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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会から日比谷、西に合格するには/公立中高一貫校対策の本質/広く遍く秀逸な中学生こそ竹の会へ/これからの竹の会

2017.09.30

 おはようございます。今日は昨日の青天はもうなくどんよりとした雲が薄く広がりました。確か、今日は運動会をやっている小学校もあると聞いておりますが、とにかくも雨が降らなくてよかったです。というか太陽の光がところどころに差し込むところもあるようです。

 さて昨日は9月16日にありました早稲田進学会の模試の結果が返って参りました。渋谷Aは明日持ってきてくれると思います。早稲田進学会というのはいちおう塾を謳っていますが、毎回どこか会場を借りて運営しているようです。早稲田進学会に通う児童に混じって、竹の会からは毎年模試に参加します。当然内部の児童が有利です。なにしろ似たような問題をいつもやっているわけですから。そういう中にあって竹の会の子たちが成績優秀者として上位に名前を載せるというのはかなり痛快なことではあります。平成22年から竹の会ではこの早稲田進学会の模試に参加するようになり、よく上位に位置してきました。22年の初参加のときは、小石川志望の男子が480人中の5位となり、そのまま本番でも合格することができました。以来竹の会では毎年この早稲田進学会の模試に参加し上位をとることをひとつの行事としてきました。平成27年には小石川志望の4人が4人とも成績上位に名前を載せたこともありました。竹の会の子どもたちには早稲田進学会の模試で上位をとるのはあたりまえのこととされてきたのです。内部者がいいのはあたりまえです。竹の会の子どもたちは未知の見たこともない問題に自らの思考のみで戦っているわけですら。しかし、竹の会の子どもたちは竹の会で存分に思考力を伸ばし、鍛え、この他流試合に華々しくデビューを飾ってきたのです。

 思考の力があれば当然に成績上位者に名前を連ねているはずです。試験というのは、どんなに必死にやったとしてもどうなるかわからない、そういうものです。ですから、普段から力を抜く、気を弛めるなどの勉強姿勢をとっていればそれはそのまま今に反映することになる。課題ひとつをとってみても、全くやらない人と必死で取り組んでいる人との差はもう天文学的な差となって今に至っています。また種々の理由で勉強を先送りしてきた人にとっては、とにかく勉強最優先の生活をしてきた人が遠く先へ行ってしまっている、そういうことにもう気づいている子もいるでしょう。習い事、稽古事、旅行など「これは絶対に避けられない」という私的事情の積み重ねがもたらす勉強の積み残しはもう日数的にどうにもならないほどの量に達しているということを予見している人もいるはずです。勉強というのは、いや受検というのは、そういう本質をもつものなのです。

 いよいよ10月になります。「考える」ことを重視した指導レジュメに取り組めるのはもう10月の1か月のみです。11月からは、「7回解き直し」を優先させることになります。7回解き直しの対象は、「適性のための計算問題」「単位あたり量を鍛える」「推論を鍛える」「推論を鍛える(標準編)」「新推論を鍛える」「推論算数」「初見問題の研究」そして「算数をクリアーにする」「100撰」です。まだこれらのすべてを終わらせていない場合、10月までに終わらせられたものまでが、解き直しの対象となります。

 11月からは毎回の指導で厳選した指導レジュメを2通、制限時間を付して実施することになります。竹の会が予定したレジュメをすべて終わらせられなかったとしても、それはその限りでその子の能力ということです。たとえ習い事や稽古事などで時間をとられてやれなかったとしても、そいうことをふくめて受検というものをとらえてきたのは自分であり、潔く今ある素の力で戦うほかありません。

 よくわたしは「わたしの指導に100%したがえば成功します」ということを言いますが、それはわたしの変わらぬ思いです。しかし、各家庭にはそれぞれの考え方があり、わたしの理想とする勉強姿勢とは必ずしも相容れない勉強についての姿勢をもっている家庭があるわけです。受検というのになんで?とよく思うことをそういう家庭はやるわけで、そうなると当然のように子どもの力にそのことが直に影響してくることになる、しかし、当該親は決してそうとは悟らないで、そういうことは棚に上げて、塾に行っているのに成績がよくない、などということを平気で言うわけです。

 塾というのは、そんなに万能なところではない。すなわち勉強を先送りしていく習性のある子を伸ばす力などない。

 ◎中学生の新しい入会条件と在籍基準について

  定期テストで、たとえば、英語や数学で60点をとるということの意味をよく考えてください。まずこんな点数とるなら塾になんか行く必要はないでしょ。塾に行かなくてもまじめに勉強する子ならもっとまともな点をとっているはずです。塾に行っているから勉強しないというのがひとつはあります。塾を盾に部活をやる子たちです。塾に行っていないから、がんばるということがいい結果をもたらすのはあたりまえです。塾に行かなくても点のいい子というのは、それだけ危機感をもって部活にも流されずにがんばって勉強しているということです。部活で塾での勉強が中途半端になる、という子は昔からいましたが、渋谷教室ではそういう子はNGです。

