画像
都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

今、思う理想の勉強法

2021.09.11

 

◎今、思う理想の勉強法
 過去の失敗に学ぶ!
 参考書を読むときは、常に、今やっているところの全体地図の位置を確認しなければならないであろう。羅針盤というのは、方角の北を基準にして位置を測る。つまり、位置を測る基準は、不変の方角だ。方角は、どの位置でも変わらないから、万能の基準ということになる。基準というのは、不変かつ抽象的であることを持って至高とする。
 この羅針盤の思想は、あらゆる場面で適用されるであろう。
 勉強というのは、今学習していることが、全体地図の中でどの位置にあるか、を確認しながら、認識していくことである。
 例えば、歴史の江戸時代初期の政治を勉強しているとすれば、全体を貫いている精神風土というか、時代の背骨みたいなところから押さえていかなければならない。独裁者による政治、実権は武士、それに対して天皇の位置をどう理解するか。基本は、封建制、つまり身分社会。士農工商というけれど、実質武士の支配体制であった。国家を統一し続けるというのは、大変なエネルギーを要することである。徳川がなぜ300年も崩壊しなかったのか、総論を考えるというのはこのことである。そこから、つまり総論、抽象的なものから、具体的制度を、事件を理解していかなければならない。参勤交代、鎖国、武家諸法度、禁中並公家諸法度、入鉄砲出女、関所、親藩、譜代、外様の区別、石高など、様々な制度をバラバラに覚えるのではなくて、総論との結びつきにおいて理解する。勉強の基本とは、そういうことである。
 佐藤幸治教授の憲法を例に考える。
 憲法の国民主権とは何か。ここでは抽象的国民が想定されてその国民が政治的決定の最終的な判断者と擬制される。具体的な国民ではない。そこから基本的人権の意味も演繹される。人権というのは、人権の歴史から定義づけられる。
 憲法の下では国家は、善良な国民を支配する、制約するものとして現れる。基本的人権というのは、国家から理由もなく制約を受けないという意味となる。国家からの自由である。国家は人権を制限するものとして現れる。だから憲法は国家の主人たる国民を国家から守るための規定である。憲法は国家を抑制する法規範である。憲法は国民主権を保障する最高規範ということになる。法律書の読み方は変わらない。刑法でも民法でも同じである。
 範囲が膨大な試験のこと
 定期試験なんかは、科目ごとに細かく出題範囲を決めて問題を作るから、生徒も勉強がしやすい、というか対策を取りやすい。なんでも有限と言うのは、その範囲さえ完璧にやればいいから、やる気も出る。
 範囲が曖昧だと焦点が絞れないからやった感がないわけだ。
 高校受験の出題範囲は、中学で履修したところからの主題である。これはなかなか膨大である。英語や数学のような科目は、階段式にレベルが上がっていくから、最高レベルのところに絞ればいいので、範囲は狭まる。特に、理解の科目、つまり思考がものを言う科目なので与し易い。
 しかし、理科と社会は、中1から中3まですべてである。相当広い。これを満遍なくやるとしたらこれはかなりの負担だろう。しかし、よく考えてみてほしい。理科にしても社会にしても100点満点で1問5点としても20問しか出せないのだ。中学三年間の範囲からたったの20問である。多くても25問が精一杯であろう。必然出される事項はそれなりに重要なものに限られるはずである。だとすれば、勉強も「何が重要か」というプライオリティを考えてやらなければならないを
私が理科なら約40テーマほどに絞って徹底的にそこを勉強しろというのはそういう論理からだ。社会なら、地理、歴史、公民からバランスよく出題するとすれば、一分野精々8問しか出せないでしょ。中学三年間の範囲から8問ですよ。これは勉強の仕方もそこのところから考えて戦略的に取り組んでいかなければならないということです。
 私は、A4の紙に20テーマほどその日に理解する、覚えることを書いて、とにかく完全にする。そういうことを毎日やっていけば、一年に365枚のA4のまとめを完全にしたことになる。
 大切なことは、ほとんど網羅しているはずである。
 私は最近そういうやり方を生徒に薦めている。
 実は、この方法は、司法試験のように膨大な範囲の試験に最適なのではないか、と最近よく思う。
 仮に、この方法を、A4法と呼べば、この方法は、様々な場面で使える。
 例えば、オームの法則を一枚の紙にまとめるとか、円高について一枚の紙にまとめるとか。
 実は、竹の会のレジュメというのは、A4法の精神を基礎に踏まえている。
 もともと私がレジュメという方法にこだわったのは、私の学んだ別府鶴見ヶ丘高校における、プリントにあった。毎日のようにあらゆる科目のプリントが宿題として出された。教科書はただのペースメーカーにすぎなく、授業の核はプリントだった。
 プリントさえやっていたら、大学受験レベルに達した。
 ちなみに、私が在学していた頃の鶴高は、東大2名、最高は7名、九大30名、阪大、神戸大、広島大、東北大、北大、京大など全国の国立大学に200人ほど合格していました。現在の鶴高は、学校群制度を導入して以後凋落の一途を辿り今は悲惨なものです。
 わたしには、母校のプリントの価値を素直に認められなかった、悔恨があった。
 後年、わたしはLECという司法試験などの予備校で、司法書士試験の書式問題を創作する仕事に携わったことがある。一問いくらで請け負う方式だった。このとき、LECでは、受講生に配布する資料のことをレジュメと呼んでいた。竹の会のレジュメの呼び方はわたしのここでの体験からつけたものである。問題と解説を一問につき、A4で50枚ほど作っていった。
 竹の会のレジュメには、このような私の思いが込められたものであった。
 

ページトップへ