画像
都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

小石川、両国、白鷗/戸山、青山/「心の指導」再掲/その他

2019.06.18

6月18日 火 晴れ

令和元年六月十八日

目次

第1章 「心の指導」から「新心の指導」へ 新連載

第2章  勉強姿勢を見ればすでに合否は見えている

第3章  観察の研究

第4章 事実の裏づけ、裏を取る思考

第5章  割合講義2

 第1節  理解を深める割合問題

 第2節

 第3節 物差しで測る

 第4節  割合と集合

第6章 父さんは、母さんに会えただろうか


第1章 「心の指導」から「新心の指導」へ 新連載
平成9年晩秋発行の「心の指導」を最近読み返して見た。当時の私が何を考えていたのか、そんな好奇心からだった。それで思いたって、皆さんに、今でも生きている内容について転載、論評してみることにした。
なお、 会員の親御さんには、ご希望があれば、無償にて差し上げております。いつでもお申し出ください。
⭐️

心の指導 
はしがき

『 竹の会指導論集1 』が出たのは、 一九九一年の九月のことでした。「 1」となっているのですから、「 2」を出す含みがあったわけです。 実際、 私もそのつもりでした。しかし、 現実の指導の中ではっきりとした確信をもてないことのほうが多くとても何かを書ける気持ちにはなれませんでした。 悩み苦し みながらも、 入試を成功させてきたのは、 幸いでした。 指導の実践を通し て私も何が問題なのかということが次第に見えてきたと思うのです。 ずいぶんといろいろな書物を読んできました。 いつしか私の指導理論は新たな展開をしていたのです。 子どもの心をじっと見つめ続けることに何か安心感みたいなものを覚えました。 西岡棟梁( 西岡さんについては本文をお読みください )の言葉を借りて言えば、 子どもはみなヒノキです。 私は生育しかけたヒノキにふりそそぐ 太陽です。 いや太陽のようにありたいと思っています。 母親が土壌であるのなら、 私は生育し てくるヒノキに日をそそぐ 太陽になりたい。 樹齢千年のヒノキが、 千三百年もの間、 法隆寺を支えてきました。しかし、 ヒノキならみな千年持つというわけではないのです。 大切なのは土壌なんです。 厳し い条件のところで二千年以上のヒノキが残るのです。 母親が土壌であるということの意味は深い。 土壌が悪ければ中が空洞の木が育つのです。 法隆寺を造った飛鳥の工人は千年先を考えてヒノキを使いました。 耐用年数だけとっても現代の建築は飛鳥に遠く及びません。 すべてにモノ、 カネが優先です。 科学技術の発展はジワッジワッと私たち人類の生命を縮めているのかという憂欝な気持ちが心を暗くします。 私たち親が死んでしまった後の二十一世紀、 子どもたちは樹齢千年のヒノキのように生きていけるのでしょうか。

 遠く飛鳥の昔からあった自然を次から次へと破壊し てゆく現代人たちが、 その心において飛鳥に遠く及ばないのです。木だって考えています。「 自然の中で動けないのですから、 生きのびていくためにはそれなりに土地や風向き、 日当たり、 まわりの状況に合わせていかなければなりません。 」

「 いつもこっちから風が吹いている所の木でしたら、 枝が曲がります。 そうすると木もひねられます。 木はそれに対し てねじ られないようにしようという気になります。 これが木のクセです。 」( 西岡 )

それぞれに育った環境の違う子どもたちには、 それぞれにクセがあります。 そのクセを見抜いて指導することが大切なのです。

子どものクセは、 生きのびるためにできたものです。 少し でも太陽の光が多くあたるようにと必死に生きぬく中からクセができてくるのです。もし、 いつでも日の光が十分に用意されていて、 風も雨もない温室みたいなところで育った子どもはひ弱でクセのない子です。 風や雨に抵抗する力、 生きぬく力を持たせるには、 自然に任せるしかないのです。

子どものこの抵抗する力こそが子どもが生きぬくために自ら考えようとする契機となるものではないかと思うのです。

私は子どもたちが樹齢千年のヒノキのように困難に抵抗しながら強くたくましく生きぬいてほしいと思っています。 千年のヒノキを育てるような気持ちで指導できればと思っています。 私の指導の心です。

この本には『 心の指導  竹の会指導の実際 』という名前をつけました。 表紙には「 母親必読書 」とありますが、 この本は私から母親たちへのメッセージなんです。 子どもを独り立ちできるように一所懸命に育ててるお母さんたちへの心からの敬意をこめたメッセージです。

