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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

晩秋から初冬への思い、11月という季節/通信という選択/大原の模試についての揺らぐ思い

2018.11.13

 おはようございます。秋はどんよりとした曇りの日と青い秋空の日が交互に繰り返しやがて初霜が降りて冬が来る。11月が過ぎてゆく、大切な11月が天の法則に従い、人間の事情とは関係なく過ぎてゆく。いつも受験時期は苦しかったけど、今年は特に厳しい。わたしの合格への思いが新作レジュメの執筆へと駆り立てるからだ。去年の11月は新しく何かを作ったという記憶はない。今年はよく「みくに」の過去問を読む。解く。だから忙しい。仕事に追われる。苦しい。しかし、2月9日の発表の日のこと、掲示板の前に立つ、そのときの光景がわたしを追い詰める。「ない」というのが恐ろしい。だから手を抜かない、やれることは死力を尽くしてやっておく、そういう思いに駆られる。

🔵寒かった子ども時代

 秋はいつも手にアカギレが出来て、あちこちから皮膚が切れて血が滲む。霜焼けは、生来皮膚が強いのか、それほど酷くはならない。いつも鼻水を垂らして、袖口で拭き取るので、袖口はカピカピになったっけ。あの頃は、何を着てたのかな。木綿の下シャツに、木綿の上着かな。寒かったなー。でも外で遊ぶのが、好きだったなあ。小学校は、家から3分くらいかな、市立西小。冬になると、暖房は、火鉢だけ。炭に火を起こして暖まる。新聞紙を丸めて火をつけて炭が赤くなるのを確かめる、それから炭を追加する。あの頃は小学生でもマッチで火を点けていた。火鉢ではよく餅を焼いた。お湯も沸かした。鍋もかけた。あの頃は、食べる物もなくて、おやつは、餅か芋だった。祖母は、畑の名人だった。後年NTTを退職した弟が、畑を始めたとき、弟の嫁の実家が、農家で、義母に畑のイロハを教わりながら、ナスやキュウリなど作ったとき、名人に教わると大きなのがたくさんとれて、周りの畑をやる人たちが驚いたらしい。かつて祖母が普通に作物を育てていたのを思い出して、ばあちゃん、野菜つくりの名人だったんだな、と初めて気がついたのです。畑には、いつも季節の野菜が豊作だったけど、それはみな、ばあちゃんが、名人だったんだからなんだ。わたしは、何にもわからないで、ばぁちゃんの作る野菜を当然のように見ていたけど、ほんとうに知らないということは、恐ろしい。空威張りなんですね。
 大晦日には、いつも近所の若い衆が、近くの家のそれは広い土間に何人も集まって、餅をついた。町内の人たちが餅つきを依頼して、次から次に餅を、ついた。若い衆が威勢良くかけ声出して熱気と活気の中でつきたての餅を食べた。九州の大分の餅は丸い。おかきにもした。少しだけあんこ入りも作った。もろぶたにお餅並べて冬の間中、お腹空いたら、火鉢で焼いた。プーと膨れたら、小皿に醤油垂らして餅につける。また火鉢で醤油を乾かして食べる。あの頃、父と母は、子ども3人を食べさせるのに、大変だったんだ、と思う。
 わたしの父は、今のJR、当時の国鉄に16才で就職した。鉄道員の給料は少なかった。私たち一家はそれでも父の収入で懸命に生きてきた。私は祖母にいつか「お金持ちになってばあちゃん楽にしてあげるよ」とよく話した。私の小学時代、それは、いつか自分が、金持ちになる、そして、父と母を楽にさせたい、私は子ども心にいつも胸にその思いを秘めて生きてきた。父は憲兵上りで、何かとわたしには体罰で教育してきた。わたしは小学時代父が勤務から帰って来る時刻が怖かった。殴られ、蹴飛ばされ、革ベルトで打たれ、真冬に裸にされてバケツの水をかけられ、裏の柿の木に縛りつけられた。わたしは勉強嫌いで、遊んでばかり、いつも母がだれかに謝っていた、そういうことなのかな。わたしは、優しい母と優しい祖母に庇われながら、生きてきた。父には中学に入ると次第に反感を持つようになった。父は私が成績があまりにもよかったことに驚いた。小学時代は、通知表は、3ばかりで、2も4もあったかな、5はいつも1つ、図工だった。低学年の頃は贔屓する担任ばかりで、図工は4かな、高学年になって、絵の展覧会で賞を取るようになった。図工も5をもらえた。中学に入ると、親が驚いた。小学時代のわんぱく小僧が、悪ガキ、酷い成績の小学生だったのに、いきなりトップクラスの成績をとったからだ。それからそれがフロックではなかったことを次から次に証明して、通知表は、5で埋まる。父親は、この頃から、小言を言わなくなった。ただいろいろとたしには理不尽な命令ばかりをしてきた。
 高校になると、父親への反抗は激しい憎悪に変わった。たぶん父も反抗ばかりする私が嫌いだったに違いない。わたしはいつも家を出ることばかり考えていた。だから高校出ると家を飛び出して、東京に出た。18才の時に、大型トラックの免許を取った。母が費用を出してくれた。東京と横浜の間を貨物トラックで往復した。19才の時、このままでは、いけないと、故郷に帰る。父親に頭を下げて、旧帝大を受験する道を選んだ。高校の時、不登校で、出席日数は、ギリギリ、合格してわかったこと、自分の内申が、Dだったこと、九州大の合格した友人たちに聞いたら、みなマルAと言っていった。九州大を受ける人というのはそういう人たちなのだということをその時知った。私が九州大に合格するには、高得点を取るしかなかった。わたしは、9月から翌年の2月まで、6か月の間、ひたすら部屋に籠り、勉強した。外に出るのは、夕方お風呂に行く時だけ。別府温泉だ。三畳間の部屋に籠って、目が覚めたら寝るまで勉強した。ばあちゃんが食事の世話をしてくれた。わたしにとって幸運なことは父が駅長として母とともに官舎に移ったこと。わたしは、祖母と弟と3人で暮らした。姉は嫁に行き、弟はNTTに就職していた。わたしだけが、父に疎まれ、もがいていた。あの時ほど勉強したことはない。10月の予備校の模試は、九州大は、番外だった。わたしはだれにもそのことは知らせずに、いつもの通り、朝から晩まで勉強した。もし落ちたら家を出る、横浜で大型に乗るか、それしかないな、わたしは、覚悟していた。父は、国立二期校を受けておけと命令した。しかし、わたしは、九州大だけを受けた。わたしはかけた。3月3日午前中と午後、各1科目、初日は、国語と理科だったかなー、2日目は、数学と社会かな、3日目が英語だったか、覚えていない。3日間に渡って実施された。覚えているのは、数学が、小問1つ落としただけで、後は答案を埋めたことかな。あまりにもうれしかったので覚えている。国立は数学で決まる。わたしの鬼門は数学だった。数学さえできれば受かると思っていた。だから試験が終わったときは、何か心が軽かった。発表の3月15日までの10日間は夏目漱石を読み狂って過ごした。発表の日は、西日本一帯にテレビ中継された。受験番号がテレビに映し出されるのだ。わたしは恐くて映画館に逃げた。映画館から家に電話したら、母が出て、泣きながら、「たけちゃん、おめでとう」と言われた。わたしは体からすーっと何かが抜けていくのを感じた。頭が真っ白になった。翌日新聞に名前が載った。父との確執はこのときは忘れられた。少しの間だけどわたしの心に平和が訪れた。

