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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

小石川中等、両国中等、白鷗附属/都立戸山、都立青山/小3の脳、小4の脳

2019.05.04

 

◯小3の脳、小4の脳 

 高校入試の指導をしている頃は、小学生の指導が得意でなかった。高学年はまだなんとかなった。小学生も4年生はなかなか手強かった。小3はもう無理と観念した。何を教えても虚しく思えた。大学入試で青学の高校生を教えているときほど楽なことはなかった。都立西の生徒を教えているときがどんなに楽だったことか。小学生の指導は難しい、ずっとそう観念してきた。
それでも小学生がよくやってきた。わたしがほんとうに小学生の指導と向き合ったのは、平成18年の4月、九段を受検したいという男子を連れてやってきた父親の依頼を受けたときからだった。その父親は、わたしのブログをすべて読んでここに来た、と言った。わたしは感動した。あの当時、日能研や四谷大塚、大原と言った大手が幅を利かせていたのに、こんな小塾の竹の会を選んでくれたことに感謝した。それからこの子をどうしたら受からせることができるか、わたしは考えた。とにかく計算力をつけなければ、それから割合を教え込まなければ。幸い首都圏の難関中学の過去問はほとんど解き尽くしていたから、それなりの目算はあった。割合の教材を取引の教材会社から取り寄せて、使っては見たもの、痒いところに手が届かない、帯びに短したすきに長し、いやそんなものではない、教えたいポイントを手際よく教えられる教材がない、このことはそれからずっとわたしの頭から離れたことはなかった。過去問はまだ制度が始まったばかりで全国版でも1センチほどしかなかった。あの当時、3人の小6がいた。まだ制度が始まったばかりで、猫も杓子も受けた時代だった。倍率は11倍。突破した。ほかにいた女子二人も東大附属に合格した。九段に受かったら、小6が何人かきた。愕然とした。小6なのに通分もできない。割合も全くわからない。説明してもわからない。去年使った割合の教材はまるで役に立たなかった。この子たちは、過去問をやらせてもほぼ白紙だった。九段に受かった子が知能が高かったのかと、慨嘆した。
 小学生の学習不振は目に余るものがあった。わたしは、ここにきて、小学生指導法の開発、研究に取り組む決心をした。平成20年2月それでも桜修館に一人受かった。高校入試は、都立西、豊島岡女子、立教新座、桐蔭理数となかなかの結果であった。やはりわたしは高校入試が得意なんだと思った。20年から本格的に、小学生のためのレジュメの試作品を制作し始めた。小学生にどうしたら割合を抵抗なく教えられるか、来る日も来る日も考えた。様々なレジュメを試作しては試した。20年、21年、わたしは日々新しいレジュメの開発に没頭していた。22年2月は、桜修館と両国に合格した。22年もわたしは小学生を救う、画期的なレジュメの研究開発に全力を傾けた。23年2月は、小石川と桜修館に合格した。

 23年わたしはようやくひとつ結論に到達していた。ミクロとマクロ法を開発したのである。これで普通の小学生を救うことができる。わたしはようやく自分の納得のゆく教材を作ることができると思った。しかし、24年は、富士に1人受かっただけで終わった。わたしにミクロマクロ法に感動し「あれで割合がわかった」と教えてくれた2人は失敗した。一人は3年後戸山に合格することになる。24年、わたしはいよいよ、高校入試のレジュを製作したソフトを使って、つまりワードではなくて、数学専用のソフトを使って、小学生のための指導レジュメの製作にとりかかった。最初は、竹の会入会テストシリーズとして制作を始めた。24年竹の会でも本格的に入会試験を取り入れることになったのだ。わたしは次から次に新作を執筆していった。25年、このレジュメで指導した子たちが、小石川、白鷗、桜修館に合格した。翌26年の失敗は、25年レジュメを温存して、22年製作のワード版「適性虎の巻」を使ったことにあり、すべてわたしのミスである。この時の一人は、白鷗補欠、もう一人は桜修館を落ちて3年後日比谷に合格している。

