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都立中高一貫校/都立高校トップ校 受験専門 渋谷で創立30年

算数で能力を開くことを可能にした竹の会の指導

2021.01.30

 

◎算数で能力を開くことを可能にした竹の会の指導

 竹の会は、昭和60年10月にマンションの一部屋から始まった。渋谷区元代々木町の、当時としては、交通不便な、ある意味辺鄙な所にあった。JR渋谷まではバスで15分以上、小田急線代々木八幡駅まで徒歩で10分、地下鉄千代田線代々木公園駅と小田急線代々木八幡駅はほぼ同じ位置にあった。京王線初台まで徒歩10分だが坂道だった、笹塚まで10分ほど。バス停こそ近くにあったが、塾をやる場所としては、立地はよくない。しかし、当時の私には、そんなことも考える余裕はなかった。無我夢中で労を厭わず教えた。渋谷駅の近くに塾を出せることなど夢のまた夢であった。
 私が、竹の会の指導体系を完成させるまでに30年の時間を要した。
 昭和60年の私は授業を中心に回していた。62年初めての高校受験で、私は、市川高校青山学院高等部都立駒場都立大附属都立目黒國學院久我山などに大量の合格者を、出した。
 受験指導では、過去問を駆使した。過去問を使うときは、どうしても生徒にまず考えさせて、解かせた。だから必然生徒が考える時間が増えていった。
 あの頃の私はまだ若く、できない子を教えるのは不可能だ、と断じて疑わなかったけれど、ある時期は、そういうできない中学生ばかりが集まって来たこともあった。公立中学というのは、玉石混交の世界ですが、まじめに勉強する生徒は2割程度でした。わたしは学年ビリなどの生徒ばかりを教えたこともあります。だからたいていの生徒には驚かない。わたしは、中学生を専門にしてきた。しかし、時々、小学生、高校生も頼まれて教える。とにかくあの頃は余程のことがない限り引き受けた。とは言っても、あまりにできない子は断っていた。はっきり無理だと断った。
 退塾させた生徒は夥しい数に上る。できないというだけでなく非行に走る子は断るしかなかった。
 真面目でできる生徒には竹の会は素晴らしい塾と見えたようである。それはそうである。わたしのもっとも得意なのは、難関校なのだから。あの時期は、わたしには、研究と勉強と実践の日々であり、経験を積み重ねる時期であったのだと思う。
 まだ私の中には、算数を正面から研究する土台はなかった。もちろん時折り、頼まれる中学受験の依頼は、過去問を軸にやっただけで、それで成功したものだから、特に、気にすることはなかった。記憶に残る合格校は、獨協中東洋英和女子中日大二中立教池袋國學院久我山吉祥女子慶應藤沢などたくさんある。過去問を解いて見せる、そういうやり方だった。わたしはまだ算数に興味を持つまでにはなかった。だから平気で方程式を使って解いたり、小学生に方程式の手ほどきをしたりした。今考えればメチャクチャな話だった。方程式が中学生よりできるようになった小学生が冬に大手のクラス判別のテストを受けて1番取って、講師に方程式を使ったことを咎められたことがあった。竹の会しか知らない子に大手を経験させてみたかった。それで今度は母親から「先生、方程式で解いて大丈夫でしょうか」と不安を投げかけられる。式、考え方を書かせるところもあるからである。幸い、合格した。獨協中だ、高校まで学年1番。その子は高校まで竹の会にいたのだ。大学は指定校推薦で東京理科大の建築に進学した。
 私が算数と向かい合うことになったのは、公立中高一貫校をめざす小6との出会いであった。九段人気がすごかった。猫も杓子も受検という小学生が集まった。通分もできない小6が普通にいた。簡単な割合、例えば、○円の△%はいくらか、みたいな問題ができない、そんな子が普通にいた。さすがに中学受験をやるために早くから大手塾に通っている子たちはそんなことはなかったけど、今度は、パターン化した問題しか解けないという子ばかりだった。
 何かが私の中で弾けた。
 計算もできない。割合も実はわかっていない。いやそもそもこの子たちには、思考する力がない。考えるということがわかっていない。
 なぜ割合がわからないのだろう。
 割合のしくみが頭の中に認識されない。
 私はこのとき算数という科目と初めて真剣に向き合ったのだと思う。それからの私は頭の中から割合のことが離れることはなかった。寝ても覚めても割合のいい方法を考えた。朝、アイデアが閃いたらすぐ枕元のメモ帳に書き留めた。忘れないように。アイデアはパソコンを開いて、レジュメにする。よく図を考えた。いろんなアイデアを図にした。棒グラフの棒の右に実際の数字、左に割合の数値と対置させた図、割合の棒、実際の棒、割合の棒は伸縮自在で、実際の棒と常に合わせるなどいろいろ考えた。そのようなアイデアを図にすることに腐心した。すべては、子どもたちが、どうしたら割合の概念を頭の中に組み込めるか、そればかりを考えた。
 算数ってすごいな、問題を考えれば考えるほど、知恵がついていくような気がした。
 私は算数が子どもたちの能力を開花させていくことを確信した。
 算数を通して、子どもたちは自立していける、そうも思った。
 問題を丁寧に読み、問題の語る意図を読み取り、丁寧に読み解いていく、
 わたしの考えている理想の姿を算数がかなえてくれる。

