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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

日比谷、慶應、小石川、桜修館、九段~今年の竹の会/仮合格は手のかかる子たち子たちを承知でやる仕事/その他

2018.04.23

 おはようございます。4月23日になりました。いよいよ大型連休の時期到来ですね。例年竹の会では、5月の3・4・5日はお休みとしてきました。去年は連休を利用してさまざまな計画をされていた家庭があったように記憶しておりますが、唯一の例外は、本年の合格者たちの家庭であったのは偶然ではないと思います。竹の会では、この連休はもちろん7月下旬にもまとまったお休みをとり、実家帰省などの機会を提供しておりますが、これはもちろん小4、小5を念頭においてのことです。小6については、勉強時間の絶対量を確保することが、大切なことが、後々わかってまいるはずです。受検の成否は勉強時間の絶対量で決まり、これはおよそ試験というものの本質的な鉄則であります。勉強時間が足りないから落ちるのです。あまりにも少ないから直前になってもたもたするのです。焦りも結局はここに帰着いたします。後々後悔しないためにも普段からとにかく密度の濃い、勉強時間の絶対量の蓄積を心がけてほしいと思います。

「ぼくは小石川に行きたいです、」、 21年7月のことであった。品川区からやってきた、その小4の男子は、はっきりとさわやかに答えた。彼は、当時よく利用した計算習熟プリントで、分数を難なくマスターした。逆算も1日でマスターした。久々に胸がわくわくした。逸材との出会いを予感した。当時から、逆算は、子どもたちには、高い壁であった。いまは私の逆算の指導技術も名人芸の域に達し、子どもたちは、誰でもすんなりとものにしていくようになったが、当時は、多くの子が、苦労をし、中には、2、3か月かかっても、まともに計算できない、ということも珍しくはなかった。つまり逆算ほどその子の能力の程度が表れるものはない。逆算に時間のかかる子は伸びない、というのが定説であった。だから逆算を通過点のように通りすぎた、その子の才にわたしは喜びを禁じ得なかった。

 さて、 レジュメ黎明期、私は、割合指導法に悩んでいました。何か画期的なもの、方法というものを、なんとか編みだそうと、それは日夜苦しんでいました。 毎日のように、新しい指導の方法を考え出し、指導の日に試したものです。それは、本当に、偶然だった。ある時、試したレジュメが、算数の得意な、小6たちを騒がせた。「先生、ミクロマクロってすごいですね、割合は、ミクロマクロで、わかりました」、「あれ、よかったですね」、と口々に言うではないか。 今まで、埋もれていた、作品の一つを、わたしは、改めて見直した、読み返した。「よし、これから、これをさらに、仕上げよう」。こうして、今、竹の会で、みなが、当たり前のように、やっている、ミクロマクロ法が、完成した。長い年月であった。随分と時を要した。わたしは、小学生をあっいう間に開眼させる、魔法の方法をついに完成させたのだ。わたしのこの方法に初めて出会った小学生や親たちが感嘆し驚き、感動の声を次々に伝えてきた、くるようになった。 件の小4は、まだミクロマクロを意識的に学んだ年ではなかった。ミクロマクロが本格的にそれとして指導されたのは、23年のことだった。 それまでは、様々な未完成の方法を試してきた。件の小4が、見事に、小石川に受かった、23年の次の世代の指導からだった。それまではまだ過去問合格法が主流で、レジュメ指導も付随的な時代だった。 わたしは、窮すると、いつもこれを思い出した、昔からこの方法で、合格をとってきた。今年も、合格可能性50%だった、二人の男子が、この方法で、合格した。奇跡だった、過去問合格法は、奇跡の方法だった。そうだった、いつもわたしは難関と言われたところをこの方法で撃破してきたのではないか。わたしにもわからない何かが、何かの力がはたらく、この方法には、神秘的な力さえ感じたものである。 久しぶりに、今年の指導で、わたしは過去問合格法を復活させた。しかも、今度は、わたしの選んだ学校数校に絞っての、さらに進化した、過去問合格法であった。わたしには閃きがあった。この方法でいけるという。 そうだ、わたしは過去問合格法で、奇跡的と言われた合格を出してきたプロだったのだ。 レジュメ指導法が、小学生について、完成したのは、平成24年の指導であった。25年に小石川、白鷗、桜修館と合格した子たちは、紛れもないレジュメ世代の子たちであった。すっかり忘れ去られていた過去問合格法が復活したのは、模試で50%という、低い可能性に、どうしてもこの子たちを受からせなければというわたしの思いが、遂にはかつての過去問合格法を蘇らせることになったのだ。

