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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会の正体(5)/都立中高一貫校合格の好機到来/オンラインという陥穽/無知と無能のもたらす破滅について

2020.05.08

竹の会の正体(5)

 竹の会は、都立中高一貫校専門塾である。
 平成15年当時何人かの公立小の子どもたちが、竹の会にはいた。公立中高一貫校制度スタート前夜のなんともモヤモヤした時期であった。少子化は塾業界にも深刻な影響を及ぼしていたし、都立高校の凋落は目に余るものがあり、中学受験で優秀な子はみな私立に流れ、ほんとうにごく少数の、おそらく1割に満たない、知能優秀な子がいて、公立中は圧倒的多数の学習不振の子たちで埋め尽くされていた。文科省のゆとり教育路線は確実に子どもたちの学力を低下させていった。竹の会は、学習不振児で埋め尽くされた。もはやわたしの技量を発揮する場面はないのであろうか。わたしは塾の未来に絶望的な思いが掠めるのを消し去ることに苦労した。こういう学習障害児ばかりを教えるために塾をやってきたわけではない。勉強は長続きせず、家庭学習はほとんどゼロ、親も平気で旅行やなにやかやと口実を設けては子どもを引っ張り回す。竹の会のこの時期は特に学習不振による退塾処分が多かったように思う。

 転機は突然やってきた。平成18年の4月、父親に連れられた小6男子がやってきた。九段を受験したいのだという。公立中高一貫校制度2年目のことだった。実はわたしはまだ何も取り組みはしていなかった。実際に指導する段になって、さてどうするか、と考えるのがいつものわたしのスタンスであった。5月には、東大附属を受けたいという双子の女子六年生が両親とやってきた。これで竹の会の小学生はすべてであった。この年は、20年に都立西、豊島岡女子に合格することになる女子がいた。この子は小6からいて、私はこの子が中学生になるとすぐに高校受験の全レジュメ化という大きな仕事に取り組んでいた。この子の成長に合わせて、古いテキスト、一旦印刷したらもう修正の効かないテキストを、順次レジュメにしていく作業に取り組んでいた。気の遠くなるような仕事であった。この作業はこの女子が中3になった頃に完成し、わたしは今度は、過去問をレジュメに起こしていく仕事に取り組んだ。
 九段志望の子が来たのが、丁度その子が中2になったときであった。わたしは、初めての公立中高一貫校の戦略として、迷わず過去問合格法を取った。年来わたしが取ってきた定番の方法だったからである。自信の方法であった。わたしはそれまでにこの方法で入試に打ち勝ってきた。最後の最後は本番ギリギリまで過去問を解かせ、解き直しを繰り返させた。竹の会では、過去問を解く、通年単位で解く、採点する、再度解かせる、わたしの解答過程を見せる、読ませる、藁半紙解答を渡す、コピー問題に解法を書き込み渡す、生徒はそういうことを積み重ね、何か月かすると、電話帳何冊分の厚さになる。これを分冊化して紐で綴じる。生徒たちはこれをめくりながら解き直しをする。竹の会のやり方は昔からこれであった。
 わたしは九段志望の子どもをこの方法で導くことにしていた。ただまだ制度がスタートしたばかりで過去問は少なかった。制度が始まったばかりでこれまで受験などとは無縁の家庭の子たち、したがって塾にも行ったこともない子たちがわっと群がった。要するに受検者の質は低かった。あの当時、割合も不満ながら見つけたベタな割合問題集を使った。わたしが子どもたちの割合指導の研究に乗り出すのは九段の受検が終わった19年3月からであった。つまり、今の竹の会のような指導教材はなかった。倍率11倍。合格。双子の姉妹も東大附属合格、三人いた小学生全員合格。竹の会はたいていこんなものだった。いつも小学生は三人程度。それでたいてい全員受かる。
 課題は山積みであった。計算のできない子たち、割合を理解しない子たち、普段から家庭学習のない子たち、当時の公立中高一貫校を受検しようという小学生はそのレベルだった。
 わたしの研究は始まった。効率的な計算法の開発、公立小の普通の子たちにわかるように割合を説明するプログラムの開発、普通の小学生はかなりレベルは低い、なにしろ優等生と言われる子たちでもようやく割合のベタな問題ならわかる程度だからだ。
 19年手探り、試行錯誤、実験問題の制作に明け暮れる。とにかくあれこれ作って試す。20年は不作の年だった。桜修館に一人だけだった。20年も試行問題をたくさん作った。毎回の指導で作った問題を試した。21年も同じ。わたしは苦しみながらもがくように、憑かれたように問題を作っていった。21年合格者なし。もっとも受検生そのものがいなかった。そのためか、思いの外、落ち着いて問題を作ることができた。今ある竹の会の問題レジュメのほとんどの原型がこの年に作られたと思う。22年、両国と桜修館に合格。受検生は3名。22年もアイデアに富んだレジュメの数々を次から次へにと制作していった。現在の竹の会の土台となるレジュメはほとんどがこの時期に作られたものだ。