 この頃から、わたしは小4早期からの指導にこだわるようになった。まだわたしの中では、小3は無理という観念があり、時折問い合わせのあった小3については断っていた。わたしが小3の指導に見通しを持ったのは、平成27年あたりからだろうか。その頃には、小4早期の子たちの指導にも慣れてきて、わたしの研究もかなり進み、様々な指導レジュメが完成していた。小学生の脳の研究も指導の実践を通じて進んでいった。特に、苦手だった小3の脳の分析がたまたまいた小3の実験指導でかなりの収穫が得られた。これまで限界だった小数の指導は小4早期の指導でかなりノウハウが蓄積されていた。また分数の指導もわたしの研究はかなり進み、手際よく一気に高度な計算をマスターさせる手順が完成していた。ノウハウは指導のたびにに磨きがかかり、洗練されていった。子どもたちは、知らず知らずのうちに分数のかけ算、割り算を覚えた。これは約分の概念の中に、そっと忍びこませるという手法を使った。子どもたちは、いつの間にか、あれだけ難しいと思っていた計算を自分が解いていることに驚いて、しかし、それが自信に変わり、目が生き生きとしていくのがわかった。
 わたしは、指導の実践のたびに新しい脳の開発法を発見した。そして工夫した。
 わたしは自ら開発した割合指導書、算数指導書について、指導の実践の場から、次々と算数の解き方を見つけていった。算数の指導というものに、いや数学ばかりにどっぷりと浸かってきたわたしが、ようやく算数の面白さに気づいたと言うべきか、算数に開眼したというべきか。26年の指導では、わたしは、開成、麻布、早稲田、灘などの難関中学の算数の過去問を解きまくり、次々とわたし流の解法と解説をレジュメとして執筆した。竹の会の算数がいよいよ本格始動したのだ。わたしは暇さえあれば算数の第6問を解いていた。第6問とは、灘中などの最後の問題という意味である。第6問には、難問があてられる。わたしは難問にわたしの解を見つけることが楽しかった。27年このレジュメを使った女子が桜修館に合格した。
 小4の脳との折衝を通じて培ったノウハウを小3にどう生かすか。小3の脳、幼くて未分化の脳、これは強敵である。かつて小数の割り算の筆算で挫折した小3のことを思い出す。わたしの未熟のせいか、今ならうまく導けるだろうか、やはり能力的にだめだったのだろうか。最近、好んで使う技術、子どもには、通分とか言っても、どうにもならない。本人に、ある操作だけを取り出して、つまりそこだけを、拡大して取り上げ、操作に慣れさせる。正体明かさないで、訓練して、実は、とやる。本人騙して、本人が意識しないうちに、解けるようになっている。あと小3だと、「真似をしろ」と、叱ってでも、オーム返しするように指導する。自己流やる子は厳しく叱る。これも技術です。小3の脳は、型から入らせて、まず解けるようにする。操作できるようにする。反復繰り返しです。塾用の計算テキストがありまして、この中から、操作段階を見ながら、問題を選び、解かせる。一問一問です。それでいちいち指導する。解き力(りょく)を見て、指示する。微調整しながら様子を見る。それで、気がつけばかなり難度の高い四則混合演算を解いていることに本人がびっくりする。ギョッという感じでビックリ‼️する。できる❗️と思うと今度は目がギラギラしてくる。目に光りが宿る。子どもというのは現金なものです。
 子どもの脳と向き合うというのは、子どもがそれとして気づいていない能力を引き出し、知恵として定着させる、そういうところがあります。ある意味「騙す」教え方というのもやる。わたしは、世間の塾の項目の立て方にも不都合を感じている。分数のかけ算、割り算なんか、改まって、かけ算、割り算という項目で、教えるけど、あれは実は、子どもの脳には、負荷がかかる。 わたしは、約分を教えるときに、何気なく分数のかけ算を忍ばせて、知らんぷりして約分させている。割り算は、例のひっくり返し❗️をやるけど、➗を✖︎に変えると、びっくりしてひっくり返るとか、適当に言っている。かつて、分数の割り算はなぜひっくり返すか、という問題が、確か白鷗に出たことがあるけれど、これは単位あたり量の考え方を学ぶときにいずれやる。小3脳には時期尚早である。知識というものは、脳に最適時期というものがある。時期を逸するのはだめであるが、これは最早遅いということもある。例えば、中1の4月というのは、英語を徹底してやる時期である。この時期は実は、小6の2月頃が最適と思う。この時期に、まず単語を覚える。これは訓練である。英語の言葉を覚えるのはなかなか大変である。しかし諦めずに毎日取り組む、暇さえあれば覚える、いつか英語脳になる。つまり適応してくる。辛いのは最初だけである。中学の英語は、この時期を逸したらもはや取り返しがつかない。最初にサボったらもう中学3年間英語はできないままである。

