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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会が日比谷を獲る日/竹の会は小石川に受かる方法を知っている/竹の会のレジュメについての勘違い/その他

2018.06.18

 おはようございます。今日は午後から雨が降るようです。朝には大阪で進度6の地震がありました。災害は忘れた頃にやってくる、長閑な日常を狙ったかのように突然やってくる、いつもそういう思いで恐れおののいている。

 さて、今日は、18日で早6月も後半、光陰矢の如し、この大切な時期を勉強に専念にして過ごすことの重要さがどれほど大きなものか。それを知るのは9月になってです。去年の小6があれほど警告したのに気を抜いて、油断して、迎えた9月、夏の弛みをそのままに、失速していったことが、悪夢の現実として蘇る。それは毎年のように繰り返される。親も子どもも覚悟がない、甘い見通しと楽観が破綻していく9月から本番にかけての過程は実はわたしの想定していたとおりのものであった。いくら警告しても聞く耳は持たない人たちであった。

🔵勘違いしてはならない竹の会の指導レジュメ

 竹の会で指導の際に、使うレジュメを先渡ししてくれ、ということを子どもさんを通して耳にします。ここは勘違いしてもらってき困りますので、ご説明をしておく必要があると判断しました。そもそも竹の会の指導レジュメは、家庭学習のためのものではない、わたしが指導するために、使いやすいように、綴じては、いますが、例えば、四谷大塚のテキストを家庭で先取り学習するのと同じに考えてもらっては困るし、家庭で、親が教えるのは、指導の妨害にしかならない。指導する際には、この一問を自分で考えて、どこまで正解に達することができるのか、その過程を見ている。過程に時間をかけるのは、そもそも思考を訓練するためである。どんどん先へ進めても、終わって、実力がついているかは、別で、全く思考がついていない、ということが現実にある。いや今もそういう子たちがいる。「その他編」を終えているのに、レジュメが解けない、という事態が出ている。「わからりません」とすぐ持ってきても説明聞いて「わかりました」と進めて早々と終わらせた子ほど、小6から進める指導レジュメで不合格ばかりとっている。竹の中では、思考を訓練しているのであり、指導の際に基本を確認し、定義をどれだけ理解できているのかを見ているのであり、テキストを親が家庭で進めることなど期待もしていなし、指導の現場で、思考の未熟、理解の不徹底を、見極めて、次の手を打つ、ということをしているのである。こつこつと思考というものを積み重ねているのだといことを忘れてはいけない。 そういう中での、進捗が緩やかというのは 竹の会での指導が困難として、打ち切る根拠になる。

 実際、私の目の前で、この教室といあ現場で、素の力でどれだけ解けるのか、見たいのである。 家で解いてきたというレジュメにマルばかりつけても、わたしは、実際に、この子が考えて解いたのをみていない、よくできていても、親が教えたかもしれない、2回目だと前のレジュメの答えを見たかも知れない。その疑いは払拭できない。その証拠に、教室で新たな問題を解かせも、できない。つまりそれまでの終了が、次の土台になっていないのである。そもそも竹の会のレジュメというのは、ただ先へ進めても、意味がないのであり、一つの問題にどれだけ思考時間をかけたか、その過程での葛藤にこそ価値がある、勘違いしてはならない。

◎夏期(8月)集中指導、外部生の夏期竹の会体験受け入れ

 夏期は申込が必要です。申込は6月の最後の指導日29日(金)までです。申込がない会員については、6月をもって指導を終わります。渋谷Bでは、竹の会の指導を体験してみたいという小3、小4について、受け入れを検討しております。お問い合わせくださればスタッフが対応いたします。お問い合わせはHPのお問い合わせフォームから必要事項を記載に上、お願いいたします。

🔵竹の会の 卒業生はなぜ中学でトップに躍り出るのか

 先日今年合格した子のお母さまから、学力テストで学年3番でした、という報告を頂きました。成績表の写真もありました。いやこの名門、人気校で学年3番はすごいですね。実は、過去には、竹の会の卒業生の多くが、入学後の中学、高校で学年トップクラスにいた、いる、ということはほんとうによく聞いてきた話しなのです。受検に失敗しても結局勝ち抜く竹の会育ちの子たちのことは、昔から有名でした。27年桜修館失敗の女子が、公立中学年2位、日比谷に受かると勧められたが、慎重を期して、本年都立戸山に合格したという話しを当のお母様から聞きました。また26年桜修館失敗の男子が、去年都立日比谷、慶応志木に合格し、慶応志木に進学したという話しを当のお母様からのお手紙で知りました。実は竹の会開設以来、竹の会育ちの子たちが、学年トップクラスにある、というのは定説だったのです。26年に都立北園に行った女子は、実は竹の会で中学受験して郁文館に進み、そこでオール5の学年1番を3年間とり、推薦で都立に合格した生徒でした。22年に桜修館に合格した杉山太一君が京大法に合格した話し、19年に九段に合格した男子が東京工大に合格した話し、23年に小石川に合格した男子が東京工大に合格した話し、20年に桐蔭理数に合格した男子が東京大学経済に合格した話し、とにかく竹の会にはそういう話しなら尽きないほどあります。合格した子も失敗した子も結局は成功しているのが竹の会です。