思えば『 指導論集1 』から七年の歳月を経て、 実質的な『 指導論集2』を出すことができたことになります。 私の心には私の竹の会をもう後何年も続けられないという思いがずっとくすぶり続けていました。 いつか私が竹の会と別れを告げたとき、 指導の証とし てこの『 心の指導 』を残し ておきたい。 私の指導の足跡を残し ておきたいと思います。 みなさんに私のこの拙い文章の数々を読んでいただければ、 わたしにとってこれほど うれし いことはありません。

平成九年 晩秋

阿部 雄彦

*長い問使ってきた「 阿部竹彦 」という名前は実は本名ではありません。 正しくは雄彦と書き、 たけひこ、 と読みます。 竹の会を始めるとき、 母から「 竹 」という字がいいといわれたので使っただけなのです。 母は非常に信仰に厚い人で、どこやらで私のことを調べてもらい、「 竹 」という字を使えば塾が大成功すると聞いてきたらし いのです。ど うやら私は「 教える 」という職業が天職らしく、 塾の申し子みたいなことを言われたらし いのです。 私は合理的な考え方をする人間であまりそういう考えにはついていけないのですけども、 とにかく母の言うとおりにしました。 竹の会というのは、竹彦だからそうしたというつもりはなく、 何かいい名前はないかと何日か悩んでいるうちに、 朝目が覚めてひらめいたのが竹の会だったというだけのことなんです。

IMG_3809   IMG_3810  IMG_3811 

第2章  勉強姿勢を見ればすでに合否は見えている

 学ぶ姿勢とは、礼節を知る賢さを言う。賢明な者には、学ぶということは、自然慇懃、謙虚を呼び起こすことであろう。教えを乞うというのは、そういうことである。学ぶ者に師に対する敬愛の念がなければそもそも指導というものは成り立たないのである。師の言葉に畏敬の念を持って耳を傾け、師の指示には素直にしたがい、決して自らの、未熟な考えを持ち込まない。自らの考えを是とするなら最初から師などにつく必要などなかったのである。自分のやりたいように、気が済むまでやればいいのである。
 傲岸さは幼さでは帳消しにはならない。慇懃無礼もさることながら、無礼な態度は、師を冒涜しながら利益だけ手に入れようとするものであり、そういう功利的な動機、狡猾的な動機の人間は、商売人を相手にすればいいのであって、少なくとも師に教えを乞う資格はない。
 竹の会の過去の合格者を見てみると、傲岸な人間が、受かった例はない。合格した者は礼を弁え、師の影を踏まぬ精神において、例外がない。師の軽口に、調子に乗って、師を揶揄うバカが受かるわけもない。合格する者は、礼を知るから控えめであり、師の心を思い遣り、節度を弁える。

注 ごうがんふそん【傲岸不遜】
(名・形動)[文]ナリ 
自分を偉い人間と考えて、相手を見下した態度をとるさま。

 己の愚かさ、小ささ、弱さを悟らない、傲岸不遜な人間になるな!
 自然に畏敬の念を持ち得ない愚かな人間にはなりたくない、学問の深遠さに気づかない愚かな人間になりたくない。
 さて、こうして、勉強姿勢を見れば既に合否は見えている、