 指導というのは、時期を見て、時期を捉えてやるところに妙というものがある。私が35年の指導経験で得たもの、それは小学生の低学年、具体的には、3年が、勝負の分かれ目になる、ということでした。この時期に指導できないなら、つまり指導そのものが無理なら能力的に無理かもしれない。3年の脳とどう付き合うか、これはまだまだわたしには未開の地に分け入る感覚で、視界不良であることは変わらない。手探りで脳とやりとりしている。それが正直なところなのかもしれない。それほど小3というのは、マニュアル化が難しい。個人とのやりとりはいつも知らない脳との折衝である。ただある程度脳が固まってくる小4後半では遅いというのははっきりしている。
 かつて竹の会に来てくれるのは、早くて小5直前の2月か3月であった。小5も後半以降という親が多かった。その中には早くから大手に通いながら、伸び悩み、竹の会にやってきたという人もいた。栄光とか、エナである。日能研というのもいる。竹の会というのは、そういう大手挫折組の子らが、よく来た。ただそれが遅きに失するということはよくあった。最初に大手で失敗して竹の会にくる。竹の会はどうしても大手崇拝の親たちには、二番手にしか映らなかったようだ。それも最初は疑心暗鬼でやってくる。警戒されるのである。大手には全く警戒しないで、子を放り込むのに、竹の会は疑われる。まあ、最近は、かつてほどではないけれど、かつては露骨だった。国語のレジュメを見て、「ヘェ〜、こんなのもあるんだ」みたいな感じで、入会試験受けても最初から来る気などない。大手に行くことは決めていてやってくる。そんなのがよくいた。あと、相談と称してやってくる親子がいて、2時間近くも居座る。正直何しに来たのかちょっとわからない。だから竹の会は、塾ツアーとか称する見学目的は断っている。相談したい、というのも、入会ではなく、一般的に相談する意味がわからない。あと体験させてください、というのがある。授業やってる塾なら体験というのもわかる。しかし、竹の会は、個人の能力を検証して、何をどう指導するか、を決める。それから使うレジュメなんかを考える。体験なんかできないシステムになっている。大手が無料で体験とかやるものだから、塾なら当たり前とでも思っているのだろう。大手は夏期講習も無料のがあるらしい。その後、入塾してもらえばいい、ということなのだろう。
 かつては、小3は、「できない」と正直に断っていたが、小4早期の指導の実務経験を重ねて、たまたまの小3の指導実験を重ねるうちに、小3の脳と向き合うことができるようになった。まだまだ未解決の障碍に指導のたびに直面するけれど、そのたびに解決の策を考え、対応できるまでになってきた。昔は、無理と断っていたのに、感慨深いものがある。

 退塾すると申し出たのなら、普通に考えれば、もはや塾に来る意味はない。その塾はだめだ、と判断したのだから。ただ別の理由、例えば、経済的理由だと、ギリギリまで通う意味もあるやに見える。しかし、少なくとも竹の会では意味がない。竹の会の指導というのは、3か月先を見て、見据えて、指導方針を定め、具体的な指導に入る、これから「止める」という子の指導は、ありえない、のである。ただ月謝の分だけ、元を取るとか、時間を消化するだけの出席は意味がない。止めるなら、その意思表示の時に、止める、でしょ。

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