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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

小石川、両国、白鷗、富士、大泉/都立青山/小3という時期、小4という時期

2019.04.12

 4月12日(金)になりました。本日は一日曇りのようです。気温は低め。油断して薄着をすると体調を崩す時期です。わたしは去年の5月初めに冷気にやられて喉の痛みから中耳炎に飛び火してしまい、激痛が治まった後も一時的にですが、聴力が落ちてひどいめに遇いました。もうすぐ5月の連休ですね。わたしは次の受検を見越して、この4月は、一日5時間の勉強を、休日には最低でも7時間の勉強を期待しています。5月の連休はまとまった勉強をする最高の機会です。是非勉強に専念してほしいと願っております。

◎4月補充募集、対象 小4 小5
都立中をめざす、小5について、2名を募集します❗️ 仮合格者の退塾に伴う補充募集です。
小4につきましては、7月まで受け入れの予定です。
お問い合わせは、HPのお問い合わせフォームから、
予定数に達した時点で、募集を終わります。

新学年募集状況
小3 申込受付、入会試験L基礎
小4 受け入れ中。入会試験L中級
小5 4月補充募集中! 都立中受検は入会試験α
小6 高校受験 入会試験β

中学生についても、受け入れることがあります。お問い合わせくださればスタッフが対応します。

8割基準を満たす小学生は竹の会へ!
竹の会が、合格へ道案内いたします!
8割基準とは、小学校の通知表の3段階評価のうち「よくできる」が、全体の8割以上あること、を言う(これは、竹の会の造語です)。
8割前後が、竹の会入会の目安となるかと思います。

◎小3という時期、小4という時期〜手遅れに鈍感な親が泥縄顛末にならないために

 かつて高校受験を専門に指導していた頃、時折訪れる小4に手を焼いた。特に、男の子は、集中できなくてなだめすかして勉強に気を向けさせることでほとほと疲れ果てた。これが小3となるともう無理と当時の私は確信していた。
 当時の私は、高校受験が専門で、中学受験は頼まれればやる、という姿勢でしかなかった。確かに、首都圏の中学受験の過去問はほとんど解き尽くしていた。だからどんな問題も解ける自信はあった。しかし、私の解法は、どうしても数学的なアプローチをとりがちで、小学生には、難解だったと思う。算数で解くということの面白さに目覚めたのはずっと後のことだった。高校受験をやっていると高校入学後もということもある。そうするとますます数学に磨きがかかる。特に、平成10年〜16年は、大学受験の指導に関わり、東大や慶應のための数学を磨き、同時に英語も東大教養課程の英語教科書を使用したりして、かなり高レベルにあったと思う。私が本格的に算数の指導研究に関わるのは、おそらく平成18年に九段志望の小6を指導した時からであったと思う。まず計算を完全にマスターさせてから、指導に入るスタイルは、不変であったが、当時は、割合は、塾専用教材を取り寄せて使っていた。しかし、そうした教材が、様々な能力段階にある小学生に使えるはずもなかった。あの頃だった。割合を理解できない、多くの小学生の存在に暗澹たる思いを抱き、なんとか開明的教材を開発しなければ、いやしたいという思いは日に日に募るばかりで、いつしか私は、算数の研究、特に、割合指導法の研究に没頭することとなった。