🔵意思の弱い人間に通信は毒
 手際よくまとめられた教材は便利か。カラー教材ならできるようになるのか。進研ゼミ、Z会、チャレンジなど通信をやることの意味は何か。メリットは、費用が安い、子どもが家のなかで勉強できることなどだろうか。デメリットは、そもそも効果は期待できるのか、通信の限界をどう考えるか、不提出が常態とならないか、結局溜まっていく教材を放置して終わらないか、そして通信がただのこなし仕事に堕さないか、次第に、消去的対応を常態としないか。さらに、問題なのは、通信で、本当に理解したのか。チェックする人間がいないということ、方法がない、ということ、がひとつの問題となる。「家庭でやった」問題を郵便で送って、添削してもらうというやり方は、本当に自分で解いたのか、は、藪の中のままに、こなし仕事ににならないか。参考教材を見ながら解いてもわからない。親が教えてもわからない。中には積極的に教える親もいるかもしれない。要するに、通信も、元から頭のいいヤツにしか、役に立たない。
 通信というのは、もともと自己統制の甘い子どもに、習慣、実行、継続を求めるもので、最初からうまくいかないのは、わかりきっていたことだ。子どもというのは、まだ幼い、自己統制などあり得ない。まだ親が躾ける時期に、自己統制を過大に期待して、子どもに丸投げする親は何を考えているのか、何も考えていないということではないか。
 通信添削と言えば、もう何十年も前からの老舗が、Z会である。Z会がもともと大学受験専門であったのは、しかも東大などの一流国立大を軸においていたのは、高校生の秀才の自己統制、自己管理能力を前提に成り立つことを知っていたからである。それでも途中で挫折する者が続出するのが、通信添削の本体なのである。つまり通信にしても、もともと意志力の強い、天才でなければ、成り立たない方法なのである。
 ところが、ベネッセなどが、どういうコンセプトなのか、小学生や中学生などが、気をひきやすい教材、景品を餌にして、雑魚を釣り始めた。定期試験のためのまとめとかもカラーで、美味しそうに料理して提供する。とにかく雑魚相手だから「如何にして、飽きさせないで、惹きつけておくか」に腐心したことであろう。おそらくスタッフは、通信の生徒が、飽きやすいことを前提に、いろいろと企画を立てて、欲しがりそうな景品をプレゼントし、定期試験対策を謳いあげ、カラフルなまとめの付録を用意して、これさえあれば「うまくいく」と洗脳しているに違いない。
 とにかく子どもを無能化することに全力をかける。今時の通信とは、子にかまってやる、遊んでやる、という発想である。親は、もっともかまってやらなければならない時に、丸投げして、その自らの為したる仕儀のもたらす事態の深刻さに気づかない。通信で習慣づくのは、先送りに慣れること、問題から逃げること、回避することを学習すること、そして自ら創意工夫するという意思を削ぎ押すこと、である。他人がうまくまとめたものを与えられて読む、という作業には、なんの生産的な脳の活動もない。自ら苦しんで、まとめ、表を作り、脳を使うことをしないで済ます、厄介なこと、面倒なことをすぐに回避する、そういうずる賢さだけを温めていくことになる。

