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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

大手だから安心神話を信仰する親/都立小石川中等の合格のしかた/都立日比谷、私立開成なんでも受からせるのが仕事/お知らせ

2019.11.28

 

第35章 「大手だから安心神話」はとっくに崩れている

 わたしが、塾を始めた時から、大手塾は、世間の親たちの、絶対的な信頼を欲しいままにしていました。竹の会がスタートした昭和60年と言えば、四谷大塚、日能研の全盛期でした。中学では、河合塾と代ゼミが、大きなシェアを誇っていた時代です。そういう中で、中小塾が、ひしめきあっていた。まだ少子化の始まる前で、どこの塾もそれなりに生徒を分けあっていた時代です。私立中学受験熱も盛んで、裕福な家庭の子はたいてい中学受験をめざした。中学受験をやらない家庭というのは、やはり経済的な背景が大きく、その中でも公立中から、それでも底辺都立へ行くしかない家庭と私立高校には出せるが、卒業後は、普通は専門学校、家庭が許さなければ、そのまま社会へという家庭とにまた分かれた。わたしが、大分の進学校を進んできたためか、東京の子たちの大学に行かないという選択が理解できなかったが、東京というのは、様々な層の家庭が住み分けており、わたしの歩んできた道が、恵まれた、世界であったことを、後からつくづく思った。
 中学受験は、大手が仕切っていたが、その頃から四谷大塚に準拠したという中小塾がまたあちこちにあって、それなりに賑わっていた。そのほかに様々な個人塾、あるいは中規模塾が犇いていた。まだ少子化が、現実となる前の、牧歌的時代であった。竹の会が、最初から成功したのも、そういう背景があったからだろう。
 たちまち生徒が集まったことを思うと、当時の口コミは凄まじかった。
 ただ竹の会のような弱小の塾に来るのは、どちらかと言うと、学校では、ついていけない、マイナーな子たち、そしてその対極をなす、大手を敬遠した学校の優等生たち、だった。竹の会は、代々木中と上原中の生徒たちでほとんど占められていた。時たま、松濤中、本町中、笹塚中などもきた。大手で落ちこぼれたとか、大手の補習とか、そういう子も多かった。
 そういうわけで、竹の会に早慶志望の小中学生が、最初から来るなどということはほとんどなかった。わたしは、磨けば光る、そういう子たちを発掘して、指導し、奇跡的に合格させるという形でしか指導の成果を示せなかったのである。
 竹の会は、大手で、失敗した子たちが、再起をかけて、新たな希望に燃えて、努力するという子たちの受け入れ塾であったと思う。わたしが手がけてきた子たちは、たいていは、なんらかのハンディを背負い、竹の会が、そういう子たちの傷心を受け入れて、次第に自信をつけていく、そして遂には、奇跡の合格を果たす、私はそういう成功体験を重ねていった。竹の会の合格実績を捉えて、「なんだたいしたところに受かっていないじゃないか」と言った人たちもいたが、結果だけ見て好きなことを言っているな、という感じであり、わたしは、こういう表面しか見ないでものを言う人間が大嫌いだ。事実を見ない、机上の空論の好きなバカは相手にしないことにしている。
 竹の会は、ずっと渋谷の片隅で、それは塾をやるにはあまりにも不便な場所、そういうところで、「人」を導くという地道な仕事に徹してきました。そういう、子どもたちの境遇を通して、竹の会は、大手というものを見てきました。子どもたちを通して大手を見てきた。大手に全生活を捧げて、失敗した親子、家庭を見てきた。
 もちろん大手ですんなり成功した人たちのいることは承知している。しかし、竹の会から、平成10年に早稲田実業高校に合格したS君の現実を通して知った大手の実像はそれほど薔薇色というわけではなかった。
 彼は区立の上原中に行くことになる。小4から日能研一筋、で、慶應を目指してきた。彼が竹の会に来たのは、小6の終わり頃だったか、日能研の判定が既に出ていて、慶應は20%の判定だった。もちろん慶應は撃沈したが、確か、桐光学院には受かったはず。結局上原中へ。改めて竹の会での指導を委託された。彼は上原中では、学年一桁、最高は2番、中3受験の時は9番。彼の同級生は、河合塾、代ゼミなどに通う子たちばかりで、慶應、早実、国立、開成などをめざす猛者ばかりだった。しかし、蓋を開けて見れば、受かったのは、鈴木君一人だけ、他は皆落ちた。おまけに他中学を含めた渋谷区で見ても、早実に受かった鈴木君が、唯一一番いいところに受かっていた。ちょっと待てよ。大手とは、そんなところだったのか。みんな中1から難関高をめざして、週4日、日は日曜テスト、春、夏、冬の講習にも目一杯通い、それでそんなものか。君たちが、大手大手と大手なら絶対と信じて通った結果が、これだったのか。わたしは、この時に、大手の底を見た気がした。なんだ、意外と浅い、浅過ぎると、あっけに取られたことを覚えている。竹の会とやることは、どこが違う。確かに、大手のような、良くできたテキストはない。日曜テストもない。東大出た講師もいない。同じ難関校をめざす切磋琢磨する仲間もいない。しかし、私の言う通り、思う通りにやったら難なく受かったではないか。大手大手と特別なことは実は何もなかった。大手信仰は親たちが勝手に作り上げた幻想にすぎなかった。私は、バカな母親が、サピがどう、希がどう、早稲アカがどうなどと言っているのが、アホらしくて、正直相槌打つのもかったるかった。あんたらいつになったら大手なら大丈夫という神話から解き放たれるのか、もううんざりしていた。
