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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

日比谷/小石川/桜修館/九段/富士/漢検結果/その他

2018.06.29

 おはようございます。関東の梅雨はどこへやら、真夏真っ盛りですね。本日は漢検結果をまずお知らせするために更新します。正直仕事に追われてなかなかブログまで手が回りません。それですき間時間にはi-phoneのpagesを使って思いついたことを書き留める、それで休日に一気に更新するということをしています。

 いよいよ7月ですね。中3はいよいよ高校受験にはもっとも大切な期間に突入します。普段は5時間以上、休日は10時間以上というのが理想です。わたしが中3の頃は学校のある日でも1日7時間はやりました。学校から帰ると1時間ほど寝る、それから温泉に浸かりにゆく、それから夕食、7時ないし8時から明け方の3時、調子がよければ4時、5時まで頑張る。少し寝て、朝めし食べて学校へ、そういう生活をしていました。だから学校でよくうとうとしましたね。当時は塾なんてなかった。いや英語の塾とかに行っているヤツもいたけれど、わたしは負けたことはなかった。学校は通常の授業が終わると、2時間かもっとか、補習があった。補習で使うテキストが例の「3年間のまとめ」で5科目5冊でした。高校受験はこれだけしかやってない。ただわたしは「5科のまとめ」みたいなものが好きであれこれ買ってはやっていた。あの頃、竹の会のような塾があったなら、わたしはもっと実力をつけられたのにと思う。当時の補習程度では、進学校のレベルが高すぎて、英語も数学も苦労した。この頃からわたしは勉強というのは、前倒しで進めること、レベルを落とさないことの大切さを思い知らされていた。

 中3のみなさんが、どうか竹の会の課すノルマ、課題を確実に実行されることを願っております。

 ◎漢検結果

  合格のみ記載 4名合格

  3級 2名合格 ●世田谷区小6  ●渋谷区小6

  6級 2名合格 ●葛飾区小5   ●文京区小5

 ◎月謝のお支払いのお願い  

  前月最後の指導日までにお支払いください。お支払いのない場合、スタッフより督促メールが届くと思いますので、善処くださればと思います。

🔴小5、 小6では遅いですか

 小4の母親からの問い合わせである。 小5から指導始めて、間に合うか、 一般的には、言えない。 当の子どもの知能、学力の段階にもよるからである。 まず、実行力、家庭環境、ここでも、違ってくる。 何かと家庭の事情の多い家庭の事情子は、軸足がふらついている子が多い。いや正確には、どうも勉強回避しているのではないか、と思わせる行動が垣間見える。 またそれまでの塾経験もある。大手にいたとか、様々な塾にいたとか。 親の中には、今行っている塾でうまくいっていると信じて疑わない親も多い。そういう親というのは、竹の会を信じること、今の塾を見切ることに、抵抗感をもつ場合がほとんどである。だから竹の会は知っていたけれどやってきたのが1年後ということもよくあった。しかし、そういう親たちが、何かのきっかけで竹の会を経験したとき、例えば、夏期を体験するとか、そういう機会でしか竹の会を知り得ないのだが、そういうときに、竹の会を体験した子どもが、今まで最高と信じていた塾への信頼が揺らぎ始める、あるいは一気に崩れさる、あまりにもの竹の会ショックに動揺することこの上ない。たいていはこういう流れになる。ほんとうに絵に描いたように親たちは子たちの反応は定型化している。あなたたちが、信じて疑わない、塾、講師が、実は、眉唾モノであったということを悟ることができたのなら、それは幸運なことでした。 多くの人が、騙されたまま、それさえも気づかないで、我が子の不運を運命と諦める。

 小5から、小6から、で間に合いますか、 高校入試なら、中2からでも間に合いますか。 こういうことを質問してくる親がいます。 おそらくできるだけ塾に金を使うのは遅くしたい、そういう意図なのだしょう。コスパママ、コスパパパというのはわたしもいろいろと遭遇しております。「間に合います」という肯定の答えを期待しているのでしょうか。 そもそも小4の4月から、高度な、つまり小数、分数、カッコなどの入り混じった四則演算の訓練をしてきた子、そして6月には、割合というものを理解するためにさまざまな訓練を重ねてきた子、訓練に勤しむ子、そういう子と比較して、小5からでも間に合いますか、という質問に、「はい」と答えられるか、ということです。 小5の4月からで間に合うか。 確かに、今年の合格者は全て小5からであった。 桜修館合格者は小5の夏の外部生であったし、富士合格者の一人も同じ、富士のもう1人は小4の3月からだが、さしたる差はない。ほとんど小5である。桜修館合格の子はそれまで算数専門の個人塾に通っていたからそれなりの思考訓練はしていたわけであるから全く真っ白というわけではない。富士合格の一人は栄光にいた子、もう一人は塾が初めての子てあった。 この子たちは、それぞれに能力も違うし、環境も違う。ただわたしの指示にはよくしたがってくれた。課題もほぼ完璧にやってくれた。 ただ富士の子たちは、冷や汗ものであった。 小4から来ていれば、局面は、かなり違ったものになっていたと思う。 桜修館合格の子にしても、小4早期からきていればもっと伸ばせていた。 小5から来た子たちの、大半は、やはり時間不足で、失速したのがほとんどである。 一般には、小5からでは明らかに遅いのである。 先の小5の例は、志望が富士だったから、間に合ったということもある。 桜修館の場合、能力が高かったということもある。だから一般的にこうだということは本来言えない。 ただ世の子どもたちの平均値で、判断すれば、そうなる。

