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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立小石川は選ばれた人間が受検するところ/桜修館も恵まれた知能がなければ無理/富士、九段は基本の達人になれば受かる/小3募集しています

2018.09.08

 おはようございます。ようやく暑さは和らぎ始めたようです。もうすぐ秋の香り漂う季節になる、紅葉が風景画を彩る頃には受検も佳境に入る、初秋漂うまでにはまだ台風の洗礼を何度か受けなければならないのかとブルーな心にもなります。

 9月に入っていよいよ竹の会も受検臨戦モードへと突入しております。小6の中には、8月の最後の指導日にやっていたところを9月最初の指導日にやっている子らがいましたが、これは受検は無理なのかな、と首を傾げてしまいました。夏1日7時間以上の勉強というのが、できなかった子の合格は厳しいと思います。

高校受験失敗の構図

 親の望むように、好きなように利用して、つまりやりたいように通って、結果失速するのはあたりまえなのですが、親の主観的な根拠だけで受験成功を確信して中3になって失速に直面して自らの誤判断のゆえに自爆するという受験パターンがここ2年だけで3件ほど出ております。昨今の親は指導者の意見を聞かないで自分で正しいと思ったらもうどんどん勝手に進めてしまいますから、わたしの忠告などたちまち一蹴されてしまいます。わたしから言わせればど素人の母親や父親がもう失敗に向かって猛進しているようにしか見えないのですが、こういう手合いにはやりたいようにやらせて結果を知ってもらうしかないと思っております。

 中1の4月、多くの新入生が、中には受検に失敗して心機一転して中学生になって高校入試で頑張ろうという子も多数いるでしょうが、とにかく夢は、都立駒場、日比谷とみな威勢がいいものです。親もそういう子どもを微笑ましく眺めて、これから始まる中学生活に期待を寄せます。入学式が終わって一週間、まず部活に入る、当然のように入る、そしてその部活が中学生活のほとんどを支配するほどに、つまり都立駒場の夢はもうどうでもよくなりただただ自堕落な生活に押し流される、毎日部活で疲れて寝てばかり、体育系の部活だと疲れて勉強しないのがあたりまえ、親もそういう我が子の怠けた生活を半ば諦めて、公立中では、勉強しなくても、急にはどうこうないこともあって、勉強を先送りしていく、そういう日常が、ほとんどの中学生の姿である。 部活については、当の子どもばかりではない。親が夢中というのもある。塾は部活に支障のない範囲でと、塾の指導を歪めてくる親もいる。逆でしょ。勉強に支障のない範囲でしょ。この価値観の転倒は、わたしにはまったく理解不能なのですが、だからといって勉強を捨てたわけではなく、トップ都立でなければ行く意味がないようなことも言います。自分の主張を押し通して、その結果が出るのは、中3の夏が終わる頃、このときに失速していることに気がつく、本番で実は失速していたと気付くのは都立中受検ですが、高校受験では9月前後から毎月模擬試験があるから本番前には気付くようにできています。竹の会を逃げるように去っていく、そういうパターンをとることもあれば、本番で親主導のやりかたが本番失速という形で現れる子もたまにいます。都立高校に落ちるのは、大抵そんな構図でした。

