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都立中高一貫校受検/都立高校上位校 受験専門 渋谷で創立30年

都立小石川への道/合格請負人(1)

2020.01.22

 

第54章 合格請負人 (1) わたしは合格請負人として生きてきた
 かつてのわたしは合格請負人を自負していた。自分は合格させるプロだと気負っていた。わたしが、専門的に請け負ってきたのは、もちろん高校入試であった。昭和60年10月竹の会開設のときから、わたしは高校入試しか頭になかった。開設から数年は地獄のような毎日であった。膨大な過去問を片っ端から解いていき、様々ない参考書を読みまくり、竹の会のオリジナル教材の開発に明け暮れた日々であった。
 昭和62年2月、S君、青山学院高等部合格、市川高校も合格。私の東京での初仕事であった。都立駒場に受かった女子もいた。S君は、最初から、青山学院合格で請け負った、私の初めての仕事であった。ほとんど個人指導に近い指導をした。希望により夜中までやった日もあった。当時は、わたしはほとんど立ちっぱなしで、ホワイトボードを使って、授業をした。一人の入試を請け負うとき、わたしは合格に向けて、ありとあらゆる手を尽くした。必要な参考書だと思えば、そのためだけにカネを惜しまず買い揃えた。正直採算は取れてなかったかもしれない。
 わたしは、まず、どこそこに行きたい、合格したい、という子たちの希望を聞き、可能なのかどうか、考えて、たいていは、受からせてみよう、と決断し、そのための、ありとあらゆる手を講じた。そしてわたしが常に最後の拠り所としたのが、過去問であった。わたしは、過去問を自分で解き、わたしの理解を子どもたちに分け与えた。わたしはわたしが過去問を解き、難しいと感じたか、易しいと感じたか、わたしの素直な感覚を大切にして、とにかく教科書の知識だけでどこまで解答可能かを検証した。難しい、教科書だけでは解けないと判断したときも、できるだけ平易な解答を心がけた。それが、声の教育社や学参の過去問解答とは違う、シンプルな解答となって、竹の会の数学の価値を高め、評判につながったことは想定していないことであった。わたしはただわたしのシンプルな明解な解答を子どもたちに分け与えたかっただけであった。市販の長々しい解答を読んで、子どもたちが、「読んでもわからない」という訴えをよく耳にしてきた。少なくともB5の1ページあまりにも及ぶ、びっしりとした小さなポイントで埋め尽くされた解答はあり得ない。わたしも読む気にはなれませんでした。わたしがオリジナル解答を作るようになったのは、もともとそこでした。シンプルで、明解な解答を作る、わたしは常にこのポリシーをもって、解答をつくりました。
 竹の会の、わたしの、数学がわかりやすいと評判がたったのは、わたしの耳にも直接間接に耳に入ってきましたので承知しておりました。
 竹の会では、都立志望者が圧倒的に多い。特に、昔から、駒場と新宿、それから青山は、竹の会の定番受験でした。なぜか昔から戸山は人気がなかった。戸山は確か21グループのトップに君臨していたと思う。学区外の31グループのトップ西を受けられるようになるのは、まだ先(学区制廃止は2003年/平成15年)のことであった。さらに学区制撤廃により、日比谷も受けられるようになる。いつしか竹の会の普通は、最低でも戸山、青山という風に変わっていった。
 例えば、都立戸山を頼まれたら、わたしの中の合格請負人の本性が表れるに違いない。もしわたしに完全にコントロールを移管してもらえるという条件が満たされればわたしは合格を必ずもたらすと思う。「と思う」のは、過去に、失敗がないからである。