 あの頃は、寝ても覚めても紙と鉛筆を手に算数の問題を解き、アイデアを書き留め、割合指導法を具体化したレジュメを指導のたびに試しては改良した。鞄にはいつも難関中学の過去問を入れていた。どこでも隙間時間があれば、問題を考え、解いては解法をまとめた。割合指導のレジュメはもうそれは何十種類も作った。その中で、平成23年指導の算数に開眼しつつあった小6の男子二人が、私がある日使ったレジュメが「とてもわかりやすかった、あれで割合の考え方がわかりました」と言ったのが妙に頭に残った。わたしは、それからそのレジュメをさらに進化させた。さらに様々な工夫を加えて、遂に完成したのが、わたしが、ミクロマクロ法と名付けた、割合理解法であった。私はそれから、一気に、算数の指導の根幹となる基本の体系を作りあげていった。次から次に、新作のレジュメ集を執筆した。この算数体系が、完成するのが、平成24年であったか。平成24年は、さらなる記念の年になった。この年に書き始めた、レジュメが、以後の竹の会の指導レジュメの初シリーズであった。最初に、執筆したのが、「竹の会入会試験」シリーズ。これは最初入会試験として執筆したレジュメの続編を執筆しているうちに、シリーズ化したものであった。このレジュメシリーズが、画期的であったのは、それまでワードで制作していたものを、数学レジュメを作る時にしか使わなかった数式ソフトを使ったことであった。微細な図を駆使して、カラーを多用し、これまでにない、芸術作品に仕上がった。実は、この数式ソフトを使って、平成17年から、高校受験指導のためのレジュメ体系の執筆に取りかかり、平成19年完成、20年に、このレジュメで指導してきた女子を都立西、豊島岡女子に合格させた経緯があり、このレジュメ製作の経験を小学指導にも使えないか、とずっと考えてきた。そのきっかけとなったのが、入会試験であった。私は、一問一問、問題レジュメと解説レジュメを製作していった。解説は、まず問題を解いて、それを解説の叩き台として、創意工夫した、アイデアと想像を働かせて、子どもたちが理解に苦しみそうなところは、斬新な図を考案して、解説は、簡にして要を得た文を心がけた。レジュメの説明文に限らず、指導に際して、子どもたちに、説明する、というのは、高度な技術を要するものである。私の場合は、一言で決めることをよしとした。その一言は、核心を突いた一言でなければならない。よく勘違いしている人がいて、「うちの塾の先生は、説明がうまい」とか言う母親などの会話を耳にすることがあるが、説明というのは、絶対的にいいとか、悪いとか、言うものではない。説明するには、まず子どもの脳段階、理解のステージというものを踏まえてというか、設定しての説明でなければならない。だからある理解段階にある子どもに説明するのは、その前段階までの理解を踏まえての言葉なのである。その前段階の設定がない子にする説明は本来無理なのである。だから、説明したがって理解というのは、まず理解の設定のための土俵造りから始めて、その土俵に即して説明していくものなのである。
 私が、小3、小4早期からの指導を提唱するのは、このステージ作りないし土俵造りの早期開始の重要性を切実に痛感しているからである。
 事は知能の問題に関わる。子どもの知能、すなわち遺伝子的なものは、思春期あたりから最大化していくことがわかっている。人は生まれながらの、もって生まれた知能によって規定されている。つまり、少なくとも小学6年まで知能は訓練によるところが大きい。この訓練の開始は早ければ早いほどいい。もともと遺伝子的に恵まれた子ならその開花を早めることはもちろんである。並みの子、凡才児なら遅いのは致命傷になる。ただこの凡才児は、長じるに従って、早期訓練の効果も薄れて次第に凡人にもどる。よく女の子が早熟で勉強がよくできるのに、中学に入るとただの凡人になるのも同じ文脈である。もちろん遺伝子のいい女の子は、ますます伸びていく。よく中学2年まで塾に行かないのにトップの成績で、中3になって塾に通い出したけれど、並みの都立に行った、という話しを何度か聞いた。受験に行かないのに中3までトップで日比谷に推薦で入ったという女子2人の話しもある。遺伝子的要因は最強ということである。
小3の指導
 分数のかなり込み入った四足混合演算も早い子で1か月、遅い子で3、4か月で完全にできるようになる。なぜ小6になるまで、やらないのか、不思議な話しである。割合を学ばせるのも早い段階がいい。これはそもそもの思考訓練には、割合の概念構造が、適しているという偶然がある。この割合を通して、様々なコペルニクス的発見に、つまり理解に到達する機会に恵まれる。発見というのは、言葉を言い換えれば、「深い理解への到達」のことである。学問というのは、発見であるという意味がわかるときがくる。私がもう二十数年前に執筆した「入試数学ベーシック 100問」のサブタイトルは、「発見の視角」であった。数学の問題というものが、ある隠された原理の発見によってたちまち難解が瓦解する瞬間をわたしは問題を解く過程において体験してきた。何か示唆的な糸口からその問題の背後に隠された原理を発見する、出題者の意図を見抜くのである。頭の中を目まぐるしく原理が廻る。相似、外接円、等積変形、角の二等分線→2辺の比、出題者がどういう原理を問題化したかが、見えてくる。
 割り算の定義、割り算の真の意味の発見、割るということの真の意味の発見、そうなのである。小学生の脳を早期に開発するというのは、未分化で、幼稚な段階の脳に、様々な、手強い概念を植え付けるという、困難中仕事である。方法は一つ、ひたすら訓練する、こと。概念、定義を反復で叩き込む。彼ら彼女らが、「発見」という高度な思考の愉しみを知る段階に到達するまで、これは根気のいる仕事である。
小4早期の指導
 いやこれまで述べてきたこと、そのままである。この初期段階の指導が「ない」子たちを指導することの困難性については、これまで私がこのブログで再三にわたって述べてきた通りである。大手塾で、もともと恵まれた才能を開花させる天才、それはほんの一部に過ぎないのだが、そういう天才がいるのは確かである、大手だからそういう天才を集めることができるのであるが。ただ大多数の子たちは残念ながら天才ではあり得ない。大手の天才を基準に進める授業、カリキュラムに潰されることは必至の子たちが大多数である。大手の求める膨大な知識偏重の指導姿勢は、いずれ大多数の子どもたちに、消化不良をもたらし、精神不安定、自信喪失を植え付けられた、とりあえず暗記で凌ぐ、使い物にならない、子どもの大量生産をすることになる。
 わたしが、小5、小6で、出会った、大手に行かなかった、まだ粗野な、隠れ天才脳、そういう子が、その後の、人の何倍もの努力をして、成功を勝ち得た、竹の会に、遅くに来て成功した子たちの真実は、正直に話せば、こうなる。いや例外はある。並みの能力でありながら、類い稀なる精神で、成功した、少数の子たちもいた。あるいは、私の予測を、いい意味で裏切り、合格したという凡人たちもいた。小学生の受検ほど予測の難しいものはない。

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