画像
都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

公立中高一貫校13年なお人気衰えず/都立トップ7に行ける、選ばれた中学生/その他

2018.06.02

 明日もからっとした、心地よい天気のようです。関頭は6日前後に梅雨入りの予想が出ておりますが、お百姓さんには大切な雨季であり、わたしたちにしても夏の水瓶に水を満たす、大切な機会です。梅雨らしい梅雨が到来することを願いつつも、やがてくる炎暑と熱帯で発生する台風到来のシーズンを慮り、やっぱり一年一年を乗り越えていくのは自然しだい、地球の運命に依存した生活ひいては人生であることを思わざるを得ないのです。

 ◎公立中高一貫校13年~適性検査の見方

 制度開始の当時は、得点差の出る問題かどうか、 と言うことが、指摘されて、ふつうの小学生には難しすぎるのではないか、とも言われた。実際、適性検査試験のできは悪く、かなり低い点数で合否が推移した時期が続いた。作文がいいから受かった、という時代であった。近年、 作文の配点の割合の縮小化傾向 、適性重視の傾向が顕著であるのは、いずれも大学進学実績を考えての変化と見てとれる。昔から、適性試験は、丁寧に注意深く「読む」子が、できたということは変わらない。きちんと問いに答えているが受かるというのも変わらない。

 適性検査試験で、得点差の出る問題といっても、質的に難解というもの、問題はそれほど難しくはないが、誤解しやすい問題の作りになっているというもの、に分けられる。 後者の場合、普段から読書しているとか、新聞を読んでいるとか、つまりそれなりに社会に、世の中に関心があるというか、そういう子が、対応できるということになる。しかし、 前者については、それだけではダメである。いわゆる「適性試験Ⅲ」というのは、もともと知能の高い子が、塾で訓練を受けてきた、ということが、要件になる。前者型である。つまりもともとの才能とそれほ磨く塾がなければ対応は難しい。

 都立中学側の言い分、都立中学校側の塾の認識というのはどういうものであるか。「 塾でもどうやれば受かるのかわからない」というのは、両国中の校長。 「こうしたら受かるという答えはあるのか」という問いに、 両国校長は、「塾にはその答えはないのではないか」、当局は 「覚えたことではなく、頭の中で考えた道筋を知りたい、その考えを人にわかるように表現できるかどうかが問われている」 と言う。覚える勉強ではなく、考える勉強をという 両国校長の指摘は、暗に、大手の、やりかたを批判している。大量の不合格者を生産している大手のやりかたこそ、過去問類似問題の練習しか、実は方法を持ち合わせておらず、それをあれこれと、例えば「志望校別対策」などと命名して、つまり工事業者の見積書の項目よろしく、費用を積算して、気がつけば高額の費用を貢がせて、結局は、暗記、覚える勉強を強いている、堕しているということの実質を捉えての言ではないか。 そもそも考える勉強の指導など大手にはなし得なかったのである。大手とはもともとそういうシステムなのである。 横並びの集団授業で、効率よく、稼ぐためには、過去問類似問題をアレンジしたテキストを提供して、何度もやる、という方法をとるしかない。なに、それは商売優先に適した方法を採用したからにほかならない。平成23年頃、大手が対策に暗中模索していた時期に、結局、過去問類似の問題を作り、それを売りにすることにした経緯をわたしは目撃してきたのである。結局は、暗記、覚える勉強になる、そういうことである。

  竹の会で、7回解き直し、というとき、暗記に堕する危険は十分にあるが、そして頭の悪い子ほどその癖に陥るのであるが、竹の会は、考える過程の反芻を実践することで、その癖に陥ることを極力用心してきたのである。解き方と答えを暗記して、それを反芻すれは、7回解き直しの意味はなくなる。だから、ノートに、丁寧に、解き直しをやるのである。読み返すだけでは、暗記に陥る恐れがある。ノートに7回丁寧に解く。去年の小6には、まるてコピーー&ペーストしたように、1ページに7回同じ解き方と答えを書いてきた子がいたけれど、絶句である。こういう子はそもそも受検は無理である。

 どうしていいのか、塾でもわからないだろう、と言わしめた、両国校長の頭の荒さは、ともかくとして、塾というものが、大手を念頭において、これが塾の典型ということで、のたまわったのだろうから、荒いと言ったまでで、竹の会には、答えは見えていたし、今なら、どうやれば受かるか、承知している。答えを知っている。 両国校長が、「塾には」というとき、竹の会など想像もつかなかっただろうから、大手をすなわち塾と考えての発言だろうから、荒いと言われても仕方あるまい。

 公立中高一貫校を語るとき、なんといっても、倍率抜きには語れない。6倍とか、8倍という倍率は、人気の高さを表す指標でもある。ただ小石川の6倍が、今では受検する子たちが、ある程度淘汰された上での倍率であり、必ずさも、イコール人気の指標とはなりえていないことは、斟酌しなければならない。九段の8倍は、小石川とは違い、まだ猫も杓子もの受検生が後を絶たない評価振りであり、その結果が色濃く反映されている、 まさに人気投票さながらである。