 習い事、稽古事、体育会系行動、こういうのをやりながら受かろうと考えるとたいていはしくじる。 凡人が適当にやって受かろうとするのと変わらない。だから、うまくいくはずがない。 凡人は、人並みの生活をして、受かると信じている。こういう凡人が、小5から来ても間に合うことはない。失速するのはわかっている。 こういう子の親、家庭は、また楽観的であり、とにかく甘い。 習い事、稽古事、体育会系行動なんでも、勉強に優先させる。これで失速しないのがおかしい。 こういう親は試験というものを舐めている。 仮合格でも、小4早期からと小5からでは、まるで展開が違う。小4早期から来た子は大切なことを小4で終わらせる。 小5からだと、基本で時間がかかれば、次のステップ、さらに次のステップに影響する。小5だと、小4のようにじっくりとやる時間的余裕がない。時間がかかればそれだけ、予定された指導が遅れる。 竹の会が推奨する、小4早期入会は、すでに経験的な真理なのである。 小5に来て失敗する子のパターン は、小4の時、大手にいた、 塾経験なし、 習い事、稽古事に熱心、親も必死、 家庭の事情が最優先、帰省は必須の家庭である。 それから、塾へ行くのをできるだけ遅らせたい、というのは、受検のために勉強をすることが、それが思考訓練であれば、とりもなおさず、中学に入ってからの、ひいては高校受験のための、大切な基礎作りになっているということを忘れたぼ、無思慮な考えである。塾に早くから通って訓練することが、将来の高校受験のための礎となっていることをも忘れた議論であるということである。 さらに言えば、塾一般で尋ねられても困る。竹の会とその他の塾では、言うことが違うでしょ。 大手は来てくれさえすれば、小6からでも間に合うというでしょ。たださすがに小6後半、直前は大手でも間に合わないと言うのではないでしょうか。ただし断ることはない。

🔴仮合格と進捗、あるいは入会試験に合格しても勉強に集中できない子、家庭のこと

 竹の会が、いいとわかっても、竹の会で、ずっと指導を続けたい、という思いには応えられない。 指導は日々真剣勝負です。わたしは指導の粋を尽くしてなんとか能力を引き出そうとしています。しかし、それが必ず成功するとは限らない。当たり前です。特に、小5の仮合格だとうまくいかない ことの方が多い。小5のA合格でも、伸びなかった例ならいくらもあるのですから。どうしても勉強に専念できない人たちがいるから、そして小5のA合格には外れも多いことからである。

 小4だと仮合格が多いのも、まだ能力未開ということがあるから。だから伸びてくる可能性は高いのです。事実小4早期の仮合格者というのはたいてい伸びています。これが小5になるとそうはいかない。ただ小5の仮合格者でもとにかく勉強熱心な子というのがいます。本来仮合格は進捗がなくなれば退塾という約束の入会です。しかし、熱心な子を約束だからと退塾にはできないでしょ。ここがまた仮合格制度のジレンマです。本人が熱心にやるのを突き放すようなことはできない、そうは思っています。しかし、受検の成功の可能性は限りなくない。できれば仮合格制度の初心にしたがいたい。いつも悩んでいます。

 小6からというのは、いろいろな意味でお話しにならない。 大手にいた子はまず指導そのものが難しい。ただ高校受験なら小6もありうるけれど、ここでももともとの知能がその成否を大きく左右することになる。竹の会で言えば、わたしのレジュメを読んで理解する能力がなければだめである。昨今は教科書を読みとれない子が増殖しているけれどそういう子は竹の会に来ない方がいい。竹の会の入会試験も実は、そういう能力を見ているだけである。わたしが指導して理解できるのか、そこのところを見極めようとしているだけなのである。

🔴再び、記憶のこつ

 記憶と思考 の関係はどういうことになっているのだろうか。記憶しようとする意識を消す、これが記憶の極意であるとして、前回述べたましたが、この意識を消すとは、何かほかのことに意識を集中させる、 ということです。何かの例として、対象の抽象化に没頭するというのがあります。抽象化というのは、 まず、共通なものを見つけて、その共通なものがなぜ共通なのか、つまり普遍的要素なのかを推理して、その根拠を問うことです。より本質的な上位概念を得ようとすることが、すなわち思考にほかならないのです。これが抽象化の過程です。 それは、上位概念でくくる過程です。言い換える過程と言ってもいい。おさらいすると、共通な要素を拾う、その要素の存在根拠を問う、 そこから、より本質的な、内包された概念へと、抽象化していく。それから 上位概念から下位概念へ、改めて、見ていく、これが記憶の想起です。思考するというのは、つまりは上位概念となるワードを考える、それらをまとめるワードを考える、ということにほかならない。

 

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