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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

小石川中等・両国・白鷗/都立戸山・青山/◯公立中高一貫校対策論

2019.05.08

5月8日(水)快晴 気候温暖にして穏やか。気温は朝はヒンヤリ昼間はポカポカ陽気とのこと。

 

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◯公立中高一貫校対策論
 本年の竹の会の合格者たちのもたらす情報はこれまでの対策のありかたにも重要な変更をもたらすであろう。
 本年合格者の特徴
 ○高得点を取って合格
 これについては、九段について、問題が過去になく異常に易しかったためである。
 桜修館の場合は、他の情報を参考にしても、問題の難易度は、難しからず、易しからずで、能力はあっても努力の足りない者には難しい、いい出題であったと思われる。少なくとも九段は、終わっている。受検勉強不要、内申さえ突出していれば、受かる、こんなのは、選抜試験ではない。

 ○作文について

 竹の会では、合格した者の中に、高得点を取った者と信じられないような低い点を取った者がいる。後者は、20%の得点であり、他の者は全員80%以上の得点であることから、本人の資質に関わるものと考えていい。
 ○適性II、適性Ⅲ の正解率の高さ
 適性I、すなわち作文については、合格者4名中3名が、80%以上の得点、1名がなんと20%で合格している。冷や汗ものであった。
しかし、桜修館の適性IIでは、合格者の得点は、高く一人は96%の高得点で、合格。もう一人も88%と高い。これは竹の会の桜修館指導の方法に拠るところが大きい、と思われる。桜修館に関しては、徹底して、算数を鍛えて、思考力をつけることに力を入れてきた。桜修館や小石川のような難関校は、過去問をやって、対策をとるということでは、通用しない。ここでは、過去問は、もはや出ることのない事実のリストであり、過去問やって同じ穴の狢を探す、二匹目の泥鰌を探すという発想はない。大手は実はこの発想が根底にある。
 過去問は、一度使われた問題の、具体的な事実の記録であり、墓標みたいなものである。素人、特に、親が、子に、直前に血眼になって、過去問を何回も解かせ、問題見た瞬間に答えがわかるほどにやらせているのことがよくあるけれど、こういう勘違い親子のこうした行動が、報われることはない。本番に過去問の戒名を覚えて行くバカがどこにいるか。こういう親子は必ず本番は新傾向だったと言う。ちょっと待てよ、似た問題なんか出ないでしょ、次は、新たな知識を聞いてくる、普通は、そう考えるでしょ。過去問覚えて同じ穴の狢狙うやり方がおかしいでしょ。
 過去問から何を学ぶか。流れる血である。具体的な事実ではない。論理である。出題者の意図が奈辺にあるのか。出題者は具体的な事実を通して如何なる論理を試したかったのか。どこまでの知識を当然に知っておくべきものとして「問い」を設けたのか。どこまでの思考力を必須と考えているのか。そういうことを「知る」ために、玄人は、過去問を重視する、のである。もちろん事実に慣れさせるという利用も有効である。しかし、これはかなりリスクのある利用法である。下手をすれば先の親子の轍を踏むことになるからである。

