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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会に来て竹の会ファーストでやらないで奈落の底に落ちるの愚/竹の会で日比谷・西・戸山へ/竹の会と小石川・桜修館合格のロイヤルロード

2017.10.04

 おはようございます。今日は気温15℃前後で推移するようで寒いと思います。体を冷やさないようにしてください。これからはマスクがますますわたしには必需品になります。子どもたちから風邪ウィルスをもらうことがほとんどだからです。指導日には元気に見えたのに翌日発熱ということはよくあることです。狭い密室である教室で咳をすればたちまちウィルスが室内に蔓延してしまいます。受験生にもマスクは必需品です。ここ何年かのうちに二度もインフルエンザに罹りました。また12月30日の夕刻から37度越え、夜には38度超、31、1、2日と3日間寝込んで3日の朝平熱ということがここ何年かのうちに2度もありました。こちらは疲れの蓄積からです。油断して体を冷やさないようにとにかく気をつけなければなりません。

 先日の早稲田進学会の模試ではかなり成績が悪かった子たちがいましたが、模試で落ち込んで自滅する愚だけはしてほしくない。模試があまりに悪いのは確かに力がないということの証明とはなるけれど、名前は載らなかったけれどそこそこ点は取れているなら受かった例はある。名前が載ったのに落ちたという例ももちろんある。

 模試の時期に入って、受ける度に成績が上がっていく子と下がる子の差は何か。何度も言うけれどすべて来し方の姿勢である。小5の段階で算数をしっかりとこなしてきたか、というのが大きい。特に、合格はんこを重ねて終わらせてきたという子ほど後々に伸びていく。また解き直しなんかも小5から真摯に時には間に合わないからと泣きながら取り組んだというように早くから危機感をもって取り組んできた子ほど今はやればやるだけ伸びるという段階にきているような気がする。

 何度もいうようだけれども、さまざまな理由で竹の会の勉強を先送りしてきた子ほど今の今、大量の積み残しが不完全燃焼の原因となって覆い被さってきているように思います。

 中学生なんかだと竹の会を最優先させない、竹の会の指示を先送りするという生徒は早晩挫折することは経験からわかっている。最悪なのが竹の会のレジュメをやらなくなること、全く見せなくなることである。この恐ろしさは最近止めた中3がいい例であった。この中3はまったくわたしに定期テストの結果も報告してこなかったし、レジュメは出したきりで戻ってこなかった。通知表も見たこともない。中2の夏前に一度退塾勧告をしたのもあながちわたしの勇み足ではなかった。竹の会で失敗する中学生というのは、レジュメをやらないで、市販の参考書をやったり、勝手に、つまりわたしの意向も聞かないでZ会の通信を始めたりする。進研ゼミの理社だけやっているという生徒はまだ実害はなかったけれどさすがに難度の高いZ会だと弊害しかない。竹の会を軽視しないことという入会のときの条件は全く無視されてきた。

 そもそも竹の会のレジュメだけで一気に高校入試レベルに達するべく指導しているのに、それを先送りするなら竹の会にいる理由はなかろう。それから中学生だと数学とか、英語で60点をとるというのはやはり竹の会にいる理由はない。60点なんか塾にも行かない生徒のとる点でしょ。レジュメが遅れがち、中々出してこないという生徒は必ずといっていいくらいに成績が落ちていく。

 レジュメを先送りするという生活姿勢を続けていると、所期の力はつかないままに、時だけが過ぎてしまう。小5から小6前半、つまり模試シーズン前まで、力がほとんどついていないことが顕現しないから、小学生にありがちなその場しのぎの不作為が日常化する。かつて小6なのに朝バスケの練習は欠かさないという子がいたけれど、朝勉ならわかるけど、わたしにはとうてい理解できなかった。小学生というのは、いろいろな理由で先送りしてきても、小6の8月にならないとその真実が顕現しないということで、先送りを日常化してしまう。

 模試がある度に成績を伸ばすというのは、小4から竹の会の訓練をうけてきたか、小5からとしても竹の会を最優先してきたか、にかかる。避けられないもっともな理由というのは確かにあるのでしょう。習い事や稽古事の発表会や進級試験も大切なのでしょう、また法事も避けられない事情でしょう、あるいは年に一度ないし二度の実家帰省も大切なことかもしれない。ただ伸びている子、受かる子の家庭というのは、そういう諸事情が不思議と皆無なのです。特に、母親が一心に子どもと心を一つにして竹の会を大切にしてきたように思うのです。これは小学だけではない。中学でも同じです。平成13年西合格者、20年西合格者はともにそういう人であり、そういう家庭でありました。逆に、わたしが「お盆は休まなくていいの」「お正月はどこかに行かないの」と心配して聞いていたくらいです。あたりまえのように、いやなんでそんなことを聞くのかわからないといった顔をして「なにもありません」と言っていました。

 竹の会に入会したのなら、竹の会の指導に全面的にしたがうべきなのに、中学生はなぜか自己の才覚を持ち込むことがあります。市販の参考書を買ってやったり、通信を受けたりと、その分レジュメは放置されるわけです。そもそも中学生の才覚など知れたものです。古来受験に成功する人は師匠の言を素直に聞いて実践した人に限られます。自己の才覚はかりに成功することがあっても遠回りすることも自明です。受験というのは指導者の指示に従えばいちばん効率よく成功するに決まっているのです。

 試験というのは、方法にこだわると失敗します。方法は成功者の数だけあるのです。大切なのはひとつの方法に決めたら決して変えないことです。どんなに誘惑されても方法を変えてはならない。一旦選んだらその方法にこだわることです。それが成功の秘訣です。

