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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

筑駒・開成合格塾/駿台模試都立日比谷志望者第1位塾/渋幕特別特待生合格塾/桜修館のための名塾

2022.05.24

「新草枕」テーマ

何かおかしい、普通じゃない、という感覚は、実は一番重要

 

◎「手をかける」指導

 長い間、塾をやってきた。今年の9月で満37年になる。目標はある。40年を区切りにしたい、秘かに思い続けてきた。2年前に病魔に倒れて、生まれて初めて大手術をした。あのときは、竹の会の終わりを覚悟した。子どもたちにはいつも心をかけて指導してきたつもりだ。長い間やってきて、思うのは、子どもたちの中に、才能を、見たとき、の喜びだ。まだ粗野だけど磨けば光る、そういう才を見たとき、心が弾む。いろんな子がいる。すべての子が才能に恵まれているわけではない。よくわたしがかつて言ったように、教えられたことはきちんとできる子、教えられたことができない子、教えられたことから教えられたことのないことまでできる子、子どもにはおおまかにこの3つに分けられる。学校の優等生というのは、ほとんどが「教えられたことはきちんとできる子」だ。だが、このタイプは、教えられたことしかできないのだ。だから伸びない。才能というのは、親のDNA、親の教育にかける姿勢の影響からは逃れられない。鳶が鷹を産むという諺は、普通はそんなことはないということを前提にしている。ただ江戸の昌平坂学問所の頃から、学問ができるのは、裕福な家と決まっている。東大に入るにはカネがかかる。医者になるにもカネがかかる。弁護士になるにもカネがかかる。カネがなければろくに教育も受けられないのが現実だ。東大生の家庭の80%が経済的に余裕のある家庭だという調査もある。あたまがいいだけでは医者にはなれないのだ。塾とは、おカネのかかるところだ。大手進学塾に行くには、それなりの覚悟がいる。安くすませようとすればそれは成績が下がる覚悟がいる。それは親が考えているほど甘いものではない。資格試験の予備校は競争原理がはたらき、費用の相場もそれなりのところに落ち着いてきたが、提供する教材で利益をあげるために、いい教材がつくられることになる。大学受験の予備校もその本質は変わらない。ここでは、科目に特化した講師がいいテキストを作る。わたしも名作と言われる参考書を読んで、すごいなと思う。ただ高校受験は、違う。学生講師も多いだろうが、高校受験の大手が作るテキストは、過去問ベースに特化している。わたしは、筑駒・開成の指導に「手をかけて」、大手の限界を、底を見抜いた。大手の天才に勝てると自信をもった。早稲アカ、サピ、Z会、どの大手にも負けないと思った。事実、駿台模試で1番を取った。わたしはその以前から大手に負けない、ということを予言してきたつもりだ。塾というのは、カネのかかるとろである。竹の会もそういうことを言われたことがある。しかし、カネのかからない塾はおそらく役に立たない。ただ竹の会は、施設費も教材費も何も取らない。中3の指導では、正直赤字だった。わたしは必要な教材は迷わず投入する、しかも無償で、だからどうしても赤字になる。それからもっと実質的に考えてみてほしい。わたしが大手に行っていたという子どもたちをこれまで何十人も見てきたが、いや何百人かもしれない、そういう子たちは、学力不振の子たちばかりだった。計算はできない、割合はわからない、そういう子たちばかりだった。大手に2年、3年と通い、高いカネを払って来たのでしょうに、それでその程度なら、竹の会が高いと言ってほしくない。少なくとも、竹の会の子たちは、計算に長けて、割合を深く理解し、考えて解くという思考スタイルを身につけ、家庭学習の生活習慣を当然のように内在化し、いわゆる勉強のスタンスというものができ上がっている。竹の会を高いという人は、中身を見ないで、ただカネだけを比べて、批判する。いや親御さんにも「高い」と言われた人がかつていたけれど、それなら安いという大手でもどこでも行かれたらいいと、わたしは書いたことがありました。竹の会のように「手をかける」塾というものを東京で探すのは骨の折れることでしょう。高校入試は落とさない、それがわたしの自負心だった。しかし、それは、わたしに赤裸々に学力を見せてくれる、わたしに嘘を言わない、真実を隠さない、それから部活で時間を潰さない、勉強しないという不作為でわたしを失望させないという、大前提あってのことでした。塾を仕事にしてきて、わかることは、塾で失敗している多くの親子がいること、これが今の東京の現実ではないのか。見事に、塾に騙されている。もちろん難関といわれる試験は落ちるのが普通の事態だ。才能がなければ落ちるのが普通だ。ただ3年間通って、割合もわからない、というのは、騙されていた、と気がついてもいいのではないか。わたしは、無理な子には無理と正直に言ってきた。落ちるということも言ってきた。模試は実力証明書と言っていい。この証明書、つまり実力の証しがないのなら、受かるはずもない。それでも受かると期待するのは勝手だが、現実はそう甘くない。わたしにできることは真摯に子どもたちと向かいあって、わたしの指導能力を尽くすこと、「手をかけて」あげることだけだ。小学生は難関を受けるのだから、落ちるのが普通のことだ。しかし、高校入試だけは「手をかけて」落とさない、これがせめてものわたしのプロとしての意地である。もう一度言う。竹の会のような「手をかける」塾を東京で探すとしたら、随分と骨の折れることでしょう。またそういう人が竹の会を信頼できる塾だと知るのも難しいことでしょう。あれこれと心配を尽きずに、竹の会を信頼しきれずに、入会を見送った親も数知れずいましたが、これだけ騙し塾が多い東京で本物の塾に出会えたのなら幸いです。

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