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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

竹の会指導の原点(2)/都立小石川/都立桜修館/都立両国/都立戸山/戸山青山/都立新宿

2020.12.01

 

 

竹の会指導の原点(2)
 毎年受験が終わると、何が良かったのか、何が悪かったのか、これは当然分析する。しかし、考えれば考えるほどよくわからなくなる。ある年に使った方法が、翌年の受検で有効なのか、これは必ずしもそうではない。ただ受検生の質が、大きく影響することだけは間違いない。かつて「竹の会は進化する塾」だと言われたものだった。それはその年に使った方法よりさらにいい方法へと進化していたという意味であった。確かに、平成10年当時の竹の会は進化し続けた。それは私の下に、毎年毎年新しい受験生が門戸を叩いて来た、ということがあった。ほんとうに様々な子たちがわたしを訪ねてきた。城北高校の中学生、筑波大学駒場附属の中学生(彼は開成とラサールに合格していた)、青山学院高等部の男子生徒たち、都立新宿、都立駒場の生徒たち、早稲田実業高等部の生徒、都立西の生徒、青山学院高等部の女子、ほんとうに私は生徒たちに恵まれてきた。こういう子たちを相手にわたしは高度な授業をめざして、ほんとうによく勉強した。平成元年〜10年はまだ塾として蒼かった竹の会の質を高めることに全力を尽くしていた時期であった。竹の会には膨大な書物があるが、それでも元代々木教室を移転するとき、半分を処分してきたのである。あの頃の私は本当によく本を読んだ。問題を解いた。参考書を読んだ。書店を回り、本を探した。東大などの大学の生協にも出かけた。水道橋にある古書店、新刊2割引の書店にもよく出かけた。指導の参考になるものなら何でも手に入れたかった。青山学院中等部、成城学園などの授業プリントが手に入り大いに学んだ。大阪にあるプログレス英語の出版社からはほとんどを手に入れて読み込んだ。また高校英語のための塾教材を手に入れては読み尽くした。東大教養部の英語教科書は市販されていたので、手に入れるのは簡単だった。ただ、東大の教科書は、訳本がなかったので、苦労した。この教科書は、都立西の生徒、青山学院高等部の女子生徒の指導に使った。
 竹の会というのは、大手の塾と違って、とにかく能力も性格もさまざまな子が集まった。とんでもない天才が来たかと思えば、学年ビリのオール1の子が来たり、自閉症気味の子がいたり、〇〇中の番長、女番長がきたり、わたしはとにかく誰でも受け入れた。どんなワルでも受け入れたのは、私がそういう連中とやりあってきたから、扱いに慣れていたことが大きいのかと思う。進学校で落ちこぼれてやる気を失くした子、こっそりタバコを吸っていたワル、シンナーで補導された子、とにかくわたしはどんな子でも引き受けて、閉ざされた心を開いてきた。暗かった顔がニコリと笑う。突然私の冗談で絞り出すような声で笑った自閉症の子、オール1の女子に正負の数を理解させるのに、碁石の黒(ー)と白(+)を使ったり、トランプの赤と黒を使ったり、と抽象的なものを具体的に濾過させることでなんとか操作だけは覚えさせたりと、とにかく子どもたちの能力、性格に即して、指導を工夫したのも、今は懐かしい想い出だ。今は、もう「そういう子たちはいいかな」と入会試験で篩にかけたつもりだったが、竹の会の指導を一度経験すると、もうやめるという子がほとんどいなくなる、困った、困った。私の理想の塾の形が崩れていく。
 竹の会伝統の過去問合格法のこと
