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2019.12.07

第36章 結局、失敗する親たちの定型的破滅行動について
 長年、受験指導をしてきて、毎年、合格不合格を経験してきていると、合格する子には、合格する子、親には不思議と決まった思考様式、行動パターンがある、ということがわかってきます。一方、不合格となる子、親の思考パターンは、不思議と近似していて、そこには定型的な破滅型行動パターンがあるということは早くから気がついていました。
 親の行動
 合格する子の親は、指導に一切口出しをしないものです。これには、注釈が必要かもしれない。親御さんによっては、という条件付きである。例えば、なかなか成績が伸びない子どものことを心配して相談してくるとか、きちんと勉強しない子に悩みを相談してくる、そういうことはあります。もちろん合格者の例です。これは別に指導に口出ししているわけではありません。

 わたしが、口出ししない親というのは、よく勉強し、成績も伸びているという子の親です。それは当たり前だという人がいるかもしれない。しかし、決してそうではない。そういう口出ししない親というのは、今では絶滅危惧種くらいに希少かもしれないからです。むしろよくできる優等生の親ほど一家言あり、そういう親は何かと学校説明会などを回って情報を仕入れ、ママ友からの情報なんかも豊富というか、わたしから見れば無駄に多くて、そういう知識を翳していろいろと注文してくることがよくありました。学校説明会で仕入れた情報、ママ友の意見なんかに影響されて、ああしてくれ、こうしてくれといろいろ注文してきます。心配が募りあちこちの模試を受けさせる。わたしの知らないところで、頭越しに、自分の思った通りにやっているわけです。
 大人しく私に仕事を、させてくれない親というのがいちばん困ります。信頼していないということなのでしょうか。そうなりますよね。

 わたしに仕事をさせないということでは、わたしに学校の成績を一切見せないとか、わたしの手元に模試のデータが全くないとか、これはわたしの指導そのものが「ない」「できない」ということです。
 

 さて、結局なにやかやと口出しをしてくる親の子というは、たとえ知能が高いとしても、結局失敗しております。親の情報というか、学校説明会でもなんでも情報が豊富だから受かる、という仕組みにはなっていない、ということがわかっていませんね。

 合格する子の家庭というのは、どんなことがあっても、塾を休まない、という点では、迷いがないものです。これに対して、不合格となる子の家庭は、その辺のところが、かなり緩く、様々な口実をつけて、あるいは一切何も言わないで、塾を休ませることが、よくありました。習い事、稽古事などで遅刻する、休むということは、普通にありましたが、そういう家庭というのは、また小5までは、実家帰省などで休ませることも定番化しており、その点についての迷いは一切ない。中には小6の盆、正月でも実家帰省をする家庭もありました。また小6になってからでも連休にはレジャーという家庭の方針という勉強回避行動は、結局試験合格から確実に遠ざかる選択であったと思います。
 こうした家庭の特徴は、なにかと家庭の事情で勉強を先送りすることに抵抗がないということです。それでも合格できると楽観しているのは確かです。だから落ちたときのリアクションが、半端ない。とにかく落胆して、悲しむ、悲嘆にくれる。そんなに悲しむなら、なにかにつけて勉強先送りするなよ、とツッコミたくなる。
 

 合格する子、家庭というのは、勉強をなによりも大切に思う家庭である。この点に関しては、一切の迷いがない。常に、竹の会の日程に合わせて家庭の日程を立てているという感じを強く受ける。竹の会を休むことをとにかく嫌がる。だから極力避ける。一日も休まないで竹の会に出席して、指導を受けたいという強い意志がひしひしと伝わってくる。
 合格する子というのは、総じて精神年齢が高い。不合格となる子の思考様式が保育園児並みに幼いのと対照的である。つまり、合格する子というのは、大人びており、敬語をきちんと使える。その言葉の端端から単なる形式的な礼儀を越えて、賢さからくる謙虚な態度を感じとることができる。
 