 私が、過去問合格法として、過去問を使うとき、決して志望校の過去問を使わないのはそのためである。件の親子が、志望校の過去問を何十回とやるのとは、根本的に違う。私が、高校入試で、過去問合格法を使うとき、その過去問とは、偏差値60前後の高校の過去問からスタートして、次第に上げていく。一つの高校は、少なくとも過去10年は遡る。解き方は、通年単位で解かせていく。予断をもたないためにはそれがベストなのである。首都圏の主たる高校の過去問は解き尽くす。解説は全て私のオリジナルであるのはもちろんである。どこの高校の過去問をどの段階で使うかもほぼ決まっている。例えば、東海大高輪の過去問は、全20問、満遍なく中学履修事項が、問われるので、最低限の受験の基本事項を培うのに最適であるとか、古文の素養を養うには、國學院の国語がいいとか、比較的読みやすい英語長文の訓練には、中大附属の英文がいいとか、国語の読解の練習には、開成高校、早実の論説文がいいとか、わたしの経験から、何をどう使うかは、既に決まったノウハウとしてあるわけである。去年、今年と、公立中高一貫校の対策として、過去問合格法を使ったのは、制度がスタートして、10年以上が経過して、過去問合格法を使える環境が整ってきたということもある。過去問合格法を使えるのは、わたししかいない。過去問を実際に、解いてきた、オリジナルの解説を書いてきた、過去問を知り尽くした、そして過去問合格法の開発者、実践者である、わたししかいないのである。
 志望校の過去問は、必ず直前の実力を測るために、使うことである。傾向を知るためなどと称して、早くから過去問をやるのは、折角の宝をゴミにして捨てる愚行としか言いようがない。よく直前に母親などが家庭で、志望校の過去問をやらせることがあるが、母親は、ど素人である。確かに、最近の母親は、まあ、父親も同じであるが、あちこちの学校説明会に出かけていき、熱心に情報収集しているため、ママ友との情報交換も頻繁で、だからわたしなんかよりもよほど詳しいが、しかし、所詮素人である。情報収集で受かることはない。母親の中には、過去問を家庭で解かせて、わたしには、結果だけ知らせてくる者もいる。「過去問はもうやりました」で、終わる者もいる。わたしが、直前に過去問を解かせるのは、実力を見極めるという目的もあるが、それ以上に、もし未だ実力において届かずという時に、「手を打つ」、適切な「手を打つ」ことにある。理科がどうしても70点というとき、適切な手を打つ。社会の歴史に誤答が多いというとき、ピンポイントで手を打つ。具体的にどのような手を打つかは、経験から得たノウハウである。だからプロなのである。本番で、85〜90点を取らせる。これがプロの仕事である。つまり、志望校の過去問は、わたしには、かけがえのない検査の道具なのである。これを無にする、母親のなんと多いことよ。受験に詳しい母親が全く余計なことを して、邪魔をする。余談だが、学校説明会で過去問を解かせることがある。こんな問題が出るんだよ、というわけである。迷惑な話しである。過去問なら書店でいくらでも売ってるでしょ。親も子も嬉々として「先生、解いてきました」と嬉しそうに言う。わたしの落胆を知る由もない。
 過去問合格法の話しは、このくらいで終わりにする。
 竹の会の教材は、過去問から作っています。過去問については、みくに出版の銀本を使っております。過去問については、多くの方が声の教育社のものを使っているのか、と推測します。銀本には、解答のみでほとんど解説がないので、一般の方々には使い辛いというのがあります。声の教育社の過去問は、様々な解答の例をあげて、網羅してますから、その点でも便利だと思います。ただわたしは銀本しか使わないですね。解説が、邪魔なんです。とにかく白紙の状態で解く、解いてみる、というのが、私のポリシーですから。解いたら、解説は、わたしの、私流の解説を作りますね。ただ計算ミスなんかはわたしも防ぎきれないので、最低解答は必要です。もっとも銀本の解答が、絶対の正解だとは、考えてはいない。ただ学校発表の解答例を載せているでしょうから、あまり誤りはないとは思います。わたしが、使うのは、銀本のうち、適性過去問集は、もちろんですが、算数の過去問集もよく使います。満遍なく問題を読みますから、そして良問は必ず解きますから、正解見て、あれ! ということもある。それでもう一度解いて、やはりこの解答はおかしい、間違っている、と判断することもあるわけです。算数の銀本は、確か、2004年版から解いてきた。今年は、2020年版ですから、都合18年分は、解いた計算になります。適性過去問は、2007年版からだから今年で、13年分になりますか。銀本は、わたしには、最高のデータですね。みくに出版とその母体である日能研には、感謝しております。

