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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会「指導」の完成

2021.08.21

 

 

◎竹の会「指導」の完成
 どうすれば合格できるのか。わたしはそのことばかりを考えていた。
 黙ってても「解ける」ようになること、私は、それを安堵しながら見ていること、こういう状態になったら、合格への道を歩んでいると見ていいと思います。
 普段は、80%の正解率、悪くても70%かな、それ以下になると、合格することはないのかな。まあ、言い切ることは、できないけど、その蓋然性は高い、ということです。
 なにしろ8倍前後の倍率ですからね。これだけでも普通の子は合格できないということです。普通の子が塾に行って頑張れば合格できるという試験ではない、ということです。
 竹の会は、普通の子を鍛えて成績を上げる、という塾ではない。ましてや普通より下の子を鍛えて基礎学力をつけてやる、そういう塾ではない。ここを誤解してほしくない。竹の会は飽くまでも、受検に合格させる塾である。ところが、昨今は、普通の子、普通以下の子がやってきて、学力を伸ばすだけの結果になっている。これは竹の会の本意ではない。
 一つには、仮合格を認めたことからややこしくなった。かつての準合格みたいなものですが、この仮合格や準合格から合格者が出たこともあり、逆に、入会試験合格者が落ちるのも普通にあるから、ややこしいのです。困ったのは、入会試験合格者に指導困難児がたまに紛れ込むことでした。なぜか理解に苦しむ。
 竹の会という塾の性格を少しわかっていただくために書いています。
  竹の会は昭和60年10月渋谷駅からバスで15分ほどのところ、とにかく私鉄からも離れたマンションの一室からスタートしました。原始会員、最初の入会者は、代々木中学2年の仲良し3人の女子でした。ところが一月も経たないうちに、評判を聞いた中2が続々入って来ました。私は毎日授業に追われる生活となりました。そうです。スタートの頃は、私も塾というものはそういうものだと疑うことなく、授業を軸として指導したのです。教材は教科書だけでした。あの時は、予備校の出版物をよく利用しました。中2の子たちが中3になると、最初、学参の過去問集を使いました。このときから、わたしは過去問を解く日々を送るようになりました。
 授業を軸とするうちに、英語と数学の自前の、つまり授業しやすい教材を作ることに熱中した時期がありました。しかし、受験は、いつも過去問を使って指導したのです。わたしは、わたしの過去問を使うやりかたを過去問合格法と呼びました。過去問を使うと言っても志望校の過去問をやるわけではないのです。偏差値60あたりから、首都圏の過去問を網羅的に解かせるました。次第に偏差値を上げて遂には70を超える。一つの学校は、10年ほど遡りました。有名難関校は、30年も遡ってやるのが常でした。過去問は年度単位にコピーして生徒に解かせる。私も解いて解法解答をわら半紙に書いて渡したり、コピーした過去問に直接書き込むこともありました。解説は、こだわって、図を使い、色を塗ったりもしました。

 竹の会の輝かしい合格の数々は、すべて過去問合格法によってもたらされたものです。
 過去問は必ずまず考えさせて解かせる。そういうスタイルが当然となりました。生徒たちは、何時間も考えて、私の解説を手にするので、本当によくわかったようです。私の自筆の解答は、生徒たちの間で、いつも争奪戦が繰り広げられました。原本をもらえなければ、コピーになりました。
 竹の会の「考える」姿勢、指導の原点は、この過去問合格法にあったと思います。
 平成10年あたりから、パソコンの普及が始まりました。それまでは、竹の会は、ワープロ専用機の時代でした。ワープロ専用機は、たくさんのオリジナルテキストを生み出してくれました。
 しかし、私が、パソコンを使いこなすまでには、まだ数年を要しました。最初は、Mac、それからNEC、それからデル、デルは数台変えました。このデルを使い出した頃、私の人生を変えるあるソフトに出会いました。レジュメ誕生前夜のことでした。
 私の記憶にあるのは、平成17年3月、新ソフトを使って、これまでの竹の会の高校入試資料をすべて書き直し、レジュメ化する大事業に乗り出した、こと。ちょうど都立西志望の1年女子の成長にあわせて、レジュメ化していくこととした。2年でほぼ完成した。その女子が中3になってから、今度は指導日に合わせて、難関校の過去問をレジュメ化していった。平成20年3月彼女は、都立西、豊島岡女子に合格した。なお同年桐蔭理数に合格した男子は後に東大経済に合格。
 レジュメ化が進み、竹の会の指導のスタイルが、次第に体系化した。平成24年、ついに新ソフトによる、小学生のための教材のレジュメ化がスタートした。大半は、平成20年から23年までに書き溜めてきた膨大なレジュメの蓄積の上に、新構想を具体化したものだった。竹の会入会試験シリーズと題した新作レジュメは、その後の竹の会のレジュメ体系を方向づけた。
 わたしは、多くのレジュメ教材を完成させていった。
 と、同時に、竹の会の指導の型というものをも完成していった。
 今の竹の会の指導は、もっとも考える子どもを作り上げるに適した方法と思う。
 東京のどこにもない、竹の会だけが、なしうる指導法の完成させた。のだと思う。

 宣伝というものがない竹の会に出会うのはネットしかない。偶然に竹の会のHPに出会った人たちの中のそれこそ本の一人二人が竹の会と邂逅とた。竹の会と出会うこと、それは既存の塾の観念を、虚構を悟り、本物の塾というものを知る瞬間であった。

 竹の会は新型コロナに負けないで、来年の受検をめざして、指導を貫きます。

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