 35年の竹の会の歴史の中で、記憶に遺る合格請負人の仕事を少しく回顧してみたい。本日はその第1回である。そのことが、わたしが合格請負人である、であったということを理解するのに、雄弁であろうと考えるからである。
 まず一番に思い出す仕事は、早稲田実業高等学校普通部、同商業部合格という、わたしには会心の仕事がある。平成10年のことであった。日能研に小4から慶應めざして通った男子がいた。竹の会に来たのは、いつのことだったのか、正直はっきりしないのだが、少なくとも小6の12月には日能研をやめて竹の会に来たのではないか、受験に失敗し、彼は.
地元の公立中に通うこととなり、そのまま竹の会に通うこととなった。彼は最初からどこそこを受けるとか、行きたいとか、言っていたわけではない。ただわたしは当然に早慶クラスを漠然とではあったが、視野に入れた指導をしていたつもりであった。この頃は、まだレジュメ時代は十数年後のことであり、オリジナル教材はあったが、過去問合格法という指導法が、酣のころであった。あの頃は、パスポートコースと名付けられた、地獄のコースがあった。余程勉強好きでないともたない。月から金まで毎日、15時から22時まで無制限のコースであった。これだけの指導時間が取れると仕事は成功率は高い。竹の会の合格のうち偏差値の高いところやいわゆる自分の偏差値からは奇跡的合格とされる子たちはたいていこのパスポートコース出身である。仕事の成功率は指導時間の量に比例するのである。これは季節の集中指導も同じで指導時間の多い方が成功に近くなる。家庭学習の充実を主張して季節講習を少なめにするというのは、本音は経済的な理由かと思うが、残念ながら成功率は減る。
 当時のコースでは、3時間×8回 というのがあったが、この時間設定では、たとえ優等生であっても、受験の中3になると成績は下降していくのが普通で、あまりお勧めのコースではない。経済的事情というのは厄介で指導時間が少ないということは、底辺、せいぜい中程度の都立、例えば、目黒、広尾、さらに下がって、松原、千歳以下レベルの都立に甘んじる子たちがほとんどで、当然低偏差値私立に無理をして出すという家庭も多い。端から大学は考えておらず、高校卒業後は専門学校に行くという家庭も多かった。このコース設定は、そのような家庭の需要が背景にあった。
 教育にカネをかける家庭の子が、上級国民になる可能性は、高いのが現実である。
 鈴木君はパスポートコースで竹の会を過ごした。夏期、冬期のパスポートコースは、朝9時から夜9時までの12時間拘束、実質10時間、夏だとそれを25回という、地獄の10時間コースと言われたコースであった。経済的事情層には、3時間12回コースや数学2時間10回というのもあった。後者は、英語単科塾に行っている家庭に需要があった。しかし、数学にしても、英語にしても、パスポートコースの子たちの伸びは鮮明であり卓越していたので、経済的コースは気の毒としか言いようがなかった。
 当時、竹の会では、数学と英語については、わたしの製作したオリジナルテキストが使われていた時期である。英語は、「英語指導案」シリーズの三部作時代であり、竹の会英語はすでに合格請負人の定番道具として完成していた。これは数学も同じで、わたしは、中学数学全体系をテキスト化して、過去問合格法を効果的に進める下地を完成させていた。鈴木君が、早慶を受けると言えば、いつでも対応できるよう指導してきたのである。思えば、中2の夏休みには、高校用英文解釈初級を終わらせていたが、それとは別に、彼が解釈用の読み物をやっていたと後で聞いた。彼はそれが良かったと後で言っていたのを覚えている。彼に何という本か聞いたが、兄に貰ったもので覚えていないということだった。