 合格する子というのは、教わる先生に対して、信頼に裏打ちされた敬意ある態度を崩さないものです。だから、先生をからかうとか、面白がってバカにするとか、タメ口を聞くとか、そういうことは決してやらない。そこには、そういうことを言うことが、相手を傷つけるということを知っている、賢さがある。思い遣りという、精神的に高度な、ある程度熟していなければ持ち得ない心の深さを持ち合わせている。
 

 不合格となる子は、独り善がりのところがあり、人の意見を素直に受け入れない頑なさがある。
 合格する子は、常に謙虚であり、行動が賢さで担保されている。反対に、横柄な態度、知能を鼻にかけた尊大な態度を取る子というのは、成功した試しがない。尊大な態度は、試験に対しても、尊大であるに違いない。こういう子は、怠け癖を併有すると、試験が近くなるともう間に合わないと簡単に諦めてしまうところがある。頭がいいので結果を簡単に計算して、もう間に合わないと決めつけるのだ。実行もしないうちから諦める。頑張るとか、死に物狂いになるとか、そういう心性は持ち合わせていない。知能が適当に高いというのは、破滅型なのである。知能が高いから、試験までまだ間があるときは、まだ間に合うからと手を抜く。それが試験が近づいてくると、それまでののんびりしてきたことは棚に上げ、今更頑張っても間に合わないと諦める。周囲は、頭がいいのに諦めるなんてどうしてかわからないと困惑するから、本人の勘に触る。本人にしてみれば、客観的に見て、これだけの量を残された期間でやりとげるのは無理と判断した、自分の考えを理解してくれない周囲に苛立つ。だから、知能が高いだけではダメで、実行力が備わっていなければ、ただの欠陥人間である。ところが、世間の親たちは、学校の成績がいい、学校では優等生というだけでもう特別扱いするから、子どもを増長させてしまう。こういうバカを宝箱に大切に保管する。親のやっていることとは、結局そういうことである。

 合格する子というのは、情緒が安定している、と強く感じてきた。試験当日に安心して送り出せる安心感というものがある。本番の日、見たこともない問題に出食わしても慌てず落ち着いて処理してくれているに違いないという信頼感があった。初見の問題に焦って慌ててコケるのは、普段から落ち着きのない、情緒不安定の子に違いなかった。これは、子どもたちの合否を占うとき、大きな要因であったと思う。

 都立高校の入試の翌日、新聞に出た問題を一覧して、おや、と気になる問題に引っかかる。癖のありそうな問題群も目に映る。解けたのだろうか、と不安になる。わたしが不安に駆られたとき、わたしの指示に必死にしたがってきた子の普段の指導の風景を思い返して、この子なら切れ抜けたかな、と少し安心する。しかし、指導のやりとりから失意を繰り返してきた子たちが、この問題群を難なく切り抜けたとは思えない、ことがある。そしてわたしのそうした不安というのはかなりの確度で的中してしまう。落ちるのである。だからわたしは自分の眼力が恐くてしかたない。

 不安な子、情緒不安定の子というのは、実力的に足りないが故の自信のなさが、不安を増幅し、したがって、情緒も不安定となるのである。勉強をしてこなかった心残りというものが、心を掻き乱し、精神を千々に乱す。勉強に対する悔い、やりきれなかったという心残り、不充足感というものが、冷静な判断力を低下させる。何やかやと勉強を先送りさせてきたことから来る、欠乏感、不完全という自覚と後悔、敗北感が、普通の判断さえもできなくし、普段なら考えられない、凡庸なミスをしてしまう。丁

 寧に思考を積み重ねるという、もっとも大切な、思考のスタイルを忘れた、反応的な、感覚的な、答えを書いてしまう。こうして受検に成功するかは、この直前の心のありようにかかることがわかる。となると、私たちはほかならない、この直前の精神の安定のために、精神を不安定にする要素を消し去ることが、もっとも大切なこととなる。
 習い事、稽古事、運動などに現を抜かすことは、ただに勉強時間を減らすという以上に、そのことが、引いては、直前期の精神の不安定をもたらす元凶となるからにほかならない。
 さて、こうして、私たちは、本番という魔物に対するために、如何にして精神の安定を保持した状態を継続できるか、について早くから腐心しなくてはならないのである。

