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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

小石川/戸山・青山/竹の会という塾のことを語ろう

2019.07.31

 

第十一章 竹の会という塾のことを語ろう
 

 竹の会は、昭和60年10月渋谷区元代々木町の小さなマンションの一室からスタートしました。最初は、たまたま手に入れた代々木中学2年生の学年名簿に載っていた中2にDMを出しました。官製はがきにガリ版印刷した、手書きの募集はがきでした。このはがきは物凄い反響があって、まず代々木中2年の女子3人のお母さん方が、揃って面談に来られ、翌日には、三人とも入会したのです。それからも代々木中学の生徒たちの申し込みが殺到したのです。当時は、そういう時代でした。まだ少子化前のこと、大手はありましたが、それでも竹の会のような、始めたばかりの塾に来てくれるほど、当時の人は鷹揚だったのでした。もちろん実はこの当時も河合塾、代ゼミ、四谷大塚、日能研、学習指導会などの有名大手が、受験界を仕切っていたことは変わりません。
 竹の会には、何もなかった。教材も、何もなかった。私は全くのゼロから始めたのです。それでも来てくれた、代々木中女子3人のお母さんたちには、正直常識ではあり得ない英断のように思えました。確かに、私は面談で、私の考えを述べましたが、それをそのまま信じて信頼してくださったということは、そういう人が、その後、ほとんどいなかったということからも、私には、稀有な方々のように思えます。その後、竹の会は確実に合格実績を積み上げていき、教材も充実していきましたから、そういう状況での、入会判断は、竹の会を信頼する根拠があっての判断ですから、まるで違います。信じる根拠が、客観的な根拠がない、ただ私の言ったことを信じた、それだけです。そうなんです。なぜか、竹の会に来られる方というのは、その後はまあ、私のブログを読んでということはありますが、とにかく私を信じる、それだけで来られる。
 ところが、ここ十年は、そういう方はいますが、なかなか疑い深い方もそれなりにいる。これも昨今の風潮のようです。世の中に騙しが横行する、そのような背景があるのでしょう。

 竹の会は、最初から、高校入試でした。最初に来たのが、中学生だからそうなった。
 高校入試を専門にする塾として、私がどのように艱難辛苦を重ね、研鑽を積み、合格実績を積み重ねてきたかは、このブログの別のところで、すでに詳しく書いていますので、改めて書くことはしません。
 竹の会の三十有余年は、竹の会進化の過程であり、竹の会の指導体系が、遂には完成する、道程であった。教材も何もない状態から、オリジナルの教材を完成させた時期、そこから今のレジュメに辿り着くまで、産みの苦しみというか、わたしはどれほど苦しみ昼夜を問わず竹の会の明日のために、道を探して、彷徨い、挫折を重ねて来たことか。
 指導の方法もそれに伴って変化を重ねてきました。初めは、授業形式だった。それが授業オンリーでなくなったのは、受験直前に、危機感から本能的に取った過去問合格法が、きっかけだった、と思います。過去問合格法では、まずとにかく自分で解かせる、考えさせる、その上で、わたしは、過去問コピーに直接、ときには、わら半紙に、私の解説、解答を、書いて渡した、のでした。この方法が、今のレジュメ指導の基底にある、流れていることは間違いない、と思います。
 過去問合格法の精神が、レジュメ指導の基底には流れている。今では、竹の会と言えば、レジュメ指導ですが、このレジュメ指導の完成までの道のりも苦難に満ちたものでした。とにかく必ず合格者を出さなければならない、という塾の宿命に、翻弄されながらの、研究と実践と挫折とチャレンジの繰り返しでした。
 私はそういう中で、確実に、私の指導技術を磨いてきたのだと思います。わたしを進化させていったのは、私の前に表れる、様々な個性溢れる、マイノリティであったと思います。オール1の中学生、自閉症の中学生、不登校の中学生、不良中学生、ゲームに耽溺する中学生、内向的な子、ガラスのように壊れやすい子、自尊心の強い子、それはそれは様々な子を見てきました。その度にわたしは指導に悩み、苦悩し、最良の指導法を探し、開発、発明に没頭してきたのでした。もちろん時には、筑波大附属駒場の中学生、青山学院高等部の生徒たち、新宿高校の生徒たち、西高生、早稲田実業高校に合格する秀才中学生、といった天才たちを指導する機会にも恵まれました。天才の指導方法を研究する機会を得られたことは、大きな収穫でありました。今、あるわたしの指導技術の数々は、これまでの長い指導の中から、一つ一つ得られた、貴重な財産であります。これまでの経験によって培われた、指導勘というものが、この子はどう指導すればいいのか、具体的な指導の方法、方向というものを、ほぼ正確に、鮮明に描くことができるのです。
 その子と二言、三言会話をしただけで、その子の技量が、わかるようにもなりました。

