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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

探究する心/都立小石川中等/都立桜修館中等/都立両国という選択/都立戸山高校、都立青山高校、都立新宿高校へ/竹の会35年

2020.09.04

 

◎探求する心
 探究する心が、探究する行動が、脳の宇宙に視界をもたらす。物事が見えるようになる。そのために私たちは探究する。井の中の蛙から、大海に躍り出るには、探究する、し続けるしかないのである。
 なぜ、どうして、の答えを探すために、私たちは、頭を使わなければならない。
 「先生、わかりません」
  正直、そういう子には未来はないと思う。
  よく思うのは、「字」の汚い子のことだ。ノートは殴り書きだ。整然としたものがない。「わからない」という子の字が、読めないほどに、指導に窮することはない。いや実はまたその逆もある。字はきれい、読みやすい、なのにできない子がいる。だから字と能力は関係ない。しかし、知能が高い子の字がしっかりした文字ならこれにはスキがない。
 字がまともに書けない子には、本人に字をきれいに丁寧に書こうという意識は全くないようである。丁寧に書け、と何度言っても、本人にその意思は全くと言ってない。絶望な諦めが支配する。さて、このまま指導を続けていいものか、いつも考える。
 さて、字は親からのプレゼント、美しい字は親から子への贈り物。小1前後が勝負。付きっきりで、字をゆっくりと丁寧に書くのを「見てやる」。少しでも目を離したらダメ。子は親が見ていてくれるから熱心にやる。決して一人ではやらないから。親がじっと見ていてくれるから励みになる。この頃の子は放っておくと、好き勝手に書く、乱雑に終わらせようとする。だから親がじっと見てやる。そのことに意味があるように見てやる。だから美しい字は親からプレゼント。よく公文に何年も通っている子の字が乱雑なのも、字よりもノルマを大切と思う親の心がそうさせている。字をこそ見ていてやればまた違ってきたのかなと思う。
 小学低学年は、特に、いつも親、特に、母親に見ていてもらいたい、と思っている。だからこの年頃の子を伸ばすのは、一重に母親の力である。
 竹の会の入会試験に落ちるほどの子は、一応指導の効果が期待できないと判断している。ただ小3以下については、もう少し様子を見るために、体験入会みたいなこともする。竹の会では、仮合格というのがあって、規定の合格点に達しない場合でも、将来の伸び代を、見込んでとにかく試しに入会を認めてその伸び代を確かめるということもする。逆に、合格した子については、もはや心配ないかというと、そうでもない。本来なら不合格のはずという子が紛れ込むこともある。これは、内申でチェックできたはずであったが、そこの審査が甘かった。仮合格の子というのはたいてい内申もそこそこである。試験がいいとつい甘くなる。これは内申がかなり悪くても能力の高かった例があるからだ。極端な例では「もう少し」が何個かあった例でA合格した子がいた。それが本物かどうかはその後の指導ですぐにわかる。内申が悪い場合はまず指導できないことが多い。また順調に指導が進むかに見えて思わぬ能力の空洞を見ることもあり、入会試験合格者の成功率を高めるには、現在の試験では無理である。
 適性検査試験の正体
 過去問をやっても皮相の理解では受からない。適性検査問題は、やってみれば分かることだが、とにかく面倒臭い問題ということに尽きる。問題文を丁寧に注意深く読み、何を言っているのか、その意味を的確に読み取らなければならない。一つ一つ読み解いていく、地道な姿勢が求められている。過去問をやった子が意味を取りきれなくて、あるいは取り違えて、あるいは、勘違いして、結局、解答を見る。しかし、問題が何かもわからないのに解答の意味がわかるはずもない。それで7回解き直しをしても何の意味があろう。
 結論から言えば、過去問を独学で解いても、学校の優等生では無理である。ここで誤解のないように断っておくが、学校の優等生とは、通知表で「よくできる」が8割以上ある子を言う。そのレベルの子でも、わたしの指導経験では、割合を真に理解している子はほとんどいなかったのだ。いいですか。このレベルの子でも適性検査問題を解くのは難しいのです。適性検査とは、そのようなレベルにあるのです。過去問を皮相的な理解で進めるのは無駄なことです。
 それではどうすればいいのか。
 考える力をつけることです。これに尽きます。これは学校の優等生についての話しです。適性検査試験というのは、学校の優等生以外の子が受かるようにはなっていないということです。
 わたしは、そのためには、「算数を極める」ことが最良の方法であると思っています。
 算数は思考力をつける、深めるのに、最適の科目、手段である。
 思考力というと、何か誤解している人がいますが、実は、事実の読み取りが、思考を鍛えるのです。算数そのものではない。事実の問題です。私たちは思考を使って事実を正確に認識し、意味を理解し、事実の関係を枠で捉える。
 探究心というのは、思考の装置に点火する、点火し続ける、発火装置みたいなものです。この発火装置のスイッチは、「なぜ」「どうして」と問いかけることによって入ります。「どうして」と意識することでスイッチオンです。もちろん問いかけを止めたときはスイッチオフです。この「なぜ」「どうして」こそ探求する心の本体なのだと思います。
 思考とは何か。「なぜ、どうしてと問うこと」だと思います。思考は考え続けている限り脈々と呼吸しています。思考は生き続けています。あなたたちは、普段から「あたりまえ」として「どうして」の芽を封じ込めているのです。
 実は、わたしたちが、「日常性」というものに安心するのも、この思考と関係があります。社会は矛盾とストレスに満ち溢れています。わたしたちはいつも何かしらのトラブルに心を悩ませながら生活しています。そのときにそのトラブルをわたしたちはできるだけ日常性の枠に収めてしまおうとするのです。これは日常的なものはあたりまえであり特に考える必要がないからです。日常性は考えないことにして、心を解放してくれるのです。
 トラブルを日常というカティゴリィーに振り分けることでわたしたちは煩瑣なトラブルから解放されるのです。とにかくなにもかもあたりまえのことにしてしまえば楽なのです。これは、危険な傾向です。なぜならわたしたちから思考、つまり「なぜ」「どうして」を追放する、削除してしまうからです。
 考えるのが面倒くさくなったのが現代人であり、子どもたちです。
 適性問題は、面倒くさく考えるような問題ばかりです。またあるときは社会の常識が問われています。感じ方が問われています。
 面倒くさいと日常性に放逐してしまう人には適性問題は不向きです。あたりまえを疑わない人には適性を考える必要などないのです。

 入会試験と通知表の成績
 最近は、「よくできる」が8割前後ないと入会試験を受けても仕方ないということを謳っているのに、5割前後の方がよく来る。最近、8割の子が来た記憶がない。親の「なんとかしてもらいたい」という思いが、藁にもすがる行動として表れるのであろうか。正直困惑しています。
 竹の会は学校の優等生を募集しています。内申がよくない子といのは、一般的に言って基本修得までが限界なのかなと見ています。
 したがつて、内申が芳しくない場合は、竹の会の指導期間の目安は最長でも一年ほどと考えいただいたほうがいいと思います。

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