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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立小石川、桜修館への道/合格の根拠/その他

2020.02.25

 

第64章 合格の根拠

 この子は、果たして合格することができるのか、本番の迫った1、2か月前、そういことは当たり前ですが、考えます。そういうときに、わたしは、(1)合格、(2)無理、(3)わからない、この三つに分けて整理する。(3)は、判断が難しい。レジュメの正解率、過去問の正答率、勉強量、模試の成績などを照らし合わせて、「もしかしたら」、「ひょっとしたら」という思いを払拭できない場合である。実は、この(3)に振り分けた中から確かに合格者が出ていたのであり、私が否定しきれないのは、そのためである。過去の例では、白鷗に1名、富士には、ほぼ全員が(3)からの合格であった、と思う。
 (3)の共通点として、模試がそれほど取れない、というのがある。ただレジュメの解答率で見ると1割〜4割の幅がある。ほとんど解けない者から3〜4割の正答率はある、という子まで幅がある。
 私が(1)として類するのは、確かな合格の根拠がある場合に限られる。竹の会のレジュメの正解率が7〜8割はあることが一つの目安となろうか。模試の成績が常にいいことも大切なポイントである。つまり早稲田進学会の模試を例にすれば、常に、成績上位者として、名前を連ねていることが、一つの目安となります。
 こういう子は、わたしの指示をきちんと守る子であり、実行力も卓越しているのが普通です。親御さんは、例に漏れず、知的レベルも高い、教育に価値を置く価値観にブレはない、という印象があります。わたしは合格者の親御さんの、共通した特性に早くから気づいていました。

 子どもをよく躾けて育てている、なということもよく思うことです。親御さんが、わたしのやり方に口出しをすることもない。むしろ全面的に、わたしを信頼して、いる。そう実感してきました。これらは、わたしにまたやりやすい環境でもありました。
 (1)の合格の根拠というのは、私の処方(レジュメ)に、いい検査結果を出している、ということである。これが一番の合格の根拠となる。レジュメが、自分で、解けない、という事態は、甚だよろしくない。正直これからの指導に暗雲が漂うということである。
 「わからない」というので、解説レジュメを読む、それで「わかった」ことにする、ということを続けていると、頭はスカスカになる。解説を受けて理解するという頭の落ち着かせ方をするわけです。こういう頭の働かせ方というのは、本人にはとても楽なわけです。人間にとって、未知の問題に頭を働かせるということほど苦痛なことはないわけです。ないところから何かを産む、これは大変な産みの苦しみなわけです。わたしの想像では、あれこれと考えて正解に達するというというの頭の働かせ方というのは、人に教わる、解説を読む、説明を聞く、という場合の頭の働かせかたとは、全く異なる、それぞれ頭の別の部分、別の領域に属するのではないか、と思います。人間というのは、楽をするのが好きです。面倒くさいことは避けようとする、それが人間を堕落させる。面倒くさがる人間は、考えるのが嫌なんです。苦痛なわけです。ですからできるだけ考えないように、面倒くさいことは、日常に中に取り込む、普通のこととして片付ける、そういうことを普段からやるわけです。未知の問題に出会うと、考えることはしない、人に説明してもらって、日常化、普通化してしまう。日常化というのは、考えなくても当たり前のこととしてしまうことです。普通化というのは、特別のこととして、頭を働かせるのではなく、普通のこととして、頭を働かせないで済ますことです。こういう精神にある子が7回解き直しをやったとしてもそれはただ覚えるということをしているだけとなる。
 7回解き直しというのは、頭を働かせてきた者のみに意味があることなのである。

 わたしは、この子は合格するか、ということは、常に意識して指導している。指導というのは、常に、リアルタイムで、検査指導をしているようなものである。つまりわたしは常に検査結果を求めている。なんとか合格の根拠を得ようと考えながら指導しています。
 これが、中学になると、機能しなくなることが多い。中学になると、なかなか出さないとか、忘れた頃出してくるとか、もう全く出さなくなるとか、要するに、検査指導ができない状況が普通になる。竹の会で、中学が、せいぜい一年続けばいいというのも、こうした様々な事情で勉強しなくなる中学生ばかりだからである。
 検査指導ができないのは、生徒の性格のためということもある。成績もなにもかも隠す生徒がいるわけです、親御さんもそのことに別に異を唱えないのです。つまり、根拠が得られない。

