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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

今年は小石川、両国、白鷗勝負/トップ都立高にも照準設定/視界不良の子どもと子可愛さのあまり近視眼の親たち

2019.04.22

 4月22日(月)晴れ、空全体に薄曇り。気温はやや暑い。

 都立中受検・高校受験も終わり、今はまた静けさが戻ってまいりました。子どもたちは早Tシャツを涼しげに着てなんとも爽やかです。これから5月連休過ぎまで一年でもっとも過ごしやすい季節になります。体にはもっともやさしい時期です。受験、受検の子たちにはこれからが正念場です。人びとが10連休で浮かれているときこそ1日10時間の勉強にも価値あろうというものです。かつて9.11のテロで父君をなくした杉山太一君が竹の会にいたのは小6であった平成21年のことでした。彼の集中力と実行力は天才の常として類い稀なるものがありました。彼の休日の勉強時間17時間というのは、未だだれにも破られていない記録です。かれが桜修館に合格し、6年後京都大法学部に合格したことは、朝日新聞にも写真入りで大きく取り上げられました。試験というのは、集中力と実行力がすべてです。多くの凡人と言われる人たちが、集中できないで無為に時間を過ごす人たちであり、実行することもないままに時を無駄に潰す人たちであったことは、竹の会の歴史が証明することでした。

 掲示板に自分の番号が「ない」というシビアな現実は、来し方の集中と実行に見合った宣告であった、ことをその時に悟るはずです。この時間の潤沢な時に、時間を無為に過ごすことのないように、祈るばかりです。その責めはすべて自らの一身で受けることになる、それが天の裁断です。

 

◯視界不良の子どもと子可愛さのあまり近視眼の親たち

 子どもが、例えば、小石川に行きたい、と言う。小石川を見てたちまち好きになった、と子が宣うわけです。夢は大きなほうがいいし、小石川なら親だって悪い気はしないし、他でもない勉強したいと言っているのだから、と親もまんざらではない。 さてと、それで、当の子どもの内申は?  知能は? 性格は? いろいろ考えてみる。内申は「よくできる」が、半分もない、知能は並、性格は不真面目、こんなところでしょうか。 子どもは、憧れるものです。盲目です。欲しいものはなんでも手に入れたいと思うし、また手に入ると思っている。親がここで迎合する意味がわからない。子の実際は親が一番知っているはずでしょ。 子というのは、視界不良の中で生きているのに、視界良好という幻覚の中にいる。つまり、視界が狭いのに、それが現実世界だと思っている。現実と夢の境界が曖昧なのが、子どもの世界である。だから子どもは、非現実的なことを平気で言うが、本人はいたって真剣なのである。 子どもの頃、宇宙飛行士になりたいという夢を実現させた人もいる。才能に恵まれ努力したに違いない。しかし、才能に恵まれた人ばかりではないのが世の常である。また努力する人ばかりではない。いやむしろこつこつとした努力を嫌う、一発逆転ばかりを狙う怠け者で世の中は閉められている。そのことは、ほとんどの人が公立中に行き、部活で勉強を台無しにして、「それなり」の高校に行き、三流大へ行けばまだいい方で、たいていは、専門学校でお茶を濁すか、そのまま社会に出る、人ばかりだということでわかることです。そういう人たちを待ち受けているのは、食べるだけがやっとの給料でこき使われるという現実である。

 最近は、低賃金にも文句を言わず真面目に働く外国人たちに仕事を奪われて、これまでのように繋ぎのバイトをすることも難しくなっている。フリーターにも仕事がない時代なのである。 すべての子どもが、能力に恵まれているわけではない。その意味で、現代は、いや昔からこの世は、生まれながらにして人生が運命づけられている。しかし、人はそんなことにはめげない。なんとかして生き抜く、生きていかなければならない。勉強がだめなら手に職をつける、能力の範囲内で生きる道を探す、そういうことを考えてやるのが、親なのではないか。

 私は、公立中に進んだ、2割の人に、部活で人生を棒に振るな、と説いているだけだ。いや4割の人は勉強でなんとかなるのではないか。中学、高校と青春を謳歌するのはいい。しかし、生まれも普通、家柄も庶民、財産もない、そんな私たちが 未来を生き抜くには、勉強しかない、勉強で身を立てるしかない、ではないか。 わたしは勉強にすべてをかけた中学生の諸君が、勉強で将来の職業を勝ち得て、食べていけるようになってほしい、そう願っているだけです。あなたたちが、夢を描くほど、現実の世の中は、素晴らしい未来を約束しない、ということは、すぐにわかる時がきます。あなたたちの未来を切り拓くのは、結局勉強しかないということを知る時がくる。わたしは、あなたたちに、現実に流される生活をしてほしくないだけなんです。勉強さえしていれば、いつの日か必ず報われる時がくる、わたしはそう信じています。だって自分の未来を切り拓くのは勉強しかないのですから。