 ところで、親がなんやかやと口出してくる、塾の方針を捻じ曲げてくる、こういうのに、成功した試しがない。親はなんだかんだ言っても、わたしから言わせれば、ただのど素人です。 それが、いろいろ言ってくる。部活偏重の親は、竹の会の指導を根底から否定していることに気づかない。こういう思いが特に強いのは、27年、28年の戸山合格のとき、の経験があるからです。あの時は当の生徒と話し合って、定期テストで竹の会の受験指導が間に合わなくなるという危機感から、定期試験の2日前まで、わたしのレジュメをやるということにした。ところが、最近は、一方的に定期試験の一週間前とか、10日前に、突然「休みます」という通告があって、受検指導は中断する、というのが当然の親がいて、竹の会の受験を睨んだ計画は微塵に砕け散る、そういう経験を幾度となくしています。これでどういう結果になるのか、現実に語ってもらうしかない。とにかく一方的通告で何かにつけて休むというのは、竹の会の指導の根底を否定することにほかならない。 結局、わたしは何も指導していない、いやさせてもらっていない。 わたしの指導は、親の一方的通告で覆される。 部活、スポーツ絶対優先を譲らない親の強固な態度からは、竹の会の指導の意味を結局悟ることはなかった。私の指導の手順、それは、時間、時期に規定された、その私の思い描いた、合格までの道、何をいつどのようにやるか、すべて私の中にプログラムされ、私は、そのプログラムに従い、指導を指示という形で、進めているのであり、親の「定期テストの勉強のためという、前一週間前後からお休み通告」は、受験のプログラムの破壊行為であり、私の合格プログラムはすでにない。加えて竹の会の規定する回数・時間を部活を理由に極端に減らしてまえば、私の指示を忠実に実行する環境は全くといってなかった。竹の会の指導というのは、決して中断してはならない。生徒から相談されて指示を出す、それならばわかる。しかし、昨今の親は、一方的通告、事後報告であり、プログラムに則った進捗などはとうに破壊され、本来なら数ヶ月前、いや一年も前に終えていたであろうことを、断続的にやるため、積み残し、先送り、されてきた膨大なノルマが、やがて失速という、恐ろしい、逃れることはほとんど不可能な、あたかも墜落に似た結末としてゲームオーバーを迎える。 わたしに指導をさせない親が、結局子が破綻すると、今度は、全て自分の判断で、やってきたことをすっかり忘れて、悲惨な現状に悲嘆にくれるのは、 そもそもが、ど素人の親が、わたしの指示を全て無視して、自分のやりたいようにやった結果であり、わたしは、親の言うがままに逆らわずにできることをしてきただけのことであり、全く相談ということもない、一方的通告の中ではわたしがやれることはもはやない、ということであった。 竹の会で、成功するには、親は口出しして は、いけない。 結局、自分の主張を通して、わたしの指導の見通し、青写真を毀した者が、誤判断の結果、なるべくしてなった破綻に陥り、迷い道を彷徨うのは、やむを得ない仕儀ではあるまいか。 そもそも勉強との両立を楽観的に考えるのが、すでにかなりのリスクを背負っていたのである。

 ○買い被り

 かいかぶる【買い被る】 (動ラ五) ①物を実際の価値より高い値段で買う。〔ヘボン〕 ②人を実際以上に高く評価する。

 「実力以上に買いかぶる」。 親がわ我が子を買い被る。よくあることです。我が子ができないのは、試験が悪い、塾が悪い、こういう論理をとります。偏見で、バランスをとるから、超主観的な見方しかできない。 化けの皮は、模試の結果が、「えっ」ということで、剥がれる。模試はいいが「買い被り」ということもたまにある。本番で化けの皮が剥がれる。親は「そんなはずはない」と、試験当局のミスを疑う。それほどに、自分の子に対する、主観的なもの、偏重した評価が、なされているということである。

◎お問い合わせに、こういう質問がありました、

1.失礼ですが、公文とどうちがいますか?

2.宿題はどのくらいありますか?

3.志望校は先生と相談しながら決めたい(?)事は、可能でしょうか?

 1について。困りましたね。そういえば、かつて竹の会に見学に来た父親が、言ったものです。子どもたちが、プリントをやっているのを見てのことですが、「公文と同じですね」と。わたしはこういう手合いに、またくどくど説明するのもアホらしく、「そうですね」と言ってやったら、そそくさと取り繕って帰って行きました。そもそも公文と比較するところから、公文と同じという前提からのものであり、説明するのも剣呑である。そもそも公文と同じなら、23区からわざわざ渋谷まで来ないでしょ。近くに公文ならあちこちあるでしょうから。それから竹の会に通っておられる親御さんで、そのような疑問など持つ方はいないでしょうね。もっと言えば、過去には、親御さんが、公文や学研をやっているという子もいましたが、同じなら来なかったでしょうね。それよりも、ブログを読んでいただければ、一番いいのですが。竹の会を理解するには、それが一番です。それから、小6は、とらない。どころか、小5もとらない。なぜ、それは、このブログで幾度となく書いてきた通りです。小4から竹の会に来ることの意味は、小4期に、「鉄は熱いうちに打て」を実践できることにほかなりません。小5というのは、すでに鉄が冷え始めて固まろうとしている時期です。もう遅いとは、言いませんが、余程のことがないと難しいと思います。余程のこととは、知能が高い、ということです。たいていは、小5に来た子というのは、小4からいた子に勝てない、竹の会では、そうなります。わたしは、熱い鉄を打つことの利を説いているだけです。小5のように、もう冷えて硬くなりつつある鉄は、打ちたくない。それは、余程のことがないと、型にするのは、無理だからです。わたしが大手で、小4期を過ごした子をみたくないのも、同じ理由です。熱いうちに大手で型にはめられてしまったからです。こうして、小6では、もうありえないということが、お分りでしょうか。わたしは、小4、それも4月前後、遅くとも夏までが、限界かなと思っております。今は、小3の皆さんを募集しております。