◉レジュメ指導から、処方指導へ
 竹の会の指導レジュメが、膨大な量に達したことからくる弊害について
 竹の会の指導レジュメは、平成24年制作開始以後翌年の合格発表のたびに新作が作られてまいりましたため、現在では、夥しい種類と量になっております。もともと例えば25年試験のために作られたレジュメとしては、「竹の会入会試験シリーズ1類」「合格答案への道」「算数をクリアにする」だけでした。これだけで小石川、白鷗、桜修館に合格している。26年、27年、28年、29年と年々新作を作ってきたので、そうしたレジュメをすべて使うのは時間的に実は不可能である。加えて29年受検組、30年受検組には、過去問合格法を併用もしている。過去問合格法を用いた主たる理由は、本来のレジュメの正解率が低かった子たちの対策であった。しかし、本来正答率の低い子たちには、暗記癖をつけてしまったのかもしれない。考えて対処するという本来のスタンスを欠けば本番が未知の問題に対応する能力検査であってみれば、核のところでもともと通用するものではなかったのである。
 指導の核心は、やはり算数力にある。算数のできない子は、結局受からない。
 特に、去年、今年から、その傾向は露骨に顕著になっていた。学校当局が、真に頭のいい、それはつまり算数のできる子どもを求めていることは間違いない。それが大学進学実績を上げることにそのまま直結しているからである。
 おそらく合格者の中にはかなりの数の大手進学塾の有名難関私立中学受験生が占めているものと推測される。具体的な数字は例えば今年の小石川の塾向け説明会に出なければわからない。
 
 ◎これからの竹の会の指導について
  処方という指導概念の導入
  処方とは、医者が如何なる病気か判断して薬を処方する、処方と同義である。
  処方は、小石川の処方、桜修館の処方、という用い方を本義とするが、個々の子どもの能力に即した指導にも処方概念を用いる。あるいはより具体的に例えば分数の繰り下がりを理解させるための処方という用法もある。
  処方はあらゆる場面でその指導の目的を代弁するであろう。
 これまでのレジュメによる指導という場合、レジュメは、シリーズごとにすべてを使ってきたが、これからは、様々な目的に合わせて、様々なレジュメシリーズから選び、指導に使うことになる。これをわたしは処方と呼ぶことにしたわけである。
 内科医が、薬を選ぶように、わたしは、レジュメを選ぶであろう。また、新薬開発にあたる新作レジュメを製作し、試すということももちろんある。
 また、治療法という視点ももちろん問題になる、処方と治療法は表裏である。しかし、過去問合格法は治療法であるが、処方とは言えない。大きな意味では処方かもしれないが、いわゆる処方ではない。
 これからのレジュメは、検査薬と同じ機能を持たせたレジュメが、重要になる。これまでも算数レジュメ集には、診断問題、割合基準問題、割合基本判定問題、実力判定問題など様々な検査問題が、ありましたが、これからは、検査問題として、いわゆる血液検査のような機能を果たす問題の開発を進め、頻繁な検査が、行われることになるでしょう。
 竹の会の指導のコンセプト、実務が、変わる、そういうことになる。
 レジュメが、段階に応じた「シリーズ」単位の使用であったものが、より目的合理的に、指導のポイントに照準を合わせた指導となる。ここで必要な理解をもたらすために処方をなす。処方とは、具体的なレジュメの選択であり、投与された問題レジュメの解答力の検査である。竹の会のレジュメ指導が、処方と概念定義されることにより、指導は、患者単位に、今、何が必要で何が不要かを見極め、必要なレジュメを処方する、処方は、常に検査で担保されなければならない、だから常に検査レジュメで本当に理解したのかが、検査される。
 合格の根拠とは、処方と検査で得られるデータで示されることになる。
 
◉算数力こそ合格の根拠
 竹の会がもっとも得意とする、算数指導に力を入れる、ことになる。合格の根拠を、確かなる、合格の根拠を手に入れるためには、これしかない。過去問を分析し、如何なる能力をが必要なのか、前提となるのかを分析し、そこから、算数の如何なる能力と重なるのか、検証し、もって算数に磨きをかける、これである。
 落ちる子には、根拠がない。合格の根拠がない。努力だけでは根拠にはなり得ない。もちろん努力のない人には、最初から根拠がないけれど、地頭は努力ではどうにもならない。
 適性は、算数で受かる。
※新レジュメ「処方」シリーズの編集、製作について
 もはや竹の会に蓄積された膨大なレジュメのすべてをやるのは不可能に近い。さらに去年、今年の試験を読み解くと、どうしても算数力に行き着く。最少の努力で最大の効果を! これがこれからのコンセプトになろう。これまでのように網羅的に潰すという戦略からは一線を画すことになる。小石川に合格するには、何が必要か、桜修館に合格するには何が必要か、と考えた場合、必要なのは知識ではない。文の綾を読み解く、文意の正確な把握、論理的な思考、結局そういうものに行き着く。

  既存のレジュメ体系を壊して、換骨奪胎して、新しく「算数」を軸とした新レジュメ体系の確立をめざす。
  具体的には、これまで小石川志望者には推奨してきた、「算数速解」、「2010算数」などの難関私立向けレジュメ集から、処方レジュメを編集する、ことになる。これまでの竹の会の指導体系とは違う、新たなる指導体系ーそれは合格を確実に取るという目的を最優先としたものーを進めていく。わたしのなかには、膨大なレジュメデータから真に合格に資するものを厳選し少数精鋭で、つまり思考のみで戦う、切り抜けるということに、合格の鍵があると確信している。
新たなる試みに対する期待は大きい。
 

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