 さて、中学生については、平成17年に教材のレジュメ化に踏み切り、丸3年かけて、完成。20年には、都立西に、一般入試で合格させることに成功した。 今、竹の会には、膨大な量の、高校入試のための、実は、早稲田、西を念頭に置いた、レジュメが、完成し、眠っている。いつか、逸材が、わたしのレジュメを使って、慶応、日比谷に合格する日を待っている。

 話しは、さらなる高校受験に飛ぶが、わたしは、国語読解とは何か、その本質の解明にも、心を砕いて来た。大学受験の予備校には、現代国語に達観した講師たちが評判だったが、わたしは、そういう人たちの著作を片っ端から読みまくった。そしてひとつのヒント、重要なヒントをつかんだのだと思う。わたし自身がよく書物を読む、そういう経験を踏まえて、わたしなりに 国語の指導というものを考えてきた。今 わたしが執筆している、国語読解のためのレジュメは、そうした、わたしの国語の思いを実践したものだ。今年桜修館に合格した女子がわたしの 執筆した国語教材で飛躍的に国語の読解力を伸ばした、ということを体験談で知り、ひそかにわたしの国語指導の成功を喜んだ。彼女は東京農大一高附属にも受かっているが、私立中学の模試も受けていたようであるから、国語の偏差値が凄まじく上がったということなのであろう。

 竹の会では、すでに英語の指導法は、確立しており、竹の会の高校受験生が、こと英語に関しては、過去難なくトップ水準に、達していたことは、竹の会では、ごく当たり前のこととして、特に話題にされることもなかった。また 高校受験の理科、社会の指導も、竹の会の指導理論が、成功に導いてきたことは過去が証明してきた。ただし、部活で後に回すという生徒たちがいたことはかなりにあって、こういう生徒たちが、ギリギリまで、理科社会に苦しみ、最後はなんとかなってきたものだが、今年初めて、本番で失敗した生徒が出た。中3の夏休み、8月まで、試合に明け暮れて、先送りになっていことを、わたしはそのことを思い出さずにはおれなかった。「今日は部活で遅くなります」、いつもわたしには重い、言葉だった。そのことが一番先に頭に浮かんだ。 だから部活は嫌なのだ。部活で、本番落としたら、内申気にして部活を優先させてきた意味がない。いやそもそもなぜ運動部に入り、勉強を蔑ろにする道を敢えて選んだのか。中学なんて高校への通過点ではないか。高校も大学への通過点に過ぎない。親たちは物知り顔で言う、人生とはいろいろあって、いやいろいろ経験して、そう、若い内に打ち込むものがあって、それが人生なのではないか、勉強ばかりして人生を楽しまないなんて、そんな人生を我が子に送らせたくない。特に、部活は自分の中学時代にはすばらしい経験として今も残っている、と。けっこうなお話しである。確かに、そうなのでしょう。しかし、勉強にすべてを捧げる、費やすというのも貴重な、青春時代にしかなしえない経験です。そしてこの経験は多くの人たちにはなしえない経験です。勉強するというのには、強い自己を律する、強い強い心が必要なのです。惰性で、部活にのめりこむ、というのはまるで違うのです。部活命で、時間を費やす。その結果、勉強時間が足りなくなる。わたしには意味がわからない。その結果行けたはずのトップ都立を逃す、それがわたしにはわからない。受験というのは、勉強時間の絶対量が多い者が勝つのである。部活で勉強時間が極端に少ない、それで、数学が得意、英語ができる、国語もできる、理科社会も高得点を取れる、そういう生徒が、勉強時間の絶対量を確保したなら、そういう生徒に勝てることはない。これが受験の真理なのだから。 わたしが夏に1日少なくとも7時間の勉強を要求するのも、勉強時間絶対量の多い者が受かるという、簡単な原理を説いているからにほかならない。もちろん中学なら10時間である。 竹の会をやめざるをえない子たちがやめていったのは、記憶に新しいことであるが、共通していたのは、勉強しなくなった中学生の姿であった。中には成績のよかった生徒もいたけれど、勉強に大切な、本質的なものが、欠落していた、ように思う。勉強に対する謙虚なかつ素直な姿勢が欠如していた。怠ける、尊大な自信、物事を甘く見る、そういうものが、どういう未来をもたらすか、やがて知るときが必ずくる。あるいは、レジュメを出せない、その意味では悲しいまでに「できない」中学生もいた。