 平成20年前後、都立中高一貫校ブームが始まると、都立中高一貫校向けの大手が生まれた。エナ、栄光ゼミナール、大原など公立に特化した大手として、これまでの中学受験大手とは一線を画した。そのような大手が、最初はさしたる策もなく、方法を探しあぐねて模索していたことを知っている。やがて過去問類似問題の演習という、行き着くところに行き着いた、
 この安易なやり方は、思考を磨くという視点を欠き、さらに致命的なのは、計算、割合という基本事項をほとんど正面からやらないという、間に合わせマニュアルであったことである。
 大手だから安心などという神話は、親たちの勝手な妄想が、一人歩きしたに過ぎない。たくさん通っている、これが、多くの親たちの安心感の根拠である。
 バカとは、知識のないことではない。ものごとの本質を悟らない、偽物に騙される、これをバカという。バカ親とは、「みんながやるから」と、思考のない人たちのことを言ったまでに過ぎない。赤信号みんなで渡れば怖くない、つまり、みんなで赤信号を渡る人たちのことである。
 子を大切に思いながら、結局いちばんひどい結果に終わる。子をこれ以上ないという最低の選択にしてしまう。これが今の大手万歳の親たちのやっていることである。
 確かに、竹の会には、そんな立派なテキストもない。優秀な生徒たちが集まることもない。方法も大手のようにマニュアル化されてもいない。講師もいない。東大出身の講師はいない。しかし、そんなことが、成否を決める決定打なんかではない。親たちが、こうでなければならないと決めつけたこと、そんなものは、ただの妄想でしかなかった。
 ほんとうに大切なことは何か、何なのか、何であったのか。
 少なくとも、大手だから安心神話には、その答えはない。
 答え? それは、竹の会が答えになる。
 竹の会は、合格を示す。結果を示す。それが、竹の会の答えであった。竹の会の主張であった。証明であった。
 竹の会は、大手だから安心という信仰が、中身のない伽藍堂の似非論理であることを知っていた。だから竹の会に鼻もかけなかった世間の大手信仰の親たちが、どんな末路を辿ろうと一切関心はなかった。「一度見てみよう」という上から目線の母親、怪訝な表情を隠さず頭から疑う母親、中途半端にできる子どものアホ判断とそれに乗っかる甘い母親の愚かな判断が竹の会をいとも簡単に否定した親子もいました。みな過去に見てきた親子であり、その末路も99%はわたしの予測通りになるであろうことは予測に難くなかった。ただし、竹の会で基本を身につけて大手に行き成功したという例も記憶にある。もともとの地頭のいい子ではそういうこともある。ただし、その見極めは難しくよく大手で中堅という子が、結局落ちこぼれる、という例を見ると、大手で成功する地頭というのはそれなりに高いと推測される。
 大手が、水増しの合格者を、あるいは都合のいいデータを都合よく捏造して出した実績などに騙されて、吸い寄せられた、思考のない親たちが、失敗したとしても、失敗は公表しないという暗黙の了解をいいことに、合格者だけ、実績として公表し、ドヤ顔をする。ちょっと待てよ、合格者のほとんどを出しているようなことを言うが、だったら、失敗した者は、ほとんどいない、あるいは他塾の子と言うことになるのか。そんなことはありえないでしょ。合格者の何十倍もの不合格者がいるでしょ。合格者の人数を競うなら、2年なり3年なり通って結局落ちたという子たちを公表しないと何もわからない。さらには、合格したという子たちについても、入塾時が、小4なのか、小5なのか、小6なのか、はたや講習に出ただけなのか、模試を受けただけなのか、とにかくその辺のところが明確でないと何もわからない。
 合格率を言うときも、母数から、講習だけ、模試だけを除き、あるいは在籍が一年に満たない場合の不合格者は除き、分子の合格者には、講習でも模試でもみな入れるなどという操作をやっていない、ことの証明はない。
 大手に通う母親が、自分の子の通っている教室からはほとんど合格者が出ていないのに、どうしてあんな人数が合格しているのか、どうしてあんな高い合格率になるのか、不思議だと、言っているのを聞くが、確かに、不思議な話しです。教室ミクロで見てみますと、二十人いて一人とか、よくて二人ぐらいしか受かっていないとか、教室によっては0というところもたくさんある。これが大手発表の合格者数、合格率とどうもそぐわない。大手の発表は根拠がない、自己申告だから、こちらからチェックできないので、その真偽は相手の言うがままにわからない。
 