 こうして、公立中高一貫校がスタートして、13年、大手塾は、過去問類似問題の練習という、さしたる方法も思いつかず、そういう情報をダラダラと垂れ流してきただけで、竹の会が、完全、完璧なる、攻略法に到達したのとは対照的である。思い返せば、分岐点は、やはり平成23年にあった。あのとき大手が過去問の真似をした教材を作り、商売を優先せる道を選んだとき、竹の会は、思考を鍛えることこそ本質と信じて、時間のかかる茨の道を歩んできたのである。見栄えのする大手のやりかたに、世のバカ親たちが群がり、竹の会はと言えばいつも閑古鳥が鳴いていた。いつも2人とか、3人、時には5人いたりして、3人いたら2人、5人いたら3人と合格させてきた。竹の会のように無名の小塾に人が来ることはなく、いつも2人とか、3人きたらいいほうであった。わたしはそういう子たちを熱心に指導して育ててきたのである。その方法をさらなる完全なものへと、日夜悩み工夫してきた。それが竹の会の歩んできた道であった。商売繁盛の大手とは、対照的と言わざるを得ない。

 適性検査で差がつかなかった時代、作文で差がついた時代であった。適性問題が「普通の小学生には 解けない」と批判された時代であった。あれから13年、普通の小学生がこの試験に挑戦するのは無理というのはそのまま変わらなかったと思う。学校の優等生が小5から始めても受からないだろうが、竹の会なら小4にくれば受かるまでに仕上げることはできる。

◎小5からでは、伸びない根拠

 その根拠。 典型な例は、小4の1年間を大手塾に通い、小5の4月前後に竹の会に来たという例で説明してみよう。こういう子の常として、たいていは何か習い事、稽古事をやっている。 この例で、指導の流れはどうなるか。 まず、たいていは、小数の割り算からあやふやであり、そこからやることになる。次に、分数、これとてもたいていはできない。これまで大手で何をやっていたのか、いつも憤りを感じる。計算もろくにできないままに、何をやってきたのか。大手の講師は子供たちがまともに計算もできないことを知っていたのか、知らなかったのか、もしかしたらどうでもよかったのか、ただアルバイト料さえもらえばよかったのか。わからないが、いずれにしても、基本が欠落したままに、何やら教えていたわけである。

 さてこういう小5が、竹の会で過ごして、計算がまともになるのが、5月ないし6月。それから竹の会では、割合を学ぶ。割合の指導を通して思考を鍛えていく。しかし、現実は、竹の会の定番5ステップのレジュメ集を年内に、つまり小5の12月までに、終わらせられない子が続出してしまう。とうとう小6に持ち越し、打ち切って、適性対策に入るということになる。思考訓練ができないままに、未完成なままに、難しいと言われる適性問題に取り組むことになるが、案の定、はなかなか太刀打ちできずに、力がつききらずに、結局失速してしまう。概ねこのような過程を辿ることになる。

 これが小4に来ていたらどうなるか。のんびりとやりながら、たいていは、小4までに、例の5ステップを終わらせて、小5を迎えることになる。 この差はあまりにも大きい。 先の小5入会の子たちが、大手で過ごした1年が、小5になって、なんの糧にもなっていないという、なんとも情けない話しであるが、そういうところに、親はやっていたのである。 親が迷いなく大手をすなわち選び、取り返しのつかない結果にしてしまう、その構造、からくりが、現代のバカ親事情である。 竹の会には、小4の晩期にやってきた子たちがいるけれど、これは小5前後ということにほかならず、前途多難であることはもちろんである。よほどに努力しないと、脱落から避けられまい。 とにかく竹の会にくるとしたら、小4早期しかない。成功するにはそれしかない。

 ただ一つ問題があります。竹の会は、もうこれから小4になる、みなさんを受け入れることが、来年受け入れることができるのかさえ、わからない、ということです。理由は、簡単です、私がもう若くないからです。いつも募集できるかどうか、その時になってみなけれはわからない、これが真実です。

◎断末魔の中学生

 中学生の90%がこの道を辿る。恐ろしくもありきたりの道がある。 中学生になって、将来は、駒場、青山と胸を張るのも1週間。1か月もすればそういうことは忘れてしまう。入学して、1週間して、部活に吸い込まれるように入る。それからは、部活を軸に、勉強は「ついで」という生活が始まる。今はしかたない、しかし、いずれは勉強する、そう思いながら、とりあえず、とにかく部活中心の生活をする。勉強はと言えばせいぜい宿題をするくらい、 試験前に1週間試験勉強ということになるが、もはやどう勉強していいのかさえわからないほど、勉強の習慣、勉強のスタンスは崩れ去り跡形もない。いったい、君たちは、いつ真剣になるのか、 いつ勉強を本気でやるのか、 いつまでそういう煮え切らない勉強姿勢を続けるのか。部活中心の中学生というのは、なぜかいつも疲れていて、暇さえあれば、息抜きをしている。こういう息抜き中学生が取りあえず通うのが塾で、親の「勉強が心配」という中途半端な動機が、そういう子を塾で遊ばせる。こういう中学生がまともな都立高校などに行けるはずはなく、中3になって、受ける都立はない、私立の低いところを探して、単願推薦、つまり無試験で高校進学というのがおきまりのコースである。そういう高校のレベルは知れたもので、中途退学率も高く、ほとんどが高卒で社会に吐き出されることになる。こういう人たちがどういう人生を歩むのか、想像したくもないけれど、ふと考えて見れば、中学に入って1週間、部活に入った時から、すでに重要な人生の選択をしていたのである。

 

ページトップへ