◯公立中高一貫校適性問題の正体
 理科で見るのは、観察力、判断力。
 社会で見るのは、常識力。

 資料で見るのは、データの拾い方、捨てるデータと意味あるデータの峻別、変化、つまり突出、激減、激増、の意味、背景を説明することができるか、である。
 作文の力で見るのは、社会適応力、常識的な判断力、社会成熟度。
 作文というのは、まず読める字が書けなければならない。作文点の低い子というのは、総じて字が汚い。いわゆる悪字である。癖のある自己流の文字を書く。おそらく読めるのは、自分だけだろう。文章については、普段読書しているというのはもちろんプラスにはなる。が、それだけでは、内容のある文は書けない。作文の場合、明らかに、社会成熟度が、文の完成度を左右する。また見解を求める作文では、社会適応力が、さらには常識的な判断力が、作文の質を決める。作文については、技術的な注意点、あるいは、作文の構成などについて、指導の際には、細かい指示はする。しかし、作文の質を決めるのは、結局、社会成熟度である。こればかりは、塾でどうするということにも限界がある。すべては、親の接し方、教育姿勢にある。いつまでも幼児扱いしている親、過保護、甘い親からは、社会成熟度は期待できない。敬語が使えないのは、内と外の区別が、できてないわけで、幼さ、すなわち非社会性の表れであるが、小6になっても、タメ口を聞く子は、もはや手遅れである。家庭でも子ども扱いしないで、大人として、考えさせる、義務を果たさせる、責任を持たせる、ということを強制していくこと、である。強制できるのは、小学4、5年ごろまでだろう。これが作文対策になる。
 算数で見るのは、思考力、知能指数、判断力
 そして、すべての科目が、同時に、国語読解力を試している。
 適性問題は、私立中学のように、ストレートに「知識」を問う形式はとらない。つまり、クイズ番組のように、一問一答ではない。また客観化された知識を即答することも求めていない。
長々と、多くは、対話形式で、資料を引用しながら、つまり、思考の方向を暗示しながら、問いに至る過程を冗漫に無駄な記述を適宜織り込んで何が論点かを巧みにぼかしながら示していく。様々な注意、指示、キィーワードを日常の言葉に埋めてさりげなく隠す。要するに、何を聞きたいのか、と突っ込みたくなるような、緩慢な、問いまでの、時間を食う、文を読まされる。
 特に、算数は、私立のように、何が問われているかが、明確ではない。問題の形式は、まず小問(1)で、具体的に考えてどうか、を問う。次に、小問(2)で、具体的に求めても、抽象的に推論しても、求められる問題をもってくる。ただし、これを具体的アプローチで解くと、時間がかかるように作られている。最後に、小問(3)で、具体的にはとても無理で、抽象的な規則性に思い当たらなければ絶対に解けない、問題をもってくる。このような問題構成にするには、必然なんらかの「規則性」を核とする分野に、出題のネタを求めるしかない。例えば、高校数学の「数列」とか、n進法などが、よく出るが、要は、何か規則性を前提して、問題を作っていく。図形とか、立体とか、なんでもいい。とにかく規則性があれば構わない。だからこういう問題を解くには、隠された規則性を見つけ出さなければ、どうにもならない。だから、竹の会では、「推論を鍛える」、「推論算数」などの、規則性をテーマにしたレジュメが多い。これらの出典は、私立難関校の問題が、ほとんどだが、適性問題を出典とする「算数をクリアーにする」もある。これは、竹の会では、合格者が、必ずこれをやっていた、ということで、今は、必須レジュメとなっている。このレジュメは、平成24年の9月作成開始で、翌25年の1月までに、109問が作られた。このレジュメを最初に使用した、女子2人が、小石川、白鷗に、男子が、桜修館に合格した。24年は、レジュメ元年で、この年に、「竹の会入会テスト第1類」、「合格答案への道」が、できている。入会テストシリーズは、続編が、出されて、結局「第4類」まで出た。その後、これらのレジュメを編集した「撰」シリーズに取って替わられることになる。なお、「算数をクリアーにする」シリーズは、「続算数をクリアにする」が、続編として執筆進行中である。
 計算力について

