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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

思考というバトル/都立中高一貫校の躍進/都立独自問題校の戦略/

2020.04.25

⭕️思考というバトル
 思考は戦いである。

 人間は「考える」から人間である。ところが、世の中には「考えない」人というのがいる。世の中にはそういう人がたくさんいる。思考停止した人間が溢れているのが現実である。
なぜ大人は思考停止するのか?
そのほうが楽だからである。考えるということは大変なエネルギーを要することなのである。
そうでなくても働く人たちは様々な判断を求められてストレスはたまるばかりである。そうなるとどうでもいいことにはできるだけ頭を使わないで済ますという習性が身について考えることから逃避するようになる。「日常性」というのは、考えないということの逃避にほかならない。日常的なこと、だから当たり前のこと、だから考えるまでもない、そういう論理である。
 日本人というのは、「並ぶ」のが苦にならないのか、いつも大人しく行列を組んでいる。ある人が日本人は行動の基準を他人がどうしたかで決める傾向がある、と言っていた。確か行動心理学者の本であったかな。なるほどその通りではないか。トイレットペーパーを買い漁る他人を見て自分もと走る。我先にと走る他人を見て自分も他人を押し退けて走る。人がどう動くで態度を決める。迷いに迷って最後に他人はどう動くかで決める。思考がないのだ。
 考えないバカばかりである。そもそも自分に確固たる軸がないのだ。だから目先の利益でブレる。目先の利益になびく。
 思考という戦いの武器を手に入れる。とにかく自分で考えて正解に至る。これは算数、数学の話しである。世の中には、受験とは違って、正解というものがない問題ばかりである。それは人間の不完全なことに由来する。人間は全知全能の神とは違うのである。神というのは、愚かな人間が、想定した仮象である。私たちはもともと存在しない、ありえない絶対知能を仮定することによって心のバランスを保とうとしただけなのではないか。いつしか仮定は実在へとすりかえられる。それほどに人間は弱い、不安に耐えられない生き物なのである。人間の生存本能は、恐怖、死に結びつく恐怖に敏感である。不安の根拠は恐怖である。だから正解のない問題には不安なのである。
 しかし、私たちは、まず正解のある問題について、タフな思考を鍛えなければならないのだと思う。受験の問題は予め正解を前提して作られたものである。私たちは、これが子どもの思考力を鍛えるのにこれほど優れたものはないということを経験的に学んできた。算数、数学は、特に、思考にいい。私的には、算数の思考を作る仕組みの素晴らしさには脱帽である。
 算数。これは、算数による子どもたちの思考形成に従事してきた私には子どもたちの能力の限界を知るにはこれほど確かな検査はない。算数のできない子は、能力が低い。これは絶対的真理である。私たちはDNA的な限界から逃れことはできない。
 わたしは、最良の受検対策は、算数に熟達することだと考えている。算数は思考の際(きわ)を刺激するのに優れた装置である。巧妙に作られた問題は、子どもたちの可能性を引き出し、瞬く間に開花させてしまう、その瞬間をわたしはこれまでに何度となく見てきた。
 それにしても算数というのはよくできている。「差」に秘められた深い意味をこれほど雄弁にかたる科目が他にあるだろうか。
 巷の塾、特に、大手では、速さと時間と距離の関係を「はじき」などといって覚えさせているようであるが、このような公式暗記ではとても太刀打ちできない問題ばかりである。というか公式暗記では算数の面白さはわからないままに、ただ難しくて解けなかった、公式を使うことができなかったで終わる。
 速さと時間、距離の問題では、なんといっても、比の妙味が素晴らしい。わたしは、比の絶妙な、胸の透くような技を何度も見てきた。
 最後の最後まで「考える人」であってほしい。
 覚える、覚えたことを想い出す人に、なってはならない。

 この新型コロナ騒動は、人間の営みというものがいかにもろいものなのかを悟らせるに十分なものであった。政治家の無能は国民を死に追いやる。危機感度がはなはな鈍感である。無駄に税金を注ぎ込む、わけのわからん政策ばかり。世の中は利権で回っていることを知らない国民などいないであろう。

 賢い人にならなければならない。そのために学問を積む。竹の会は、考える人を育てる、いつもそう思ってきました。それはこれからも変わらない。ずっとずっと変わらない。

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