 60点というのは、まず竹の会のレジュメをきちんとやっていればありえない点数です。成績を報告しない、レジュメをやらない、そういうことが続けば、いずれ落ちるところまで落ちる、ことは予測に難くないことです。60点というのは、レジュメをやっていないか、もしくはやれないか、のどちらかです。竹の会というのは、レジュメさえまじめにやっていれば90点はあたりまえで、100点も珍しくない、それは公理に近い事実です。「やれない」というのは、能力的に困難ということですから、竹の会にいるのはNGです。

 60点をとるというのは、竹の会のレジュメをこなしていない、こなせていないということの疑いのない徴表です。

 ⇒広く遍く秀逸なる中学生は竹の会の門を叩いてほしい。志しある中学生が竹の会に集まって優秀な成績をとり、トップ都立へ合格することを願っています。

  入会基準は、簡明です。通知表の5が5個以上あること、これだけです。

  竹の会はトップ都立高校専門を謳っている塾です。日比谷にはまだ受験そのものをした生徒が出ていません。だからこそ竹の会から日比谷高校合格第1号をという思いを強く抱いてきました。幸いなことに竹の会は隣接学区の特例で受験した生徒が平成13年に都立西高校に合格し、学区制全廃後の平成20年にも一般受験で都立西高校に合格を果たしています。このときの合格者はチャレンジ私立として豊島岡女子にも合格を果たしております。特に、平成20年の合格者は高校入試における初めてのレジュメ指導による合格者でもあります。実は、同年に同じくレジュメ指導を受けた生徒が、立教新座高校、桐蔭理数に合格し、桐蔭理数から東大経済へと進学しております。平成20年合格者のレジュメ指導は平成17年開始でした。以後竹の会の高校受験生はレジュメ指導によって次から次に合格を果たしていくことになります。都立戸山高校については、学区制時代の最高峰として竹の会からもよく合格者を出してきました。

 竹の会は高校入試指導のプロです。竹の会の合否の判断基準は「素の力」を見極めることにあります。もちろん模試の成績もその重要な判断資料にはなりますが、ひとりひとりを最後には合格ラインに持ち込むというのは、これこそが受験のプロのなせる技と心得ております。

 志しある中学生諸君は、竹の会の面談に挑戦して、縁あって入会できたときには、竹の会で本物の受験指導を体験してください。

◎あなたたちは子どもの教育を完全に間違えている

 あるお母さんから子どもの小学校が学級崩壊にあるということを伝え聞きました。それによりますと、授業中に友だちを叩く子、立ち歩く子、脱走する子、寝っ転がる子、私語をしている子が何人もいる、ということです。これは少々ショックを受けました。かつては学級崩壊は公立中学や公立小学校ではあたりまえの時代がありましたが、今もかという思いです。こういうのがそのまま公立中に進むとなるとこれは空恐ろしいことです。いやかつて世田谷区から通っていた女子生徒の中学にはそういう子たちがいて授業妨害が日常化していたということをよく聞かされました。ただ今竹の会にきている中学生からはそうした話しは出ていませんので、中学にもよるということでしょうか。

 公立中高一貫校受検というのもそういう伏線もあるのかと思いますが、しかし、8倍とか10倍というのは落ちるのが普通ということで受検はしてもそのほとんどは地元の区立中に進むことになる。区立中に行くとしても、周りにはそうしたバカがうようよいるとしても、嘆くことはない。中学でがんばれば、日比谷や西、戸山に行けるかもしれないのである。都立なら駒場、新宿、青山、小山台までなら問題ない。

 理想としては、公立中高一貫校に行くというのも、いい。合格できれば周りにバカはいないから、いや少しはいるかもしれないけど、区立のバカとは違うでしょ、勉強もすいすいできる。

 子どもを塾に入れるのなら、本物の塾に入れなさい。塾を見極めることです。

 以下には、ダメな塾について、記してみます。

 ●大手塾は、ダメ塾である。大手塾が売りのテキストを使って、学生講師が授業するというのが一番の典型であると思うが、テキストと授業という手法がまずよくない。多くの公立小の子どもは、優等生と言われるレベルでも結局はバカである。計算未熟、割合も形だけの理解で終わらせていることが多い。大手の学生講師はカネさえもらえば責任は負わなくていいバイト感覚でやってるだけである。大手に子どもをやらせる親は、この学生講師と「馬が合う」とか「合わない」とか、間抜けなことを言っている。だいたい小学生が知識ばかり詰め込まれて、どう処理できるのか、ということです。小学生を指導したことのある人間なら、小学生にテキスト与えて、授業しても理解してものにできるのはその中のもともとの天才だけであるということはわかりきったことである。親たちは何を夢みたいなことを言っているのか。小学生というのは、ひとりを見つめて、徹底して、ほんとうにできたのかできないのか、確かめながら、訓練を重ねていくしか、うまい指導のしかたなんか、ないのである。授業で説明して子どもがそれを聞いて理解してくれるなどという幻想をもしもっているとしたならそれはアホである。