第3章  観察の研究
 よく見ろ!よく読め!
 先入観念に囚われて、つまり何かを決めつけて、見てはならない。虚心坦懐に見る。色眼鏡をかけて見ない。事実を見るのである。動きを見るのである。静物を見る。風景を見る。神業で見る必要はない。動体視力を働かせることもない。とにかく事実をありのままに、あるがままに見るのである。鳥瞰する。全体を見る。風景を見る。形を見る。大から小に目を配る。動と静を見る。性状を見る。色を見る。数を見る。
 言葉に騙されない。言葉にまどわされな。事実のみを見る。
 関心を持って事実を見直す。
 普通ならこうあるべきなのになぜそうなっているのか。
 普通でないところを見る。
 あたりまえと「考えて」見ないところが、危なない。見逃すのはたいていこんなところである。人間というのは、省力化、単一化するのが、楽だから、「あたりまえ」という篩にかけて、あたりまえではないものに注意を集中する。これは本能的にやる。人間は普段は頭を使わないのが楽なのである。頭を使うというのは、人間にとっては本当に消耗することなのである。だから頭を休めようとする。何もしないのは楽だからです。人間というのは、本能的に、怠け者です。この一線が大事なのです。人間は、本能的に、怠けるとすれば、つまり楽に走るとすれば、楽に走らない仕掛けがどうしても必要になる。生活のためとか、将来のためとか、親のため、子どものため、恋人のため、楽に背を向けて、苦難の中に身を投じる。せめてもの救いは、人間は、苦難の中に、生きる意味、生き甲斐を見つける天才なことである。いや、逆なのかもしれない。まず、生きる意味、生き甲斐、やりたい職業が決まっていて、その道に進むことが、苦難の道ということであったのかもしれない。少なくともとも人間はそう考える傾向がある。
 さて、話しは、観察に戻る。
 こういう話がある。ある大学で、有名な医学部の教授が、新入生たちに、実験を指導していた。教授は、観察の大切なことを説き、学生たちに、私のやるとおりにやりなさい、といって、シャーレの中に汚水を入れて、人差し指をシャーレの中に浸した。それから、徐に指をペロリと舐めた。学生たちは、戸惑いながら、同じようにした。そこで、教授が言った。君たちは、汚水を舐めたのか! 私は確かに人差し指をシャーレの汚水に浸したが、舐めたのは中指だった。
 事実の観察とは、事実をありのままに見ることだ。頭の中で「こうやった」と勝手に思い込むのは、事実の観察ではない。学生たちは、指を観察してはいなかった。指が、動くのは、見たが、どの指が動いたのかについては、頭の中で、当然に人差し指と考えただけであり、見たわけではない。
 このように、観察というのは、簡単なことではない。人間というのは、あたりまえと考えたことは、見ない、頭の中で、あたりまえを繋ぐ。観察においては、このあたりまえが、正確な事実の観察を不可能にする。

第4章 事実の裏づけ、裏を取る思考
 噂話は百害あって一利なし。刑訴法では、伝聞の証拠価値が低いのは、信用できないからである。伝聞というのは、例えば、太郎が、「権次が、あの晩、家に行ったら、弥右衛門を殺した、と言った」と証言すれば、権次が「言った」というのは、直接証拠であるが、「弥右衛門を殺した」という部分は、伝聞である。憲法及び刑訴法では、伝聞証拠は、反対尋問を経なければ証拠として採用されない、とされている。そこで被告人は、証人太郎を反対尋問する。証拠法については、間接証拠、つまり状況証拠の証拠価値の問題もあり、専門的な話しがここでの目的ではないので、ここまでにしておきます。
 さて、世の中の皆さんは、噂話というのが、先の伝聞の比ではない、誰が言ったのかも定かではない、反対尋問などできるわけもない、それほどに不確かなどことだということをまず理解していない。だいたいネットニュースだって、出所で信頼を担保するしかない。例えば、朝日だから信用できるか、こう考えると、自信がなくなる。
 フェイクニュースが、公然と人を騙す時代である。
 事実という根拠、これだけを信じる。政府機関の広報は、そのまま鵜呑みにできない。朝日なども、報じない。隠すから、信用できない。わたしたちは真実を知らされない、という意味の難民である。不都合な事実はすべて隠される。
 そんな難民が、噂話に振り回されるのは、愚民の裏返しであり、権力者にとっては、喜ばしいことである。噂話の内容は、たいてい芸能人の結婚、離婚、不倫、艶聞、恋沙汰、末路、破滅など、愚にもつかない話しで、庶民の憂さ晴らしにはなるかもしれないが、国民が大方こんなことに一喜一憂してくれることほど権力には嬉しいことはない。隠せるからである。
噂話には、裏がない。取材をしないジャーナリストは、ジャーナリストとは言わない。自分で事実の裏を取らないで、報道するなんて、こんないい加減な話しはない。福島の原発事故の時、大新聞の記者たちは、福島第1原発から半径80km内には入らない、と決めた。中で取材したのは、フリーランスの記者で、大新聞は彼らから記事を買った。危険を冒さない、取材しない、エリート記者、それならまだいい。真実を報道しない記者、新聞、こちらの方が問題だ。

第5章  割合講義2
第1節  理解を深める割合問題
1 太郎さんが耕している畑は、隣の権次さんの畑の15%です。権次さんは、畑の18%にあたる54m2を使ってナスを栽培しています。太郎さんの畑は何m2ありますか?

