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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

傾向と対策を言うバカ親

2019.01.10

◎対策バカの誤り
類似問題、似た問題で、練習することの軽率
サスケという番組がある。あれと同じセットを自宅に作って、対策を取る人たちがいる。しかし、そういう人が、成功する確率は限りなく低い。
本番と同じセットで練習しても、失敗する。これは、対策というのは、本番の形を知って、その形を練習するということではないということ、その前に、体を鍛えろ、基礎体力を作れ、ということを教えている。
 模試を受ければ、模試に出た問題を練習する。親が、「わからないから、先生から、教えてあげてくれ」などという言ってきたこともあった。正直、わたしの邪魔しないでほしい。「模試の問題が、できないから、教えてくれ」、バカ言ってんじゃないよ。模試は、今の思考の段階を試すだけでしょ。それとも模試の問題がそのまま出たら困るからとでも思っているのかしら。予備校なんかが模試と同じ問題が出たなどと騒ぐから親たちも動揺する。

 模試の問題が解ければ、というのは、サスケで、セット作って対策とるのと同じ。そんなことより、ほかにやることあるでしょ。バカ親は、自分の考えを、これだけは、別みたいな考えで、不安を核に、押し通してくる。
 これと似たのが、やたら出題傾向を、言う親である。あちこちの学校説明会にせっせと出かけて情報を収集してくるのはいいが、頼むから塾の先生にそこからいろいろいと要求をして来ないで欲しい。親は傾向に合わせて、対策をとる、などと言う。それがあたかも合格の必須行動かのように信じている。
 こういう人たちには、傾向云々より前に、まず実力でしょ、類似の問題に慣れるより、どんな問題が出てもブレない基本能力でしょ、ということが、わかっていない。
 だいたい傾向に合わせた対策などで、合否が、左右されるなどと考えるところから、愚考なのである。そんなのは、全体から見て、1%しかない。いきなり受けて受かる人がいる。ああいう人は、時間がない、それで基本的なこと、それは全体の8割ほどなのかなと思うけど、そういうところを徹底してやる。こういう人たちが受かるのは、基本だけやる時間しかなくて基本を徹底してやるからである。とにかく基本を完璧にやる、そこしかやれる時間がないから、必死でやる、そして受かった。対策とかそんな余裕の時間はなかった。だいたい対策などと騒ぐ親、子に限って、基本を疎かにして、目新しい問題、傾向に即しているという応用問題、そういうものばかりやっている。
 わたしが言いたいのは、世の親たちが、学校説明会などを渡り歩き、傾向だ、対策だ、などと騒いでいるのが、アホなことだということである。1%に力を入れて、80%を蔑ろにする、これほど愚かなことはない。こういう親たちは、まるで傾向さえつかめば、その傾向に合わせて勉強しさえすれば、受かるものと考えているふうにさえとれる。愚者たる所以である。