 竹の会は、開設の時から、過去問で戦ってきた。わたしは、大手のようなテキストに竹の会のような小塾がとても太刀打ちできるものではないと観念していた。図やグラフを取り込んだ解説書などあの当時では到底用意などできない。大手は膨大な費用を使ってテキストを制作し人を集めていた。竹の会が唯一戦える手段はと言えば、過去問しかなかった。過去問ならどこの高校でも毎年発行された。声の教育社学参が有名だった。わたしは最初学参のものを使い、後に声の教育社のものを使った。後年解説を書くまでになって学参の編集部の人にたまたま竹の会の存在が知られて、解説の執筆を依頼したかったが、原稿料が安いから止めたという話しを聞いた。解説の制作は、国語や英語は、国会図書館に行って出典と付き合わせるそうで、わたしにはとてもできないと思った。大変な苦労をされて解説を作られているのだと教えられた。私などは公表しないから、それこそ自由に考え、自由に製作してきた。
 過去問合格法は、通年単位で過去問を解かせるものだが、数年の入試を経るとわたしは、二次関数といったら、〇〇高校、このタイプなら何年の問題と即座にわかるようになった。それで本棚にある過去問題集から取り出してコピーして解かせた。あの頃は本当に過去問職人のように、ある意味神業だったと思うが、過去問を自由自在に使いこなしていたと思う。わたしは、どこどこの過去問は入試指導の導入に向いているとか、確率はどこどことか、取捨選択して、使えるようになった。実力養成段階にはどこ、仕上げにはどこ、ととにかく縦横無尽に使いこなしていた。竹の会の過去問合格法は、確実に合格を出してきたのだ。
 わたしは、高校入試の導入用に竹の会のオリジナルテキストを制作していた。過去問合格法の前段階に位置するものだ。すべてワープロ専用機で作ったもので、活字ポイントは小さく、図はない。手書きでかいたところもある。パソコン、ソフトの進化により、わたしは、大手に敵わないと諦めていた、教材を作ることが可能になったことを知った。しかし、私が、パソコン技術、ソフトの操作を覚えるまでにまだ何年かの月日を要した。
 竹の会にレジュメ時代が来るなど誰が当時予想し得たであろうか。
 私は、レジュメ指導に完全に切り替えた平成24年のときも、正直、過去問合格法を捨てることの怖さがあった。長年続けてきた、勝手知ったる、私の方法を捨てるのである。しかし、25年には、このレジュメ指導で、5人中3人が合格したのだ。これでレジュメ指導だけで戦える。わたしは喜んだ。しかし、受検は魔物だった。わたしは、25年の指導で、ワードで作ったレジュメを捨てきれず、投入したのだ。これがいけなかった。26年惨敗。
 わたしは、レジュメ指導に専念しなかったことを悔いた。
 29年の指導では、レジュメで合格ハンコを取れない子たちがいて、やむなく過去問合格法を併用してみた。これで富士に2人合格した。気を良くした私は、過去問合格法に回帰することに心引かれた。30年の指導でも最後はこれを使って、31年、4人合格。
が、付加して過去問合格法を効果あらしめるためには、レジュメ指導で少なくとも合格ハンコが、相当数取れる子でなければならなかった。合格ハンコがほとんど取れない子が過去問合格法をやるとただの暗記の勉強に堕するのだ。思考は全く使われなくなる。それに慣れてしまうと過去問を解き直すことでできたと錯覚し、それに酔いしれてしまい、7回時直しが、単なる自己満足と化する。子どもたちには、考える「間」が大切であり、必要なのだ。わたしは、24年の方法に回帰した。あの時の心を思い出した。あの時は、やった量は少なかった。それでも合格した。あの精神は、27年の時も、生きていた。わたしは迷わなかった。決して揺らぐことはない。わたしの軸がブレたのは、合格ハンコを取れない子たちがいたからだ。この子たちをどうすれば合格させられるのか、わたしは悩んだ結果かつての過去問合格法に回帰したのだった。
 過去問はやり出すと、網羅的にやることになり、時間にも追われることになる。つまり、思考をする時間がなくなる。
 ここ何年かのことだ。竹の会では、内申がとても8割基準に満たない、入会テストにも不合格の子たちが、仮体験入会することを認めているが、それは入会試験に合格するほどの子が少ないためである。もともと入会試験に合格するのは、2、3人ほどだったから、まあ、普通のことだと言えば普通のことなのだろうが、竹の会に入会して、合格をめざすなら、内申8割基準、入会試験合格は必須であろう。