🔵読解力をつけるには、具体的に、何をすればいいのか~読解力をつける、最良の本を紹介します

 これには、もう最高の教材がある。わたしはまあいろいろな本を読むわけですが、特に、気になっている作家の本は必ず目を通す。そういう中で見つけた本がある。 世の中に、読解力をつけるのに、これほどいい本があるのだろうか。「※※※※※」という本である。教室ですでに紹介しています。まだ知らない方は教室で聞いてください。いやわたしは実は高校の教科書が「いい」と言うことは前から感じていた。昔、耳鼻科の病院に行ったとき、医師の机の棚に、わたしが高校の頃使っていた「化学B」の教科書が他の専門書に混じって並べられていた。高校の頃に使った「数学ⅡB」の教科書はよかった。生物は詳しすぎて正直まともに読めなかった。実は大学入試では、理科は生物を選択したのだが、やったのは薄い数研出版の問題集1冊、しかもやったのはその中の例題だけというお粗末さであった。歴史は山川の詳説日本史だったが、とにかく覚えることが多くて、挫折し、山川用語集を丸暗記するという無謀な挙に出た。結局50回読み込んで覚えてしまった。その勢いで今度は世界史用語集に挑戦し、結局大学入試の社会はこれで勝負した。高校の教科書がいちばんすごいと思う。専門的な知識の正当な定義、解説が担保されている。高校の教科書が「読める」ことがまず試金石になる。教科書が 読めないで、勉強も何もない。まず、読めるようにしなさい。音読を毎日やりなさい。素読を毎日やりなさい。それだけでいい。字が汚いのなら、手から血が出るほど字を書けはいい。 頭がいい子ほど適当に勉強する。中学生の8割は落ちこぼれである。そもそも落ちこぼれの部活とはいったい何なのか。 適当に、申し訳程度に勉強して、しない日も多い、そういう人間にとっての塾とは何なのか。 遅刻、居眠りならまだいい方で、おしゃべり、ふざけを放任する塾もあるやに聞く。親も子もそもそも勉強をなんだと思っているのか。勉強はそんな何かをやりながらついでにやれるようなものではない。それこそそれにかかりきりにならなければとても太刀打ちできるものではない。過去、勉強を優先させていれば合格できたのにという子がどれほどいたか。 小6になっても、これだけは、ということで、習い事なり稽古事なりを続ける、この余裕というのはいったいどこから来るのか。甘い見通しはいったいどこからくるのか。優秀な子の親は平気で、我が子がワールドカップ観戦で明け暮れて夏は結局勉強しなかったといい、9月から気を引き締めていかなければなどと言う。頭が中の上の子は稽古事の回数を減らして、続ける、勉強も頑張っている、と言いながら、模試の結果は当然冴えず、それでも自分には奇跡か起きると信じているのか、受検は諦めることはない。本番では当然できるわけはなく、しかし、図々しいのか、合格すると期待だけは大きい。 わたしは、このタイプの親子を嫌というほど見てきた。悪いがこんな中途半端な受検姿勢、勉強スタンスで、受かるわけがない。 試験を舐めている、勉強を舐めすぎている。

 小学生は、受検云々の前にまず軸足を固めなければなるまい。勉強というのは実行してなんぼのものである。計画などいらない。そんなの絵に描いた餅である。勉強の方法もいらない。方法は勉強を実行する中から自ずとわかってかる。母親の中には「うちの子は勉強の方法がわからないからできない」と嘆くのがいる。そうではない。実行しないからできないのだ。実行しない人間ほど、方法を言い募る。人間には二種類ある。実行する人間としない人間だ。実行しない人間は言い訳ばかり言う。子どもの優秀さを語り、子に代わって実行できなかった言い訳を言うバカ親もいた。 考えてから実行するのではなくて、実行して考えるのだ。考えるから実行しないのだ。勉強するかどうかと考えるのではない。ここで考えてはだめなのだ。習い事、稽古事が、勉強回避、逃避の免罪符になってないか。 実行というのは、実行が生活習慣化していない子には、実行することに相当のエネルギーがいる。これは、機関車が動き出すときには膨大な力が必要なのと同じだ。走り続けている機関車は慣性で動くから力はいらない。親が何かと実行を中断させるのは、再度勉強する度に力を使うので、ともすれば怠ける、それが楽だから。つまり、人間というのは、実行しないことに慣れてしまうと、その味を覚えて、楽をする事ばかり考えるようになる。実行しない人間というのは、怠けるようになる。 そして親がそれを助長するような事ばかりしていると、実行を阻害する事ばかりやると、 例えば、一週間実家帰省して楽しい事ばかりしてきて、すぐ勉強に切り替えられると思っているのだろうか、 子どもというのは、楽を覚えさせたらもう使いものにならなくなる。勉強で大成させたいと思ったら、勉強なんかしても面白くないと思わせるほど楽しいことばかり親が率先して教えてどうするのですか。矛盾したことをしている自覚がない。 字が書けないなら、毎日一千字でも書いて見ろ。血が滲むほど鉛筆を使い倒して見ろ。 読解力がないのなら、毎日何時間でも音読をやって見ろ。 習字塾に行くとか、国語塾に行くとか、そんなことではない。 簡単なことだ。 実行すればいいだけだ。 子どもは、楽に慣れさせてはいけない。 日常は、実行で成り立つことを躾なければならない。実行は中断すれば次に実行するときは その何倍ものエネルギーを要する。あなたたちは子どもからどれだけ貴重な時間を奪っているのですか。365日のいったい何日を習い事、稽古事、スポーツなどで奪い、子どもが、脳を発酵させる時間を奪っているのですか。 ある親は、竹の会に週2回、残りの5日をピアノ、書道、珠算、バスケ、水泳に通わせていた。竹の会が、塾のない日に期待していた家庭学習は見事に否定され、小6になっても、朝練、発表会、そのための集中練習、昇段試験、小旅行、親族の集まり、盆、正月、数々のイベント、これで受かれば世話はない。 わたしに仕事をさせてくれない。 昨今は母親が邪魔をする。 受験に口出しをする。勝手に模試を受けて、成績のいいときだけ報告してくる。 わたしの設定した模試を無視する。勘違いした親の増殖である。

 

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