 今、竹の会がどんな塾か、語るなら、算数を通して思考力を鍛えていく塾ということではないかと思う。

 竹の会はレジュメによって「指導」をするけれど、もちろんレジュメへの高い信頼性を担保しつつ、いやそのために研究に余念がないことは否定しないけれど、竹の会はトータルな指導を得意としているということなのかなと思う。特に、高校受験の指導はもともとがわたしの専門であったこともあるが、トータル指導をもっとも高い水準で実現できた分野なのかと思います。

 
 ゲームの弊害
 ゲームはいけない。なぜって、勉強から丁寧な思考を取り去るからだ。頭が粗くなるのだ。
 俗に、粗野な頭というのがある。実は、適性にとって、最大の敵は、この「粗さ」である。慎重に丁寧に読み解く、この姿勢は、ゲームをすればするほどなくなる。
 一つ一つ丁寧に考えて読み解いていく、これは性格ともいえる。
 振り返ってみれば、過去の合格者は、例外なく、そういう子であったように思う。

 合格する子の像
 無駄口を叩かない。
 飽くまでも物静かであった。笑うときも、控えめに笑う。
 キャンキャンと騒ぐ子は受からない。
 黙々と勉強する。つまり無駄がない。
 冗談は言わない。
 私への信頼に揺るぎない信念を感じる。
 不思議なことに私を揶揄する子が受かったことがない。
 私を信頼するから、私への信頼が絶対だから、私の指示を100%忠実に遵守するのだと思います。私を信頼しているから、課題やレジュメなんかも無心にやるのかもしれませんね。早稲田進学会の模試なんかで名前を載せるとますます私の言うことを守ろうとする。それがいいのですね。
 私の指示に素直に従えないのは、信頼してもらえなかったということなのかなと思います。これはまた悲劇です。
 受かる子というのは、わたしから注意することがほとんど皆無ということがあります。
 わたしからいろいろ注意を受けるということは、問題をはらんでいるということです。 
 これは実力がつくかどうか、ということとは、別の話しです。実力はついていても落ちるということなのです。
 これはどうしたことか。
 私は、頭が「荒れる」からと理解しています。頭を冷静に働かせるには興奮した状態、つまり体内にアドレナリンが放出された状態では無だめだという生理的な理由です。
 

 受検生のみなさん 沈着冷静が大切です。
 言葉の上っ面だけで判断するな!
 言葉の意味することを深く深く考えてみなさい!丁寧に読み解け!

 問題の意図を理解すること、問は何を答えて欲しいのか、書いて欲しいのか、考えて、出願者の意図に則した答えを「のみ」書いてきてください。
 

 適性というのは、雑な思考をする人を排除している、だけに過ぎないのです。
 雑な思考、雑な行動をする人は、要らないと言っているのです、
 私のレジュメで合格ハンコを取るのは、雑な思考をする人には無理なんです。私は私のレジュメで雑な、荒い、そして粗い、つまり粗野な思考をする人を篩い分けているのです。
 不合格ばかり、あるいは「しか」取れないというのは、思考が単層ということなんです。問題を理解しない。前が何も見えてないのに、車を前に進める、まえが真っ白で何も見えないのをホワイトアウトと言うのだそうですが、同じ状態で、問題を解くなどということができるはずがないのです。
 

