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模試(の結果)が現状のありのままである!

2021.09.18

 

◎模試(の結果)が現状のありのままである!
 垣間見える消極的傾向
 普段の勉強スタンスがそのまま模試に反映する、
 マイペースでやる子は伸びない!
 模試の結果もパッとしない。
 勉強量を自分の都合で調整する子は伸びない!
 模試の結果はパッとしない!
 

 「先生、この問題は間違っています」、という子がいる。問題の意味がわからない、読み取れないとき、悪いのは問題だ、というわけである。なかなかの自信家である。プライドが高いのか。しかし、プライドなんてものは、中身のない人間が自分の無価値の反動として支えにしているだけである。当然こういう子は伸びないどころか破綻する。
 受検というのは、貪欲でなければとても勝てない。消極的な姿勢の子には向かない。問題を見て、見たことがない問題に出会うと「勉強してないからできない」とまともに読まない。勉強してないからこそ、問題文を真摯に理解しようとするのではないか。答えは問題文の中にあり、と想像力を働かせて、常識の論理で詰めていく、なんとか手がかりをつかもうとするのではないか。
 ちなみに、問題の中で何気なく使われている、意味ありげな語句、表現に正解のヒントが隠されていることが多い。
 そういう貪欲さがなければ受検は勝ち抜けない。
 問題文をさらりと読んで「わからない」から「できない」とすぐあきらめる。諦めだけはいいのだ。こういう子が伸びるわけもないし、模試で結果を出すことなどありえない。
 突き詰めれば、何事にも消極的な姿勢、マイペースで勉強量を客観的な視点からではなく、主観的嗜好で調整する、そういう子はそもそも受験には向かない。
 勉強には、消極性は、天敵である。
 成功する子は勉強に貪欲である。勉強をセーブする子は、貪欲に目的に立ち向かうという、試験の勝ちパターンを捨てて、自己の「楽」を優先させた、ということである。
 楽に逃げるな‼️
 歩かないのが楽だから歩かない、そうすれば脚は衰える。
 これは脳も同じです。楽をする方を選ぶのは、本来怠け者の人間の常である。脳を使わない選択は退化していきます。楽をする方と苦を伴う方から選ぶのなら、絶対に苦を選ばなければならない。
 例えばである。集中指導の参加を見送る、時間の長いコースよりも短いコースを選ぶ、こういう子は成功しません。楽をする方を選ぶ子は、そういう性向が勉強のあらゆる場面に現れて来ますから、脳は楽をして済ますように流れる、そういところで落ち着いている。こういう子は苦を「面倒くさい」と先送りしがちです。またこういう子は簡単に「わからない」と投げ出す、説明をしてくださいと「楽」な方法を探すものです。
 模試の結果はこういう子どもの性向をさながらに反映していると思います。
 算数ができると思われていたのに、模試の結果が散々という子がこの何年か散見します。
 これは子どもの性格を反映されたものではないか、と思料しております。
 どういうことかと言いますと、そういう子というのは、外からの強制で、義務としていやいや勉強しているのではないか、外からの圧力で義務として勉強しなければならないと自分に言い聞かせながら勉強してきたのではないか、ということです。
 だから何かと義務の軽減を図ろうとする。なんとか苦しい勉強をしないで済まそうとする。
 親にていのいい口実を言う。これはなかなか知恵をはたらかす。今かかえている勉強に力を注ぎたいから、などと親に言えば、親はころりと騙される。
 これに対して、将来の自分のことを考えて、勉強をしなければならないと動機づけて主体的に勉強する子は、目的達成のためには、どんなことをしても勉強しなければならないと勉強に没頭する生活になるのではないか。
 模試の結果は、その心情の違いを如実に反映しているのではなかろうか。
 昨今の、算数はできることになっているのに、適性はできない、模試の結果が散々というのは、こうした子どもの義務感の違いがもたらすものではないか。
 本質的に、楽をしようとする子どもは、苦楽の楽を選ぶ子は、結局伸びていかないのだと思う。勉強を義務としても、他からの強制による義務で勉強する子はともすれば楽に流れるであろう。できるだけ苦から逃げようとするであろう。様々な正当らしい口実を設けて義務から逃れようとするであろう。奸計をめぐらし勉強時間のできるだけ少ない方法を考え出すであろう。建前として勉強しなければならないという義務、プライドが高ければ周りの評価を気にしながら、それが義務をさらに強くするかもしれないが、それは楽を求める本性には辛いことであったろう。
 子どもの勉強の情念が生む義務は、本人の高い知能がやむに止まれぬ、本能的な勉強への思いであり、これを義務と呼ぶにはいささか抵抗がある。内在する知能から生じる義務とでも言おうか。ここでは、楽より苦を求める。いや勉強を苦とも思っていないであろう。持って生まれた、恵まれた才能は苦という名のあらゆる、聳え立つ邪魔するものに立ち向かうであろう。
 私が 求めている才能はこれである。竹の会に通いながら、勉強から少しでも引く申し出に私は限りなく失望し落胆していることを隠さない。後々そのことが致命的な決定して降臨してくるであろうことを私は知っているからである。
 必ず訪れる、もはやどうにもならない事態を私は予測している。それが往々にして現実になることを知っている。
 勉強という生き物は、消極的な人たちには、飼育は無理である。
 勉強は貪欲に積極的に関わらなければ、死ぬ。勉強はそういう生き物である。
 

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