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何をやっているのか(意味)、わかること

2021.09.10

 

何をやっているのか(意味)、わかること
 問題文を読む。それから解き始める。この時、問題なのは、自分が何をやっているか、わかっていることである。それは、まず、問題の意味を理解していることである。問題の問いが、何を求めているのか、理解することである。「求めろ」と言われて、はたと一呼吸置く。「求めろ」という問いの内容を問う。問いの意図を推測する。問いの前提を問うことから、糸口が見えてくることもある。前提のそのまた前提を問うこともある。さらにそのまた前提を問うこともある。
 問題文の「意味ありげな」語、フレーズの意味するところを考える。特に、それとなく、何気に、その意味で目立たない、語には、注意を払う。例えば、「同じ」という語は、それがあるゆえに、何か「重要な意味あること」を示唆していることがある。重要な仕掛けは隠されている。もう一つ例をあげれば、「」という語、算数の場合、「差」の意味を考えることで答えが見えて来ることが多い。なぜ差が出るのか、差が出る原因を問うのである。
 図にかかないと、問題が何を言っているのか、掴めないことも多い。
 線分図は有名ですね。線分図をかくコツは2つの量の関係が、差的に、あるいは比的に、わかるようにかくことですね。
 しかし、算数でもっとも使われるのは、わたしは、面積図でないかと思うのです。面積図の出てくる場面は、いろいろです。とにかく問題を解くための情報が足りないというときは、たいてい面積図で解けることが多い。
 子どもたちに「図をかいて考えなさい」というと、図が不揃い、バラバラなんですよね。図をかくのは「比べるため」だから、同じ量は、同じ大きさでかかなければならない。同じ量なのに、線分の長さが違うとかいうのは図をかく意味がわかってない。
 算数が、上達してくると、面積図の亜型もかけるようになる。
 ダイヤグラムが与えられることもあるし、ダイヤグラムをかいて解くこともある。
 流水算は、→(ベクトル)で解くように指導している。流水算の亜型もたいていのものは→ベクトルで解ける。ベクトルというのは、矢印であらわす約束ですが、向きと大きさを表す、数学の概念です。
 ニュートン算は、面積図の亜型で解ける、
 算数の問題には、連立方程式型というのがある。xとyを使えば簡単に解ける。しかし、小学生には使えない。これについては、①と1️⃣を使って、線分図で解くのが速い。線分図が小学生の知らない移項の問題を回避してくれる。実は、連立型の問題は、図をうまく使うと簡単に解ける。が、この図を使いこなすには初心の者には無理かもしれない。
 さて、本題に戻ります。
 私がいつも挫折するのがプログラミングの本です。どうしても途中から投げ出す。一番の原因は、今何をやっているのか、全体地図の位置、がわからないのだ。いつも腹立たしく思うのは、こういう本を書く人たちに共通して総論が欠けていること、いきなり末端の操作から述べる。しかも聞いたこともない言語を誰でも当然知っているかのように使う。一般書では、あまり耳慣れない語には必ず説明がある。
 かつて我妻栄先生の「民法講義」を読んだ頃がある。総則、物権、担保物権、債権総論、契約総則は、十回ほど読んだ。この本は法律の専門用語を知らなければ読めない。幸い有斐閣の「法律学小事典」といういいものがあった。この本を読んで痛感するのは、途中で何をやっているのか、見失うことである。同じ経験は、前田庸の「会社法」でも経験した。この人の文は、一文が2、3ページにも渡ることもあり、しかも指示語が多く、主語も省略するから、途中から見失う、だから読めない。要するに、著者を選べということだ。日本語もまともに書けない学者は山といる。国立大学の教授にしてからそうだ。もちろん国立大学の教授にも名文家はたくさんいた。神戸大学の会社法河本一郎東京大学の商法鈴木竹雄中央大学手形小切手法の木内宜彦立教大学刑訴田宮、ダットサン民法我妻栄、民法案内我妻栄、中央刑訴渥美東洋、みんな私を感動させた名文家であった。
 論理明晰と言えば、丸山眞男、文章の師匠小林秀雄、私は先人たちの文章に魅せられ名著を求めて読みまくった。大学に入ったとき、夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介、森鷗外など文学はほとんど読み尽くした。あの頃は岩波文庫と旺文社文庫など文庫がカネのない学生には味方だった。在学中完成した九州大学記念図書館は西日本一の蔵書量を誇った。地下書庫は何階だったか、その蔵書に圧倒された。
 私はふと思う。本を読むということの意味。例えば、鈴木竹雄先生の手形小切手法有斐閣法律学全集の一つとして出された、赤い表紙の400ページくらいの体系書だった。ああいう本を無駄なく、意味をとること、これが難しかった。つい細かいことにかまけて全体を見失う。そもそも実務でどう使われているかイメージがゼロなのだ。
 若い頃、私はやはり読むというところで失敗していた、と思う。
 今なら、私なりにこう読むというのがある。
 「わかる」というのは、どういうことか、自分の頭の中に、全体と今読んでいる事の位置関係が明瞭な読み方なのかと思う。京大の佐藤幸治教授の「憲法」を通して、総論が各論でどう具体化されているかを確認しながら読む訓練をしたことがある。時間はかかるが「よくわかる」、著者が何を言いたいか、言っているのか、よくわかったことを実感した。

 パソコンの解説書、ソフトの解説書が、いくら読んでもわからないのは、どうしたことか。こういう類いの本を書く人たちというのは、理系ということもあるが、何か書くということの基本的なものが欠落しているように思う。もっとも理系といっても養老孟司先生のようにすぐれた名文を書かれる人もいるわけですが。

 わたしが、中学生によく言うのは、理科なり、社会なり、とにかくよく理解してさえいれば点が取れないなどということはないとうことだ。中3になって、理科や社会が50点しか取れないというのは、「意味がわかっていない」ということ、それだけのことだ。そしてその対策などはない。

 地理なら細かい知識を覚える前に、地理の思考というものを教科書の総論部分から学び、その具体化としての細かい知識の意味を理解することである。これは歴史についても然りですが、歴史は年表を別腹で覚えることである。語呂合わせが一番いい。

 公民は「制度」ごとに理解する。制度の趣旨、目的、それから具体的な制度。

 理科は重要40テーマについて、完全にするだけでいい。理科は、計算問題が解けることが理解とイコールというテーマも多い。例えば、化学式、電流など。

 

 
 

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