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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

独自問題出題校の攻略/都立中高一貫校、準備は小4から/勉強に対するまじめさがない勉強ほど中途半端なものはない

2017.07.05

 おはようございます。台風一過の朝は飽くまでも清々しく、爽やかな風が部屋を吹き抜けていく、ひとときのが時間のもたらす心の安らぎを愉しんでおります。あっという間に7月に入り、これから竹の会ではもっとも勉強のできる夏休みを迎えることとなります。照りつける、灼熱の太陽がこの夏の主役としても、受験生は黙々と日々の勉強をこなしていくこと、これが結局本番の力となること、このことを理解しない親子がなんと多いことか。わたしが夏休みは1日最低でも7時間の勉強をと訴えても、これを真摯にとらえてまじめに勉強する人のなんと少ないことか。知能優秀な人にそういう人が多いことは、学問で成功するには、頭がいいだけではだめだということを教えています。成功者というのは、実行力のある人に与えられる別称です。「夏の間だらだら過ごして勉強しませんでした」という母親のなんと多いことか。わたしが「昨日は何時間勉強したの?」と訊けば「3時間ちょっと」と答える、知能の格段に高い子たちがかつていました。どうして7時間ではないのでしょうか? 力を出し惜しみしているのでしょうか、それともただ怠惰なだけなのでしょうか。頭がいいということでそこそこの勉強でいい成績をとる人はいくらでもいます。しかし、自分の才能をそこそこに出して満足してどうするのでしょうか。実行力ということばには、常に全力でぎりぎりのところまでやりきるという強い信念が含意されているのです。将来、難関大学受験、難関国家資格、国家公務員総合職など、自分の才能だけでは、勝ち残れない試練というものが待ち受けています。才能溢れる競争者ならいくらでもいるのです。その中で勝ち残っているかは、結局実行力を出し切ってきたか、にかかるということを知るときがきます。常に全力で実行した者だけが知り得る、深淵というものがあるのです。怠惰で不作為を決め込む人には絶対にわからない人生の勝利道というものがあるのです。怠惰な人には一生見つけられない道です。仮に頭が悪いと言われる人でも類い稀なる実行力を発揮できる人なら少なくとも正しい道に近づくことはできるでしょう。しかし、勝利の道にそういう人が進めるのか、わたしにはわかりません。ただひとつ言えることは無駄な時間を過ごして、無為な時間を貪る人には、決して勝利の道は見つからない、ということだけは確かです。というか見えないのです。実行した人にしか見えない道というものがあるのです。

 わたしは常々竹の会に入会するのは、小4の早期に限るということを訴えてまいりました。確かに、竹の会では近年小4の2月の入会を勧めてまいりましたが、それは小4の早期に募集してもだれも来てくれなかったからです。特に、公立中高一貫校をめざす親子というのは小5になってからぼちぼち準備を始めようか、というのが大半で、中には、小6になって突然受検を言い出すという親子もいますから、竹の会のような無名の塾が「小4早期に来て下さい」などと言っても馬の耳に念仏です。小4早期入会がいかに有利かを知るには、同時期に入会した小5と比較すればすぐにわかります。小4入会でも小5入会でもやることは同じです。小4時に大手と言われる塾に通っていたという子でも、小5の段階ではなにもやらなかったに等しいということがわかっております。わたしには世の親たちがなぜにこぞって大手に子どもを入れたがるのか、さっぱり理解できません。

 小5以降の入会者が成功するには、知能と実行力いかんにかかっていると思います。もちろん小4にしても知能と実行力の備わっている子はより有利に進めることができるでしょう。ところが、これは特に公立中高一貫校を志望する親子に多いのかと思いますが、習い事、稽古事、スポーツにかける時間が、勉強と同程度にその重要性を位置づけられているのか、とにかく多いのです。これも公立中高一貫校志望の親子に多いのですが、かなり受検というものについて甘い認識を持っている、だから私的な行事で少しくらい休んでも後でがんばれば取り戻せると簡単に考えている節がある。しかし、仮にがんばったとしても取り返せないのが真実であったし、そもそもがんばることもない。それに自分が頑張る時期には他の人も頑張っているから、それで挽回できることはない。もっと言えば、早くから実行してきた人というのは、後で頑張る内容が全く違うということです。それは勝利道での頑張りです。勝利道を知らない人の頑張りとは質が違います。

