画像
都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

退院後の一か月検診でした

2020.03.17

第70章 また竹の会の子どもたちに会うことができて神様に感謝してます

 もう竹の会に戻れないかもしれない、そんな恐怖が、わたしをずっと悩ませました。忘れようととしてもすぐにわたしの心を沈みがちにしたことそのとおりだと思います。椎骨を金属で固定する、金属は感染しやすい、そのことがわたしを悩ませました。感染症を起こせばもう竹の会には戻れない。しかし、手術をしなければこの痛みから解放されることはない。激痛を我慢しながら通うのはもう限界かと思った。他方、手術の失敗のリスクを考えたら、今のままでもいいのではないか、そうも考えた。そんな葛藤を繰り返すと、もうどうでもいいや、と投げやりな気持ちにもなった。わたしは、専門の医師の本をよく読んだ。ある時、金属で固定しなくてはだめなのか、そう思った。そういう本があった。わたしが通っていた、有名な、病院の医師は、固定しなければ持たない、と経験から判断した。それでもわたしはリスクは、当面のリスクは回避したかった。あともう少し、二年でも三年でもいい、竹の会の子どもたちを指導できれば、と。何年か先に再手術しても構わない、今、今いる子たちのもとへ戻りたい、そう思いました。
 手術後、血栓を起こさないための足裏の延々と続くローラの器械は足枷が72時間続くともう苦しかった。背中から血を抜くチューブ、尿を排泄するチューブ、背中を切り開いた跡、酸素マスク、2種類の点滴、わたしには生まれて初めて経験ばかりでした。体温と血圧は一日に三回測定。血液検査はもう何回やっただろうか。レントゲンはもう何回撮っただろうか。CTも撮りました。子どもたちのもとに帰りたい、いつも思い続けました。竹の会の神様、もう一度だけ竹の会にわたしを戻してください。お願いしました。いつも感染症の不安はありました。金属は入れてなかったけど。風邪を引いたらアウト。喉が痛かったとき、ルゴールを飲み、マスクをして、布団に潜り、ひたすら耐えました。朝、平熱だったとき、どんなに嬉しかったことか。手術から三日目の朝、小石川合格の電話を横たわり痛みに堪えながら聞きました。併発した胃腸の潰瘍は傷口の痛みより痛かった。どんなことがあっても子どもたちのところに帰りたい。術後十日、退院許可が出ました。術後二週間の血液検査、陰性。担当医師「なんと陰性でした。いつでも退院していいですよ。気合いですね。仕事に戻っていいですよ」。わたしがどんなに嬉しかったことか、ひたすら仕事に戻りたい、竹の会の子どもたちのことが心配だ、わたしが戻って、私が指導しなければ、この子たちを指導しなければならない、私はひたすら思い続けた、帰れる、子どもたちに会える、指導できる、神様に感謝します、あと何年もつかわからない、でもいまこの機会を与えてくださった神様に感謝します。竹の会に戻れる、子どもたちに会える。

ページトップへ