 中学生が落ちていくのは、遡れば、小4期前後の為すべき訓練の欠如であろう。今の塾は、受検目的、受験目的、補習目的とさまざまであるけれど、結局伽藍堂の、中身の空っぽの子どもたちを量産しているだけである。補習塾などというものは百害あって一利もない。わからないところを教えるなどという考え方から間違っている。子どもというのは、基本的な訓練をすること、思考枠組みを与えて思考の訓練をすること、その中から自分で考える姿勢、勉強のスタンスというものをつけていくことで成長するものである。バカ医者のやる対症療法と同じくらいに、本質的な解決はなにもしていない。わからないという子には、基本的な思考の訓練がないからと考えないのがわからない。小4期から小5期まで大手で過ごした子というのは、使いものにならない子がほとんどである。付け焼き刃の、その場しのぎの、「わかったふり」、「わかったことにする」積み重ねが、伽藍堂の中学生を創り出す。悲劇はすでに早くから始まっていた。中2になって、悲劇はクライマックスを迎える。ろくに理解もできない日々なのに、部活がバカに拍車をかける。高校入試は、低偏差値私立の単願推薦というお決まりのコースである。都立など夢のまた夢であった。何をどう踏み違えたのか。小4のころ、迷わず大手を選び、1年、2年と通ったことが、すべて、将来低偏差値私立高校への推薦合格のための布石であったとは、なんとも愚かな選択であったことか。世の親たちは何もわかっていないのである。竹の会のような、小塾の訴えを、鼻で笑って大手に行った親たちが今どういう現実にあるのか。たいていは子どもの受験で失敗し、公立中で勉強しなくなった、部活ばかりに青春を費やす、バカ息子、バカ娘に、何も期待することはないけれど、なかには親も部活優先を公言してはばからない。かつて「娘は部活で忙しいので、部活のない日、ない時間にこれる塾を探していた」という母親が来て、入会させたら、部活で疲れ果てていつも熟睡していたっけ。それで成績があがらないので「止めます」と言ってきた。バカ娘とバカ親のコラボであった。こういう輩はもともと勉強などというものはしないほうがいい。そういう人生で十分である。勉強をなめている。

 竹の会では、特に、募集ということはやらないが、それでも入会試験を受たいという人たちを拒むわけではなく、申込があれば受けていただいています。しかし、このところ見えるのは、「内申はよくないのですが」と断って受けに来る人たちがあまりにも多いことです。そして確かに内申はよろしくない。さらには最近の内申の評点も信用できないことが多い。「よくできる」が8割あっても、入会試験に落ちるケースが出てきたのである。かつてはさすがにそれはなかった。これはどうしたことか。学校の評価が、特に、かわいらしい女子に甘い傾向がある、というのはかなりの真実みがある。竹の会では最近正式の合格者というものがほとんどなく、仕方なくの仮合格者ばかりである。例に漏れず、内申は「よくできる」が5割前後の子ばかりである。できれば8割基準を満たす方のみに受けにきていただきたい。

 仮合格は指導の見通しが立たないときは、退塾していただく約束の仮入会である。ただ仮合格でも、小4の早期なら指導の力によって、成功する蓋然性は高いこともわかっております。ですから、わたしは小4の4月前後の子にはかなり甘い判断で、仮合格を出しております。しかし、小5の4月前後の仮合格、あるいは小5も晩期というのは、いろんな意味で指導が難しい。仮合格としても、報われることのないのがほとんどである。大手で思考訓練の機会というものを逸した子たちに、受検指導をするというのは、矛盾に満ちた、その場しのぎの勉強を認めてやることにほかならない。これでは、受検に失敗するのは目に見えているし、中学になって、伽藍堂ゆえに落ちていくことも見えている。受検などは忘れて、遅ればせながら基本訓練をするのが一番なのだけれど、親も子もそれは望んでいない。なにしろこんな状況でも「受かる」と信じて勉強しているのだから。わたしには見通しのない、苦しい指導なのであるが。

 夏休みは、8月に集中して指導します。A10回、B10回、各7時間、12時~7時の実施を予定しております。日程の基本構想は、ほぼ完成しておりまして、今、細かい調整中です。特に、わたしの年齢からくる体力も考えて、3日やって1日休む、というリズムにしました。夏については、学校の公的行事についてのみ、振替を認める予定です。AはBに、BはAに振り替えます。ただし、空席がある場合という限定つきです。私的な旅行等に対応することは物理的に無理と思います。

 また、本年は、外部生の参加を募集することになっております。竹の会の指導というものを広く、知っていただく、唯一絶好の機会です。すでに数件問い合わせがきておりますが、6月初めには詳しい決定した計画をお知らせいたします。今しばらくお待ちください。

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