 ◎作文がなぜだめなのか

 自然な流れがないのです。無理に道を作る、ねじ曲げる、ことばかりやっている。まず1文を書くとします。次の2文は当然に1文を受けた内容でなければならない。しかも、通常ならこうなる、こういう内容がくるという、あたりまえの内容でなければらない。ところが、ダメ作文は2文が1文から推論してあたりまえじゃないのです。続く、3文だって2文から当然あたりまえの内容が引き継がれなければならない。ダメ作文はそんなことはお構いなしに書きたいことを書く。それから具体的に書けというのに、少しも具体的ではない。事実とは、ひとつのストーリーです。それを「ある」と「だれか」とか、やる。具体的というのがわかっていない。これはわたしは何度も言うのだけれどどうしても具体的に書けない。だから点数が悪くなるのです。

 ◎試験とは、未知の問題にその場で考え判断し「解く」ことが求められるものである。

  解説依存症の子どもは自分で考えるということがそもそもできない。模試の成績が悪いのは、わからなければいつかだれかが助けてくれるという甘い姿勢があるからです。解説聞いて「わかった」、実は「わかったことにする」という姿勢が染みついて、脳がはたらかない。問題をただ字面を追うだけで、思考というものがない。何時間も考えたなどと言うけれど、時間だけ経ったで、思考などしていなかった。特に、大手にはこの手の解説依存症の子どもが多い。家庭教師をつけている子はまずほとんどが重度の解説依存症に罹っている。そもそも授業そのものが解説型なのが致命的だ。大手の講師はたいてい学生であり、学生、特に頭のいい学生というのは、「教えたがり屋」で、「わかりやすく教える」ことが善だと信じているから始末が悪い。これにバカな母親が「あの先生はわかりやすい」と軽薄に反応するから、バカが増長して、バカが異常増殖してしまう。

 ◎小4期の選択を誤れば一生をフイにする

  経験から訓練に一番適するのは小4期であると思う。小5ではあきらかに遅い。竹の会でも小5から来て成功した例はある。28年小石川合格の女子は小5の秋、25年小石川合格の女子にいたっては小5の3月とかなり遅かった。このように遅くても受かったのは、もともとの知能が高かったこともあるが、それまで、つまり竹の会に入るまでにまったく何もしていなかったというのではなく、いろいろと教育熱心な親御さんの配慮を受けてきたからです。この優秀な子たちが竹の会に来るのが遅かったことを悔やんでいたことは周知でした。だからそれだけ人の何倍もがんばったのです。

 小4期の塾の選択は大きくその子の運命を変えることになる。塾にやらないという選択はもし経済的な理由でなければ愚かな判断です。塾に行かない子というのは基礎学力がゼロです。中学に行っても落ちこぼれることは必然です。すでに社会の底辺を歩くであろうことは予測の内です。もちろんこれは確率の問題です。中には勉強はダメでも商才があり成功する子もいるかもしれないからです。塾に行くとしても、普通の凡人、いや学校の優等生程度では、まず選んだ塾で未来は決まる。大手塾で芽の出ない優等生なら例に事欠かない。サピとか早稲アカ、日能研でもトップクラスにある天才は違う。学校の優等生、つまり受験しない優等生とは違う。進学大手は一部の天才と落ちこぼれである並みの子どもがいて、後者が大多数で大手の経営の基盤である。世の中の母親や父親が騙されるのは、公立中高一貫校受検の大手の話しである。もともと集まるのが私立難関受験を志す家庭ではない、都立なら行ってもいいかという程度の楽観した家庭である。しかし、費用はとてつもなく高い。受かれば元は取れると考えてか平気で大手にカネを出す親も多い。竹の会には小4の時に大手にいたという子もそれなりに多いけれど、例外なく、大手にいたことが、小5,小6の学力の糧になっていない。公立中高一貫校狙いの親は大手なら大丈夫という根拠のない楽観論で動いている。この楽観論は「まだ小5だから」「まだ小6の1学期だから」と基本的に都合よく多用される。子の育て方ということで言えば、楽観する親は失敗することになっている。常に危機感を持って行動する親が結果的に成功する。その基本姿勢が普段の生活姿勢に如実に表れるからである。

 小学生というのは、訓練するしかないのである。子どもの意思を尊重していたら確実にクズになる。自分を律することのできない自堕落な人間になる。過保護というのは無教育以上に害悪である。子に辛抱するという自己を律する精神を訓練しないことのつけはいずれ悪となって親に返ってくる。心というのは楽をしたがる。したいようにさせておけば取り返しのつかない無責任なやりたい放題の人間にしてしまう。甘やかしというのは、自己を律するという教育を放棄したものである。

 子どもは訓練してなんぼである。不断に勉強するということの意味、価値を吹き込む、つまりは洗脳していかなければならない。勉強しない人間は社会の底辺を歩むことになるということを教えこまなければならない。習い事、稽古事もけっこうだが、そんなもので喰っていけないでしょ。まず一番は教育でしょ。世の中の塾のありようというのがわたしは間違っていると思っている。竹の会というのは世の中の塾とは異質である。わたしは他塾のように塾の団体にも何も属していない。竹の会は私的な塾であり、この渋谷の片隅でほんの少ない、竹の会を支持して下さる、ごく少数の親御さんのご理解を得て、糊口を凌いできた、小塾です。もう33年になります。あと何年続けられるのか、もうそう遠くはない未来に竹の会は終わるでしょう。23区のみなさんにお会いできるのもあと僅かな期間かもしれません。

 

 

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