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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

公立中高一貫校対策/トップ都立高校対策/作文に悩む人たちへ/竹の会の指導体系の完成へ

2017.08.02

 今週は水曜日がお休みでこの貴重な時間をとても大切に使わせていただきました。公立中高一貫校をめざす小学生をいかにして合格まで道案内するか、これについてはすでに私の中に合格のイメージができあがっていました。平成26年には本来なら合格したはずの子2名をわたしの指導の迷いから失敗させたのではないか、とずっと悩んでおりました。思うのは、昔からそうでしたが、笛吹けど踊らずの子らには結局なす術はなく、またこの試験はだれでも受検して受かる試験ではない、ということでした。25年には、小石川、白鷗、桜修館へと合格させましたが、26年受検の子たちには、25年の子たちに使ったレジュメを使っていなかったのです。受検に際して、どのレジュメで導くか、これがかなり重要なことなのだということをあのときに初めて悟りました。28年受検の子たちには、もちろん25年受検の子たちに使ったレジュメを使いました。しかし、それだけではだめでした。当の本人たちがどれだけ真剣に取り組んだかが、大きな比重を占めたのです。少なくともわたしにはあの年の夏全員が勉強に専念したという、悔いのない勉強をしたという実感に満ちた報告を、2名を除いて、受けることはできませんでした。9月になって、これからがんばってと決意を新たにする子たちはいましたが・・・。7時間のノルマをどうやらやりぬいたらしい2人は、なんとか小石川に滑り込みセーフ、九段の合格リストに晴れがましくも番号を載せることができました。ここで大切なのは、夏やりぬいたこと、それがとりもなおさず、ブレのない、安定した力を宿したということでした。夏自堕落な生活をした子というのはなぜかそれからどんなにいい成績をとったとしても、本番にブレが生じる、そういうものです。

 さて合格していく子たちとはどういう過程をたどるのか、わたしの合格イメージですが、これをレジュメで追うことがわかりやすいのかと思います。まず小石川、桜修館クラスですと、「推論算数」シリーズがひとつの分岐点になろうかと思います。このシリーズを合格はんこを取りながら進められるか、がひとつの判断基準になるかと見ています。一例をあげますと、28年九段合格者はこの「推論算数」までは終わらせることができた、ただし、合格はんこを取りながらというより、偶に合格はんこをとってわたしを喜ばせたというのが正確でした。小石川受検組の子たちがこうした推論シリーズをこなしながら進められたか、と言いますと、1名だけが、理想的な対応をしていた、と思います。理想的というのは、「早く」「正確に」を満たしていた、ということです。時間がかかりすぎる、正解率が低い、というのは不合格を如実に暗示していたと思います。

 28年には富士と白鷗に合格した子たちがいます。実は、この子たちは、「推論算数」などのレジュメは一切やっていません。正確には、使えなかった。能力的に無理だったという意味です。この子たちは、当時の過去問シリーズ「第1類」「第2類」「第3類」「第4類」をやっただけです。白鷗合格の子は「第3類」はやっていない。それも合格はんこをとりながらということでない。ほとんど合格はんこがとれないで解説を読むことが多かった。なぜ合格したのか。7回解き直しと作文です。心当たりのあるのはそれだけです。富士合格の子はなぜか作文がよかった。早稲田進学会の模試では作文で2番をとったことがありました。めったにAをつけない、わたしからよくAを取りました。

 作文というのは、実は、AとDしか評価はない、とわたしは思っています。竹の会では、合格にはAを、以下B、C、Dとつけますが、Dは完全不合格作文です。Bとか、Cも不合格ですが、Dよりはましということです。だから、合格か、不合格しかない。もちろん合格作文の中にもいい悪いはありますから、相対的なものです。

 竹の会の子たちの作文を採点していますが、とにかくひどいものです。作文を書くということの意味がわかっていない。まず「何を書きたいのか」決めて書け、と言いたい。それは「問いに答える」ということでもある。自分で何を書いているのか、わかっていないのではないか。根本的な欠陥は、根拠がないことです。一文書いたらすぐに理由を書け、ということです。あなたの主張、言いたいことの理由を書くのが作文です。それなのにその理由が何も書かれていない。そもそも体験は何のために書いているのか、わかってない。体験もあなたの主張の根拠です。あなたが言いたいことの根拠なのに、その意識がまるでない。体験に具体性がまるでない。具体的に書くというのは、内容を具体的に書くということです。そこが全くわかっていない。

