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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

日比谷・西・戸山・青山/小石川、桜修館、九段、富士/小学生の親たちの誤算

2018.11.03

 11月になりました。受検本番前3か月、うち実質勉強できるのは、11月と12月、1月冬期終了まで。そしてさらに実力を深化できるのは、この11月だけです。進んだものは、11月を過去問合格法及び解き直しにかけられます。遅れた者はさらなる思考訓練をしなければなりますまい。必然過去問合格法、解き直しは12月以降に持ち越しとなります。気を抜くことなく慎重に事を進めていくつもりです。今年は、去年と異なり、新作を執筆しながらの指導となりました。難化する適性問題に対応するために、新たな書き下ろしレジュメの制作に意欲的に取り組んでおります。

🔵あなたたちが、考えている以上にあなたたちの子どもは、できないという現実

 23区の小学生を持つ親たちの認識は限りなく甘い。
 子どもたちに誰でも解ける易しい問題ばかり解かせて、いったいどうなるのか。それが今のあなたたちの子どもの現実ではないですか。易しい問題は脳に何の刺激もない。こういう生活を何年も続けるのは、飼い殺しにするようなものです。易しい問題ばかり解かせて、解けたら花丸あげて、子どもを喜ばせる、これをやると子どもは確実にバカになる。そういうことをあなたたちはやっている。あなたたちは子どもに花丸あげて、つまり脳にできるだけ刺激を与えないように気を遣っているわけです。まだ幼い、小さい子どもだからそれでいい、時が来たら頑張ればいいのだからとでも、思っているのでしょうか。しかし、その時なんかずっと来ない。そして小4、小5になって、またまた花丸塾に入れる。世間の塾は花丸塾ばかり。一番まずいのは、公立中高一貫校対策の大手塾。これに補習塾という名の大手塾。補習塾というのは、学校の二番煎じをやる塾のことです。これには学校の授業についていけない子たちが集まる。親は理科も社会も授業があってと喜ぶ。しかし、要するに、バカのための花丸塾ということである。だいたい学校のコピー塾に行って、何を喜んでいるのかわからない。学校の授業がたいしたレベルでもないのに、ついていけない、そこからしてもう無理な子たちです。だから大手は最初から訓練する気などない。平易な内容をやらせて、花丸あげて、喜ばせる。そうすれば、アホな母親は、土曜テストで「うちの子は2番ですから」と安穏なものである。わたしから言わせれば、その大手の駅前教室で2番というのが、計算もろくにできない、割合もわかっていな、つまり取り返しのつかないバカなのですが、親は落ち着いたものです。だから「今の塾に不満はないのですね」と尋ねると「はい」と言う。「不満がないのなら、そのまま続ければよろしいのではないか」と言ってやったが、そもそもなんで竹の会にそれならやってきたのか、と問いたくなるのを我慢してお帰りいただく。竹の会にやってくるのは迷っているからでしょ。親も実はこのままでいいのか、不安を持っている。まあ、花丸塾に通って花丸もらって喜んでいる、そんなことを何年もやっていたら、小3、小4になっても、幼いままの頭でいることになる。甘えの世界で自己を満たしてきた子は試練に出会うといつも「よくできるね」と褒められてきた記憶しかなく、たちまちパニックに陥ることになる。どう処していいのか、わからないのである。

 わたしなどは「終日(ひねもす)のたりのたり哉」の田舎で暮らすと頭もおかしくなる。花丸というのは、小学校の先生が、子どもを喜ばせるためにやるでしょ。花丸塾だと、10人いたらほぼ10人がわかる内容の教材を使うから、子どもたちは、満足しながら続けることになる。これの何がいけないのか。頭の訓練にならないのだ。人間の頭というのは、とにかく刺激にならなければ、頭はよくならない。指導というとき、子どもにどれくらいの負荷をかけるか、ということを常に、推し量りながら、やるわけである。負荷が重いとまただめで、負荷の度合いというものを考えて、レジュメを作ることになる。そうなると、レジュメの果たす役割はかなり大きい。レジュメによって、負荷調整する。つまり子どもの能力段階を見て、その段階より数%上の問題に仕上げる。指導というのは、子どもの理解の段階を見極め、次に、その、数%上の域、領域で戦わせる、そういう試みの積み上げであり、子どもを訓練する、子どもの脳を鍛えるというのは、子どもがストレスの中で揉まれる、そういうシチュエーションをレジュメ世界で作り出し、生還させる、そういう中からタフな精神を作り上げていく、そういうことである。わたしが子どもは、訓練してなんぼというのはそういうことです。竹の会のレジュメを見て、ただプリントをやるだけなどという親には来てほしくない。
 わたしが出会う小学生の10人中9人が、できない子たちであった。親が果たすべき躾の義務を果たしていない。物は買ってやるが、精神の糧は欠乏している。精神を律するということ、心の謙虚な振る舞いというものを知らない。だから逆境に弱く、すぐに屈する。最近も敵前逃亡した子が出たけれど、とにかく逆境に脆い。子どもというのは、花丸世界ではなくて、逆境の世界に置くべきである。そこに「律する」を学ぶ契機がある。タフな精神は、逆境の中でこそ培われる。親は子どもを逆境の中に放り込む覚悟がなくてどうして子どもに未来を生き抜くことを説得できようか。小3の子どもが、体力がないとか、あれこれと心配して先回りする、これを過保護と言うのだろうけれど、これでは、ひ弱な、自分で何も考えられない人間を製造していることになる。中学になってもすぐ疲れたと寝る、すぐ熱を出す、風邪を引く、これなんかは、親の先回りがもたらした顕著な弊害である。放ったらかしの親の子の方が強かに育つのは、自立するからである。

