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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/都立高校対策のプロ/小石川中等、両国、桜修館に勝つ方法/勉強の方法にとらわれると失敗するという真理を知っているか

2017.07.20

 いよいよ明日から竹の会の夏期集中指導が開始します。明日21日(金)は、「渋谷B」の第1回指導日です。梅雨明け宣言もありましたが、別にたいした雨もなかった梅雨でしたから、だから? という感じです。水不足が懸念されていますが、こうなると台風の到来を待つしかないのか、両刃の剣ですが、雨が降らないと背に腹は代えられないということにもなります。

 夏は1日最低7時間の勉強(実働)を希望しております。平成27年の夏、これを実行しきった子はなんと2名のみでした。あれだけ時間があるのに1日3時間そこそこという子が多数を占めたのはどうしたことなのか。あのとき7時間を実行した子は無事合格を果たしました。7時間やったら絶対合格するというのではありませんが、7時間やりきれば必ず世界が変わる、それは確かです。3時間やったと言いますが、全くやらない日もそれなりにあり、結局夏に勉強したという実績はなかったに等しく、それでもなんとかなるという、その自信は私には理解不可能と言うほかありません。夏7時間を実行した子としなかった子では9月からのスタートが違うでしょ。

 勉強というものがわかっていないのです。勉強のアクセルはとにかく踏めるときに踏み込んでいく、アクセルを離したら終わりです。アクセルをちょこちょこと踏んでは止まり、ということをやっていれば、いつもスタート地点をうろうろしていることになる。アクセルを踏み続けている子はとっくにはるかかなたにいるわけですから、もはや勝負にならないでしょ。

 かつて「うちの子は勉強の方法がわからないからできない」のだという母親がよくいました。決して自分の子がバカだからできないということは言わないわけです。できないのは基本バカだからに決まっている。しかし、親はもちろん自分の子が頭が悪いなどということは認めたくはないだろうし、塾の先生も、学校の先生も触れてはならないことになっている。

 さて、ところでである。勉強の方法というものに特にできない子が方法さえよければできるようになるといったものがあるのか。できる子は方法がいいからできるのか。できる子は頭がいいからできるのではないのか。できる子は人の何倍も勉強するからできるのではないか。勉強もしないで方法だけ求める母親はやはりバカというしかないのか。

 方法といっても、そのまま読むか、ノートにまとめるか、その程度であろう。もちろん読むとしても読む工夫というのはある。かつては蛍光ペンで塗り分けるなどという司法試験受験生がたくさんいた。これは東大生がこの方法で受かったというようなことをエール出版の本に書いたから。LECなんかにうようよいた。線を引くべきか否か、というのも昔から議論されてきた。それから使う基本書は1冊か数冊か、ということもよく問題とされる。それから学者の書いた体系書か、予備校のテキストか、という議論もある。研究書を読むのはどうか、という問題もある。

 バカな母親の言う勉強の方法というのが、できる子は特別の方法を知っており、だからできるのだ、という前提で、うちの子はそれを知らないからできない、と言うわけである。こういうバカ親を相手にする塾の先生はほんとうにたいへんだと思う。

 

 先に、一日に7時間以上勉強するということの意味のひとつは、自分の勉強の型を形成する、確立していく、ということがある。型はまた習慣によって補強される。そういう中から自分に合った勉強の方法というものを見つけていく。ただおそらく勉強の方法とは、ただひたすら読むこと、理解することなのではないか、と思う。つまり、特別な方法などもともとないのだ。

 かつて平成27年に都立戸山高校に合格した男子は、同級生たちがエナや早稲アカに通っていて、予備校配布の理科と社会の特別のテキストをもらって、勉強していたのを羨ましく思ったのかどうかは知らないが、わたしに報告したことがある。あるいは進研ゼミを受けている同級生がカラフルな整理集を手にしているのを見て自分もと申し込んだのかもしれない。 

 しかし、ファィアマン効果という有名な実験がある。多色刷り、派手なイラスト、要領よく整理した表、チャートや図をふんだんに使った参考書は、結局理解を犠牲にすることになる。わかったような気になって終わるのがオチである。実は本質的なことは何もわかっていないままに1年、2年と無駄にして、結局受験に失敗することになる。

 哲学者デカルトは「方法序説」の中で、いったん方法を決めたらもはや決してその方法を変えるべきではない、ということを説いている。ここでの方法は、選んだ参考書に置きかえる、といいであろう。さらには、「読む」というのが方法だとするのなら、決めた参考書をひたすら読んでものにすることであり、ノートに本をほとんど写すなどということだけはしてはならない。

 ただ中学生では、サブノートを作るということが、いい方法であることは否定しない。ただサブノートを作る方法は、高校入試ではおそらく使えまい。やはり「読む」勉強が有効であると思う。

 「読む」というのは、音読とは違う。声に出して読むのは音読であるが、声に出さない黙読も音読には違いない。音読の効果は、国語の読解文の訓練には有効であると考えるが、科目を読んでマスターするという場合には音読ではダメである。ひたすら内容を読む、理解する、つかむ読み方をしなければならないからである。

 ◎小6受検生の夏

  竹の会では、「推論算数」と「算数をクリアーにする」を合格はんこが先行する形で終わらせられなければ、小石川や両国には合格できない、という基準があります。28年に富士と白鷗に合格した女子は、実は、こうしたレジュメを一切やっていません。彼女たちが合格できたのは、おそらく作文で高得点を取ったからであろうと推測されます。実は、桜修館でも、合格線すれすれのところでは、算数ができる子よりも、作文で高得点を取る子の方が合格する蓋然性が高いことがわかっております。これは実は桜修館に補欠で合格した子の適性点が落ちた子の適性点よりかなり低いのに受かったというケースからわかったことです。作文点で逆転しているのです。

 小6のみなさんが竹の会の夏をわたしの想定したイメージどおりに過ごされることを祈念しております。わたしを失望させた回数だけ合格から遠のいていくことだけは確かな事実です。

 ◎中3受験生の夏

 徹底してわたしの指示どおりに勉強することです。いいですか。わたしの指示を遵守できなければわたしは指導を事実上放棄します。わたしは見捨てる名人です。勉強しなかったなどという戯言だけは言ってほしくない。これは、現中2や中1にも言えることですが、勉強しないのなら、竹の会には来るな! ということです。

 

 

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