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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

網羅主義との訣別/都立中高一貫校を受ける意味/小石川中等、桜修館中等の人気/竹の会通信

2020.10.13

 

◎どこまでやればいいのか

 網羅主義との訣別
 要領か
 いや思考だ
 思考こそ最大の知識節約手段だ
 少なくとも良質のレジュメ(栄養)で、確実な自生を促す、こういう指導をわたしはめざしている。
 25年合格者たちは、今のように多種類大量ともいえるレジュメをこなしたわけではない。あの当時は、指導のたびにレジュメを執筆、製作して指導日に臨んだ。だからたいていレジュメは2通、多くて3通だった。だから一枚一枚に時間をかけて考えた、と思う。ただ、それにしてもレジュメを抱え込む子は伸びないし、受からない。レジュメをもらったら全神経を集中させて考える、そして10〜15分以内には提出する、これが合格する子の共通した特徴であった。一枚に一時間以上かける子は結局できていないことがほとんで、時間を無駄にして終わる。
 話しは逸れたが、少ないレジュメで受かっていったという事実は、今の竹の会には貴重な教訓である。今は、毎年執筆されてきたレジュメが蓄積されてそれは膨大な種類と量に達している。これらのレジュメをすべてやるのは不可能である。となれば竹の会レジュメ発足の当時の精神に戻って少ないレジュメで考えることに集中した、25年当時の指導の姿に立ち戻るのが正しい道なのではないか。
 25年当時と比べて遥かに進歩したところも多々ある。特筆すべきは、やはり算数レジュメひいては指導技術の飛躍的な進歩であると思う。
 竹の会はかつてない算数指導技術の進歩を成し遂げた。かつて首都圏の中学入試の過去問をほとんど解き尽くした時代とは、あらゆる点で違う。あの当時はとにかくまずは過去問を知ることに重点があった。だからとにかく片っ端から解いていた。解き尽くすまで解いた。当時のわたしには算数の手法というものはなかった。もちろん数学はある程度極めていたから算数が解けないということはなかった。ただ小学生には理解できないだろうな、ということは多々 あった。

 あの当時のわたしの基本的な解法のスタンスは国語の読解とほとんど変わらなかった。問題を読み、国語的理解をして考える、そういうスタンスだった。それでほとんどの問題は解けた。平成元年あたりのことかと思う。あの時から二十年の歳月が流れてわたしは算数を算数として研究に取り組むようになった。きっかけは公立中学の低迷に端を発するが、竹の会にも公立小の主として5、6年が来るようになった。平成17年、公立中高一貫校制がスタートして、公立小の子たちが塾に来るようになった。その時、公立小の高学年が酷い学力なのを知った。分数の計算はできない、割合をまともに理解している子たちがほとんどいない。わたしは、まずそこから手をつけ始めた。計算の指導法を確立して、割合の指導法を構築する。わたしの研究は思いついたことを即教材にして、子どもたちに試すことから始まった。来る日も来る日も実りのない日々が続いた。今使われている竹の会のレジュメのベースとなるものはほとんどがこの時期に作られたものである。わたしは公立の子たちを救済する方法の開発に明け暮れていた。日夜研究に没頭したのはこの時で何度目か。わたしは一つの使命を見つけると、もう夢中でそのことに没頭した。これは寝ても覚めてもそのことを考える、そういうことである。わたしは閃いたらすぐにレジュメにした。こうしてわたしは様々なレジュメを夥しい数製作していった。
 今のレジュメの製作手順は、まず問題を選ぶ。これはみくに出版の過去問集を虱潰しにして読み解いていく中から、いわゆる良問、使える問題を探す作業である。問題を選ぶというのは、ただ読むだけではない。読んだらとにかくさらさらと解いてみる。さらさらといかないものがある。今度は真剣に考える。こうして良問を選んでいく。次に、選んだ問題には詳細な解説をつける。子どもたちにわかる解法を探すことが一つの楽しみでもある。解法は一つとは限らない。難しい解き方よりも簡単な解き方にこだわった。算数を解く人間として、数学的処理は、敗北である。よく算数で使う①は、数学のxを使うのとほぼ同じ効果がある。例えば、2xは、②と同じである。方程式がある種の問題には万能の力を発揮するように、①も同じである。方程式に特有な「移項」は、線分図で躱すこともできる。そうすることが、また新たなる新解法を生むことに寄与もしている。解法は吟味され常によりいい解法を求めて、作り直すことしきりであった。方程式、特に連立方程式によれば簡単に解決できる問題パターンがあるが、これを算数で説明するのはなかなか骨の折れることであったが、これに面積図が有効なことがわかってきた。これはわたしには発見で、実は、これまでに数学的処理が求められる問題を幾度となく面積図で解決してきて、その効用に限りない可能性を実感している。今執筆中の「面積図で解く算数」は、これまでの私のそうした蓄積をテキスト化するものである。ただし、これは竹の会の指導用レジュメとはしないこととし、有償販売(会員に限る)の予定である。参考書として学ぶことを推奨するためである。
 網羅主義ないし完全主義は、受験ではともすれば取られがちな態度である。受験に対する不安が人の心を完全主義に走らせると言ってもいい。古来難関試験では難関であるが故に、完全主義が提唱されることが多く、ために多くの受験生を苦しめてきた。予備校が機能合理主義的な手法を広めたことから難関試験は予備校の専売となった。ところがその予備校がいつしか、他予備校との競争の中から完全網羅主義へと質を転じているのはなんとも複雑な、試験というものの、底知れぬ闇を彷彿させるものがある。
 初心に戻る、これはすべてのプロ指導者が常に忘れてはならない格言と思う。
 
 子どもに能力を超えていろいろやらせること、これは脳を蝕むことになる。指導とは子どもの受容能力を、見極めてから、今何が必要か、を判断し、的確に、子の能力の範囲内に収めることと考える。その意味でも竹の会は、25年の原点に戻らなければならないと考えている。

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