 最近、あったうれしいこと
 算数に目覚めた子が出てきたこと
 仮入会の子が、長いトンネルを抜けることがあるのか。何度も絶望しかけたことだけは確かだ。割合のレジュメを手を変え品を変え、辛抱強く、やらせたのが功を奏したのか。式をかけ! 単位をかけ! 図をかけ! と怒鳴りながら、何度も何度もやらせてきた。ある日、なんかずいぶん正解が増えてきたな、とそれとなく思っていた。割合問題の思考力基準問題を解いてきたときは、少し疑った。けれど、どうも自分で解いたようだ。思考力基準問題はほかにもある。これらの問題を解けれは晴れて割合理解者として認定できる。もしできなければ、テキストは、また振り出しに戻る。
 受検レベルに達するかは、割合をどれだけ自力で解いたかに拠る。注意しておきたいのは、受検レベルに達しなくても、算数の力、すなわち思考力はそれなりの水準にある、ということはある。かつて竹の会では、受検レベルに達しない場合は、退塾を勧奨していた。それで退塾した子もそれなりにいた。そういう子たちが他塾に行く。そうすると竹の会にいた子が、その塾で算数が一番できるという事態がよく起きた。そうなると自信をつけて、他塾で成績を伸ばしたという子も出てきた。後日、そういう話しをその親御さんからお手紙で知ることがあった。
 つまり、竹の会で算数、思考力を鍛えた子たちは、半端ない、本物の思考力をつけている、そういうことが、わかってきた。

 退塾は解決になるか。

 竹の会をやめて大手塾や他塾へ行くという子がたまにいる。ほんとうにたまにである。大手が何か夢をもたらしてくれる、漠然とした憧れを持つ子がたまにいる。大手に通う友だちを羨ましげに見たり、大手の実績をかいたパンフに心ときめき、大手の建物に憧れる。このタイプの子はあたりまえだが夢破れる。実際に大手に通って失敗してその実態を知ったときには時既に遅し。その時、初めて竹の会という塾の真の価値を悟る。

 もう一つ、竹の会で、成績が伸び悩む場合である。気になるのは、竹の会で伸びなかったのを、塾のせいにする、勘違いした親がたまにいることである。よく中学であるのは、部活で勉強がまだらにしかできてないことである。あるいは能力的に限界にあるのに加えて部活で勉強がまだらにしかできない、ということがある。こういう子が他塾に移って問題が解決されるのか。おそらく本質的な解決に至ることはないであろう。能力が足りないのなら、部活なんかに時間を費やしている場合ではないだろう。問題を解決するには、その問題にかかりきりにならなければ、とてもできないということであり、それは普通に考えたら、そうであろう。
 できない子に対する処方箋は、決して、塾を変えることではない。
 違うのだ。そういうことではないのだ。より本質的な問題を避けて、解決などない。
 できないのは、勉強にだけ専念した生活ができないからだ。なのに、親も子も時間を分散させて、勉強に使う時間は、塾に行った時だけ、というのが現実の姿である。勉強時間を大幅に割いて部活をやっている場合ではないのに。本当に、勉強のことを心配するのなら、勉強にだけ時間を割くこと、まずそこでしょ。まず勉強オンリーの環境設定が先ということです。わたしならこうするというのはある。
 できない子については、私がそれ以上踏み込めない領域にいる。確かに、こうした方がいい、というのはある。しかし、親も子も、何も変える気はないのだ。すべてそのままで、塾だけ変える、それで解決できると信じているのだから私が踏み入る領域など最初からない。
 とにかく塾を変えただけで、さまざまな問題には一切手をつけないで問題が解決するということはありえない。
 問題の本質はそんなところにはない。変えなければいけないのは、ほかにある。毎日机に5時間ついて勉強することとか、部活をやめることとか、勉強の環境を整えてあげることなのだ。
 親はただ塾を変えたら解決できると単純に考えているが、より本質的な問題を解決しない限り、永遠に塾を変え続けることになる。そして行き着いた終着駅は底辺だったということなのだ。
 

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