 彼が、中3になってからの指導は、偏差値70前後の過去問を網羅的に使った。方法は、例えば、平成八年慶應高校出題数学を解かせる、という感じである。初期の段階では、時間無制限、夏以降は、制限時間を切った。使用した高校は、開成、慶應系列すべて、早稲田系列すべて、その他偏差値70以上すべて、65〜69の重要な高校は10ほど、すべて過去10年から20年、網羅的にやる。解いた過去問は、紐で綴じて、束ねる。昔の電話帳は、厚さ数センチあったが、それが数冊になるくらいになった。これらの電話帳は、すべて七回解き直しさせた。
 繰り返すが、これらのメニューを完全にこなすには、先程述べたパスポートコースほどの時間が必要である。家庭でやれば同じだから、竹の会には、そんなに出なくてもと考える人もいますが、竹の会の指導は、顕微鏡的な目で観察しながら、適切なアドバイス、指示を出し、調整し、検証し、常に、客観的な、素の力を測っている。過去問を使う最大の理由が、時間刻みで、生徒の力を判断している、できることにある。竹の会の合格率が高いのは、事前に、素の力を見極めているということが大きい。
合格請負人として、わたしは生きてきた。
 渋谷教室になって、竹の会の指導体系は、わたしが、竹の会の集大成として完成させたレジュメ指導方式が確立し、そのレジュメも体系化されて、ひとつの指導システムとして機能するまでに成長した。
 わたしが、35年かけて完成させた、わたしだけの方法は、わたしが合格請負人として、合格を勝ち得ることのみをすべてに優先させてきた、究極の方法であった。合格請負人としてのわたしの言葉が、多くの人たちにはなかなか受け入れ難いものであったことは、知っています。習い事、稽古事、スポーツ、実家帰省、旅行、レジャーすべてに否定的なわたしの意見に、批判的な人がいることも承知していますが、わたしの請け負ったら必ず結果を出すという、合格請負人魂が常にある、あったということは、わかってほしい。
 わたしは、合格掲示板の冷酷を骨身に染みるほど味わってきた。子どもたちの悲しむ姿をいやというほど見てきた。わたしの脳裏にはあの冬空の冷たい空気が張り詰めた掲示板の光景が染みついている。「ない」、「番号がない」、「何かの間違いじゃないか、誰か訂正に来るかもしれない」、そんな妄想が走る。ないものはない。現実は変わらない。ないという現実は厳然と現実である。わたしの思いはいつもそこに原点があった。習い事、稽古事の発表会に奔走する母子、わたしは掲示板に立って、その光景を見ていた。恒例の実家帰省、家族旅行、家族レジャー、みな結構なことです。楽しいに違いない。ただわたしは掲示板の前に立って見ているだけである。番号がなければみな泣く、嘆く、悲しむ、落胆する、来し方を後悔する、この時だけはみなそうである。わたしはそんな人間の行動を見てきた。
 わたしは、「落ちた」と知ったとき、「発表会でお休みだったな、それまで勉強はできなかったよね」、「お盆に一週間帰省したこと」、「五月の連休に家族旅行に行ったこと」、「そんなに泣くのなら、嘆くのなら」と、私自身も辛い、悲しい、思いを必死には堪えて、「習い事、稽古事、スポーツはするな」と悲痛な思いを訴えているだけです。わたしの考え方を批判する人たちがいるのは知っています。ただわたしの考えというより、悲痛な叫びととっていただいたほうが、正鵠を射ている、のかと思います。
 