2について。竹の会では、強制的な意味合いの宿題はありません。自主的な課題というものがあります。課題は、3年間の長期的視野に立った、あらゆる分野に渡る、教養課程です。国語分野、理科分野、社会分野、資料の分析、国際問題、作文、その他あらゆる可能な課題を制作しております。課題は、やれば次がもらえる、やらなければ、そのまま、時が経過するだけ、そういうものです。課題は、小4期は、少ない。しかし、小6になると、ドサッという感じですね。ただし、真面目にやる子の話です。やらない子は課題そのものがない。

3について。基本的に、受けたいところを受けたら、いいと思います。ただ、わたしは、無理とか、ここなら受かるかも、というアドバイスはします。27年に、富士に合格した女子は、小5の12月入会でしたが、小石川志望で、私は、富士なら受かる、と変更を勧めました。25年小石川志望の男子には、桜修館なら受かると変更を進めましたが、拒否されて11月退塾。桜修館を受検していたようで合格の報告がありました。わたしの変更アドバイスは、このように拒否されることもあります。小学生は、憧れだけで受検しますから、止められないことが多いのです。

4.気になったこと、横浜在住の方が、桜修館受検ということのようですが、都立中は、都民でなければ、受検できませんので、老婆心ながら、一言触れておきます。

 

竹の会の指導は神指導

 あなたたちは、竹の会の指導が、あなたたちの想像の外にあることを知らないままに、通り過ぎていくのが、通常なのだと思います。今日の質問者のように、竹の会と公文を同列において、どう違うのか、などという、ある意味、素朴な方ですが、こういう方が竹の会と出会うことはおそらくない。塾ならどこでも同じとこれまた素朴に考えておられる人たちが多数なのだと思います。確かに、あなたたちの考えは、ほぼ当たっていると思います。ただ竹の会を同じように考えている一点を除いては、です。竹の会には、竹の会に懐疑的な目を向けながら、過去にも最近にもとにかく試しにと来た方もいます。そして竹の会の指導を受けてみて、たちまち竹の会の指導に「これは本物だ」と悟るのがほとんどです。例えば、夏期小4外部生が、小数の計算から始めて終わる頃には、難関中学の四則混合演算をこなすようになって、中には、割合をかなりの程度までこなして夏の指導を終えた子たちもいます。どこやら大手には無料の夏期講習などというものがあるのだそうですが、こういうものを受けた子たちが夏を終えてどこまで計算力をつけたのかさえ疑います。かつて大手にいたという小5の計算力、割合理解のお粗末さをもう嫌と言うほど見てきたからです。

 竹の会に何かの縁があって、入会された人たちが、入会して竹の会の指導を受けてみて、これまでの塾はいったい何だったのか、とよく言われますが、そして入会された親御さんからは、竹の会の指導に対する最大の感謝の言葉が絶えることはありませんでしたが、今のわたしの指導を受けられる皆さんというのは、本当に幸運な方たちなのだろうと思っています。わたしが竹の会を開いたのが、昭和60年(1985)10月のことでした。それから33年の歳月が流れました。わたしの指導という概念に託す思いは世間一般の方が単純に想像されていることとはかなりかけ離れていると思います。竹の会では、「指導」という言葉が特別の意味内容をもったものとして観念されております。また竹の会では、指導に際して使われる教材を「レジュメ」と呼んでおります。竹の会のレジュメにはいろいろなものがありますから、一般的にどうのこうのというのは不正確な説明となるかと思います。指導に使われるレジュメは、割合を軸とした指導レジュメの体系とは、別に、解説に精緻な粋を凝らした作品集というべきものもあります。高度の指導においては、解説レジュメを充実させることにしております。通常指導では、子どもが考えて解いてきたものを診て、指導するという形式をとります。解説が必要なときは、もちろん説明をいたします。もっと考えてほしいときはさらに考えさせます。わたしのレジュメには、何回かに1回の割合で、こっそりと理解を試す問題が仕込まれています。これはわたしが子どもの理解の深度を測る目的です。子どもたちがレジュメ指導を重ねていく度に、思考力をつけていき、理解を深めていく、これが竹の会の指導というものです。竹の会では、入会すると2か月は使って、計算力を徹底して鍛えます。小4でも、小3でも、2か月もあれば、たちまち世間の小6が四苦八苦して解けないような、四則混合演算を解けるようになります。計算は竹の会の指導が始まる前に必ず4題は解くようになっています。子どもたちは毎回の指導で必ず計算4題を解いて、つまりウォーミングアップして、本指導に入ります。

