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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会で日比谷、西へ/小石川中等、桜修館、両国は小4から準備必須/本番まで3か月

2017.10.10

 おはようございます。今日もいい天気になりそうです。この3日間夏を思わせる青天が続きお天道様に感謝するばかりです。秋の長雨と言いますが、秋雨前線が張り出してくる頃には一雨毎に寒さが増して一気に季節は冬へと変わっていきます。もう夕方5時には薄暗くなる時節を迎えて、まだ竹の会の冬を知らない子たちにはこれから竹の会の冬の期間がまた新鮮な体験となるのでしょうか。早10月も中旬へ入りこれからの時節は時間が経つのが一段と速く感じるようになります。何かにつけて勉強を先送りさせることを優先させてきた楽観的な人たちには、これからの期間が瞬く間に過ぎて逝くこと、何も稔りあることも為し得ずにただ時間だけが過ぎて逝くことを実感することになります。この時期の勉強の充実はすべて小5のときの生活姿勢にあり、さらに小5の勉強姿勢は、小4のありようにまで遡ることになる、この精神こそすべての要であったということです。模試の季節に模試の度に伸びていく、それが理想の姿であり、その理想は早くから準備を重ねてきた者にだけなしうる所為なのだということです。

 小6のみなさんは、受検本番まで3か月と20日あまりです。これからは心静かに今なし得ることを冷静沈着に進めることです。これまでにやってきたこと、やれたことのみがあなたたちの素の力です。それ以上を期待することはただ焦りを生むだけです。本番の真の敵はこの焦りがもたらす様々な動揺です。精神の不安定がまともな思考を駆除してしまいます。思考停止に自らを追い込んでしまいます。勉強を優先させてこなかった、例えば、習い事、稽古事を優先させることもあった、家族の行事を何かにつけて優先させてきた、盆、正月、休暇も世間並みに楽しんできた、学校行事で疲れたということも言い訳にしてきた、そういう諸々の勉強先送りも今のあなたの結局は素の力をつくりあげてきたのだ、ということです。今は、これからは、それでもなんとか合格することを考えるほかありません。そういうときに一番の敵が焦りなのです。実は、直前期の精神の不安定は当然想定してきたことであり、そのために直前に焦らないで平穏に過ごせるようにとこれまで勉強優先を訴えてきたのでした。小6のこの時期を模試の度に自分の力が伸びていくのを実感しながら勉強できることをわたしは企図してきました。小4期、小5期こそ小6期以上に勉強中心の生活をしてこなければならない。それは小6の直前期を意義あるものにするための準備期間にほかならないのです。よく「まだ小4だから」「小5のうちに」というのは充実した受検直前期を犠牲にしている可能性に満ちた行為であるということ、それがわかるのはほかでもない小6の秋ということです。

 小4、小5の時から危機感に満ちて勉強中心の生活をしてきた、そういう子、そういう家庭が結局は最後には成功しているということです。受検を志したなら、そして合格したいと真剣に考えたのなら、日常の、世間並みの楽しみとは一線を画さなければならない。勉強とは、受検とは、そういうものです。23区にお住まいの受検を考えているという親御さんのほとんどがあまりにも緩い、楽観した考えに支配されている、とわたしは思ってきました。だからこそ小4から危機感をもってなによりも子どもの勉強を優先させること、子どもの勉強への配慮を怠らなかった人たちが受検に成功しやすいといえる環境があるのです。受検に成功するのは、勉強が絶対に優先する、それがあたりまえでしょ、という空気に満ちた家庭です。これまでに合格した子の家庭の姿勢をみればそれはあまりにも歴然とした真理です。

 合格した子たちというのは、共通して、ほとんど塾を休んだことがない。休むのはよほどの事情があったときだけである。日曜日に指導があり、月曜日に鎌倉遠足、火曜日に学校、それでも水曜日の指導日には大量の課題をやりあげてきた、それが合格者でした。27年に桜修館に合格した女子が休んだのは2度だけ、いずれもインフルエンザか正体不明の発熱でした。そのときにその子は塾を休むことになったことをとても悲しんだということです。大粒の涙を流して悲しんだ。それを慰めていたお母さんもいっしょに泣いてしまった、ということです。この子が盆、正月を理由に休むなどということは決してないのもおわかりになるでしょう。

 ◎小4は竹の会に入会の最後のチャンス これから冬にかけて竹の会では小3募集にシフトを変えていく

 小6になって竹の会に問い合わせてくるという方がたまに散見しますが、スタッフ対応でまずお断りしているはずです。小5も同じです。小5でもやはり遅い、間に合わない。これは竹の会のやりかたというのが、まず子どもを訓練して、基本的なものを徹底的にたたきこみ、その上で、それこそミリ単位で思考を訓練していくということにあると思います。世間の塾のように小4から授業をやるというのはわたしには考えられないやりかたです。それから教育熱心な親御さんというのは子どもによかれとあれこれ教材買ったり、いろんな塾にやったりするけれど、そんなことでは結局伸びていかない、竹の会式に考えて積み重ねている子ほど伸びていくものはない。何か目新しい、奇異な教材や塾に飛びつくのも結構ですが、結局子どもというのは、シンプルに考える訓練をしたものが伸びていくということです。いろいろ回り道をする親御さんが多いのですけれども、竹の会に関する限り竹の会のみにしている子がとにかく伸びるということです。竹の会では中学生が自分の才覚を持ち込めばまずとんでもないことになることは繰り返されてきたことですが、例えば、市販の問題集をやったり、Z会みたいな通信を受けたり、そういうことをやった生徒というのは陸なことになってない。