 Kites rise highest against the wind – not with it.  - Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル) -
 
 訳 凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。
 評 花丸塾は、まさに風に逆らわないで、流されることを是とする塾である。風に逆らっているときに上がっていく、のは、自然法則が、教えている。人は、逆境にあるときにこそ、上昇する。

 To build may have to be the slow and laborious task of years. To destroy can be the thoughtless act of a single day. - Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル) -
 
 訳 築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。

 評 折角続けてきた勉強をたった一日の思慮なき行為で破壊してきたのが、世間の親たちです。実家帰省は、盆正月で十日、様々な特別なことで、いったい何日何十日を潰してきたことか。

 A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty.  - Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル) -
 
 訳 悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。
 評  世の中には、面倒くさい人がいる。あれこれと細かい、私から見れば、大勢に影響のない、どうでもいいことをさも重要なことのように言ってくる。
   こういう人は、問題を見つけて、文句を言うことが、目的かのようで、確実に、彼ら彼女らは、機会、チャンスを失っている、ことを悟っていない。

 It is a mistake to try to look too far ahead. The chain of destiny can only be grasped one link at a time.  - Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル) 
 
 訳 先を見すぎてはいけない。運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。
 評 基本的には、人間というのは、一度に1本の糸、つまり運命の糸しかつかめない、のに、世の中の親というのは、一度に何本もの糸をつかもうとして、結局一本もつかめずに終わる。早期英語が大切だと言っては幼児から英語塾に通わせる、バスケやサッカーに夢中の親もいる、ピアノ、ダンス、舞踊ととにかく親は夢中である。が、一つ気になるのは、あなたたちは日本人でしょ。漢字も書けない、そもそもまともな字も書けない、古典の教養もない、本も読まない、それでも親は寛容で、サッカーや野球にはいくらでも時間を使う、この人たちは、いったい「一度に」何本の糸をつかもうと言うのか。この人たちにとっては、合格の糸も他の糸と変わらない価値しかない。

 Success is not final, failure is not fatal: it is the courage to continue that counts.  - Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル) -
 
 訳 成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である。
 評 

 竹の会より優れた塾がないから、一度竹の会を経験すると、他塾を否定するようになる。また一度体験するともう竹の会の虜になる。
 塾がわかっている人ほど、竹の会の真価に魅せられる。惹きつけられる。塾がわかっている人とは、進学塾に子どもを通わせていた、またはいる親。この人たちは、塾というもの、本物の塾というものを進学塾に揉まれた反面教師としての学習によって学ぶのである。つまり失敗を糧に無駄なカネもかなりに注ぎ込んで学んできたのである。そして実際にカネを使って、塾というものの実際、現実をよく知っている。そういう親ほど竹の会の真価を悟る、見抜く。実際見抜いてきた。いや必ずしもそうではない。進学塾にいたために、物事が素直に見れなくなっている、物の本質から外れている、頑迷な、硬い頭の親もいるからである。だから、塾をよく知っているというのは、結局知らないに等しい人たちもいるから、そういう人たちはもちろん除外しての話である。
 かつて高校受験に成功した母親は、竹の会を「本物の塾」と言い切ったが、これは、竹の会を信頼した人、絶対的な信頼を崩すことのなかった人に自然発生的に口をつく言葉のようである。
昔から竹の会は、こういう一部の、熱心な、絶対的支持者によって、なんとか細々と生きながらえてきた。竹の会は、2012年に渋谷教室に移転して、地元密着型の塾から、23区全域を対象とする 、塾として、東京の皆さんに竹の会の「ある」ことを訴えてきた。元代々木教室でも、平成20年前後から、他区から通う子が次第に多くなっていたが、渋谷駅から遠いことが、障害となっていた。竹の会は、昭和60年10月に、地元密着型の塾として、高校受験を専門にやってきた。代々木中学と上原中学の生徒を中心に渋谷区のいろんな中学からやってきた。平成15年あたりから、公立中学の低調、学習不振児の増加、都立の凋落と、少子化など、さまざまな要因が重なり、指導環境が悪化し、竹の会には、低学力の学習不振の生徒ばかりが来るようになった。彼ら彼女らは勉強に意欲がなく、したがって長続きせず、家庭学習など皆無という生徒ばかりだった。さすがに、わたしも中学の募集を打ち切って、新しく始まった、公立中高一貫校にシフトを変えることを考えた。その前に、高校受験については、平成17年から、レジュメ化作業に入り、20年に完成させたところであった。このレジュメで、20年には、都立西、豊島丘女子、立教新座、桐蔭理数などに合格者を出している。19年には、九段中等の外部枠11倍を突破して合格、この年には、東大附属に2人合格者を出した年でもあった。こうして竹の会元代々木教室は、本格的に公立中高一貫校専門の塾として、スタートすることになる。渋谷教室移転まで、あと6年のことであった。、昭和60年10月竹の会元代々木教室開設、平成24年5月6日竹の会渋谷教室開講、現在に至る。東京の渋谷に「とてもいい塾があるんだよ」と23区の皆さんの口の端に乗る日を夢見て竹の会は細々としかし精一杯の力を尽くしてきました。平成30年11月現在なお竹の会は健在です。

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