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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

大手を選んで当たり前の親子の群が歩いていた

2021.02.05

 

◎高校入試を棒に振る人たち

  脱落する中学生
 初動の失敗と字、つまり几帳面さの欠落
 まず、字がまともに書けない中学生、これは、だめというのが私の実感です。もちろんかつて字が酷い中学生はいたし、私の記憶では、2名が、都立青山に合格している。2人とも一浪して、それぞれ明治、東京理科大に進学している。
 しかし、総じてできる子というのは、読みやすくきれいな字を書いていた。少なくとも一読して読める字は書けていた。もちろん舌を巻くほど上手い生徒もたくさんいた。
 字が読めないほどの悪字というのは、知識そのものを拒絶しているようで、わたしは絶望感に覆われるような気がした。何を教えても報われない気がした。そもそもノートというものが「ない」という世界で、どうして戦えるのか、私には理解不能であった。
 字がまともに書けない中学生は、上位都立向きではないと思う。これは経験値である。上位都立に行った生徒で、字がひどかったのは、先ほどあげた青山に行った2名だけである。ただし、2人ともそのことをマイナスとしてそれなりに努力していたと思う。
 こうして、字が汚い子は、上位都立に成功する蓋然性は限りなく低い。
 高校受験は、入学前の2月、3月の2か月で決まる。これを私は初動という言葉で表現する。この2か月の過ごし方で、中学の3年間が決まる、と言っても過言ではない。
 なに、簡単なことである。この2か月で、英単語を500語覚えてしまえばいい。覚えられた子は、それからの英語の成績を保証される。中学に入って英語ができないのは、単語を覚えられなかった子たちだけである。竹の会に初動の時期に勉強のタイミングを、外した生徒は、なかなか伸びない。初動の時期の数学は、正負の数文字式、一次方程式、できれば関数まで進められれば、ベストである。理想は、中1までに中2の数学を終わらせられればいい。竹の会の記録では、中1までに中3の入試数学の標準レベルまで終わらせた生徒がいます。

 繰り返します。中学の3年間は、小6の2月、3月の2か月でほぼ決まります。
 ですからこの2か月は、一日10時間でも勉強しなければならないのです。受検が終わった後の解放感からか、この時期をのんびりと過ごしてしまう子が多いのはもったいないことです。この2か月で、将来の3年間、つまり高校入試を棒に振ることになるとは、思いも寄らないでしょう。竹の会でこの時期に来ても、適当に勉強してたら、同じことです。春休みをのんびりと過ごすのはもうだめなのかなと思います。とにかく親も子もわかっていない。親は、まだ中1だからと甘い。子は、早速部活に入って次第に部活を軸に生活を回しだす。親も、部活をやってるというと勉強を少しぐらいしなくても大目に見る。要するに、親の認識も甘いのです。中には親が率先して部活を優先させる例もありましたが、論外です。
 わたしは、こんな親子を相手にしたくない。
 というか、初動で滑った生徒を立て直すのは、並大抵のことではなく、正直そういう中学生とは関わりたくない。いくら指導しても不毛な結果しかもたらさないからだ。
 この2か月は、受検の時以上に、勉強しなければならない。もしあなたたちが、近い将来、トップ都立ないし上位都立に行きたいのなら、それはこの2か月の過ごし方で決まると思います。
 中学の失敗の原因、つまりは高校受験、つまりは上位都立失敗の原因は、まずは、初動の2か月の弛んだ生活、つまり勉強しなかったというところに尽きると思います。
 このタイミングを逸してはならない。今、成績が伸び悩んでいる中1は、間違いなく、初動でのんびりと過ごした人たちです。
 高校入試というのは、平等に課される入試問題で高い点を取った順に定数まで入学を許されるという制度である。そのために中学校というのがある建前である。しかし、学校の授業をこなしていただけでは合格に必要な点が取れないのだ。少なくとも中2まではもともと知能に恵まれた優等生たちがいい成績を取る。定期テストは中2の履修内容、レベルなら易しいから、普通に点が取れる。だから学校程度の科目で80点以上も取れないのは能力的に劣るということです。これは塾に行ってるかどうかに関係ない。ここでまずそれなりの都立に行ける子の選別がなされる。公立中というのは、8割がまともに勉強をしないから、80点取れないが勉強が大事だと思っている子たちにとっての塾は、そういう8割のできない子たちと差をつける意味あいしかない。
 私が言っているのは、普通に80点、90点を取れる子たちだ。こういう子たちにとっての塾の意味だ。
 それは、中3になれば自ずとわかることだ。中3の履修内容、もともと高校で扱っていた履修内容がそのまま中3の履修内容としてスライドしたものだ。高校受験の問題は、トップ都立の英語、数学、国語においてははるかに中学の履修内容を越えており、私立難関に至ったはさらに難しく早慶レベルになると大学入試のセンター試験レベルにもなるということである。例えば、英語の問題でも見てみるといい。あの長文の問題を50分ないし60分で読み解き、70%以上取れるかということである。ここで中2まで学校の授業に合わせて勉強していい成績を取ってきてもダメだということに普通に考えたら気がついてもいいはずだ。中3になっても同じペースでやっていて、あのような入試問題が解けるようになるとでも思っているのか、はたまた中3からの頑張りでそういうレベルに達すると思っているのか。
 のんびりとした中2までの2年間に、高校入試水準を見据えた勉強をしてこなければならなかったのである。あの水準に達するには、まず入学前の2か月が、勝負となる。ここで、のんびり過ごしたら、もう手遅れだ。数学は進められるだけ進める。英語は単語を最低でも500は書けるようにする。これが最低の、最初の仕事だ。そうして入学後は一気呵成に進めていく。普通に80点取れる子のための塾とはこのためにある。中2が終わる頃になるとわかるが、竹の会の中3には学年1番が多いのはそのためである。もっとも竹の会には、中学生はいても1人、みな中1までに、たまに中2までいても、たいていはいなくなる。部活で成績落とす子がほとんどだが、要は、勉強しなくなるからだ。将来の高校入試を見据えて、竹の会の指導に従う子は少数だ。次第に、竹の会のレジュメをやらなくなる。そうなるともう末期であり、消滅するのは時間の問題だ。中3で竹の会の指導に生き残っていること、それは、特異な例外はあったけど、成功により近い位置にきたという証しであることは確かである。