 今、竹の会の指導を受けられる方は、実に、幸運な方たちと申しました。わたしの年齢的な事情、体力的な事情から、竹の会をこれから何年も続けることはできないからです。わたしの指導技術が最高のレベルに達している、今こそが竹の会に出会う、最高のタイミングなのかと思います。東京23区にお住まいのみなさんには、塾というものが、既成のイメージでしか理解されていないので、竹の会という指導形式を理解することに抵抗をする人が多いのも事実です。食わず嫌いという人です。竹の会の指導形式は竹の会、わたしが開発した、どこにもない指導の形態です。かつて竹の会を退塾した人が止めて他塾に行ってみて初めて竹の会の真価を悟ったのでしょう、ネットには「竹の会のような塾」で検索した人がいましたが、竹の会の指導は他塾に真似のできる、底の浅いものではありません。世の親御さんが誤解されているというか、理解の浅いのは、かつて竹の会に面談にきた母親が、「今は、竹の会と同じやり方の塾に行っている」と言うので、詳しく聞いて見ると、生徒に新中学問題集や新小学問題集を渡して、自習させて解かせる、わからないときは、先生に質問するという形式なのだそうです。どこが竹の会と同じなのか、わけがわかりません。竹の会では、子どもたちに合わせて、レジュメを作ることもよくあります。またレジュメ指導では、目標というか、達成すべきテーマがあり、そのためにさまざまなレジュメを1枚、1枚解かせて、指導しながら、段階を進めていきます。レジュメはテーマごとに作ります。ひとつの体系をなしていることが多い。レジュメはわたしの指導の有能な助手です。だからわたしは様々な能力に長けた助手を使います。すべてあるテーマを理解させるために奮迅のはたらきをするように創作しております。もちろんわたしの算数指導の経験から最高水準の口頭説明も時宜に即してしてますよ。自分で言うのも何ですが、かつて竹の会では、授業してたこともありますが、その時の授業は、有名でした。「こんなわかりやすい授業はない」、とよく言われたものです。わたしの授業は、テンポと笑いに包まれた、やってるわたしも本当に楽しいものでした。新宿高校生を相手にやった英語授業き楽しかった。毎回授業の準備して、講義した英語の板書をした女子生徒のノートが後に「高校英語概論」になった。青山学院高等部の生徒たちを相手に授業した数学講義は、わたしの授業技術を格段に進歩させた。東大受験生を相手に個人授業した東大教養学部英語テキストの授業はわたしの授業技術をさらに高めた。わたしの授業経験は、授業は、「できる」子にのみ可能だということを明らかにした。世の大多数を占める凡人には授業は意味がない。わたしが指導という形式を考えつくのは、それまでの竹の会の指導が、授業と「考える」という2つの形態をとってきたことが大きい。授業の部分をレジュメで置き換える、わたしの考え出した、竹の会指導の原点がここにあった。いつの頃からか、わたしは子どもの脳のしなやかな変化を追うようになった。わたしの一言が微妙に変化を捉えた。子どもの書いた答案から、子どもの脳の中の様子を鮮明に想像することができた。子どもを導くのに、「型」から入ることの有意性も確かな手応えをもって実感した。わたしはさまざまな「型」、思考の「型」を考案した。子どもとの一問一答のやりとりから子どもの理解の状況を診断し、処方箋を書いてきた。竹の会の指導を簡単に説明することはおそらく不可能。公文との違い、公文と並べられたことで絶句した。説明する気にもなれない。アホらしくて。竹の会の指導とは、23区のどこにもない、竹の会というひとつの形です。それ以外に言いようがない。

◯仮合格入会者のこと

 わたしの判断で、受検は困難と判断した場合、来年2月以降の指導を打ち切りとしますことをお許しください。 ただし、高校入試のための指導に変更する場合に限り、小6での指導を認めることがあります。

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