたものである。  重要なものは2割しかない、という部分が様々な分野でも言われるようになった。  これは、普通の事態には妥当する。しかし、例えば、過去問題集のようなデータには使えまい。過去問データのうち使えるのは2割だけということはないからである。つまり、使えないものがある。何でもかんでもというわけではない。  確かに、相対主義の方が効率がいい。集中もできる。8割を捨てて2割に集中する。そして試験では、2割は捨てて8割に集中する。  今年の司法試験の発表があった。合格率は4割強という、なんとも陳腐な試験になってしまったものだ。弁護士が量産されて、弁護士余剰時代へと突入して久しい。そういえば歯科医師が多すぎてこちらも旨みのある職業ではなくなりつつある、らしい。アメリカのように契約社会、訴訟社会になるのであろうか。単純にスライドして考えるのは危険である。社会基盤、文化、歴史、国民性、そしてなによりも日本という地形など違いがあるからだ。  

 網羅主義を排除する実質的理由がある。  網羅主義というのは、知識絶対主義の帰結である。  しかし、知識は追えばきりがない。それに知識は追えば追うほど思考が削がれることは経験則である。直前期に知識の吸収に偏ると、本番で全く思考が働かないのは、多くの受験者が経験してきたことであろう。本番前までは「考える」時間、「考える」訓練を続けるのがいい。そして、そのまま本番にそのコンディションを維持したまま向かうのである。だからこそ本番前には、緊張感が求められる。徒に弛緩した精神は本番では問題に入り込めないままに、上滑り、空回りして、思考が機能しないままに終わることになろう。よく受検の6年が直前に急にはしゃぐ、おしゃべりするようになるのは、試験の不安がもたらす緊張に耐えきれずに精神が悲鳴をあげているということであろう。直前は受かる子は集中を高めていく、本番をいい緊張感で迎えること、これが成功への橋をかけるこつである。  

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