 23年、小石川と桜修館に合格。23年これまで作ってきたレジュメを試す日々だった。この年に子どもたちの感動の声から、ミクロマクロ思想に基づいた算数レジュメが発掘された。わたしの作った夥しい数の、パソコンに眠っていたレジュメの一つに目が留められた。わたしはさらなる改良と創作を施し、竹の会算数の体系を完成させていった。
 平成24年竹の会入会試験スタート。そのために製作された適性過去問レジュメとそのオリジナル解説が、あまりにも素晴らしくて、単なる入会試験を超えて、竹の会レジュメシリーズとして開発されていくことになった。こうなるともう止まらない。わたしはみくにの過去問集、適性は2007年度版からすべて、と算数は2004年度版からすべての問題を念入りに読み解読し気になるものは解いて思考の根源に関わる問題を抽出していった。選んだ問題はレジュメ化してそれに詳細な解説をつけていった。

 平成24年のメイン製作レジュメは、竹の会入会テストシリーズと算数をクリアにするシリーズだった。平成24年から作り始めたレジュメ作りは以後毎年続き膨大な量に達することになる。平成25年に事件が起きた。2年近くかけて育てていった小6、知能の高い男子であったが、突然10月に退塾してしまった。受検を止めるというのだ。直接の原因はわたしが小石川は無理だ、桜修館なら受かる、と言ったことだと推測しているが、本当の理由はわからない。この子の指導に使ったのが、入会試験シリーズと算数をクリアにする、だった。思い出してみると、この子には、2010年算数をやらせていた。止める直前まで。後から考えて、この子がその後桜修館に受かったのは、このせいではないからと心当たる。
 算数を征するものが都立中を制する。わたしの持論であった。
 算数の能力のない者、劣る者は、どんなにいい手を尽くしてみても結局徒労に終わるのが常であった。
 実は、わたしの都立中対策にも迷いがあった時期がある。最初は何も迷わず過去問合格法を使った。それで合格した。だからますます迷うことがなくなった。
 22年年の両国、桜修館の合格は、完全な過去問合格法であった。21年わたしは、ワードで、「適性虎の巻(全2巻)」を完成させていた。23年受検生に、これを使った。もっとも小石川受検者は、小5までにすでに過去問全国版2年分を終わらせていて、小6になってさらに一年分をやらせた。「適性虎の巻(全2巻)」は重要過去問を網羅的に編集し、それにわたし独自の解説を加えたものである、ワードで作成した。
 後年、つまり平成24年製作開始の、竹の会レジュメは、ワードではない。それまでに高校入試の数学に使っていた数式ソフトを使用したものだ。このソフトの長所は、数式に特化していることはもちろん、とにかく精細な作図機能に優れ、様々な編集機能もあることだ。わたしはこのソフトによって、今までできなかった様々なレジュメを製作することができた。現在の竹の会のレジュメの中心ソフトとなっている。ワードは国語レジュメなどで使う。
 とにかく23年は小石川と桜修館に合格した。
23年竹の会のミクロマクロ算数が脚光を浴びた年である。この年の受検者は小5以降の入会者が多く、過去問合格法が完璧に機能しきれなかった。24年は富士のみ。この失敗を踏まえてわたしはいよいよレジュメの製作に没頭していくことになる。この年の受検生は、竹の会入会テストシリーズ、算数をクリアにする、だけで、過去問合格法は取らなかった。25年、小石川、白鷗、桜修館に合格。わたしは過去問合格法なしに初めて成功させた。