 余談であるが、高校受験成功の秘訣を附言しておきたい。
 まず知能が一定の水準を満たすこと、読める字を書けること、この2つを前提にして、
 小学生のときに、計算力をつけておくこと、割合を理解していること、もって思考習慣があること、勉強にスタンスが向いていること、これは基本的な生活習慣ができていて、勉強がその中に組み込まれていること、といえる。
 さて、こうした前提学力をつけておくには、どうしたらいいか。一つだけ言えるのは、竹の会に小学2年ないし3年に入会して、一応都立中高一貫校受検のための指導を受けることが、そのまま高校受験の準備になる、ということである。
 竹の会の指導は、基礎学力をつけることに、それはとりもなおさず、思考習慣をつけることに、特化している。具体的には、算数、最初は割合を学ぶことから、思考力を時間をかけてつけていく。高学年になるとかなり高度の算数の問題に対応できる思考力をつけていくのが一般である。
 竹の会では、課題を通して、学力一般の底上げを図っていることも忘れてはならない。
 小学生の基礎学力を全般的に涵養し、もって中学になって何の障害もなく学力に磨きをかけることを可能にしてきた。
 高校入試の対策は、小6の2月をもってギリギリのスタート時期と規定する。2月、3月の2か月で、英単語500語を暗記すること、数学は、正負の数、文字式、一次方程式、関数まで終わらせた子もいるが、これも竹の会での準備指導の可否、成否によって影響される。正負の数から文字式へ、この文字式で、文章を文字化できない子がいる。そういう子は、脱落する。文章の文字化が、すなわち数学の基本であり、ここで躓く子は高校受験はない、少なくとも上位都立、難関私立は、望むべくもない。
 こうして、竹の会は、学校の授業についていけない子を見る塾ではない。竹の会は、一定の、知能あることを前提に、思考を鍛え、訓練する塾である。一定の能力を前提にその能力を何十倍にも伸ばし、飛躍させることのできる塾である。一定の能力のない者が入るところではない。そういう子にそういう塾があると思う。内申がないのに竹の会に来るというのは結局実りないことになろうかと思う。
 こうして竹の会で高校受験をするためには、どうすればいいのか、わかっていただければ幸いです。
 老婆心ながら、私立小、中の子が竹の会で成功した例は、数例しか記憶にない。私立に通う子は裕福な家庭の子が多く、中には東大の学生を家庭教師として2人もつけたり、東大出身のプロの家庭教師について勉強しながら竹の会に来ていた子もいた。また四谷大塚に通いながら竹の会に入会し都立小石川をめざすという小学生がきたこともあった。こういう子たちがなぜか竹の会ではうまくいかない。子どもたち自身は能力も高く、字だってきれいだった。総じてよくできる子たちであった。しかし、竹の会では無理だった。頭のいい先生にわかりやすく懇切丁寧に教えられてきた子たちが、わかるまで考えるという、ある意味1時間前後放置されることに耐えられなかった。彼ら彼女らは「わからない」とすぐにわかりやすい解説を欲しがった。問題を読んで瞬間「わかりません」と投げる子が多かった。この子らの問題性は、常に具体的な問題の解説を受けてきた、教えられてきたところにあった。竹の会では、まず考える土俵造りをする。その上で、その土俵で問題を考えさせる。土俵はよくステージとも呼ばれる。つまり竹の会では問題を考えろという前にまず思考の段階に即した思考の枠、つまり土俵を作るのだ。その上で土俵という枠から問題を考えていく。わからなければ突き放すこともある。わからないと言ってすぐに解説するのではなく、前の土俵に一段下げるということもある。
 

 

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