2  乙子さんの家では、庭に池を作ることにしました。庭の12%にあたる180m2は、花壇として、使われています。池の大きさは、庭の1%くらいにしたいと思っています。

①池は何m2ですか。また、花壇には、200本の赤い色の花の苗を植えましたが、今は、まだ24本しか開花していません。開花している赤い花は、何%ですか。

3  ある劇場では、全300席のうち24席を特別席としています。ある日の観客数は、240人でした。

①特別席は、何%用意されていますか。

②ある日の観客数は、全座席数の何%にあたりますか。
別の日、同じ学校の小学生36人が、座席にいましたが、これは、その小学校の全人数の18%にあたるそうです。この小学校の全人数を求めなさい。

第2節
 スズメさんは、うがいをするために、食塩水を作ることにしました。4%の食塩水とは、全体を1として、その 1を0.04と0.96に分けて、0.04を食塩、0.96を水としたものです。食塩が、全体の、つまり食塩水から見てどのくらいの割合になるか、を表しています。
もし、この食塩水が、400gあるとしたら、400gを1とすると、0.04にあたるのが、食塩ということです。
ここで、400gを1と見るとは、とにかくなんでもかんでも400で割って、表すということです。言い換えれば、1/400に縮小させて、見るということです。また、別の言い方をすれば、400を1とした物差しで、測る、 ということです。
そもそも割り算というのは、割る数を1と見たら、割られる数は、どう表されるか、を示す計算なのです。1÷400=0.0025とは、400を1と見た場合に、1は、0.0025と表されるということを示しています。

割合の物差しは、測る物に合わせて、作ります。つまり、割合の1というのは、みな大きさが違います。
割合の物差しは、いつも1を物の大きさに合わせていますが、1の大きさは、みな違います、
だから、Aの1とBの1では、同じとは、限らない、のです。
もちろん同じ大きさの物なら、1の大きさも同じですから、物差しの目盛を足したり引いたりできますが、普通は、そんなことはないので、計算できません。

第3節 物差しで測る
180㎝の銅像があります。この銅像に合わせて、物差しを作ります。
作り方は簡単です。180㎝と同じ大きさの棒を用意して、180㎝のところに1とメモリを書き込みます。メモリは、100等分でいいでしょう。もちろん1000等分でもいい。そしたら、物差しの0.5のメモリは、銅像の何センチにあたりますか。

180㎝をメモリ1とするということ
99㎝はメモリいくらですか、
簡単です、とにかく180で割れば、メモリができる、
90のめもりは、90➗180で、0.5です、
36㎝のメモリは、36➗180で、0.2のメモリですね、

18㎝のメモリは、18➗180で0.1です、

さて、今度は、逆をやってみます、
メモリで、0.7は何㎝か、

この場合は、メモリ1にあたる180㎝に0.7をかければ、いいのです、
180✖️0.7で、いいですね、

今度は、メモリ0.15で、27㎝とわかっているときに、メモリ1にあたるのは、何㎝か、求めてみましょう、

このときは、
27➗0.15でいい、

割り算の話しに戻ってみます、
実は、元にする量、メモリ1にあたる数で、なんでもかんでも割って、メモリを求めました、
あれは、例えば、元にする量400を1と見るというのは、400分の1に縮小するということですから、
27は、縮小されて、0.15になったのです、
ですから、27➗0.15
をやれば、どのくらい縮小したかがわかります。180分の1、ですから、メモリ1にあたる数は、180と分かるのです、

問 1
メモリ0.12が、24kgのとき、メモリ1にあたる量は、何kgですか、
問 2
メモリ0.35が、700haのとき、メモリ1にあたるのは、何haですか。
問 3
メモリ0.14が、28m2のとき、メモリ1にあたるのは、何m2ですか、
問 4
3000円を測る物差しのメモリ0.7は、何円ですか、
問 5
5000円をメモリ1とすると、1000円はメモリ何か。800円はどうか。

