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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

名医の診断!

2020.10.31

名医の診断!

 名医というのは、どういう医者をそう呼ぶのか。難病を治す? そんなことはできないから難病なのだ。そうではなくて、名医というのは、診断の正確性について、言われるに違いない。いや更には、診断に次いでなされる処方の的確さも問われるに違いない。風邪なら名医もクソもない。が、実は、風邪の症状で風邪でない場合もある。処置を誤れば重篤な事態となることもある。確率的には、風邪と言えば9割は風邪なのであろう。しかし、そうでないこともある。そういう時に、凡人医者と名医の差が出る。こういう経験があった。妻の高齢の母親が腸の痛みを訴えた。かかりつけの医者は、昔やった盲腸の手術によって癒着しているためかもしれない、あるいは高齢で腸が細くなっている可能性もある、とか言った。しかし、それにしては痛みが酷いようにみえる。それでわたしは救急車を呼んもらいたいと言った。すると「それはできない」という。明らかに悪いというのでもないのにわたしの責任では呼べない、というのだ。しかたなくその医者の指示で某病院に入院をして様子を、見ることにした。点滴と薬、あとは寝てるだけ。一年後に退院して家に帰ってきた。しかし、すぐに痛みが出て、話し合った結果、県立病院に連れて行こうということになった。便が何日もない、水分も取れない、これはおかしい、もうかかりつけ医はスルーして、車で県立病院に連れて行った。長い間待たされて、超音波で調べたら、腸が股関節の骨の隙間に落ち込んで圧迫されていることがわかった。緊急手術となった。幸いに手術は成功し、たちまち元気になった。
 いいですか、医者というのは、実にいい加減な診断をするものです。私たち常識人が明らかにおかしいと思っていても医者は自分の診断を変えない。医者というのはプライドが高い。素人に判断されるのが嫌なのだ。一年前にわたしの言う通り救急車で手術のできる病院に運んでいれば一年間も苦しむこともなかったのに。無駄に一年も入院することもなかった。
 名医などというのに、出会うのもなかなかの偶然のような気がする。テレビや雑誌で有名な名医が実際はそれほどでもなかったということもよく経験することである。名前だけが神話に乗って一人歩きする。
 わたしの経験では、若い医師に力のある医師がいる、と直感している。
 さて、それはともかく、名医ならぬ名塾とはどのようなものをいうのか。前振りが長くて済みません。
 竹の会の卒業生のお母様方からは、よく「竹の会は本物の塾でした」というお言葉を頂いてきた。
 あるお母様は、「近頃は本物の塾がなかなかない中で、竹の会は本当に本物の塾でした」と切々とお礼の手紙を頂いた。
 このお母様は、平成23年に高校受験をされたお母様でした。直前に理科、社会の点が取れずにわたしの指導でなんとか8割ラインを超えるまでにもっていった女子でした。先日その女子が結婚したという報告があった。「竹の会のおかげでいい高校に行けたから大学もいいところに行けた、そしていい出逢いに繋がった」という主旨のことを言われた。
 竹の会の子たちは、卒業すると何年かして、必ず竹の会に報告に来る。わたしが忘れて、「えっと」と言うと、「先生、何年卒の〇〇ですよ」と咎められる。「先生、〇〇です。東大に受かりました」、「えっ、何学部?」とかいうこともあった。
 今年は、二人来た。「先生、東北大学、受かりました」、「先生、一橋大に受かりました」。一橋大の子は平成24年に都立両国附属を受けた子だった。落ちたときはかなり泣いたらしい。竹の会で心機一転、都立を目指すこととなったリベンジ組である。3年間よく頑張った。都立戸山に合格。大学受験は、一浪して、初志貫徹。東北大学合格の女子は現役である。26年白鷗受検。補欠10番だったが、繰り上がりできなかった。宝仙理数インターに進学。6年後の報告となった。彼女と竹の会には長い歴史がある。まず小2の時に一度訪ねてきた。計算問題を与えたら、驚くべき集中力で、3時間たってもなかなか帰りたがらず結局4時間ほどいた。一年後に「待ってます」と言って別れた。そしたら一年経って本当に来た。算数で苦労したが、早稲田進学会では、常に成績上位に名前を連ねた。本番では試験終了間際に計算ミスに気がついて悔しい思いをした。この年に桜修館を受検して落ちた男子も早稲田進学会の成績上位者の常連であったが、落ちた。彼は3年後、都立日比谷と慶應志木に受かり、慶應に進んだ。この年は、三人受けたが、みな落ちた。竹の会には不幸の年だったが、3年後、6年後見事にリベンジを果たした。
 わたしは常に竹の会を本物の塾としてあろうと努力してきた。多くの書物を読み、理想の塾として、その水準を最高のものにと研究と勉強に明け暮れた。竹の会は常に最高水準の知識を提供しなければならないと自らに課してきた。
 小学生、中学生の指導法の研鑽は休んだことがない。いつもどうすればもっとも効率的な指導ができるかについて悩んだ。
 竹の会は本物の塾でなければならない、いつもそう自分に課してきた。
 算数の研究、数学の研究、英語の研究、国語の研究、理科、社会の研究、わたしはどれほど研究してきたことであろう。そのために多くの書物を読み、過去問を解き、解法を考案し、発見し、寝ても覚めても竹の会のあるべき姿を追い求めてきた。
 「渋谷にいい塾があるんだよ」、そう23区の親御さんたちに噂される日を願って、わたし竹の会に命を吹きこんできた。
 しかし、竹の会は分を心得ている。学校の優等生でなければ指導することは難しい、優等生とは、内申、「よくできる」が、8割前後以上ある子のことである。竹の会は、学習不振児を指導する塾ではない。竹の会はそういうお子さんは竹の会の指導能力を越えていると告白しているのです。
 東京の渋谷に「いい」塾があるんだよ、そういう会話が23区の親御さんたちに語られるようになることを夢見て頑張ってきました。
 もっともっと勉強して、いい指導をといつも思っています。

 力尽きるまで頑張ります。

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