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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

人は無駄を踏みながら手探りで正しい道を辛うじて歩むものだ‼️

2022.09.08

竹の会通信2022.09.09

◎竹の会冬期指導予告

 竹の会では、冬期集中指導要項を10月中旬から配布予定です。申込みは11月のみです。

 本年は、12月25日~30日、1月2日~6日、8日9日 を2コースに分けて、カリキュラムを編成しています。

 小6向け新レジュメ、小5用冬特別レジュメ、中学用レジュメ等、冬の短期指導に最適のレジュメを準備するため、すでに制作に取りかかっております。

◎小6への苦言

 まず課題をきちんとやらないとかなり損をします。作文の添削指導は課題だけです。また課題では、理科対策に力を入れたレジュメをやっております。さらに都立過去問レジュメを課題に組み込み、過去問の練習もしています。

 現在小6に課しているのは、「適性問題標準編1」「同2」です。さらに「算数をクリアにする」シリーズです。

 前者は、夏休み前に配布したのにまだほとんど終わっていないという状態です。これでは受検に間に合いません。夏に1日10時間やったとはとても思えない進度です。後者は合格に必須のはレジュメです。まだ配布していない人がいるのは、力不足、特に、算数未熟のためです。過去の合格者は最低これだけはやっています。このままの進捗で9月が終わるのが正直「まずい」と感じています。

 終わったレジュはすべて7回解き直しです。先延ばししていると、いやのんびりやっていると今年卒業した小6のように7回解き直しをほとんどやっていないということになりかねません。

 いずれにしても、現在やっているレジュメは9月で打ちきりです。10月からは1回につき、2~3単位のレジュメを渡して、やってもらうことに切りかえます。1単位のレジュメは渡されたら、どんなに時間がかかっても30分以内にだせなければボツです。適性1問にかけられる時間はせいぜい15分です。すると小問1問には5分もかけられません。瞬時の判断が求められています。延々と時間をかけてその日に出せず何日もかけるというのは「なし」です。受かる子は「早い」、これが真理です。

◎小5への苦言

 小5に適性問題を渡したら、どうも問題文の読み取り段階で躓いているようです。これは、普通の国語読解が劣ることが原因と思われます。もうひとつ男の子特有の幼さが、日常言語の理解を困難にしているように思われます。この点、女子にはそういう幼さを卒業した子も散見されます。もちろん女子にもあまりにも幼いという子はいます。幼さというのは、国語の普通の読取りができない、負の面が大きいのです。過去の竹の会の合格者を見ていると、男子でも受かっているのは、精神的に自立した子たちでした。保育園児のように感情で行動しない。理性、大人の理性を感じるほどに成長してほしいと願うばかりです。

 本を読むことに、ある時期は、没頭してほしい。ゲームは幼さを固定化します。幼い子が好むことをやっていては、長じても幼いままの精神です。おタクというのは、幼いままの大人ということです。空想科学小説でもいい、推理小説でもいい、まず最初は「面白い」と思うものから入りなさい。読んで読んで読みまくる。毎日読みなさい。そうして大人になりなさい。

人は無駄を踏みながら手探りで正しい道を辛うじて歩むものだ‼️
 人間というのは、無駄を踏まなければ正しい道を見つけられないものだ。ある程度能力の高い人は、人に教えを乞うことを是としない。というか人を信用していない。中途半端に頭がいいと、自分の考えが、どんな先人の知恵よりも優れている、と信じて疑わない。だから他人の考えを信用しないのだ。しかし、本当に頭のいい人は、むしろ自分の考えなど取るに足りないものだ、と考える。だから先人から学ぼうとする姿勢に溢れている。
 ただそうは言っても、その先人がすべて学ぶに足りるかと言えば、そうではないから、悩ましいわけである。
 話しは、やや逸れるが、新型コロナに関して、東京大学の先生が、意見を述べているのを見たことがないのだが、京都大学とか、大阪大学などの教授やらがやたらテレビに顔を出しているのはよく見る。その先生たちの話しはたいてい失望するものばかりであるのは、政府の説明と変わらないからだ。「ワクチンをもっと打て」とか、「マスクをしろ」とか、そんなことを言うために、大学で何を研究してきたのか、と訊きたくなる。医学部の先生なら誰でもいいのか、という話しもある。感染症の治療の専門家が、感染症の研究、ウィルスの研究もしてないのに、何がわかるのか。ましてや、弁護士や芸人が専門でもないのに、いろいろ口を挟む。 