◎大手を選んで当たり前の親子の群が歩いていた
 竹の会、ん? なに? 迷惑? 
 かつて九段中学の前で、学校説明会に合わせて、チラシを配ったことがあった。竹の会から都立戸山に行った2人も手伝ってもらって、スタッフら5人ほどで配った。大手の職員たちが人員を動員してすごい勢いで配っていた。さすがに大手だけあって、中には手を振って応える親子も多かった。「今、通ってます」みたいなオーラ全開で、親も子もみなそれぞれに「もう塾は行ってます」みたいなオーラを醸し出して歩いていました。中には、そうしたビラ配りの人たちを、バイ菌でも避けるみたいに、見向きもしないで、真っ直ぐ前を見て進む母子など様々であった。
 そういう中で、竹の会が、一顧だにされることはなく、「竹の会です」と言っても、竹の会、ん? なに? 迷惑? という感じでした。

 竹の会のような小塾では、なんらかの方法で竹の会といったものを知ってもらいたい、ただそういう気持ちでしたが、大手志向の親たちには胡散臭いものとしか目に映らなかったようです。
 全く知らない、聞いたこともない、そういう中で、チラシを配るのが、アホらしくなって、翌年から止めました。
 あのとき、思ったのは、大手に迷わず、大手を一直線の、親子の、近寄り難いオーラでした。
 あの親子のどれだけが、大手で成績を伸ばし、成功したことやら、知りたくもないけど、まあ、8倍の世界で、落ちるのが、普通なのだから、問題は、圧倒的多数の落ちた子たちのその後であろうか。どれだけの子がしっかりとした基礎学力をつけられたか、であろうか。落ちるのが、当たり前の試験なら、適性、作文といった対策を謳って、基礎学力を疎かにし、適性類似問題ばかりを解かせる、それで1年、2年を潰す、さあ、落ちて、区立中へ行く、ところが割合はろくに勉強していない、計算も訓練してこなかった、そういう状況で、2月、3月、ワッと遊ぶ。もう、終わってますよね。
 竹の会を無視してきた、大手信奉者が、どうなろうと知ったことではありませんが、・・・
 ただ1年なり、2年なり、大手で過ごした、真面目で頭のいい子が、時折り、竹の会に入会を申し込んでくることがあります。そういう子の入会を許すことがあります。真面目に勉強する子は竹の会に来て、自分が遅れていることを悟るのも速い。遅れている分、頑張る。それでそれなりに力をつけていく。そういう賢い子というのは、みな一様に、「もっと早くから竹の会に来たかった」と言いいますね。不思議なんですが、みな同じことを言います。
 竹の会とは、そういうところなんですね。

 低学年のときに竹の会の名前は知っていてもみな大手に行ってしまいます。そして後で竹の会を知って、竹の会を通過したこと悔やむ、いつも変わらぬありのままの事実です。
 かつて竹の会を振り向くこともなく、大手しか目に映らなかった親たち、私は、心の中で、「竹の会をあなたたちは知らないんだ、竹の会はいい塾ですよ。本当にあなたたちは入ったらびっくりする。もうほかにこんな塾はない、ときっとわかる」と思ったものでした。私が、「竹の会がこんなにいい塾なんですよ」と言っても、そう私が言っても、一笑にふされる、そう思いながら、「どうしたらわかってもらえるのかな」、「竹の会は本当に素晴らしい塾なんだよ、凄い塾なんだよ」と呟く。心を吹き抜ける寒風に心は折れてとぼとぼと夜道を歩いた。いつか、わかってくれる人に出会えればそれでいいか、もう竹の会を広めることは止めよう、もう歳をとってしまった、今は、竹の会を理解してくれる人、私を慕ってくれる子たちのために、尽くせばそれでいい、竹の会はもうすぐ終わる、東京から竹の会が消えていく日がくる、そう思っても私は、命尽きるまで、子どもたちと過ごしたい。
 竹の会、私の竹の会、わかってくれる、理解してくれる、信頼してくれる人が、いた、いる、それだけで私の竹の会は満足でした、そう思います。
 
 

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