 いいですか。そんでええの? 親は子どもに構ってやれない、これは仕方ない。しかし、だからといって、丸投げはないでしょ。子どもというのは、とにかく訓練すべきとき、つまりまだ親への反抗が芽生える前、つまり、自意識の芽生え前、この時期に、訓練しなければもう後はない。ここで通信や大手に丸投げすれば、どうにもならないバカに仕上がる。これは、わたしが実際にそれこそ何件も何十件も見てきたことだ。ほとんど例外なく、どうにもならない、手の施しようのないバカが仕上がる。大手で一年、二年かけて竹の会にやってきて、「先生、お願いします」と言われても、さすがに、わたしにそんな義理もないから断ることになる。

 わたしが、竹の会のことを訴えてきても、見向きもしなかった人たちである。よく母親たちはいう。「早くから竹の会のことは知っていましたけど」と言う。結局大手に行った、大手を選んだ。そのときは竹の会を興味はあったけどやはり胡散臭いと思ったのでしょう。無名の小塾ですからしかたありません。あるいは塾そのものに行くことに躊躇したという家庭もあろう。経済的な事情? ならしかたない。塾に払うカネはもったいない? という家庭もあるでしょう。色々思いはあるでしょ。だから塾にはやらないという家庭も多い。中3になって、さすがにようやく塾に行くという家庭も多い。財布の紐を弛めるのは短期間だけならしかたないと考えたのでしょ。だからこういう家庭の子は結局単願推薦で、低偏差値私立に行くことになるのがオチである。ご存知のように私立は学費が高い。高い学費払って、そのまま社会の底辺に吐き出される。塾をもったいないという人も私立高校の3年間は、かねを払うしかない。この人たちには、子どもに投資するという観念はない。いや人間の未来は投資によって買えるということがそもそもわからない。天才でもないのに我が子を迷わず大手に入れる親というのもいる。投資はしても投資失敗という親である。受験に失敗して、子が区立中学で成功するか。大手に行ったことが、つまり訓練「なし」が祟る、のがたいていである。ほとんどの中学生が部活で勉強しなくなる。家にいれば寝ている。部活に疲れ果て、勉強は無縁になる。こちらも単願、低偏差値私立。おわかりでしょうか、小3、小4期の選択の意味が。
 かつて竹の会は、小4の2月を指導開始としたことがある。もうすぐ小5という時期である。本当は、小4の早期から始めたかった。しかし、小4の早期から塾にやる家庭というのはまず迷わず大手を選ぶ。その余の親は、小4の2月でも早いと思っているのがほとんどである。だから小4の早期からにした。しかし、それでも竹の会に人は来なかった。小5さえも来ない。それで竹の会では、とにかく小5でも来てくれたら有り難かった。それで来てくれた子、たいていは3人前後、そういう子を育てて受からせた。しかし、わたしの思いは変わらない。小4の早期に来てくれたなら、普通の子でもなんとかなるのに。小5だと、普通の子はまずだめだ。それでは普通の子とは、どの程度を言うのか。皆さんは、知っているかどうか知らないが、内申の「よくできる」が7割あっても、普通とは言わない。8割ある子で普通である。5割前後なら、もう子どもに期待などしないほうがいい。もう少しわかりやすく言おう。学校の先生は、贔屓する。だからバカにも「よくできる」をくれる。もちろんもともとの秀才も「よくできる」はもらう。だから内申の「よくできる」が7割では信用できない。ただ8割は意味がある。もともとの秀才なら8割はとるからだ。そういう普通の子が小4の早期に訓練始めてということである。小5では遅いのは、そういう子は何もかもが遅い、理解も遅い、何をするのも遅い、からだ。