 25年の指導では何を思ったか、ワード時代のレジュメを使い、子どもたちを混乱させてしまった。26年受検の成績優秀な受検生2人は、その後、慶應義塾大学と東北大学に合格している。27年桜修館と富士に合格。26年の指導では、徹底して新作レジュメを制作した。もう迷わなかった。28年、小石川、九段、白鷗、富士合格。29年なし。30年桜修館、富士2名合格。31年九段2名、桜修館2名合格、30年の指導から過去問合格法を取り入れた。レジュメを補完する目的である。31年過去問合格法が初めて挫折した。この辺りからわたしにやや迷いが生じていた。原因はわかっていた。算数に限界のある子たちをどう導くかだ。だから過去問合格法で補完した。レジュメで合格ハンコをなかなか取れない子たちの指導でわたしは迷いに迷った。算数ができない子は受からない。わたしの中では動かせない信念であった。過去問合格法がその確信を打ち崩せるか、期待した。
淡い期待であった。やはり算数ができない子は落ちる。どうにもならない。 
 32年は、算数に突出した1名が小石川に合格した。わたしには、もう指導法で迷うことはなかった。やはり算数だと確信したし、できた。
 竹の会は迷うことなく算数に力をかける。算数に特化する。25年桜修館合格者がすでにその当時教えていたのである。かれは、「2010算数」という、私立難関中の問題を特集したレジュメ集をずっとやっていた。彼が合格したと聞いたとき、もしかしたら、あれかと思った。しかし、その時はそこまで重要には考えていなかった。わたしにも迷いがあった。半信半疑。もちろんそれだけではない。都立中はぬかりのある子は受からない。よく忘れる、指示がまともに伝わらない、サボる、遊びの方に気が奪われる、家庭学習がない、勉強の気がない、幼い、幼稚過ぎる、などとにかくなにか抜かりがある子は受からない。
 それとは別に算数は合否を左右する。
 吹っ切れた。新型コロナという、ただの武漢風邪にテレビという不安煽動装置に理性を失った民衆たちが、これまた無能な政府の、愚かな判断に惑わされて、右往左往する中で、わたしには、もはや迷いはもうなかった。
 着々と次の一手を打ち込んでいくだけである。わたしにはもう迷いはない。算数がだめなら受けなければいい。しかたない。そういう子をなんとかしようとわたしは苦しんでいただけだ。最低でも算数はできなけれダメだ。
 そう決まればもう迷わない。算数を最高レベルにする。これまで能力のある子にしか使わなかった、シリーズを受検生必須にする。わたしはそう決めた。これまで算数をある程度まで進めたら打ち切り適性指導を軸にした指導をしてきたが、これからは算数をとことん考えさせる。思考を突きつめさせる。
 都立中高一貫校指導、平成18年4月から平成32年5月、14年、合格と失意の14年、何をすれば合格するか、しなければ落ちるか、合格するためにどうすればいいのか、悩んできた。新型コロナで吹っ切れた。もう悩まない。わたしはやりたいようにやる。わたしには分かっている。
 新型コロナの襲来がわたしに転機をもたらした。いやこの一年病気で苦しんできたことが、わたしにあれこれ悩むことから解放したのかもしれない。
 すなわち
 竹の会は、都立中高一貫校専門塾である。

 次回予告 竹の会の正体(6)

 竹の会は難関校合格請負人である。

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小石川のための算数書

2007/02/07 14:57

元代々木教室

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かつての数学メモ

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竹の会渋谷教室9年、創立35年記念

紅白饅頭は7月に配布の予定です。

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