画像
都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

部活引退生の動く季節/受験戦線真っ直中への突入なのに甘い認識の親たちが邪魔をしてきた

2017.06.02

 おはようございます。今日はすばらしい青空がひろがり文句なしのいい天気ですね。先日自転車の後輪がスカスカになり、明治通りなんですが、東交番から恵比寿方向に向かう途中にある、自転車さんに持っていくとあっという間に修理してくれました。収用で残された、壁しかないような建物に道具などが仕舞われて、電気のコンセントはある、歩道で修理している、そんな店ですが、今時ありえない、手軽さで、安くて、良心的な店でした。自転車屋というと、パンクの修理だってすぐにはしてくれないで、預けて後で取りに行く、費用だってバカ高い、そんな店ばかりでしょ。まったく消費者が望まないような店ばかりになって生活は不便になりましたね。いろいろ便利になったと言いますが、それだけカネをとられるということですから。その意味ではアマゾンというのはすごいですね。「店に置いてなくてもアマゾンならたいていある」、それで「すぐ手に入る」、既存の制度を不動のものと前提して不作為を貪ってきた、これまでの古い、保守体質にノーを突きつけたところがすごい。怠け体質なんですよね。

 さて、ここ最近入会試験受検者が立て続けに続きまして、しかもみな落ちている、これには少々衝撃を受けております。もっとも8割基準からほど遠い子たちばかりでしたので、入会試験が難しすぎるのではないか、という指摘もあたらないように思います。入会試験の問題は、過去問から良問を探して、そのままの形では難しすぎるので換骨奪胎してできるだけ解きやすく作り変えております。これまでの実証的検証を経て、小4の4月受検で満点も出ています。もちろん小4の4月で2問正解という子もいましたし、小4の7月~10月ではA合格者が複数出てもおります。この試験を小5にも使用していますが、仮合格者が多いのには驚かされました。A合格は当然と思っていましたから。小6ならできてあたりまえということになりますが、実は落ちる子もたくさんいたわけです。中1で0点ということも珍しくないのです。

 受検されたお母さまの中には、わざわざお礼のメールまでいただき、ありがとうございます。まじめで素直そうな子たちばかりでしたから不合格ということに心を痛めております。

 ◎部活引退生ということの意味するところ

 中1からもう部活三昧で、つまりは勉強そっちのけで中3の夏休み前にようやく引退、なかには夏休みの都大会が終わるまで引退できないとかいうのもいましたけど、こういう子たちの内申というのは、英語も数学もよくて3です。理科や社会なんかまじめにやってきたこともない子たちばかりです。勉強と言えば、定期試験1週間前に勉強の体をとるということでしょ。学校のレベルの低い数学で3というのは、しかも中3で、これはどうにもなるまい。極めつけは英語3です。これの意味するところはかなり悲惨です。おそらくこれからどんなにがんばっても英語でまともな点がとれることはない。いやむしろ下がるばかりでしょ。8月と言えば、もうそろそろ入試問題を試す時期です。長文を50分という時間で読み解くだけの力が問われます。わたしの経験では部活優先でやってきた子というのが中3で英語3だとして、受験では都立レベルの易しい問題でも5割とれない、そして中3というのは、だからといっていくらがんばってもその5割の壁は重く立ちはだかる、そういうものです。英語だけは中1から5をとっていなければダメです。一枚一枚薄紙を貼り付けるような勉強をしてこなければものにならない科目です。数学なら知能の高い子ならなんとか中3からでも間に合わせることはできるかもしれない。ただし、独自問題、私立難関高校の問題はそれでも間に合わない気がする。

 高校受験のための勉強は、小6の2月から始まっている。いやその前に勉強のスタンスをつけるという意味では、小4から始まっていると言っていい。計算力は神の域、割合の理解、つまりは思考力も徹底して鍛え抜いてきた、そういう過程で勉強というものに向かい合う姿勢というものを作り上げてきたこと、勉強するということが当然のように生活の一部に組み込まれていること、そういうことが小6の2月にできあがっているのか、である。そういう仕上がりを前提として、早期に前倒しで英語なり数学なりを学んでいく、それが高校受験のための勉強にほかならない。一般の塾が旧態依然とした、そろそろ中3になったから受験の勉強を始めようかとか、部活も終わるのでそろそろ受験の準備を始めようかなどという脳天気な親子たちをもみ手で受け入れる、のは、ただ商売本位に徹しているからできることである。受験成功、第一志望合格ということを期するのならできることではない。しかし、塾というのは、仮に失敗しても、「よくがんばったのに惜しかった」などといって慰めていれば終わりでそれでかまわない。仮に合格しなくてもそれまでカネを貢いでくれればいいのであるから、第二とか第三志望に受かったら「それでいい」。「おめでとう」と言って終わるだけのことである。それで塾が責められることもない。だから商売本位ならだれでも入りたいという親子は入れることに躊躇などあり得ないでしょ。竹の会というのは、まずすべて断っています。合格を請け負えないのに「やるだけやる」などという商売はできません。

 部活引退生というのは、結局単願推薦を担任に強く勧められることになる。そして行ける高校がないからそれにしたがうことになる。単願推薦イコール合格だから早ければ11月の下旬にはもう事実上合格が決まる。するとやることもないから高校入学まで遊びまくる。そしてさして偏差値も高くない高校に行く。それがどういうことを意味するのか、わかりそうなものだけれど親も子もそれでひとまず安心する。しかし、ひとまずである。

 ◎受験戦線真っ直中への突入なのに甘い認識の親たちが邪魔をしてきた

 いつも受検すると言いながらそれと背馳する行動をとる親子というものがいるものである。いや実際に少なからずいた。たいていの親は、「一生に一度のことだから」とか、「年に一度だけ」、「これが最後になるかもしれないから」、「発表会だから」、「法事だから」、「年に一度の集まりだから」、「週1回だけだから」、と合わせればどれだけ勉強しない日が設けられてきたのか、わからない。中には、朝は朝練、週4日はピアノ、習字、珠算、水泳などという猛者もいた。「まだ1学期だから」という認識がいちばん多かった。「お盆だから」、「お正月だから」というのもかなりいる。「これだけは続けたいから」というのもいたけれど、「最後の夏だから」と1週間沖縄に行ったというのはあきれてものが言えなかった。夏は休まなかったけれど、9月になって学校が始まってグアムに行ったというのには唖然とした。

 受検というものの意識が低すぎる。いやそもそもの難関の試験を受ける、ということについての意味が体験的にわかっていないのではないか。難関試験に受かるということのシュミレーションができていないのである。ただ漠然と「受ける」、「受検する」という意識であろうか。だからいくらでも勉強を中断するようなことをする、それでも受かるということは疑っていない。ちょっと頑張らなければていどにしかとらえていない。

 

ページトップへ