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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

早期教育、幼児教育と知能の壁

2019.01.27

本番まで 日 初日不算入本番の日まで

 お早うございます。低温と乾燥が関東をインフルエンザには住みやすい環境にしています。このところ子どもたちに突然の発熱、体調不良が勃発し、インフルエンザを疑い、受検生の安全をたちまち危惧してしまいます。受検生がこのまま大過なく本番の日を迎えられることを祈るばかりです。

🔵早期教育、幼児教育と知能の壁
 結局は、知能が規定する。いやこれは最近読んだ「もっと言ってはいけない」という本のことです。

 それは年来わたしが思い続けてきたことを最新の科学レポートを根拠に検証するものです。

 それによりますと、「早期教育の効果は思春期までに消滅する」としています。
 知能凡庸な子に早期教育を施すのは、最初は、周りの、なにもしない子に比べて、もちろん効果を感じるであろう。しかし、発達行動遺伝学の知見 は、その効果も思春期までと規定している、というのです。実際、わたしの指導経験から、言えることを客観的に述べてみると、知能の高い子の場合、受検の時に、知能の発達段階がタイミングよく合うかどうかである。合わなくても高校入試で成功するのはほぼ確実である。この点については、同書には、認知能力に及ぼす遺伝の影響は、幼児期、児童期は40%強、その後、遺伝率は着実に上昇していき、成人初期には約70%に達するという、ことが書かれています。発達行動遺伝学の知見の成果のひとつとして示されています。
 この知能の高い子たちが、小3晩期、小4早期から、訓練を開始して、初めて受検時期にタイミングが合う、ということなのであるのかと思います。ところが、この知能の高い子たち、その家庭が、趣味やレジャーを楽しむ一家の場合、そして子どもの精神年齢の成長が遅い場合などに、タイミングが合わないという事態が生じることになります。しかし、早晩この子たちが受験で成功するであろうことはほぼ確定した予測である、とわたしの経験が教えています。
 多くの親たちが、誤解してやまない、我が子の知能がそれほどでもないということは、認めたくないけど、薄々は感じている、しかし、そういう子でも、早期ならなんとかなるのではないかと期待する、ことについて。しかし、早期の効果は、思春期までに消滅してしまう、思春期前後は、遺伝的知能の優劣で決まる、とされるのが科学的知見です。幼い時から母親の言う通りに夢中で勉強してきた女子が、小5、小6と長じるに従って、早期勉強の効果が薄れて、次第に知能的限界に苦しむ姿を何例となく見てきたことか。真面目に努力するのに、知能が試される問題で挫折する。
 知能という、理解の箱は、遺伝的に規定されている、のです。
 それから、女子と男子の知能差について
 男子は、空間把握能力に優れ、論理・数学的能力に優れる、女子は、言語能力・共感力に秀でている、という指摘があります。
 ここでも、原始時代の男子が、狩猟採集生活に必要な空間把握能力を進化させたこと、女子は、集落の周りでナッツや穀類を採る、そこでは女たちの噂話が言語能力を進化させ、なかまはずれにされないように共感能力も進化する、そういった説明がなされています。
 それから、男女は、知能に差はないが、ばらつきが異なる、という指摘もありました。
つまり、男の方が、標準偏差が大きい。女は、IQが平均的付近の人が多い。入試の結果、女子の比率が高まるのは、遺伝的には、当然の成り行きだったということである。女子の方が平均的には「できる」人が多いということである。標準偏差が大きい、ということは、超天才も出れば、極端に知能の低い人も出る、ということです。

 わが子の知能を遺伝的特質を無視して高く見たいのは、親の心理なのであろう。さらにこういう親は、早期に教育すれば、遺伝的ハンディーも克服できると密かに期待もする。しかし、思春期までには、その早期の効果も消滅してしまうのです。

 過度の親の期待、特に、家庭では特別の存在の父親の期待が、子を破壊していく構造について
 子は親に評価されることほどうれしいことはない。が、親の評価は甚だ主観に偏ったものになる。子どもの能力を過大評価し、子どもは現実との乖離に悩む。親の期待に応えることのできない子どもの自己保存本能は、思わぬ怪物を創り出すこともある。できないのは他人のせいだ、先生の教え方が悪いからだ、と考える、親にも直訴する。自分の知能の限界と親の期待、親は教え方でできるようになると信仰している、その狭間で、幼い頭を悩ませる。嘘をつくしかない。嘘も虚構が滑稽なほど大掛かりになってくる。奇異が突出してもその不自然さにも思い至らないほど幼いのである。

 自己知能に対する遺伝の影響は成長とともに高まり、幼児教育の効果は思春期になるとほぼ消失する。これが発達行動遺伝学の知見です。認知能力に及ぼす遺伝の影響は、幼児期、児童期は40%、残りの50%は強は共有環境、つまり子育てと非共有環境、つまり友だち関係で説明できるとされる。しかし、成人期初期には約70%に達する。同書は、「親のいうことを聞いて一所懸命勉強する子どもは最初は成績がいいが、中学受験や高校受験の頃になると、それまで遊んでばかりいた子どもにあっという間に追い抜かれる。これは教育に携わってきた人間なら誰でも知っていることである」と述べる。長年塾に関わってきたわたしにはよくわかります。地頭がいいというのは、遺伝的な知能のことにほかならない。
 生得的な能力が思春期に向けて徐々に開花していく、という自然のプログラムは、人間の思惑とは関係なく、春になったら花が開花するのと同じように、進むのです。

 竹の会の指導が、果たす役割、意味
 遺伝子的知能に規定される、これは早くから私が主張してきたことであり、渋谷教室の開始と同時に、入会試験を制度化したのは、長年理想としてきた指導を実行したかったからです。
塾の業界では、知能が足りないからできない、という言葉は「言ってはいけない」、暗黙の前提とされています。しかし、これは、塾関係者なら誰でも思っていることです。ただ親の心理は、違う。どんなにできない子であっても、塾の側から、指導は無理です、と言われると、うちの子を見捨てた、と捉える人もいるのかもしれない。しかし、塾は万能ではない。わたしの塾では、そういう、つまりできない子をできるようにする力はありません、と正直にいうことが、許されないことなのか。竹の会をそれほどの塾でなければならいと見られているのか。しかし、それは買い被りである。
 私は竹の会スタートの時から言ってきた。そもそも指導のできない子がいる、確かに、わたしは、オール1の子だって、だめだとわかっていても、全力で見てきた。確かに、そういう子が、ほんの少しだけ前進したかもしれない。しかし、わたしは、今は、そういうことに情熱をかけるほど若くはないし、関心もない。残されたあと僅かな塾人生をわたしの思うようにやりたい。ただそれだけなんです。竹の会には、できないということは許されないのか、自らの塾には限界があると言ってはいけないのか。
 塾は万能の塾でなければならないのか。
 竹の会は、市井にひっそりと営む、小さな私塾に過ぎない。吹けば飛ぶような小塾に過ぎない。どうか竹の会に社会的な、規範的な、ものを求めないでほしい。

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