🔵大原模試のこと
 大原は、大手予備校である。ここの模試は、客観的な採点基準というものが作られていて、できる限り客観的な採点を心がけているように思う。もともと迅速な大量処理を必要とする大手予備校の必然的な成り行きである。大手の内部だけであれば、客観的な採点を可能とすることで、いわゆる偏差値を出すことも可能ですとなる。
 しかし、考えてもみてほしい。適性検査試験というのは、何通りもの答えがありうる問題が出されて、受検者を迷わせるところに特徴がある。比較ができるとしたら、計算、単位あたり量の問題ぐらいである。記述式だとかなり採点もブレがある。
ここ(大原)の問題が、どこまで信用できるのか。例えば、竹の会の去年の小6では、合格可能性80%、つまりその模試点なら本番で同じ模試点の人10人のうち8人が受かる、という判定をとった小6がいた。その中には70%を複数回とった子も2人いたが、結局本番では落ちている。逆に、50%しか取れなかった小6が合格した。これは何を意味しているのか。大原の模試の問題が、大原で使用しているテキストから、出たというとではないのか。そのままではなく、似た問題、実質は同じ問題を出したとしたら、大原に通う生徒に、外部生は勝てない。が、外部生でも80%をとる子がいる。外部生でもできた子が過去にはいた。ここで、大原が、模試のレベルを上げれば、内部生には、勝てない。下げれば、外部生のできる子が勝つ。そういうことではないか。そして80%とっても落ちるというのは、大原の模試、すなわちテキストということになるが、それが、本番とはかけ離れているということではないか。模試の問題が、本番の問題とは、かけ離れている。つまり、本番の問題から出るであろう序列とはまるで違う序列ということではないか。わたしが、その80%,70%とった子らについては、頭は悪くはないが、実力なしと判断していたこと、つまりそういう危惧の方が本質を嗅ぎ分けていたことになる。大原を受ける意味は大勢の受検生の中で試験の雰囲気に慣れるという意味しかないのかもしれない。
 大原の出す問題が、本番とかけ離れている。つまり、採点しやすい問題、大原のテキストをやっていれば解ける問題、そういう問題であるとするならば、これからは、あまり薦められない。広げれば、大手の模試は参考にならないということになる。例えば、日能研の模試はどうかという話しもあるが、あそこは母数が少なすぎだ。平成20年当時の日能研や大原の模試は、まだ受ける側も純朴で、参考になった、比較できた。しかし、近年の予備校の模試は、受検者が、それぞれに通う大手の模試を受けるから、志望校の合否判定には、参考にならない。受検者が分断されているから、九段なら大原を受けた層とエナを受けた層など、バラバラで、正確な順位など分からない。竹の会が薦めているのは、早稲田進学会の模試だが、あそこは日曜日などにどこかの会場を借りて塾をやっているとこだ。3時間ほどやると聞いた。模試は本番にもっとも近いかもしれない。もちろん内部生有利は変わらない。しかし、本番に近ければ近いほど、内部生の有利性は減る。早稲田模試で名前が乗れば受かる蓋然性が高い。もちろん乗っても落ちた例はある。その差は何か。わたしの独断で言うならば、夏7時間やったか、解き直し7回やったか、課題をきちんと出したか、こういうところを比較してみると、少なくとも竹の会で名前が乗ったのに落ちた、ことの説明はできる。

 予備校主催の模試は、少なくとも公立中高一貫校大手の模試は、参考にならないとは言わないが、あまりにも不完全な判断しかできない。予備校のテキストとは全く関係のない、本番を想定した問題に、志望校を一にする人たちが集う模試というものがあればそれにこしたことはない。

 これからは大原の模試は勧めないことにする。

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