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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

筑駒・開成合格塾/駿台模試都立日比谷志望者第1位塾/渋幕特別特待生合格塾/桜修館のための名塾

2022.07.26

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手をかける指導
 手をかける指導が、成功に導くということをわたしはよく知っている。
 竹の会で高校入試に失敗した中学生の多くは、わたしが手をかけられなかったからだ。なぜ? 竹の会の指導を拒否していたからだ。竹の会のレジュメをきちんとやっていなければ、指示が出せない。もっとも指示はほぼ流される。勝手に市販の参考書を使っている光景はよく目にした。模試をーはほとんど受けない。学校の成績・模試を隠すから、私にデータは一切ない。部活で中3の夏まで潰れる子もそれなりにいた。受験を母親が仕切る。母親主導の判断が優先される。こうして実質わたしの手から離れる。手をかけることもなく時が流れる。模試を受けても1,2回というのは、現実逃避なのか。模試は外部受験だと本人が報告しないかぎりわたしにはさっぱりわからない。わたしは内心不合格を確信している。そういう親子が受験も差し迫ってから、わたしに相談してくるのもよくあることだ。二進も三進もいかなくなってからの相談では、わたしには手の打ちようがない。手をかける気もない。
 わたしの一番やりがいのある仕事は、やる気のある子を手をかけて育てていくことだ。もしそれが逸材であれば、開成でも筑駒でも狙えばいい、特に、高校受験は、私の得意分野だから、その実現性も高いだろう。
 わたしの理想はと言えば、難関高校の入試に絞った指導だけできればこれほど幸せなことはない。しかし、竹の会のような小塾にはなかなかそういう機会もない。大手で落ちこぼれたとか、大手に不満を持った親子がたまたま流れてくる、そういう場合がほとんどから、能力も期待できない。都立中高一貫組にしても、優秀な子が竹の会に残るのは稀だ。また折角力をつけても難関志望だと大手に行く。竹の会では信じられないのだ。普通の中学生はたいてい中1前後でいなくなる。部活で潰れるのが多いが、要するに、成績が落ちるところまで落ちて竹の会を去らざるを得なくなるのだ。
 私立中学については、高校入試をやっていると、たまに竹の会にやってくる受験志望の子がいて、手がける、ということはあった。当時は専門外だったが、高校受験で定番だった過去問指導法で合格したものだ。断っておくが、ここでも大手から漂流してきた親子とか、大手にはとてもついていけない、個人塾を転々としてきた親子、中手で挫折とか、そういう子ばかりだ。たまに大手に在籍しながら来るというのもいた。平成20年に実は慶應藤沢中に合格しているが、四谷大塚とのダブルスクールだったので、竹の会では載せなかった。東洋英和に受かった小6も同じ四谷大塚だった。当時は、四谷大塚日能研が多かった。竹の会純粋の合格と言えば、立教池袋中、吉祥女子、国学院久我山中、日大二中、獨協中などかなりの数に上る。みな私がまだ算数研究に入る前の話しだ。竹の会は、昭和60年10月に開設以来、一貫して高校受験を専門としてきた。記憶に残るのは、平成10年の早稲田実業高校普通及び商業にダブル合格したことだろう。立教高校新座は過去2名が合格している。竹の会のような、都立志望者ばかりの塾に、難関校志望の生徒が来ることはほとんどない。そういえば東邦高校に合格した生徒はその後順天堂医学部に進学している。20年に桐蔭理数に合格した生徒は、東大経済に合格している。都立なら、都立西からお茶の水女子大に進学都立西から慶應理工に進学と早慶合格はかなりの数に上る。大学入試も経験した。青山学院から慶應へ合格した女子は、中学から育ててきた子だった。不登校の生徒が都立鷺宮に内申オール1で、450点以上取らなければ合格できないところを突破し、入学後当然学年一番で、千葉大工学部、東京理科大に合格したのは、都立鷺宮では、歴史的な出来事であったに違いない。彼は高校時代も竹の会に通った。いつも生徒のレベルの低さ、教師の質の悪さを嘆いていた。わたしはまた不登校になっては敵わないと思い、大学で決めろ、高校は大学受験資格を得るためのただの手段だ、と機会あるごとに説いたものだった。
 手をかけた生徒は必ず受かった。そういう生徒というのは、親の信頼が絶大で、子は竹の会を気に入り、竹の会が好きであり、竹の会以外にはない、という信念を持っていた。私が手をかける子というのは、この子は受からせなければならない、いやどうしても受かって欲しい、そういう思いに駆られたときだった。何かが私を突き動かした。そういうときの私はその子をどうしたら合格に導けるか、寝ても覚めてそのことばかりを考えていた。ひどいときには、なかなか寝つかれず睡眠不足に悩まされた。わたしをそういう気にさせる子、それはわたしの胸を打つ、心に真摯さ、謙虚さが、伝わる子であったと思う。
 その子に敬意、思い遣りを感じたとき、わたしの心は、熱くなり、何かに突き動かされるように、その子の合格にロックされた。厄介なのはやたらに受験事情に詳しい母親だ。こういう母親の子が受かった試しはない。母親の干渉という指導妨害には当の母親は気づいていないが、私は合格はない、と早くに判断、いや宣告していた。私に手をかける意思が消失したということだ。横柄な子、反抗的な子が、受からないのは、私に手をかける意思が微塵もないからだ。かつて部活を最優先してトップ都立に行けると信じていた親子がいたが、そのために、竹の会の正規の回数より少なく、時間も2時間、それで受かることなど私の経験値では100%ありえないことだった。学校の進度と同時進行で受験に成功するなど、あるはずがないのである。私のプログラムにはない設計で、手をかけることもできない。部活最優先だから。いくら中2まで学校の成績は上位を取れても、そんなものは中3になれば崩れ去る、瓦解することは目に見えている。日比谷を口にするのは勝手だが、絵に描いた餅だ。英語、数学、そして理科、社会とガラガラと音を立てるように崩れていく。英語ができない生徒が取るような点しか取れない、という現実を目の当たりにする。
 竹の会の指導とは、手をかける一人一人に手をかける一人一人の勉強のスタンスを鞏固にし勉強がすべての前提となる子に育てる、ことである。
 手をかけた子は受かる受かる蓋然性が高い。勉強に熱を感じない子には、手をかけることは一切ない。わたしを突き動かす、子どもの真摯な思い、それがわたしの胸を打つ、手をかけなければ居ても立っても居られない心理にしてしまう。

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