  心配だから、あれもこれもに手を出す、というのが、失敗する親子の特徴である。
 まず、大きな誤りは、自分の能力を弁えないことである。あれもこれもを完全にやり切れる能力などないということを悟らないのだ。7回回しなど端からできない相談だったのだ。
 目移りする、というのが、また失敗する親子に特徴的である。
 ブレがあるとか、軸がない、ということである。
 要するに、受験に関しては、「変わる」ということ、いや「変える」ということは、よろしくない、ということである。
 一冊の基本書(受験の軸となる参考書)は、少なくとも7回読むことが大前提となる。だから参考書を一冊増やすことは、ただに一冊ではなく、七冊増やしたのに匹敵する。
 「この一冊」を探す、いや出会う、邂逅するというのは、それこそ無駄を踏まなければならない。目を肥やす、眼力をつける、要は真贋を見抜く、ということであるが、これは容易いことではない。そのために時間を無為に過ごすことになることも多い。
 陥り易い、病的志向
 知識を求めるのに、完全主義に陥る受験生が、多い。この病に罹るといずれは破綻する。要は、試験の出題の深さを試験の目的を考えて、深掘りしない、「踏み込まない」勉強を志すことが、肝要である。どこまで知っていればいいか、である。難解な問題が出たとしても、それを標準とは考えないことだ。誰も知らないことが出たら、それを標準としてはならない。そんな問題は誰も解けないのだ。完全主義の罠に嵌った者は、得手して、それを一般に広げるから、試験はとてつもなく難しいものになる。
 試験は、知識の問われ方、何をどのように問うているか、を「知る」ことが、大切である。知識を闇雲に覚えるのではなくて、過去問をやるにしても、過去問に出たかどうか、ではなくて、どういうことがどういう風に問われているか、を知ることである。これは、試験の範囲、つまり「踏み入ってはならない」領域を知ること、つまり自ら試験の範囲を確定していくことである。
 何が出たか。それで終わってはならない。なぜそれを出したのか、である。なぜそれでなければならなかったのか、である。そこから、出題者の考える試験の範囲、どこまで勉強すればいいか、踏み入ってはならない、ところを突き止めるのだ。やらなくていいところとやるべきところを見切る、これが、試験勉強である。
 多くの受験生は、ここのところを曖昧なままに勉強する。だからやらなくてもいいところ、ことに多くの時間を費やす。
 過去問は、どこまでやればいいのかを教えてくれる。ただし、過去問の扱いは難しい。いわゆるB層受験生親子には、毒になる。どういうことかというと、B層親子は、必ず自分の志望校の過去問集を買ってきて、解いていくわけである。そして丸つけをする。たいてい合格点よりかなり低い。そこでこの親子は解答の解き方を見て何度も練習する。こうして過去問集の問題を見たら答えがすぐわかるほどに覚えてしまう。ここで「自分は合格するほどできる」と錯覚する。このB層親子は、これで大丈夫だと合格を期待して受けるが、決まって「今年は、新傾向の問題ばかりだった」と言い訳を言う。落ちたときの常套文句である。おそらくこのB層親子は、今年も過去問と似た問題を予想して自信を持って臨んだことであろう。しかし、実力もないのに、過去問を覚えて受かるほど試験は甘くない。そんなんなら何で模試の偏差値があるのか、わからない。模試で通用しなくて、受かるわけがない。過去問と類似の問題が出るといつしか信じきっているのが、このタイプの親子の陥る思考である。
 過去問は、何のためにやるのか。ズバリ、「踏み込まないでいい」限界を見極めるためである。大雑把に言えば、その2割は、踏み込まなくていいエリアの知識である。2割については、出来なくていいというのではなく、勉強しなくていいということである。
 過去問から、マニアックな問題を排除する、決して落としてはいけない問題を落とさないように勉強する、ということである。 
 過去問と大雑把に言ったが、中学受験の過去問、都立中受検の過去問、高校受験の過去問をAグループとする、大学受験をBグループ、資格試験をCグループとすると、各グループで、過去問の持つ意味は、かなり異なる、と思う。Cグループで過去問の持つ意味は大きい。いや過去問抜きには、語れないほど重要である。
 Bグループの場合、過去問は一切やらなくて、参考書だけで受かることも可能である。
 問題はAグループである。過去問の効用は何処にあるか、である。
 高校受験は、必ずしも志望校の過去問はやらなくていい。
 過去問の効用は、横断的に、あるいは年度全国版過去問から、問題を選りすぐること、たくさんはいらない、70問もあればいい、その過去問には、高校入試の解法の肝をすべて学べるだけの解説を用意する。これだけで高校入試の基本はできあがる、というほどのものである。基本とは、かなりハイレベルの入試の基礎である。竹の会で高校入試の基礎というときは、中堅レベル、例えば、國學院久我山、帝京大学高校あたりの問題を基準に置いている。
 過去問の研究で大切なことは、踏み込んではいけないところを画定することではないか、と思う。これは全く知らなかったという知識に出会ったとき、この知識を基準にすれば相当細かいところまでエリアを広げることになるが、それでいいか、ということである。そこまでは「踏み込み過ぎ」であり、「知らなくてもいい」、つまり「忘れてもいい」と処理するか、の話しである。試験勉強というのは、どこで断ち切るか、の問題であり、稀有な知識に振り回されたら負ける仕組みになっている。
 筑駒、開成高校の攻略
 竹の会では、これらの日本トップ高校を攻略するために、最初から筑駒成を意識した指導をしたわけではない。過去問なんかを早くから練習したということもない。まず高校入試の基礎をどれだけ早く終わらせられるか、ここを念頭に置いた。竹の会には、私が制作した高校入試数学のレジュメが大量にある。すべてにわたしオリジナルの解説がある。
 早期にわたしのレジュメを終わらせたら、次の目標は、駿台模試で全国一番を取ることであった。わたしはそのために竹の会独自の戦略を策定した。その具体的な内容は公表できないが、筑駒、開成は、5科目である。その点は、他の私立の多くとは大きく異なる。
 国語の特徴は、ほぼ全問が、記述であることである。
 理科、社会は、都立の理科、社会とは、レベルが違う
 英語は、長文読解は、当然として、英作文問題は、相当の英語力を求められる。
 もちろん竹の会は、そのすべてについて、あらゆる対策指導をしてきた。
「理科が取れない」、「社会が取れない」、「英作文に難あり」、「国語記述が取れない」、そうした問題に、一つ一つ対応し、仕上げてきた。英文読解については、中2のある時期に研究社版(絶版)高校英語副読本2を使った。理科、社会の基礎作り段階に使ったのは、学校と塾向けに販売している会社のテキストを、つまり特別のものではない、使った。これは、中1の夏に渡し、中1が終わるまでに終わらせるように指導している。それが終わったら、都立の理科社会の過去問を30年分終わらせて、いよいよ本格的な理科社会潰しに入った。ここから先の指導の具体的内容は非公開です。とにかく理科社会は、全国順位一ケタまでになりました。国語読解は、私の秘蔵テキストを渡してまず国語読解とは何か、を理解させて、それから、わたし、究極のテキストをやらせました。これで偏差値は70を超えました。英作文の対策もわたしの飛び切りの方法でした。わたしは、この方法で、筑駒と開成の英作文をマスターさせたと思います。彼は、都立独自校問題では、偏差値がすべての科目で天井を突き抜けていました。つまり、最高偏差値の上、測れないのです。駿台模試の日比谷志望者の常に1でした。
 私は大手進学塾の限界を見切っていたと思います。都下の天才たちを集めた大手から合格者が出るのは当たり前のことです。この天才たちは、同じ教材、同じ講師による同じ授業を受けているのです。それでもこの天才たちに序列がつくのは、もともとの能力の他ないのです。このシステムに入ればこのシステムのシールドからは絶対に出られないのです。だから私にはこの大手の天才たちを牛蒡抜きすることが可能だと踏みました。大手の教材は、私もいろいろと手に入れて検証しました。過去問を素材にして、さまざまな魅力ある教材を制作し、商売にしている、という印象でした。
 なんだ、過去問か、それなら勝てる、私は大手の天才たちが、かわいそうになりました。私ならそんな過去問なんかで作ったテキストをありがたがったりしない。
 わたしには、青山学院高等部の生徒や都立駒場、新宿の生徒たちを指導して大学に送り出した経験がある、筑駒や開成などわたしの大学受験指導の手法を使えば、牛蒡抜きも可能だ、わたしはそう確信していました。幸いわたしの指導に忠実な素直にしたがう逸材を指導する機会を巡り会えました。 これまでは、少し頭がいい、できるという生徒は、竹の会の、私の指導をダメだとダメ出しして、大手に去ったものでした。中途半端な秀才ほど頭の中身も中途半端ということです。わたしの凄さが「わかる」ほどの天才はそんなにはいない。真の天才なら私の真価を知る、悟るほどに賢い。 わたしはわたしの方法を実践して、駿台模試の筑駒志望者中1〜3位、開成志望者中1〜3位をとりました。ちなみに慶應志木志望者中1位早稲田高等学院志望者中1位でした。
 私の筑駒開成攻略のアルゴリズムはこうして完成した。これまで頭の中にだけあった、私の筑駒、開成攻略の想定指導手順が、一つの線としてアルゴリズムを形成したのだ。私は、指導の潮目に差しかかると、数多くある選択肢の中から、ほんとんど直感的に「これ」という方法を選んだ。
 私の方法は、すぐ得点で跳ね返ってきた。面白いように得点を上げた。打つ手、打つ手がすべて正解だった。長年の経験から打ち出される手が私には自信に満ちた一手だった。面白いように点数は上がった。弱点と思われたところをむしろ得意分野に変えていった。私には、医者がこの症状にはこの薬と処方する、そんな感覚であったのかもしれない。いやもともと私の高校入試の指導の原点は振り返ればそのようなものであったように思われる。医者に喩えれば、私は「受験総合診断医」に間違いない。症状から真の病名を探し当てる、それが私の指導の実質に違いないからである。