 子どもが、発する叫び、心の奥底からの叫び、それが、「戸惑い」の表情として現れる。まず戸惑いを読み取る。子どもの戸惑い、わからない、未知の世界へ踏み込む恐怖、知的世界に踏み入ることの戸惑い、そういうものを、丹念に一つ一つ取り去っていく、そういう仕事になるかと思います。この子ができることは何か、まずそこから考えます。その上で、一つ一つできることを達成感という褒美を与えながら、前へ進めていく。とにかく気の長い仕事です。

 かつてオール1の子を指導したことがありました。わたしが恐れたのは、記憶力です。記憶の段階で、無理という子なら指導は不可能に近い。幸いなことにその子は記憶はむしろいい、ということがわかった。自閉症の子が類い希な才能を示すことがある、そういうことだったのか。わたしが覚えるように指示した単語をほぼ完全に覚えてきたからである。わたしはこれを突破口にして、正負の数の約束、文字式の約束を粘り強く教えた。一番危惧したのは、文章題をどこまで理解できるのか、だった。基本的な文章題を繰り返し練習させた。ちょっと難しいとそれが彼の心を壊す、萎えさせるのではないか、と恐れた。そういう問題を避けながら、自分で解けたという体験を積み重ねる、そういうふうに指導した。案の定、文字式の後、方程式に入って混乱した。文字式の計算で、分母を払った。これだけやるのに中1の一年を使った、わたしはめげずに少しずつであるが、前に進めた。奇跡が、起きたのは中2の終わる頃であった。彼の通知表は、ほとんど4になっていた。英検3級、漢検3級にも受かった。いよいよ難関の中3の指導が始る。彼は理解力もついてよくついてきた。1学期の通知表は、オール4となった。突然、彼は竹の会をやめて、大手進学塾に転塾した。彼のお母さんが、泣きながら私に謝ってきた。先生のおかげでここまでになったのに、私の言うことを聞かない、絶対に大手に行くと言ってきかない、そういうのです。彼は小6の夏だったか、日能研に行きながら竹の会に来た。通分もわからない子だった。彼はできる仲間と進学塾に行くのが楽しくて仕方ない、そういう子だったのだ。彼は中3になって自信をつけて、再び進学塾に戻りたかったのだろう。私が彼が壊れないように難しい問題を避けてきたことを彼は知っていただろうか。大手に行って彼は潰れないだろうか。しかし、彼の思いは止められない、彼のお母さんは、私と話しながら、泣き崩れた。先生には、何とお礼を言っていいのかわからない、どうか許してほしい、そんなことを言ったのだと思う。わたしは、頑張って志望の高校に合格できるといいですね、わたしのことなんか気にしなくていいですよ、彼のやりたいようにやらせてあげればいい、そういうようなことを言ったと思う。その後、彼が第一志望の難関高校に失敗したことが、風の噂に耳に届いた。わたしは思いどおりにやれてよかった、あの時は、そう思った、ことを覚えている。
 ただわたしには、もうそういう子を気長に教える仕事はしない、できないかな、思った。
 そういう子にかかりきりになるだけの時間もないし、あの頃のような情熱もなくなった。
 今は、わたしの仕事をしたい。 竹の会で一番わたしが、やりたかったこと、それが何だったのか、ふと考える。子どもたちは、わたしを慕って、勉強ができるようになりたい、そういう思いで、竹の会に来てくれる。勉強に苦しむ、子どもたちを、見ていると、この子たちを何とかしてあげなければ、と思う。これは本能的に湧き上がるもの、わたしの意志ではどうにもならないもの、である。

 さて、わたしが追い求めた、探し続けた理想の塾とは何だったのだろうか。「先生、竹の会をやめないで!」と子どもたちは、必死に訴える。「わたしの体が、」と言いかけて、何も言えなくなる。
 塾とは、何か、また考える。
 わたしのやりたかった塾とは何だったのか。子どもたちが、竹の会をとても好きなのは、わたしの心に伝わってくる。この子たちは、勉強ができるようになる、確かに、そういう実感を持っている。いや、少なくとも、竹の会で勉強すればできるようになる、と信頼しきっている。その心が、ひしひしとわたしの胸に伝わってくる。