 小6で伸びるかは小4期までに遡る。中3で伸びるかは中1、中2の前倒しの勉強にかかるけれど、もちろん遡れば小学の勉強姿勢が問われる。小6になってがんばればどうにかなる、ということにはならない。中3も同じ。小4期~小5期をどう過ごしてきたか、それが小6にすべて表れる。右肩上がりの急カーブを描いて伸びていくのはすべて小4期、小5期に、訓練してきたこと、いわば芽が土から顔を出す、その瞬間まで、ひたすら根を張り巡らしてきた、そのことが、基礎になっている。残念ながらわたしは大手にいたという子で、基礎のできたという子を知らない、出会ったことがない。巷の塾にいたという子でまともな子を見たことがない。

 いったい世間の塾というのは、何を教えているのか。親ももういい加減に目を覚ませばいいのに、相変わらず、大手大手と愚かな選択をやる。塾と言ったら、教室、テキスト、講師、授業があたりまえと信じて疑わない。そういう目で竹の会を見下す母親や父親がよくきた。しかし、世間の塾のやりかたでなんとかなるのは、ほんの一部の子だけです。天才だけです。多くの子にはほとんど意味がない設備です。そもそも規格化されたテキストで、すべての子どもを一様に教えてうまくいくと考えているのがアホなのです。テキスト読んでもわからない子はいくらでもいる、講師の授業を何人の子がまともに理解しているというのか、わからないのは予習とか復習をしないせいだと白々しい。補習というのは大手のシステムの欠陥を公言しているわけでしょ。

 子どもというのは、ひとりひとりみな理解力がちがうのです。そんなことはひとつ逆算を指導してみてもみな理解の深浅がちがうことからでもすぐわかることです。そういうときに一様なテキストの規格化された説明をしても何の意味もないことです。子どもの能力はみな微細な段階的差異があり、同様に説明できるものではない。説明のほうをあれこれ変えていくしかないのである。こういう微細段階にある子というのは、教える対象ではない。訓練することしかないのである。いちいち証しをとりながら訓練を地道に重ねていく、それが結局未来に大きな収穫を得ることにつながる。当然のことでしょ。

 そもそも教えてほんとうにわかったかというとそれはかなり怪しい。不完全に理解しているのがほとんどです。だから日々の訓練で不完全なところを見つけては修復していく、理解の完全を図る、理解の完全をめざして訓練を重ねるしかないのです。教材だって、子どもの微細な段階に合わせていくしかない。規格化された教材に子どもを強制的に合わせるというのはおかしいでしょ。そのための予習、復習なんてアホらしいことです。なにが「わかるまで教える」なのか、そうじゃなくて、自ら考えることができる、その結果「わかる」というステップが必要なのでしょ。

 ただだからといってもともとのDNA的な条件が解消されるわけではない。子どもが伸びるかどうかを最終的に決めているのは、DNA的なものです。個人のもって生まれた資質です。ただせっかく資質があっても先に述べた勉強のとらえかたで、家庭がそれを潰すことはあります。

 小5から訓練するというのは普通には無理です。時間が足りない。小6になっても基本訓練をやっているというのはやはりまずい。小4から大手というのはどうか。まず公立中高一貫校対策の塾は小4の1年間にバカが加速する。基本というものを蔑ろにし、ただ教える、授業するというのがよくない。それは小4の1年間を大手に現にやっている親が一番よくわかっていることでしょ。

 進学教室ならどうか。私立受験で小4から大手に行った子と言うのは、大手特有のどうしようもない習性を身につけてしまう。「考える」ということができないのだ。問題を見たらすぐに鉛筆を走らせる。何かカリカリやってとにかく答をだしてくる。解き方のパターンとか、公式をとにかく使うことしか思いつかないから、すぐにわからないという。わからないときはもう何もしない。講師の説明をじっと待つポチである。わからないとすぐあきらめる。もう自分で考えようとは決してしない。だれかが説明してくれるのをじっと待っている。ポチになりきる。考えない、放棄する、諦める、これが私立受験の大手の子の共通した姿勢である。ポチ症候群である。わたしが大手進学塾にいたという子を指導するのが嫌なのはこの理由による。知ってる、解いたことのある問題なら、最速で解く、公式はよく知っている、これが大手の子である。時間制限というものが宿命の試験に対応した訓練ではあるが、思考に致命的な欠陥を宿す連中である。

 小6に一日の勉強時間を訊いたら、2時間というのがありました。学校が忙しい日はそうなのだそうな。他の小6にはこれを聞いて呆れている子もいましたが、小学生に一日5時間は無理なのでしょうか。2時間では絶対に受からないことだけは確かですが。おそらく勉強する、思考するということの真実がわかってない。藤井四段は学校から帰ると6時間はひとりで将棋を指しているという。好きなことには時間を忘れて夢中になる。勉強が気になって寝れない、遅くまで頑張るということはないのか。夢中で勉強するというのは時間を忘れてということだ。気がついたら5時間たっていた、そういうことなのだ。時間を忘れるほどに勉強したか、できたか、である。時計を見ながら2時間経ったので終わる、そういうが子が力をつけるとは思わない。

 

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