 ほんとうに「大手だから安心」ですか。あるいは「でしたか」。
 「安心」って何が安心なのですか。
  大手だったら、間違いなく合格できると考えたのですか。
  大手だったら、確実に成績を上げてくれると思ったのですか。
  大手だったら、いい先生が、そろっていると思ったのですか。そしたら自分の子をいい方向に導いてくれると思ったのですか。
  大手だったら、合格に役に立つ教材を手にできると思ったわけですか。
  大手は、たくさん受かっているから、自分の子も受かると思ったのですか。
  大手は、近くにあるので、心配が少ないとは、考えたのでしょうね。
  大手は、仲間がたくさんいるので、いいと思った親も子も多いと思います。赤信号みんなで渡れば怖くない、の心理ですね。
  漠然と大手だからと思って入った親子もたくさんいるでしょうね。
 つまり、大手とは、そういうところです。みなさんの心が作りあげた、イメージが、皆さんを安心させている。あなたたちの安心とは、その程度のものです。
 安心の根拠が、何もない。もっと言えば、あなたたちが、大手に吸い寄せられたのは、スーパーの売り出しの広告を見て吸い寄せられたのと実は根は変わらない。

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竹の会アルバム

「心の指導」「初版英語指導案」「入試数学ベーシック」「桜修館合格者の使ったレジュメのすべて」「竹の会旧プレート」
 「心の指導」は、平成9年刊の竹の会指導の実際報告書。「初版英語指導案」は、現在の完成された英語指導案の前身。「入試数学ベーシック」は平成9年頃の竹の会の指導書。現在は、高校入試「過去問撰」というレジュメとして進化している。桜修館合格者が写真に撮って送ってくれたレジュメ群。竹の会元代々木教室時代のプレート。

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