 視点を変えてみましょう。受検ということは一応置いておきます。それでも小4早期の指導開始は必須です。将来を決めるほどに重要です。多くの親は小4、小5の間に子どもを怠惰にしてしまいます。勉強というもののつきあいかたを教えてこなかったつけは大きい。この時期に徹底して訓練する、基本的な知識を訓練していく、そういう過程を通して勉強というものに対するスタンスを身につけていく、これが後々子どもかけがえのない財産になるのです。中学になって勉強しないと嘆いてももう遅いのです。勉強するのをじっと待っていても勉強するようにはならない。勉強というのは、生活の一部なのだということを訓練してこなかった子に後から勉強のなんたるかを教えるのは不可能です。

 竹の会では、小6にきたという子が勉強というものに目覚めていくかは、かなり悲観的です。もっとも天才は別です。高校入試目的であれば小6でもまだ可能性はあるかもしれない。しかし、それには小4期の指導と同じ指導をしていくほかないから、そういう負荷に耐えられるか、という問題がある。しかし、いずれにしても小4早期から指導、いや訓練をして仕上げていくということの重要性はその子の将来の道まで決めてしまうほどに重い。

 竹の会では入会試験がある。これは一定の理解力のない子は訓練できないからです。かつての入会試験は6題出題で4問正解を合格とした。3問正解は準合格として空席があることを条件に入会許を可した。もっともガラガラだったのでたいていは準合格でも入会できた。最近出している「仮合格」というのは、2問正解者について、小4早期ということを勘案して期間限定で入会許可、つまり試験的指導を可能にしたものである。ただ仮合格については、去年の夏以降小5について複数出してきた経緯があります。ガラガラの教室でしたから試験的に指導してみようか、ということになったのです。仮合格者が順調に伸びていくかは、甚だ懐疑的です。早晩指導の壁に突き当たることは想定しての指導です。

 竹の会に入会してみて竹の会の指導といわれものがどういうものか、よくわかったという親御さんもいられることと思います。なにも考えないで大手塾に放り込む、あるいは地元の個人塾でも中小塾でも似たようなものです。なにがいけないのか。既存の塾の教育方法は学校と同じです。テキスト、先生、授業の三種の神器を前提に、「予習」とか「復習」とか「補習」とか、さに「個別」だとか、「個人」指導だとか、「確認テスト」などという制度を構築してきたわけです。

 子どもならどんな子でも授業でわかる、教科書を読めば納得する、そういうことを当然の前提としていわけです。しかし、それは全く現実ではない。たいていの子は授業でわかるようにはなっていない。いや仮に、授業がわかる学校の優等生にしても、実は、わたしの提唱する訓練指導をしたほうが絶対にいいのです。子どもというのは、とにかく訓練してなんぼなのです。わたしは長い年月をかけて子どもの指導法というものを完成させてきました。訓練法と言ってもいい。かつてはわたしも授業しました。ただ市販のテキストを使った時期は1年か2年で、わたしの書いたオリジナルテキストを使用しました。授業というものの限界を悟ったのは早かったと思います。子どもたちに「解かせる」「考えさせる」という指導法は竹の会創設の時からやっていましたが、高校受験専門ということで、過去問を解かせてわたしのオリジナル解答を示すということを永くやってきました。転機はやはりパソコンとの出会い、特に、ある数式専用ソフトとの出会いがわたしの想い描く指導の風景というものを無限に切り拓く道を示していると思ったときからでした。かつてのオリジナルテキストはワープロ専用機の時代にそれは何台も潰して作ったものでした。パソコンは買ったもののなかなか使いこなせずに数年が過ぎました。わたしがパソコンを使った教材開発に開眼するまでは相当の年月を要しました。平成17年には、都立西をめざす生徒のためにすでに高度なレジュメ制作を開始していますから、おそらく平成15年前後には試験的なレジュメ制作を始めたのだと思います。わたしは、如何にしたら子どもたちの能力を引き出すことができるのか、いつも考えていました。様々なレジュメを作っては試し、試しては作るとという生活をどれほどやってきたことでしょうか。わたしは竹の会の看板、指導レジュメの制作に夢を馳せて日夜開発に取り組んできたのです。今では、この子に何が足りないか、それならどういう指導教材が必要か、など考えて、自分で想い描いた指導レジュメを一気に作り出せるまでになりました。竹の会に入会した子どもたちはわたしの到達した指導技術でたちまちのうちに高度な思考の世界へと誘われることは間違いありません。

 東京23区に住まわれるみなさんが竹の会をめざして竹の会の門を叩かれることを心よりお待ち申し上げております。

 

 

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