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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会の正体(2) /都立中高一貫校への道

2020.04.29

竹の会の正体(2)
 竹の会は、数学専門塾である。
 

  わたしは、首都圏の難関高校の過去数十年の過去問を解き尽くした過去問研究家である。

 数学はわたしのライフワークであった。いやそうではない。わたしは旧帝大の数学で90%以上を取ることを目標にして受験勉強をしてきた。わたしの大学受験時代は、数学に苦しめられた。国立大学は、数学で決まる、数学ができなければ合格はない、これが常識である。いや英語だって、国語だって難しい。それに日本史、世界史など社会の暗記量はもう半端ではない。理科もある。化学や生物、物理、地学など。もっともそのうち一科目でいい。そういうものを普通に取れるようになって、結局最後は数学で決まる、と言っているのである。わたしの場合は、数学がゼロからスタートしたが、竹の会では、都立西時代に、わたしが指導した生徒は、予備校主催の日本三大模試で、全て全国順位20番台を取っている。東大理系を受験したが、数学で失敗した。彼は結局慶應理工へと進んだ。かなりの実力者でも数学で失敗することがあるのが国立大学である。わたしが数学にかけるという意味は実は深い。
 わたしは受験数学の第一線で戦ってきた人間である。だから数学をものにするには何をすればいいのかがわかる。とにかくわたしは東京の都立高校を受験する生徒たちを指導することになった。昭和60年10月から東京の中学生を相手に高校受験の指導をすることになった。わたしはまず東京都採用の数学の教科書を数冊読んだ。次に、過去問を片っ端から解いていった。過去問は、声の教育社と学参のがあったが、両方使った。1年間で50冊、十年間で500冊は買っている。首都圏の偏差値60以上の高校入試問題は、過去10年から30年、中には過去50年分も解いた。様々な問題にわたしオリジナルの解答を考えるのが、わたしのこだわりであった。
 平成5年頃かな、 竹の会の数学オリジナルテキストが完成した。このテキストは、平成16年ごろまでは竹の会数学指導の中心テキストであった。平成17年からわたしは高校受験のためにこれまでの竹の会テキストを廃止して、新たに全体系をレジュメ化する試みに着手した。これまでのテキストには解説がなかったが、わたしは全てのレジュメに解説を執筆した。この事業は完成までに3年を要し、平成19年末に完成した、このレジュメ世代の合格第一号となったのが、平成20年に都立西に合格した女子と桐蔭理数に合格した男子であった。女子の方は、豊島岡女子学園にも合格した。彼女は、お茶の水女子大に進んだ。男子の方は、立教新座にも合格している。彼は東大経済に進学した。
 この竹の会の高校受験の指導体系の完成は竹の会では、未だ未着手であった中学受検指導体系化に大きな弾みをつけた。しかし、こちらの方は、まだ算数研究の段階にあり、わたしが体系を完成させるのは、ずっと後、平成24年まで待たなければならなかった。
 現在のようなレジュメ指導の体系が完成するまではそれこそ苦難の歴史があったのである。
 現在の竹の会の姿はもともとわたしが国立大学受験のために数学と格闘してきたという、わたし自身の事情が大きく影響している。その正体は、わたしの過去の数学に対する特別な思いなのかもしれない。
 次回 竹の会の正体(3)
 「竹の会は、受験英語専門塾である」

 
閑話休題
(1) 中学受験の過去問を解き尽くした時代 

  私はたまたま飛び込んできた中学受験の子たちをそれは特別に引き受けることがあった。平成2年獨協中学合格、平成6年東洋英和学園中等部合格などたまに竹の会の合格者の中に中学受験があるのは、そのためである。わたしは数学指導専門であったが、中学受験を指導するために、例によって膨大な量の過去問を解いた。声の教育社版の過去問は数百冊に上った。毎年30冊ほど買ったら十年で300冊になる。

(2)大学受験の数学、英語を指導した時代 

 高校生は、青山学院高等部の生徒たち、都立新宿と都立駒場の生徒たちに、授業をそれぞれ一年ほどやったことがある。平成 14年、青山学院高等部に合格した女子を3年間指導して、現役で、慶應大総合政策の合格をもたらした。彼女は上智大学経済にも合格した。先ほど書いた慶應理工合格の男子も実は都立西の3年間指導した。大学は千葉大工学部に合格した男子がいるが、これもわたしの仕事である。彼は中学時代はいわゆる不登校児であったことは別のところで述べたとおりである。

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