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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

引っかかる、もの

2019.02.13

 2月も早13日となってしまいました。2月3日の試験、9日の発表と激動の週でした。発表からまだ4日目ですが、すでにそれぞれの道を歩き始める決意をした子たちの情報も伝わって参ります。都立中は、落ちてあたりまえの試験です。そもそも倍率5倍~8倍というのが、異常な数値です。落ちてくよくよすることなどありません。ダメなら高校入試という倍返しの機会が残されているではありませんか。とにかく頭を切りかえて前へ進む、これが普通の処し方であり、かつ賢い人の選択です。

⚫️引っかかる、もの
 合格可能性が、合格の確からしさにまでに昇華するのは、どういうときなのか。
 模試の成績もいい、確かに知能優秀なのに、なぜか、不安が禁じ得ない。そういう心理にこれまで何度となく襲われてきた。いやこの子は行ける、そういう確信はどういうところから生まれてくるのか。そのことが、ずっと引っかかっていた。
 合格する子の共通の特性というものを思いつくままに書き出してみた。
 ●総じて、字がきれいなこと。もちろん例外はいた、が。
 ●課題を決してさぼらないこと。

 ●さらに、課題というか、レジュメの「管理」が、きちんとできていること。レジュメを大切に扱えない子というのは、基本的な何かが欠けている。よくクシャクシャにして平気な子がいるが、こういう子は、そもそも勉強に向いてないのではないか。勉強に対する、謙虚さというか、姿勢に本質的な何かが欠けている。レジュメをきちんと分類管理する子というのは、きちんとレジュメをやる子でもある。管理というのは、実行の裏付けに担保されての、管理でなければならない。責任を持って管理しているな、と実感できる子が、理想なのは、言うまでもない。レジュメが、汚い、クシャクシャ、終わったらもうどこにあるのかわからない。これは、男の子に多いが、女の子も含めて、落ちる子の典型である。落ちる子は、レジュメの管理が、できていないのである。
 ●よく子どもに何かを指示することがある。何かを提出しろとか、親に伝えてほしいとか。この時、一度聞いただけで、通じる子なら問題はない。しかし、何度指示しても忘れる、指示が通じない、これはIQとは関係ない。
 ●誤解が頻繁であるのも、だめ。例えば、模試について、誤解して、指定外の模試を受けたり、模試を受けなかったりする。これは親が誤解するということであるが、子が、しっかりと伝えていない、ということもある。あるいは親の意思というのもある。
 ●あと、やはり模試が、悪いというのは、悪い兆候であることは、間違いない。竹の会では、早稲田進学会の模試を推奨しているが、大原の模試を勧めたこともある。結果論で申し訳ないが、大原の模試で、合格可能性が、40%というのは、合格の目はない、ようである。50%か、70%かという話しはある。ずっと50%で富士に合格した子もいた。しかし、これは普通ではない。九段だと、区内枠で、60%で合格の例がある。ただ九段区外枠で、80%取っても落ちているし、同じく、白鷗でも、80%で落ちている。こうなると合格可能性というのがかなり怪しくなるが、悪いのは信用できるが、いいのは当てにならない、ということが言えるのではないか。
 やはり実力はそもそもあったのか、課題をやり通したか、レジュメの進捗に問題はなかったか、などが、合否判断の基準としては、かなり正確な予測を可能にする。
 一般論となるが、模試の成績が、右肩上がりの子は受かる傾向がある。乱高下する子は、落ちることが多い。
 ほかに、勉強時間が極端に少ないのは論外である。家庭学習そのものがないなら落ちるのは当たり前。ゲームに時間を費やす、お稽古事、習い事を結局優先させる、などは、家庭学習を否定する所為にほかならない。
 なに、合格するのは簡単である。わたしの期待を裏切らなければいいだけのことなのだから。

 特に、小5の過ごし方、この頃は、まだ時間もあると錯覚して、旅行、習い事、稽古事、と勉強はかなりスキップされる。が、これが思い違いだということは、小6になって、受検が近くなって、わかる。やり残したことばかり、時間はないのに、積み残しで身動きが取れない。わたしの思いを蔑ろにしたつけは、最後の最後に返す時が来る。

 ノートが汚いのは、記録として残せない、からそもそも受検するという段階にはない。夏7時間の勉強ができない、3時間前後、時にはゼロということもある、偶には、息抜きという都合のいいズル休みをするのもこういう子たちの特長である。こういうことを考えていて、はたと閃いた。自己管理能力がない、そういうことなのではないか。
 こうして私にようやく見えてきたものがある。
 落ちる子には、広い意味で、自己管理能力が欠如している、欠落している、のではないか。
 自己管理能力というと、先に述べたような、行動の消極的な傾向とか、懈怠、過失と言ったことが、問題なのであるが、それよりもっと広く、課題を出さないということがもたらす諸々の効果、自分が今どういう理解段階にあるかという認識、例えば、連休に家族と出かけることによる学力の中断のもたらす影響、夏、3時間にも満たない勉強がもたらす効果、勉強を全くしない日があるということのもたらす効果、などなど、そういう負の債務の管理も含めてのものである。
 こうして、自己管理能力というのは、自己の今をバランスシート的に管理する、自己を第三者的立場から見る、能力と言える、のではないか。
 これは、とても、知能の低い人、精神的に幼い人、子供っぽい人にはできることではない。
 責任感というのは、前から、受かる子の属性とは思っていたけれど、自己管理能力の欠如というのは、もっとも言い得て妙な言葉ではないか。
 こう見てくると、合格を期待されながらも、落ちるというのは、自己管理能力の未熟さに原因があるということになる。またこれは合格はないだろうという子たちには、そもそもの自己管理能力が欠落していた、ということではなかったか。
 わたしは、よく大人になれ、ということを言ってきたが、これは、大人というところに、責任感というものを想定してのことであった。もちろん社会には責任感の欠片もない大人というのが、いるけれど、そういう大人欠格者は想定の外にあることはもちろんである。
 責任感という言葉では、そぐわないところがある。結局わたしがこの子は心配ない、期待を裏切らない、と安心できるのは、自己管理能力において信頼できるというところに尽きるのではないか。

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