 適性問題は、私立のように直接計算問題を出すということはない。何かの問いに答えるために、計算する、ことになる。計算は、多くは、億単位の数の割り算で、たいてい小数第3位などを四捨五入して、答えとする。%の計算もこの過程で問われる。
 竹の会では、だからといって、そういう計算に特化して訓練するということもない。いや正確には、レジュメをやる過程で、散々そのような計算をやることにはなる。竹の会では、まず、入会すると、徹底して、計算をやる。たいてい3か月ほどで、難関中学受験レベルの計算ができるようになる。これは、小4の4月の入会だと、7月には、そうなっている、ということだ。その段階に達した後も1、2年は、毎回指導日の指導開始前に、4題解くことで、計算の勘を失わないようにする。
 竹の会の計算指導技術は、近年著しい発展を遂げ、様々な習得法が開発された。課題だった小3の指導は、計算指導技術の進化によって、小3についても3か月ほどで、難関私立の計算問題が解けるまでに、なった。もちろんこれは標準であり、逆算を含めて、完全な計算マスターになるまでには、6か月を見ている。できれば夏あたりからの入会が、タイミングとしては、いい。それから6か月の目安で、つまり小4になってすぐから、割合を導入できる、からである。小4の一年間を割合に費やせるというのは、思考力を練るには、最高の環境となる。
もし小4からの入会だと計算だけで最長6か月を見たとして、割合に入れるのが、10月になる。これが小5だとどうか。小5の4月として、ようやく計算が終わるのが夏、割合を9月開始として、翌2月開始の適性指導に間に合うには、無理がある。特に、大手から来た子たちがまともに計算ができた子を知らない。小5というのに、通分もまだという子がわほとんどであった。親は大手に通わせているだけで安心しているのかも知れないが、確実に内部ではバカが進行している。

 よく勘違いしている人が多いのは、竹の会の割合レジュメシリーズをとにかく短期間にでも解説聞いてでも終わらせればいい、と考えていることである。竹の会のレジュメは、思考を鍛える、訓練するための手段としてあるのであり、当然前提としてある程度の時間をかけて考えることが予定されている。大手のテキストのように、すべて終わらせればそれでいいというものではない。大切なのは、費やした思考時間である。どれだけあれやこれやと悩んで考えたかである。そうして問題を解いた経験である。30分ほど考えて、「わかりません」とすぐ教えてもらおうとする態度、それですぐ「説明してください」と言うのは、少なくとも、思考力を養うことには、ほとんど貢献していない。じっくりと考えて自ら解いた、という経験が、大切で、そのために、レジュメをこなした量が少ないとしても十分合格が期待できるのである。

 解説聞いて「わかった」と大量のレジュメを進めた人には、思考というものがない。よく竹の会では、2月の適性指導開始までには、最低でも「小学思考の素 その他の問題編」までは終わらせていなければならない、とされているが、この帳尻を合わせるために、一週間で終わらせた、などと言う人が出てくるが、これでは、肝心の思考力を培うのに必要な時間はなかったわけである。
 解き直しというのも、この文脈で、考えなければならない。そもそも解き直しという場合、できなかったから解説受けたという問題では、思考力はついてない。解説を理解した、その解説を「覚えているか」という話しである。忘れないように解き直しをするということになる。
これが、とにかくも考えに考えて、解いたという問題だと、解き直しは、まさに、過去の思考の軌跡を追うという意味になる。思考力は、十分に、深化している。かつての思考の軌跡をより強固な思考として定型化する意味がある。この意味でも、とにかく自ら解くことの意義が大きいことを知ってほしい。
 解き直しの隠された、意味について、触れておかねばならない。直前期に、それまでに解いてきた、過去問なりを7回解き直しするのが、竹の会の定番の方法であるのは、周知のことかと思います。かなりの種類のレジュメを7回解き直しする効果というのは、頭の中を「問いに答える」一色にする、記憶をホットなままにしておく、解き直しに集中することが、心の集中を生み出す、などが考えられるが、さらに様々な予期せぬ効果を発揮することもある。とにかくわたしには予測不能の、世界に踏み入ることになるのは、間違いない。

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