第4節  割合と集合
比べる場合には、二つある。
非包含関係の場合の割合
比較関係。単純に二つのものを比較する。どちらがどちらの何倍か。もちろん倍率は、%で言い換えることもできる。
割合とは、比べること。比べるとは、割り算をして、何倍か、を調べること。比べる場合は、元にする量の何倍か、を考える。それには、元にする量で、割ればいい。なぜ、元にする量で割ると、倍率が、わかるか。
その前に、倍率とは、何か。
元から見て、元の何倍か、ということである。元を1として、その何倍か、ということである。
1.2倍とは、元を1として、元の1.2倍という意味である。
割るという行為の意味
割るというのは、対象を「何等分する」という意味がまずあります。
この考えは、分数の思想です。
もう一つ、元が対象に何個入るか、そういう思想もあります。これが、倍率の意味です。
大きい数を小さい数で、割るというとき、「その何倍」というのが、イメージしやすい。それでこの場合は、普通は、何倍で表します。なお、イメージできるというのは、理解している、ということです。商(割り算の答え)は、1以上の小数になるのが、普通です。
しかし、私たちが、日常生活で、使う倍率は、小さい数を大きい数で割る場合が、普通です。包含関係の場合の割合ですね。
大きな数の立場からすると、おまえは、俺の何分のいくつだ、というわけです。商は普通、1より小さい小数になります。この割り算の商は、俺が小さなお前の中に、どれだけ入るか、ということですが、そして、俺を1とした場合、お前が0.20となったときは、お前は、俺を1としたら、その0.2分しかない、ということになります。体の一部分、つまり足だけ分くらいは、入るということです。
ところで、この場合、つまり、倍率を計る場合の、割り算というのは、結局、割る数を1としたら、割られる数は、いくらになるか、という計算をやっているわけです。割り算の答え、通常「商」といいますが、それは、割る数を1と見たときの、割られる数の大きさを表しています。割る数を1としたとき、割られる数が、0.2と表される、割り算の計算というのは、そういう意味の計算である、ということです。
つまりです。
20➗100=0.2
というのは、
0.2➗1=0.2
を計算している、ということです。
これは、100を1としたら、20は0.2と表される、ということです。
つまり、100分の1に、縮小して計算している、
わたしたちは、いろんな数の割り算をやりますが、割り算の式というのは、式の中にしかけがあって、上のように、自動的に、割られる数と割る数を縮小して計算している。
この場合の縮小率は、割る数のそれです。
125➗50000
なら、50000分の1に縮小して、
すなわち、
(125➗50000)➗(50000➗50000)
=0.0025➗1
こういう操作を自動的にやっている。
これが、計算式に内蔵されたしくみです。
私たちは、知らないうちに、割る数を1で置き換えた計算をやっている、ということです。
ですから、割り算というのは、自動的に、割合を出している。
割る数を1として、つまり、割る数を基準にしたら、割られる数が、1の何分の1か、そういう計算をしている。
割合というのは、割られる数が、小数で表された時の意味の取り方のことです。
例えば、0.12というように、割られる数が、表された時、どう読み取るか、です。読み取り方のルールを定義します。0.01を1%と読むことにします。これは、小数を100倍して、パーセントと単位をつけた。なぜこんなことをするのか。
これは、すべてA4の紙を1として、分布を表せるからです。どんな大きさもこの紙一枚に分布図をかける。日本の人口の分布図も、あなたの学校の生徒の分布図もA4の紙目一杯使って表せる。日本の人口は、1億ちょっとだけど、学校だと千人前後、だから、大きさを比べたわけじゃない。何がわかるのか、分布がわかる、割合がわかる、男と女の割合とか、爺さんと婆さん、子ども、おばさん、おじさんが、全体から見てどんな割合かわかる。塗り絵的にわかる。そうなのだ。割合というのは、全体をA4(なんでもいいのだが、こう言ったほうがわかりやすいでしょ)の紙一枚に表して、分布図にしたもの、ということです。塗り絵にしただけです。日本の人口の内訳もこのA4の紙一枚に分布図で、表せる。塗り絵にできる。
塗り絵の作り方、なに、これは簡単ですよ。
まず、全体をA4の大きさにする。1とするわけです。それには、とにかくすべて全体で割る。それだけですよ。日本の人口の塗り絵を作りたいなら、日本の人口を1億として、後は、男の人数、女の人数、婆さんの人数、保育園児の人数、なんでもこの1億で割ればいいだけです。
男が6000万人いたなら、これを1億で割る。すると、0.6になる。女は、0.4になる。これで、A4の紙に、線引けば、男と女の割合、つまり塗り絵がかける。学校の生徒が1000人で、男子が600人なら、1000で割って0.6、同じになるけど、日本の人口の塗り絵と学校の生徒の塗り絵は、別物です。

