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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

勉強で勝負することの意味

2022.06.10

 

勉強で勝負することの意味

 

 勉強で勝負する、と決めたら徹底する、腹をを決める、腹を据える、そして戦略を練る。いつも勉強のことが頭から離れない、これが通常勉強ができるという人の頭の中である。いつも不安で仕方ない。それで不安を打ち消すために勉強する。
 私が漠然とした不安を強い意思で打ち消して、ひたすら参考書に読み耽たのは、大学受験の時だった。期間は5か月しかなかった。11月に受けた全県模試は番外だった。そもそも大学受験そのものが無理だろ、という成績だった。しかし、わたしは、揺らがなかった。1冊主義、20回以上繰り返しをひたすら実行した。なんと山口真由流を既にこのときやっていたのだ。科目によっては50回は回した。朝から晩までひたすら回した。アウトプットはなし。つまり、問題集、過去問は、一切やらなかった。ひたすらインプットに専念した。問題集型の人間がいることは知っている。しかし、私は不完全なインプットを極端に恐れた。不安はなかった。いやいつしか悪い予感はしなくなった。
 考えてみれば、問題集をやるというのは、その前提となる、基幹の書籍の読み込みが不十分だということにならないか。もちろん数学は、問題型の教材を基幹テキストとした。英語は、今考えたら、ゾッとする。文法というか、五文型思考には無知だった。原仙作の「英文標準問題精講」を20回以上読み込んで、赤尾好夫の豆単を50回は回して完全に覚えた。覚えた英単語は10000語に及ぶ。もちろん我流の語呂合わせを駆使した。
日本史と世界史は、山川用語集をそれぞれ20回回した。国語は特になし。古語2000とか、漢文なんか、読んだけど、あまり役に立ったという感じがしない。ただ、現代国語だけは、高校時代からなぜか良かった。今、心あたりがあるとしたら、あの時、毎日、一単元10回音読を毎日やったことか。声出して読む、すると、それまでの黙読と違って、読むことにしか気が奪われない。黙読は、雑念が、湧きやすい。文の中にスッと入れない。音読は雑念を吹き飛ばす。だから文の中に入っていける。読むというのは、この文の中に入っていけるのが、一番の厄介なのだ。読解力のない人は、雑念で、偏見で文を擬似読みするから、正確に読めないのだ。つまり、読みながら、ほかのことを考えている。よく本番であるのが、文字面を追いながら、「できるかな」「受かりたいな」「落ちたくないな」と上の空で読むから、読み取れていない、これかなみたいな感覚で答える。雑念が読み取りの邪魔をする。

 文章にスッと入る、それから、勉強で大切なことは、わからない、問題の意味がわからない、ときの心の持ち方だ。これが難問だとしたら、窮しているのは自分だけではない。試験を受けているほとんどみんなが同じはずだ。そこで考えてみる。出題者は、誰もが解けない問題を出すのだろうか。いやそうではあるまい。この問題は、解ける、常識的に考えたら、解ける、ように作られていると言わなければならない。
 どこが、常識なのか、常識的に考えたら、どうなるのか、なぜわざわざこのようなわかりにくい表現を使っているのか、それは、わかりやすい表現にすればみんな気がつくからだろう。
 そうか、なら言い換えてみよう。わかりやすい言い換えを考えてみよう。
 言い換える、という方法は、違う視点から見るということに通じる。問題を言い換えることが解決の糸口の発見に繋がることがよくある。
本当なら簡単なことだけど、視点を変えて、言えば、何のことを言っているのかわからない、そういう効果を狙っている。
 まず、言葉で惑わす、シンプルな事実に紛らわしい擬装をする。
 難しいの正体とは、そんなものだ。揺るぎない、冷静な目、すなわちあくまでも落ち着いた心が、嘘を見抜く。冷静さこそが難問を打ち砕く。熱くなったら終わりだ。試験は、どこまで冷静になれるか、そこで決まる
 

国語の解き方第10回 筆者の意見はある特定の表現に表れる

 ① 「AとはB」型

    A=テーマ、話題

    B=Aの定義・意味・説明(ときに主観的)

    注釈 「AとはB」は、定義表現の方法です。「AというのはB」「AというものはB」は変形

        「AとはB」は、文章や段落のテーマを示している。筆者がAを個人的に定義している場合は、要注意で、一般的な意味でAをとらえると、誤読することになる。

       筆者はときに「Aとは何ですか」とか、「Aとはどういうことですか」と問い型で述べることがある。このときは、待ってましたと、「AとはB」を探すと自ずと解答になることが多い。

 ②「AこそB」型

  「こそ」は強調されている場合に用いる。強調するということは、そこが筆者の意見に関係しているとみるべきである。

   たとえば、「AはBだ」というのと、「AこそBだ」というのでは、同じ定義でも、Aの強調の仕方が違う。

   「Tシャツは夏だ」というのと、「Tシャツこそ夏だ」というのとでは、後者の表現に含みが感じられる。なぜほかのシャツではないのか、夏の定番ならいろいろあるはずだ。その中でTシャツだけが選ばれている。そして夏にもいろいろある。ここでの夏はギラギラ照りつける太陽がイメージできる。要するに、含みがある。言い換えれば奥が深いのだ。

   
 

 

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