 私がそうでした。県下の御三家と言われた進学校に進んだ、わたしは、そこで勉強に挫折したのです。進学校というのは、一日でも勉強サボればもう飛ばされる、風邪で休めばもうアウトです。なにしろ授業の進度は半端ではない。一日休めば、少なくとも5科目分のプリントが各科目数枚から十数枚配られる。そのプリントはもう手に入ることはない。友だちが代わりにもらってくれることなどない、あってもいい加減で信用ならない。先生にもらいにいくと「もうない」とたいてい言われる。それでもうどうでもいいという気持ちになる。進学校の落ちこぼれというのはだいたいそういうなりゆきで作られる。ここには、勉強というものを大学入試を視野において実感していない、甘い、曖昧な姿勢が、破滅に繋がることの自覚がないことがあった。しかし、わたしは勉強を、諦めたわけではない。わたしは進学校のやりかたに合わなかっただけである。何がなんでも勉強という意識が欠落していた。だからわたしは独学で、英語も数学も勉強した。誰にも教わらないで、参考書を選んで、勉強した。旧帝大にはいりたい、その一心で勉強した。わたしは、勉強だけが自分が生きていく術になるということを本能的に嗅ぎ取っていた。わたしの嗅覚がわたしを勉強に差し向けた。学校の先生でもない、友だちでもない、親戚でもない、親でもない、わたしが生きていくには、勉強しかないということをわたしは賢くも悟っていたのである。だからわたしはもうひたすら勉強した。ただ一度受けた模試、それは全県模試と言われて、県下の進学校や予備校の受験生がほぼ全員受けた模試である。ほぼこれで合否が分かるとされた。わたしは、11月頃だと思う。予備校でそれを受けた。もちろん予備校に行ったことはない。結果は散々だった。数千番だったか、箸にも棒にもかからないとは、このことだろう。わたしは、沈んだが、「まだ、7回解き直しどころか、一回も回っていない」、「だから当たり前だ」と思ったけど、果てしなく不安が広がった。わたしはもう必死で回した。赤尾の豆単、Z会の数学I IIB問題集、山川の日本史用語集、世界史用語集、数研の生物問題集、古語2000、原仙作の英標、これだけだった。毎日各冊を回した。一冊の参考書は、何十回かに分けて、一日ですべての参考書が回るようにした。毎日すべての科目を見直しいる、そういう感覚を大事にした。12月、1月、2月が過ぎて、本番を迎えた。当時は、国立一期校の入試は、3月3日4日5日の3日間にわたって、実施されていた。九州大学法学部法律学科受験。模試は数千番。法学部の定員は240名。倍率6倍。発表は、3月15日頃、掲示板が、テレビ中継された。「あった」。大分の新聞にも名前が載った。わたしはなかなか信じられずに何度も何度も名前を確かめた。それでも信じられずに大学から速達で、書類一式が送られてきて、ようやく合格したのだと信じることができた。 すべてが悪条件であった。いい材料は何もなかった。模試の結果は死刑宣告に等しかった。わたしの合格の根拠は、ただわたしが、わたしの選んだ参考書を反覆読み返すこと、だけだった。なんとも主観的な根拠であることか。それでもわたしは、確実に、知識を思い出すことを反復した。記憶を客観的に確かめながら、確実に、再現していった。わたしは確実に覚えている、それは確かなことだった。苦手の数学で、9割以上解いたこと、英語の和訳は、わからない単語がなかったこと、日本史と世界史は、それぞれ60の解答欄をすべて埋めたこと、生物は半分しかできなかったこと、国語はその年は難解でかなり平均点が下がったこと、などを思い出す。とにかく鬼門の数学が、できたこと、これで心は軽くなった。国語は得意の現代文は良かったけど、古典は、和歌の原文から和歌集の名前を書かせる問題が8問、これはアウトでした。三日間にわたる試験が終わった後はもう晴れ晴れとした気持ちでした。何よりもかつて京都大学を受けた時、数学が全くできなくて、旧帝大への道の如何に遠いことかと悲嘆にくれた、あの時の悔しさを忘れない、決して忘れない、私は再起を誓って、勉強した、模試の結果に落ち込んでも、決して負けない、必ず勝つ、負けない、絶対に勝つ、必ず受かる、 と心に繰り返して生きてきた。

 数学実況中継

 100分5問。 100点満点。 楕円証明問題、 数列の証明問題、順列組合せ小問2題、三角関数の証明問題、微積問題。 A4答案用紙にびっしりと書いた記憶あり。残り30分、数列と楕円の証明問題が白紙。ベタな代入をすれば大変な計算になるので、うまい方法を思いつかずに後回しにしていた。時間がない。落ちる。よし、代入で書ききる、そう決断した。まず楕円関数から一気に書く。A4の答案用紙にびっしりと数式が埋まった! 0になれば成功!  やった!  0!  残り15分!  すわ、数列にとりかかる。迷わず代入して、恐ろしい計算に挑む。クソ! 負けるか! 必死に計算する! 終了の鐘が鳴る。同時に、イコール0、完成、やったー!  やったー! 95%正解!  

 入学してわかったこと。ほとんどの合格者が、数学は50〜60点だったこと。 国立大は、数学が、できれば勝てる。 そう確信していた。第一日目午前国語、午後数学。第一日目、宿泊している旅館まで帰る足は軽かった。 第2日午前英語、午後理科、生物で受験。第3日目午前日本史で受ける、午後世界史で受ける。 試験終了。 博多駅までチンチン電車、博多から大分へ 。

 わたしは逃げなかった。戦ってきた。勉強で人生を切り拓いてきた。 家柄も財産も何もない。だから勉強した。勉強だけが未来の自分の道を切り拓いてくれると信じた。だから勉強した。ひたすら勉強した。 小学生の皆さんが、中学生の皆さんが、勉強している、勉強に心を惹かれている、それを見守ること、それが一番わたしには、心安らぐ。勉強しない子どもたちを見るのは辛い。心が重くなる。

 小学生の憧れに惹かれての判断は視界不良の中の誤選択のリスクに包まれている。中学生の勉強回避の判断は視界良好の中の敢えての負の選択、であり、以後の人生を規定する。自分の人生を社会の底辺に軌道修正するかもしれない大きな転換をもたらすかもしれない判断である。子が、部活で勉強を犠牲にするという選択は、敢えての破滅の選択に他ならず、親の緩やかな破滅誘導である。 ただ、親なら、子どもの失敗、挫折を最後まで見届ける責任がある。 親だけがその顛末を見ることになる。

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