第6章 父さんは、母さんに会えただろうか
 父さんが死ぬ前の日のこと。仏間のベッドに横たわっていた父が、弟の嫁に言った、そうだ。「上、上へ行く」。義妹は、慌てて、「お父さん、ちょっと待って、〇〇さんがいない。もう少し待ってください」。それから慌てて弟を呼びに行った。父さんは、翌日の夕方息を引き取った。上へと行ったのだ。私が、父さんと別れた日も、手を組み、拝むように天を仰いでいました。死を覚悟し、お迎えがくるのを静かに待っていた。父さん、私はあなたのようにはなれない、とてもなれない。あなたが、深い信仰の中にいたから、できたことなのでしょうね。阿部家は浄土真宗です。父は200万もした金ピカの仏壇に毎日お経をあげていました。お墓は、数百万円はかけたでしょう。月に2回必ず掃除に行きました。弟は、跡を継ぐために、様々な作法、お勤めについて教え込まれました。父と弟が京都の西本願寺に行き、法名を賜わり、二人で、比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺などを巡礼したことは、二人が仏の道を歩む、真剣な信心がわたしには伝わりました。毎朝の勤行、神棚には、いつも榊を備えていました。「いい、榊があった」とよく喜びながら帰って来ましたね。灯明は危ないというので、やめました。
⭐️
さかき【榊・賢木】〔栄える木の意〕
①神域に植える常緑樹の総称。また、神事に用いる木。
②ツバキ科の常緑小高木。暖地の山中に自生。高さ約10メートル。葉は互生し、長楕円状倒卵形。濃緑色で質厚く光沢がある。六、七月、白色の小花を開く。枝葉を神事に用いる。〔「榊の花」は[季]夏〕→ひさかき
③源氏物語の巻名。第一〇帖。

榊は、さかきですね。父さんは、「しゃかき」と、呼んでいたように思います。

まだ父も母も元気な頃は、お茶の間で、お茶を飲みながら、いろいろ話しをする、何気ない日常が本当に大切に思えました。父さんは、囲碁を打つために、碁会所に出かけ、母さんは、体が不自由になってから、いつも一日、ベッドで過ごしました。暗い部屋で電気もつけないで、テレビも見ないで、一日何を考えていたのでしょう。冬は、父さんに気兼ねして、暖房もつけなかった。私が買ってあげた、オイルヒーターもホットカーペットも、電気代を気にして使わなかった。私が一緒にいたら、そんな思いをさせないで済んだのに、私は心を痛めた。白血病であっという間に逝った母さん。今度は、父さんが逝った。母さんも、10年余父さんを待ってようやく二人でお茶を飲みながら、私たち子どものことを話しているだろうか、T(弟)は、毎朝仏様に榊、お経、お茶、など欠かさないでやってくれているだろうか。月命日にはお寺さんを呼んで供養してくれているだろうか。H(姉)は、元気にやってくれているだろうか。頚椎の病気はどうなのか。雄彦は、頑張っているのだろう。体は大丈夫か。雄彦ももう歳をとったからな。父さん、母さんの話しは、私たち子どものことばかりに違いない。父さんは、阿部家のことを心配して死んで逝った。死ぬ間際まで、阿部の家を守れと弟に言い遺していた。
 父さん、母さんが、生きていた、あの頃は、もう帰って来ない。あの頃、あの時、あの瞬間の一コマ一コマが鮮明な映像で私の記憶の中に蘇る。母の息遣い、父の咳き込む映像が、鮮明に蘇る。母が笑い、父が笑う。あの時間の、あの空間が、再び訪れることはない。父さん、母さん、あなたたちの、死ぬ覚悟は、誠にあっぱれなものでした。死に、際して、何か隣にちょっと出かけるような、そんな感じでした。あなたたちは、十分に、別れの必然、運命を悟り、定めに、逆らうことなく、受け入れて、天の定めにしたがいました。
あなたたちは、とても立派でした。
悲しみに耐え、死を受け入れて、あなたたちが、愛して止まなかった、私たち子どもと、別れて、死に臨む姿は私にはあまりにも胸に突き刺さる痛みでした。あなたたちは死の訪れたことに苦痛、悲痛の思いを表情に表し、やがて諦め、受け入れ、淡々と死に、まるで隣に行くように、出かけて行きました。母さんが、「たけちゃん、風の里(葬儀場)は後で温泉にも入れるよ」と言った言葉が耳から離れません。父さんが、「上へ行く」と言った、そろそろ行くと言った言葉は、なんとリアルな言葉であったことでしょう。

令和元年六月十八日 父の月命日に捧ぐ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ページトップへ