小学生に算数を説く、高校生に数学を説く、中学生に、高校入試を説く‼️
 竹の会37年の指導体験を通して痛感したことでした。
 小学生期に、計算、割合思考の修練をしてこなかったがために、中学で落ちこぼれる、つまりは上位都立に行けず、どころか低偏差値の私立に行くことになる、こと。
 めでたく志望の都立に合格したまではいいが、入学して数学で落ちこぼれる高校生の如何に多いことか。高校数学というのは、国立大学に行けるかどうか、を決める要の科目です。多くの高校生が、高等数学導入の段階から授業についていけなくなる、それで文系志望にして、私大を英語、現国、社会(日本史・世界史・地理・公民の中から1科目)の3科目で受けるパターンになる、のは周知の事実です。数学というのは、記号言語の科目です。記号の定義から新概念、例えば、複素数とか、虚数、三角関数といった記号言語体系を学んでいく、ことになります。多くの高校生は、まずここで躓く。数学という科目の性質を誤解しているからです。この点は、受験国語の大誤解とも共通するところがあります。数学が、定義と記号言語の論理的な積み上げだ、ということがわかっていれば、数学のコツというものを新概念の導入のたびに教えてやれば、高等数学で躓くことはなかった、と思います。
 大手の予備校では、そういったワンポイント指導というのはできないでしょう。
 