 話しは変わるが、受験と節約精神の関係については、わたしの考える真理を述べたおかねばならない。司法試験、これはカネをかければ受かる。に限らず難関国家資格、受験の合格は、予備校にかけるカネを惜しんでいたら、結局受からない、結局、時間を無駄にする、これが真理です。
 これはよくありました。受かる人は、有用なら予備校を2つ利用して、カネを惜しまない。落ちる人は、予備校には行かない、節約して受かるという信念にも近い態度が鮮明であり、予備校の出版物を買って節約するとか、とにかく節約で賄おうとする。「何々で間に合わせる」という発想が常にあり、それらの努力は報われることはなく、多くは、徒労に終わることになる。
 東大合格者の80%が、富裕層の出身だというのも、わたしの言う真理を裏付けている。高学歴は、カネによって作られる。
 わたしは、それがいいとか、悪いとか、述べているわけではない。現実がそうだと述べているだけである。生存競争の本質をもつ、受験、つまりは勉強は、カネをかけたほうが勝つ仕組みになっている。予備校にカネを出せる家庭の子が成功する蓋然性が高いのは、だから真理なのである。
 合格請負人がとった国語
 かつてわたしは国語という科目を誤解していた。自分の受験の頃、国語とは、読解して、つまり本文の意味を取って問題に答えるものと考えていた。つまり国語とは、本文の実体的真実を読み取り、その理解した真実を前提として、問いに答えていくものと考えていた。大学受験に使ったのは、「新釈現代文」という名著と言われた参考書であったが、その書からは、私の国語の方法を転回させるものはなかった。大学受験を潜り抜けてから、わたしは自分の国語の方法について考える機会があった。よく本文の著者が、入試問題を解いたら、ぼろぼろに間違っていたという話しを聞いたことがあるが、実体的真実を知っている著者本人が解けないとはどういうことなのか、ただの笑い話で済まされない。国語研究の傍らに読んだ、予備校の先生たちが書いた現代文の参考書を読んだことがあった。この時、私は、これまでの国語の方法が誤りであったことに気づいた。よくセンター試験の現代文を解いたが、選択肢が二つまでには簡単に絞れるのに、正解を出すのが難しいことを経験した。なぜ一つに絞れないのか。
 ようやくわたしは国語の、いや受験国語の正体に気がついたのだ。受験国語とは、本文の実体的真実の理解ではない。本文を解釈した問題作成者が、どのように本文を読解したかを読み取る
科目である。とは言っても出題者が、本文の実体的真実とかけ離れた理解をすることはそんなにあることではない。ただ私たちは、問題を解くときは、本文に書かれていることだけを根拠に答えを選ぶ、書く、ことが暗黙の了解事項だということを忘れてはならない。
 それでは、出題者は、本文をどのように読んでいるのか、そこには暗黙のルールがある。論説文というのは、抽象的に書けば次にはその意味を具体的に書。具体的に書けば、というか具体的な記述が続けば今度はそれらの具体的なものを抽象的な言葉で言い換える、そういうことをやっているのだということを知っておいてほしい。また筆者は、自分の価値観を抽象的に定義にすることが多い。出題者は問題を作るときそういうことを考えて作っている。抽象的なところを問題にすれば、答えはその後に続く具体的な記述にある。具体的なところを問題にすれば、答えはその前か、後の、抽象的な記述にある。
 選択肢が2つにしぼれてどちらかという場合は、なぜ迷うかと言えば、実体的真実の選択肢があるからである。選ばなければならないのは、実体的真実の方ではなく、本文の中に書かれてあるか否か、書かれていることが正解なのである。
 わたしたちは、出題者の世界で出題者の問題作成意図を読解するのだ。これが受験国語だ。
 物語文は、作品の言葉、登場人物の言葉からのみ、その感情を読み取らなければならない。物語文の中には、登場人物のほかに、隠れた読者がいて、その隠れた読者がどのように喜怒哀楽したかが書かれている。隠れた読者とは、筆者と考えていい。
 さて出題者は、物語文のこのような構造に着目して、問題を作るであろう。隠れた読者の目を通した物語の意味を問いにするであろう。わたしたちは、自分で登場人物が、どう喜怒哀楽したかを考えてはいけない。隠れた読者が、どう喜怒哀楽したかを読み取るのである。それは本文に書かれてある、それらしき言葉が判断の根拠となるという意味である。
 竹の会の、わたしの執筆した国語レジュメシリーズは都合そのような姿勢で書いたものである。
 国語という科目は、ただテキストを使って授業するのを聞いて、テキストに書きこんだり、ノートを取ったりすることではない。大手塾で授業を受けるので国語をやっているなどと考えるのは、大手崇拝の、思考停止した親たちだけである。

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英語指導案三部作の時代

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