 合格とは、子のひたすらさと、親の子を包む優しく見守る目、心が子を支えるところから、相まってもたらされる、幸運である。

 謙虚さとは、油断しない態度のことです。いくらできても、もっと難しい問題が出ていたらできなかったかもしれないと考える人です。自分よりできる人がまだまだたくさんいると考える人です。まだまだ自分の勉強量では足りないと考える人です。

 お山の大将は、油断だらけの人です。自分が一番できると思い込んでいる人です。他人が自分より成績がいいと、今回は、調子が悪かっただけとか、その他人が運が良かっただけで実力は自分が上と都合のいい言い訳で、自分を納得させます。

 口出しする親の子は受からない、というのは、かなり正しい。長い間、塾をやっていると、常軌を逸した母親も否応なしに絡んでくる。サイコパスもいる。とてもまともに取り合っていられないのが棲息している。さすが東京である。
 東京は、過保護な親ばかりである。だから子どもはわがままで、ちょっと気に入らなければすぐ母親に嘆く。すると母親が過敏に反応して、異常な行動に出る。子どもは母親がどう言えば心配して走るかよく知っている。バカな母親が子どもという猿回しに踊らされる光景なら嫌というくらい見てきた。中には、子どもの言うことを100%正しいと決めてかかって、文句を言ってくる母親もいた。すぐにヒステリックになる。親も子も、他者が悪いからうまくいかないという論理では共通しており、できないのは、環境のせい、塾のせい、自分以外の誰かのせいである。

 最後に、合格とは、あなたのひたすらに信じる心が、行動がもたらす当然の結果にほかならない、ということを述べておきます。その意味で合格とはあなたの意志しだいです。
 信じた心に合格は降臨する。
 合格を信じて、ひたすらただひたすら解き直しをしてください。
 そしてあなたの勉強を変わらず、物的にも心的にも支えてくれた、お父さん、お母さんにいつも感謝の念を忘れないことです。合格は感謝の心に宿ります。
 それからちょっとだけ竹の会の先生のことも「ありがたいな」と思ってくれたら嬉しいです
 迷う心に合格は宿らない。
 失意の心から合格は逃げていく。

 合格とは、信頼が産む、信頼こそが合格の母である。
 信頼する子は受かる。
 
 不遜な態度、舐めた態度は、物事の陰影を悟らない、ただのバカです。
 マイナス思考は合格を遮断する意思の壁です。当然合格は離れて行きます。
 
 あなたは勉強を怠けてきませんでしたか。部活などで先送りしてきませんでしたか。何かと回避してきませんでしたか。あなたがもしそのことで悔やんでいるとしたら、その負の精神状態にから抜け出さない限り、合格はないと思います。負の精神状態には、合格の居場所はありませんから。

 不言実行とは、ひたすら勉強することです。
 絵画には、陰影が、生命なのではないか、と思うことがある。色彩の技術とは、陰影の技術の別称のことか、と思ったりもする。一流の画家は、陰と陽を見事に使い分けているものである。
陰こそが陽を生かす。一流の画家とは、陰の達人なのではなかろうか。
 考えてみれば、人間というのは、この陰と陽の陽ばかりに囚われて破滅するのではないか。大切なのは、実は、陽ではなくて、陰の方なのではなかったか。
 心と行動、意志と行動、私たちは、心を陽として、精神の充実、充足を謳う。しかし、精神の安定は、不言実行によってのみもたらされるものではなかろうか。心の安定は、行動が伴ってこそもたらされるものではなかろうか。
 先送りする性向、回避する心情、怠ける性根、楽をすることばかり考えている尊大な心、何もやらないで、なんでも面倒臭がる、横着な精神も、共通しているのは、みな行動が欠落していることである。心の中だけで行動がないのです。つまり、陰の部分がない。だから表面的な、表層ばかり気にした、実体のない生き方をすることになる。
 不言実行。ひたすらな心とは、行動にのみ心を捧げた、無欲無心の姿を言う。

桜吹雪

竹の会アルバム 発表風景

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