 作文とは、あなたの言いたいことに理由を書くことです。一文にはいちいち理由を書いてください。さらに、作文全体が全体的に理由になっていなければならないのです。ところが、あなたたちの作文には理由がないのです。言いっ放しなんです。しかも、同じことを連呼する。バカでしょ。一回言えばわかります。それから最後に自分の決意表明なんか書かないでください。バラ色にしめくくって終わるのは止めてください。体験に出てくる母と友だちには正直閉口しております。心のふれあいの体験例でどこかのおじいさんの荷物を運んであげて感謝されたというのがありましたが、なんか違うと思いませんか。あなたの心がどうなのかではなく、相手の心の変化が問われているのです。心を閉ざした人の心が開かれる瞬間、その理由が問われているのです。体験とは、理由です。そして作文はストーリーであり、ストーリーとは理由を書くことです。文の流れとは、因果のことです。因果が全体で理由になっているのです。

 あなたたちの作文には理由がありません。だからDなんです。

 あなたたちの今は、来し方の勉強量、今の勉強生活の成否、そして能力の有無というものが不断に問われているということです。息切れ、綻びが出始めていることは承知しております。試験というのは、こつこつと努力することを厭わないまじめな人が成功するものです。今は届かないとしても、こつこつ努力するその姿勢こそが人生のありようと思います。才能のないことはしかたありません。だからといって努力をしない人にはなにももたらされることはないでしょ。

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 ◎竹の会の指導体系の完成

 わたしは小学生をわたしの指示に100%したがうことを前提にすれば、そしてさらに逸材ならなおさら、天性の才能を最大限に発揮しうるほどに導くことができると確信しています。本来わたしの指導は高度でありそれなりの才能を持ち合わせた子ほどその効果を発揮することは自明のこととしてきました。努力を惜しまない子がわたしの指示を完全に遵守しながらわたしの指導を受ければ必ずやすばらしい成功を勝ち取っていくことであろう、これは真実です。竹の会にはそういう才能溢れる子たちばかりではなく、凡人小学生も入会を許可することがあります。こういう子たちの進捗が遅々たるものであることは想定したことですが、それにしても、竹の会に入会してわたしの指導を受けるということは他の巷の塾に行くよりはずっと素晴らしい効果をもたらすであろうことも自明のことです。徹底して計算力を鍛えぬくことは当然として竹の会ではそういう凡人小学生にも容赦なく思考訓練を重ねます。竹の会の思考訓練は徹底した割合概念をたたきこむことにおいて顕著です。計算力を超一級に仕上げたら、割合という考え方を指導します。使うレジュメは「割合ドリル」と「魔法の割合」です。ここで割合というものがどういうものなのか、徹底して頭に慣れさせます。次に、「割合感覚基礎ドリル」ですね。これが終わったら、「新単位あたり量」と「割合の定義」です。そして「新割合感覚ドリル」へと進めます。これだけやってもまだ割合本論ではないのです。いわゆる割合五部作へと進むのは次からです。竹の会に小4の早期に入会すれば3か月で計算の達人に、それから1年間は割合ばかりやっています。竹の会は徹底して割合にこだわります。竹の会の小学生指導の体系が完成したのはほんとうに最近のことです。竹の会で学ぶ小学生が強靱な思考力をつけていく姿はまさに絵に描いた右上がりの上昇曲線の如しです。その変貌に親御さんたちは驚異、驚嘆してきたのです。いや私自身がその変化に目を見張り、その威力に我ながら感心していたのです。

 竹の会では、竹の会の指導に乗り切れない子たちのいることを当然に想定しております。とにかく勉強することが嫌いな子、したがって勉強というものをしない、やらないという子は来てはならないのです。子どもたちの表情を見ていると、勉強が好きでないのに来たという子が迷い込むことはありますが、そういう子は必然人為淘汰されていくことになります。自然淘汰という時間のかけかたはしません。指導してもだめな子は即退散です。竹の会にきている子は勉強第一という子でなければならないのです。家庭学習をしないという子は早々に退塾することです。竹の会を勘違いしてほしくないと思います。

 

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