◎泥船に乗る親子の顛末

 大手塾の看板に引き寄せられるように入っていく親子の群れ、これが日本の、東京の平均的な親の見識なのであろう。東京には、都立中高一貫の大手塾だけでもエナ、栄光、Z会、大原などがあり、私立受験を看板にする大手なら、昔からある日能研やサピックス、四谷大塚、新興の早稲アカと郡立している。わたしは品川近辺のことは全く知らなかったのだが、聞いたこともない大手塾があるらしい。それに中規模の塾から個人塾まで群小塾がとにかくあちこちにある。親の選択も子どもの能力、性格、将来の志望に応じて選択するのだろうけれど、結局大手塾に落ち着くというのが大方の相場ではなかろうか。大手の生徒集めも個人塾では真似のできない大盤振る舞いである。無料の夏期講習というのもあるらしい。テキスト代も無料と聞いた。大手がよく春にやる、無料体験というのも、まず甘い汁を吸わせて、後から元を取るということなのはだれでもわかりそうなものなのに、目先の損得で行動する母親や父親よろしく、結局きっかけは「ただ」だからというお粗末振りである。塾というものに本質的に内在する、無能な講師の不作為がもたらす、取り返しのつかない災厄について、親たちは自分の子が犠牲になるかもしれないとは夢にも思わない。
 まずどんな子でも教えればできるようになるのか、難関都立中を受けられるまでになるのか、というところが、見事にぼかされている。塾の側も親の側もそこは深く追及しない。うちのバカ息子、バカ娘もこういう大手に通えばできるようになると信じている。しかし、塾の先生をやっていれば、そんなのは幻想に過ぎないことはだれでも知っている。しかし、そういう子たちを集めて、商売やっている塾の先生が、そういうことを言っていたら、商売にならない。だから口当たりのいいことばかりを言って生徒を離さない。この点は大手塾も変わらないし、どこの個人塾もそれはタブーとして触れない。とにかく頑張ればできるようになる、と鼓舞する。これは恐ろしいことではないか。本質的に教えても効果のない子にまやかしの指導をして引き留める、私から言わせれば不作為による飼い殺しである。多くの善良無知な親たちは、こういった塾に内在する悪を知らない。自分の子がバカならば1年経ってもバカのままである、ということを悟らない。竹の会は、正直にこのことを親たちに開陳して、恨まれることもあったから、こういうことを正直にやるのは塾にいいことはない。

 無能な講師、塾長ほど怖いものはない。小林秀雄に「真贋」という著書があるが、本物かどうか、を見抜くのは、実は難しい。素人が、真贋を、見抜くには、私見ですが、比較すること、比べることではないか、と思う。しかし、大手に洗脳された親たちには、もはや冷静に、客観的に比較する技量などない。この世で、本物の塾に出会えるかどうかが、あなたたちの人生を左右することになる。わたしは、長い間、塾をやってきましたが、もちろん塾の先生に肩書き、お墨付きなどありません。わたしの経験から、本物かどうか、とは、実践経験がひとつのメルクマールになる。肩書きというか、学歴、出身大学をやたら誇示する講師は、無能な臭いがぷんぷんするけれど、世間に群生する俗物なる親にはいい香りのようである。
 実践経験とは、無間地獄に阿鼻叫喚するほどに、苦吟する、呻吟する、煩悶し、落ち込み、悩む、そういう中で逞しく生き抜いてきた、不屈の精神で生き抜いてきた、そういう経験のことである。なぜうまくいかないのか、いろいろ試して、失敗を繰り返しながら、経験を積み重ねていく、わからなければ勉強し、研究し、そして失敗し、納得のゆくまでこだわってきた経験を重ねていく。実践とは、都合このゆうな専門の巧を手にしていく過程にほかならない。
 実務経験の浅い、東大出ましただけの講師にあなたの人生を託すことに躊躇しない親たちの群生する街、それが東京である。
 塾の先生には、肩書きはないが、出身大学とか、予備校の模試の成績とかを肩書き代わりにする。塾の広告はそういうところを売りにする。東大の学生講師を揃えて売りにする塾もある、ここでは、実務経験よりも、肩書きで、人を集める戦略なのだろう。世間の親たちは、学歴で、真贋を判断する癖がある。大手塾か、個人塾か、世間の親たちが、大手を選ぶことには、迷いがない。大手塾の有名大に在籍する学生講師が親たちには素晴らしいのである。
 塾というのは、お客様商売であり、生徒や親の機嫌を損ねないように、阿り、媚びを売る。だから塾というのは、常に無能塾に堕する危険が高い。わたしは、わたしには、できないときは、正直に、できないという。受検は、無理です、だから別の道を考えてください、という。何もしないで、カネだけとる、これは無能な塾のやることであると心得ている。わたしには、できないのに、できないままに、何もしない、実はできないのに、カネを取って通わせる、そういうことができないのです。
 わたしは、無能な塾の先生にはなれない。わたしは、34年間、実務経験、第一線で、実践経験を積んできた人間です。わたしの実務経験から、わたしは、お金をもらって、指導すれば、どうにかなる、ならないがわかるようになりました。どうにかならない場合は、正直にお話しして、お断りするしかない。わたしには、騙してカネをとるなどという商売ができないのです。
 わたしの実務経験から、失敗することが、予測できる、ということはあります。かつて夏休みに、オーストラリアに二週間ほどホームスティに行った受検生がいましたが、事前、事後の研修を含めると、それはもう合格などないと、わたしの実務経験が答えを出していたことでした、そこまでいかなくても、一週間の帰省とか、旅行とか、あるいは、発表会、そのための練習、昇段試験、練習などと、わたしの試験実務感覚からは、不合格を予測せざるを得ない、事例に溢れています。しかし、当人にも親にもそのことがいずれ致命的な原因になるという認識はなく、根拠のない楽観でそういう時期を楽観的に過ごすのです。
 親たちは、自分の判断で、好きにやっているわけで、わたしの実務経験は、試験失敗をとっくに予測していた、ということです。
 中学生が、部活で、勉強しなくなるのは、通例あることです。塾に、大幅に遅れる、居眠りばかりしている、こうなると、わたしの実務経験は、こういう子を指導することの意味を認めない。もし大手ならそういう子をいつまでも好きなように振る舞わせて引き留め続けていることでしょう。塾というのは、そういう不作為のずるさを本質的に内在しているのです。