 高校入試に失敗するのはどうしてか?
 早期の、前倒しの勉強は当然のことである。まず、多くの中学生が、ここで躓く。悠長に部活などやっている暇などないのに、勉強は先延ばしにして部活に現を抜かす。部活をやっていると能力のある子も勉強を切り上げる、先延ばしにしがちである。ここから既に失敗している。
 早くから取り組んでも失敗することはある。実力を付ききれなかったのだ。これは偏に才能の問題である。才能の有無は、小学の時に既に表れる。努力で才能の問題を超えられるか。答えはNOである。トップ都立にしても、難関私立にしても、才能のある人が努力してなんぼの話しである。
 難関私立は、才能がなけれは諦めた方がいい。大手には難関私立を目指して努力を惜しまない人たちがいることは知っている。しかし、才能がどれほどのものかは知らないが、まず普通に才能のある人でも大手では潰される。大手のやり方は、天才を念頭に置いてカリキュラム、授業の質、レベルを決めている。普通の秀才たちが、難関私立を目指してこの大手の仕様を利用してもうまくいくはずがない。確実に落ちる。つまり時間の無駄である。大手ではほとんど生徒は第二第三志望に落ち着く。しかし、城北、巣鴨あたりを落ちているようでは、どうにもならない。
 都立の場合は、もちろん内申が成否に決定的に関わる。例えば、都立駒場は、共通問題だから、合格レベルの子はほとんど90点平均を取る。だから科目点が取れない子は最初から受けるだけ無駄。勝敗を分けるのは、内申点だ。駒場ならオール5がごろごろいる。理社が、取れなかったから落ちたというのは、お話しにならない。
 オール5なら推薦合格も視野に入る。しかし、昨今は、オール5でも推薦不合格は多い。そもそも推薦で期待する生徒は、運良く合格できても、ほぼ落ちこぼれる。推薦合格しても単純に喜んではいられないのだ。特に、日比谷クラスになると、難関私立を受けた生徒がゴロゴロいるから、上位はそういう子たちでほぼ独占される。日比谷一筋で合格しても待っているのは落ちこぼれかもしれないのである。
 
 高校受験は、前倒し、早目に、中学3年間の数学、英語を終わらせること、いや私立中堅高校の入試問題は解ける状態にすること、これをもって私は基礎レベルと言っている。私の編み出したアルゴリズムは、最短でその域に達するように設計されたものである。「新英語指導案」「入試英語指導案」は、その目的を達するに必要十分な内容である。竹の会の英文解釈指導は、早慶、開成、筑駒を想定したアルゴリズムである。数学は、一気に偏差値70に達することを可能にするアルゴリズムを完成させている。
 本年、開成、筑駒の合格を可能にした竹の会の新アルゴリズムは、竹の会の至宝の指導手順として刻まれることになろう。
 
 

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