 ●進学塾大手ならいいのか。中学受験をやるということです。公立小のバカ軍団から抜け出すには、私立に行くのも手ではある。ただ私立中といっても難関狙いとなると、だれでもというわけにはいかない。進学大手は開成とか麻布とかの合格を競うわけであるから、もともとの天才小学生を集めて合格者を出すということしか頭にない。わたしから言わせれば大手進学教室にしても、バカは相手にしていないということである。天才以外はお金を運んでくれるカモ以外の何ものでもない。特に、難関は無理だけど、その下あたりを受けるという親子はお得意様ということになろうか。大手進学塾にはかならずいるのが落ちこぼれ軍団である。わざわざ行くべきところかという私立を受ける連中でその数もバカにならない。少子化でほとんど合格できるのに、「合格しました」とわざわざチラシ広告する。

 ●地元塾はどうなのか。大手にならって、授業とテキストでやるけれど、講師は個人塾なら塾長と言われるおじさん、おばさんがやることになる。そもそもこういう個人塾というのは、塾にだけ販売している会社から年間テキストなんかを仕入れて、そのテキストの目次がそのままカリキュラムになる。個人でやっているだけに細かいところには目が届くことはある。ただ個人経営の塾の欠点は、親や子に対する阿りで親や子にどうしても強く出れない、親や子の意向にそった、親や子のわがままを忍従し、自己の信念をいくらでも曲げた指導になりがちということである。やりかたに合わないからきっぱり退塾という態度がなかなかとれない。そのことがひいては、子をダメにするのはもちろん、塾そのものをダメにしてしまう、早晩退塾していく子が出るのが、地元塾の特色である。地元塾というのは、お客様次第でいくらでも立場を変える阿り塾である。

 塾というのは、わたしには、親というのは、よく「平気でああいう塾に入れるな」ととにかくわたしにはできない、信用ならないものである。世の中のみなさんが、どれだけ本物の塾というものに出会えるか、ということであるが、そういう塾は少ないが必ずあるのだとは思う。わたしの二人の息子は小学生から塾というものに入れたことはない。いや小1の前後数か月公文に通わせたことはある。二人とも小4あたりから竹の会にくるようになったけど、他所の塾にやることはなかった。下の子は小6の夏までバスケに夢中で、夏突然受験したいと言い出し、立教池袋に合格した。上の子は公立中からやはり竹の会で高校受験をして新宿高校へと進んだ。余談だが新宿高校では3番~1番を維持した。とにかくわたしの考えで塾というものにやることはなかった。子どもたちは竹の会で過ごしただけだった。わたしは当時流行った四谷大塚とか、日能研などに興味は一切なかった。わたしのやり方で立教程度なら合格することは不思議ではなかった。ちなみに竹の会の合格記録には平成20年に慶應藤沢中学に合格した記録を載せていないけれど、これは、その子が四谷大塚にも通っていたからだ。小6の1年間竹の会に通い、竹の会の夏の講習にも出た。だから合格者としてあげてもいいのだが、あえてあげていない。わたしは私立中学受験の親とは合わないからだ。

 塾というのは、あなたたちが考えているほどあてにはならない。バカはバカのまま、それが世間の塾の本音である。大手に行ったから受かったと思うのは勝手だが、受かったのは、その子が天才だったからにほかならない。塾というのはバカを天才になどできない。使えない、荒削りの天才を育てて真の使える天才に育てているだけである。

 だからわたしはできないとき、ダメなときは正直にそう告げる、わたしには無理です、と言う。わたしには指導できる下限というのがあるとわかっている。またある程度までは指導できるけれど、そこから先は無理ということだってある。世の中の塾がバカはバカのままなのになんとかなるようなことを言って、子どもを取り込もうとするのは、わたしにはできない。

 さてである、本物の塾とは何か、どういう塾なのか、である。子どもから確実な証しをとること、わかったふりをするのが子どもであるということは当然の前提であり、子どもの嘘などいちいち相手にしない、とにかく鍛える、証しをとる、その繰り返しで、前に進めていく、これしかない。これが本物の塾だなどとは思わないけれど、とにかくやったかどうかわからない、わかったのかどうかわからない、そういう不確かさを常態とすることだけはしたくない。いつも常に確かめる、それが竹の会である。

 かつて高校受験の親御さんたちからわたしには最大の賛辞を送られたことはある。口を揃えて「竹の会は本物の塾でした」と言われてきた。阿ることを潔しとせず、クレームが来れば決して迎合することなく、「それなら退塾してください」と言ってきた。それなのに合格したときに、返ってきた言葉が「本物の塾でした」だった。

 本物の塾が何なのか、実はわからない。ただ自分の子どもをここなら通わせてもいい、と思った、それが竹の会だった。わたしは自分なりに竹の会は本物なんだと確信していたのだと思う。

 東京23区のみなさんが本物の塾に出会うことを祈っております。竹の会はわたしの体がどこまで続くかわかりませんが、わたしが今元気である限り、本物の塾を探す、探している、親御さんに出会うのを待ちたいと思います。

 

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