 慶応女子に失敗した女子がいた。彼女は、小6の3月、中学受験に失敗して、竹の会にやってきた。小学の3年間、啓明社という進学塾に通い、桜蔭を受験し、失敗した。中学からは、サピックスに入り、中3の10月まで通った。竹の会には、中1からサピックスの補充として通うことになった。中1の時は首都圏のサピックスで、3番という素晴らしい成績であった。しかし、中3の10月、落ちこぼれて、竹の会の受験指導に切り替えることになった。サピックスを止めた。受験まで3か月を残すだけだった。慶応女子は諦め、青山学院に切り替えた。英語指導案、英語ポイント集、入試数学100問、を使った。ほぼ個人指導に近かった。合格した。これで彼女の指導は終わりと思っていた。ところが、彼女の母親から、青山学院の三年間の指導を懇請された。高校はやらない、と決めていたが、あまりにも竹の会を評価して下さるので、遂にはやることになった。それから三年間、数学と英語を指導した。彼女は、高校の三年間、数学全て10、英語全て10。10というのは10段階評価の10という意味。「全て」というのは、英語なら、3科目、数学なら3科目に別れていたので、その全てという意味である。彼女は竹の会以外塾には行かなかったし、高3になっても、予備校に行くこともなかった。英語の教材は、東京大学教養学部の英語の本を使った。お互いに訳してきて、わたしの訳と付き合わせた。かなり難解な英文ばかりだったが、苦労して訳した。数学は、市販の参考書を使った。これは500ページほどあった。彼女は、慶応義塾大学、上智大学などを受けた。社会は不利なので、数学ができたことから、数学で受験するよう勧めた。他の大学も受けたはずだが、受かったのは、慶応の総合政策と上智の経済だけだった。もちろん現役合格である。彼女の高校、青学では、彼女が塾にどこにも行ってない、と思っていたので、この合格は学校で有名になった。河合塾などの大手に行っていた同級生たちは軒並み落ちて、結局、慶応に受かったのは、彼女だけであった。彼女は竹の会に通っていることを結局誰にも明かさなかった。竹の会というのは、そういう人が多い。「こんないい塾を友だちに教えたくない」と言っていた中3の男子のことを思い出す。これまでそういう子がたくさんいたけれど、苦笑して、特に、意にも留なかった。しかし、考えてみると、何か変である。塾というのは、募集しなければやっていけないからだ。なぜ黙っているのだろう、もっと宣伝してくれてもいい、と思うけど、そうは考えない人ばかりだ。今、いる会員の皆さんも、おそらく竹の会のこと、今通っていることを、だれかにまず話している方は皆無なのではなかろうか。やはり、あの当時、「だってこんないい塾、人に教えたくないもの」と言った子たちと同じなのか。いや知り合いや仲のいい子が来ると、むしろマイナスのことも多いことを慮っているのだろうか。そう思うと複雑な気持ちになる。
 竹の会とは、竹の会の内部の人が、絶対に人には勧めない塾のようである。また子どもたちが、竹の会を絶対的に気にいる、好きになるということも不思議な一致である。さらには、親御さんが、竹の会を絶対的に信頼するようになる。子どもさんが、長く通えば通うほど、その信頼を厚くする、そういう傾向があるようである。
 もちろんこれは子どもさんの指導が順調にいっているという前提があります。子どもというのは、生きものですから、すべての子が、勉強に関心を持ち続けるというのは、ないことです。勉強しなくなる、サボる、ゲームなどに心を奪われ、勉強を放棄する、そういう子も出てきます。竹の会は、勉強に関心の薄い、低い子には向かないのは、当然です。子どもというのは、いろいろな性格の子がいますから、竹の会に合わない、そういう子はいます。もちろん親にもいます。自尊心が強過ぎて親、特に母親にいつも気を使ってもらってきた子というのは、できているときは、褒められて期待もされていいのですが、壁に突き当たると弱い。今度は褒められなくなったことが、自尊心を大きく傷つける。すると投げやりになる、ふてくされる、そういうものです。だから挫折する。かつて竹の会でうまくいかなくなった子には、このパターンが多い。いやほんとどこのパターンだとと言っていい。
 ただどんな子でもわたしは厳しいことは言ってきましたが、いつか「立ち直って素直に勉強に立ち向かってほしい」と願ってきました。ただわたしのそういう思いが、ヒステリックな母親らに伝わることはなかった、それだけのことです。
 塾とは、何なのか、私は何をなすべきであったのか、何をして来たのか、どうすべきだったのか、いつも悩み、苦悩してきた。いつも今いる子どもたちのことを考えて、行動してきた。そんな中でも、毎年もたらされる合格が、私にはどんなに嬉しかったことか。落ちた子たちのことを考えると悲痛な思いであったが、合格した子たちが、私の命をまた次の年に繋いでくれたように思う。いつしか、なんとしてでも合格を取りたい、取らなければという強迫がわたしを駆り立てた。合格しなければならないのに、何をやっているんだ、この親子は、この親は、そしてこの子はと、怒り、悲しみ、諦めた。一握りのわたしの思いを託した子たちに合格をかけてきた、これが本音であった。竹の会は、たいてい3人いて、その内2人合格、というのが、お決まりだった。わたしのメガネにかなった子が2名、、落ちた1名は、もともとわたしの指導水準に耐えられない子だった。わたしの中では、わたしの水準にあれば、全員合格であった。わたしには、このレベルの子をこうやれば合格、という確かな合格のための公式があった。思えば、私は、予期せぬ事態に、遭遇し、その度に、修正しながら、わたしの合格の公式の精度を高めてきたのだと思う。それは本能的にそうしてきたのだと思う。竹の会が合格のプロだという、最低の一線だけは死守してきたのだと思う。

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