 通常考えられる進捗が、得られない、そういう状況が、続けば、わたしの実務経験は、指導が頓挫したこと、暗礁に乗り上げたことを、教えている。正直に、親御さんにお話しすることが、親御さんに無駄なお金を出させないためにも、わたしの誠意であり、良心であると考えています。どうか竹の会をわたしを恨まないでほしい。わたしはわたしの誠意を見せたつもりです。塾が、本物であり続けることは、至難なことである。商売重視なら、塾の側から、退塾など言い出すはずがない。しかし、竹の会は、わたしの実務経験が、誠意と良心を、恨まれることは承知で、選択してきた。他塾のように商売はしない、それが竹の会の矜持であった。
 潰れるかもしれない、そういう危機は常にありました。入会試験に落ちて、肩を落として帰っていく、こういう光景が続きました。竹の会には、成功可能性のある子の入会がない、そういう状況が2年続きました。仮合格というのは、賭けでした。見込みのない子を入れるのは、塾の生命線に関わる。予想外のこともありました。小3、小4早期に来た子たちの成功率が高いことでした。小5前後に来た子たちの成功率は2割ほどか、これは元々頭がよくないという子を含めての話しです。頭のいい子でも成功率の低いのは、例によって、習い事、稽古事のほか、家庭学習をやらない生活習慣のためです。小4早期から来る子の成功率が高いのは、家庭の勉強優先の意識の表れのような気がします。
 仮合格を温情で濫発していると後で手痛いしっぺ返しを喰う。学習停滞児、不振児が、増えれば、塾の生命線が断たれる。合格者の出ない塾には、魅力などないから。
 やはり仮合格は、両刃の剣、今は、仮合格など出してはならない、と戒めています。
わたしを支えているもの、専門家としての自負を根拠たらしめてるもの、それは、34年間の実務経験、実践体験だと確信しています。

 無能な塾、無能な塾講師とは、実践体験、実務経験のほとんどない、つまり、研究心、向上心のない塾、講師、塾長です。

 子どもが、伸びないとわかっていて、何もしない、親を喉越しのいい言葉で、騙し、子にへつらい、阿り、迎合する、叱ることも遠慮する、腑抜けの塾です。
 親は、大手の若い学生講師に好感をもち、子どもは、気にいる、それは結構なことです。しかし、そのことは、塾、講師の無能性を排除しない。繰り返しますが、塾、講師の無能かどうかは、あげて実務経験、実践体験にのみ依存する問題であるから。

 最も常識的な考え方が、非論理的な思い付きによって崩される。

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